夏の九州-3

 幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

2、旅から旅へ

夏の九州-3

全国労音の例会でポピュラーのソロ歌手として年間最多出演の記録をもったこともある私は、久の九州公演、真冬の北海道の公演では何回もアンコールに応えている。なぜ夏は九州で、冬は北海道なのかよくわからなかったが、マネージャーの話によると、労音はもともとタラシソ/音楽で出発した団体なので、初めて取り上げるポピュラー例会を会場の空いている季節にもっていったらしい。
夏はだれでも涼しいところへ行きたいのが人情である。東京の日本劇場で『夏のおどり』のゲストとして一か月公演を終えて九月に入ったとき、記録的な猛暑が二、三日続いたことがある。日劇の地下の楽屋で冷房づけになり、地上に出ると、炎熱と排気ガスの洪水だった。夏の泉京はいやだ、少しでも涼しいところへ逃げたい、といつも思っていた。
だから翌年、初めて夏の九州一周の仕事を受けるときは、相当の覚悟を決めて出かけた。まず福岡から出発して久留米、熊本、八代と南下して鹿児島まで巡演するわけだが、そのとき夏の九州が快適であることを体験した。意外なことに東京よりずっと過ごしやすいことに気がついた。温度は少々高くても、湿度が低いのである。冷房や車の排気ガスで汚れた東京の空気より、どんなにおいしかったことか。しかし冷房の設備が整っている会場は数えるほどしかなく、冷房機はあっても完全冷房ではないから、むしろ扇風機のほうが活躍していた。
思い出に残る会場は、熊本市のSデパートのホールである。今でこそデパートは完全冷房であるが、そのころのホールは扇風機だけであった。陽が落ちて少し涼しくなったころから開演するのだが、照明のスポットが当たるから舞台の上は三〇度をはるかに超している。ピアノは浜中外代治さん。やせ型でひょろひょろっとした背の高い青年だったから、見た目には涼しげに映った。ベースの稲葉国光さんは体格もよく、太り気味だったから見るからに暑そうであった。
地方公演で予算がない場合はこの二人だけの伴奏で歌ったこともある。宣伝ビラには、「芦野宏来る、伴奏は浜中外代治とオーケストラ」と書かれていたことがあり、稲葉さんがでかい男だったから二人でも伴奏はオーケストラかと大笑いしたことであった。
その稲葉さんが立ってウッドベースを弾くと、床面にその体形そのままに汗の模様ができる。
暑いから水はガブガブ飲む。汗は滝のごとく流れて舞台の床に地図のようなシミができるのである。ネクタイなどはしていられないから半袖の白い開襟シャツ一枚でステージに出る。これ以上ぬぐことはできないが、一回のステージでシャツはずぶ濡れになる。楽屋に戻って扇風機で乾かし、また後半のステージに出るのだ。
私は中央に立って歌っているのだが、あまり大きな口をあけて歌うことはできない。なぜなら窓を開け放っているので、外から虫が飛んでくるのだ。蚊ぐらいなら我慢できるが、私の嫌いな蛾がスポットの当たっている私のまわりに集まってくるからだ。口をあけて大きな声で歌っているとき、蛾が口に飛び込んだ経験があって以来、用心して口は小さめにしてマイクに近づいて歌うことにしていた。
しかし、こちらでの初めてのシャンソン・リサイタルは大好評で、翌年もまた同じ会場で歌うことになった。相変わらず設備関係はまったく前年と同じで、私たちは大汗をかきながらアンコールに応えた。昭和三十四年と三十五年の夏だったと思う。その後、このデパートは火災にあったことが新聞で報じられ、あのホールも焼失したことを知った。