民放各社にもレギュラー番組-3

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

1、ポピュラーの世界へ

民放各社にもレギュラー番組-3

文化放送で毎週水曜日の夜八時半から『モナ・キューバン・タイム』という番組があり、私はラテン・バンド、東京キューバン・ボーイズのリーダー見砂直照(みさこただあき)さんに気に入られて、こちらも準レギュラーのかたちで歌うことになった。アルゼンチン・タンゴではなく、〝中南米のボレロやルンバなどの曲で、私がスペイン語で勉強していた「マリア・ラオ」「タブー」「カント・カラバリ」「アマポーラ」などの曲が次々と電波に乗った。芸大を出てから高橋忠雄先生のところでいただいた珍しい曲ばかりである。これらはすでに勉強ずみの曲だったから一度のリハーサルでほとんど本番の録音がとれた。
ところが、同じころの別な番組で歌うシャンソンのほうはフランス語の勉強を始めたばかりだし、R(エ-ル)の発音や鼻音を上手に使うことに慣れていなかったから、一回でも多く練習
するよう心がけ、苦労は並大抵のものではなかった。こんなふうにして、私はだんだんシャンソン歌手として認められていったのである。
(注)
昭和三十三年(一九五八)春のリサイタルのプログラムには、次のようなメッセージが寄せられた。
「芦野さんはフランス語の発音がなかなかうまい。大阪でフランス人と叫緒に芦野さんのシャンソンを聴いたとき、その彼が『あの人のRの発音はいいですね』といっていた。フランス語では、いろいろ 難しい発音があるなかで、Rは難物中の難物なのである。
芦野さんは、いい発音をするために、人知れぬ苦心をし勉強している。そこがえらいと私は思う。私がやっているフランス語講座の放送でも何度か歌ってもらったが、いつもとはちがい、これは語学放送だからというので、芦野さんはその準備のため、フランス人二人について発音の稽古をした。一人の先 生だと、その人の癖があっていけないから二人にしたのだという。私はその誠実さにつよく打たれた。
芦野さんのみごとなパリの歌のかげに、そんな心づかいの流れていることを書きとめておきたい」
伊吹武彦(仏文学者)