日劇出演と第一回リサイタル-1

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

1、ポピュラーの世界へ

日劇出演と第一回リサイタル-1                          一

デビューした放送界で活躍し、コンサートにもいくつか出演してきたが、本格的なステージ・デビューとなったのは昭和二十八年(一九五三)八月、ダミアの来日公演で伴奏もされた原孝太郎氏の渡仏記念コンサート(ラジオ東京主催、日比谷公会堂)であり、さらに大きな舞台は、なんといっても翌年七月、日劇『夏のおどり』で一か月の長期出演をしたときである。
(注)
「夏のおどり」などのレヴューが繰り広げられた日本劇場は、有楽町マリオンの敷地にあっあった。映画とレヴューの二本立てになっており、レヴューには歌謡曲のほか、戦後解禁されて花開いたポピュラー音楽、ラテン、タンゴ、ジャズ、シャンソンが織り込まれ、時代を彩る歌と踊りがあふれていた。ジャズ・フェスティバル、ウエスタン・カーニバル、フォーク・フェスティバルなども開催。
昭和五十二年(一九七七)、レヴューが四一年の幕を閉じる。
昭和五十六年、最後のウエスタン・カーニバル開催、日劇ミュージック・ホールも閉幕。
私の出演した季節は、七月の暑い盛りだった。
そんな季節にふさわしい「フラメンコ・ド・パリ」の二曲を一日三回、映画の上映をはさんた。
「フラメンコ・ド・パリ」は、蘆原英了先生が推薦してくださり、歌うことになった曲である。先生には以前から目をかけていただき、いろいろと教えを受けていた。イヴ・モンタンがこの歌を歌っているレコードを聴かせてくださったのは、もちろん蘆原先生である。そのときはモンタンが黒っばいシャツ姿で歌っている写真も見せてくださった。
渋谷・参宮橋にお住まいの先生のお宅で、私に合う曲を何曲も見つけていただいたものだ。