東京音楽学校受験-1

しあわせ
幸福を売る男

芦野 宏

東京音楽学校受験-1

昭和二十三年(一九四八)、呑まだ浅い受験当日、私はいつものように朝早く起きて仏壇に向かって父の霊に報告し、この日のために母が古い毛糸で編んでくれたベストを上着の下に着た。母が一針ずつ祈りをこめて編んでくれたベストは、あまり体裁のよいものではなかったが素直に着て出かけた。
心配をかけている母の心は、痛いほどわかっていたからである。
朝は早いので井の頭線は空いていた。久我山から吉祥寺へ出て中央線に乗り換えた。中央線はいつも進行方向の左側が見えるように乗る。市ヶ谷の堀を隔てた向こう側の高台に、私が育った懐かしい左内坂が見えるからだ。
さらにお茶の水と秋葉原で乗り換えて、上野駅公園口で下車し、公園を突っ切って学校に向かった。
1時間10分かかった。
1時間目は専門の歌唱で、『コールユブンゲン』のなかの1曲をその場で指定されて歌った。
そして、イタリア古典歌曲のなかから高1ソン・トウツタ・ドゥオーロ(嘆かわし)」を歌った。
なにしろ一人ずつ教室に入って歌わせられるのだが、審査の先生が十数人もいて、いずれも有名な声楽家の先生ばかりだから、あがらないほうがおかしいが、私はなぜかあまりあがらずに素直に歌えた。
終わってお辞儀をして出るとき、ちょつと中山先生のほうを見たら、先生が立ち上がって赤い顔をしているように見えた。きっと心配してくださっていたにちがいないと、申し訳なく思った。