夏の九州-2

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

2、旅から旅へ

夏の九州-2

高知は四国のなかでもいちばん遠くて、今でこそ直行便が何本も飛んでいて不便も感じないが、そのころは東海道本線で岡山まで行き、宇野行きに乗り換えて、そこから高松まで連絡船に乗り、四国に着いてから海岸沿いに徳島まで出て、四国山脈を越えなければならなかった。八月の暑い日だったが、私たち一行は二日がかりで高知にたどり着いたことがある。まだジーゼルも走っていない時代で、トンネルをくぐるたびに煙が窓から流れ込んだが、冷房のきかない車両だったから、目的地に着いたら風呂に入って全身を洗わなければ、鼻の穴まで真っ黒にすすけている有様だった。しかし途中、トンネルを出るとき私たちはいっせいに歓声をあげた。目の前に有名な「大歩危(おおぼけ)」、「小歩危(こぼけ)」の名勝が広がって、清列な谷川が流れていたからである。なかなか見ることのできない絶景を見せてもらったわけである。
夕方になって、私たちは会場に案内されたが、それは体育館であった。ところが、どこを探してもピアノがない。私の伴奏はピアノ、ベース、ギター、アコーディオンの四人だった。仕方がないのでピアノ抜きでやろうと思ったのだが、開演三〇分前になってやっとアップライトのピアノが運ばれてきた。主催者側がピアノのことを忘れていたらしい。
こんなふうだから、体育館に集まった人たちもシャンソンを聴くのは初めての人ばかりであったが、反応と柏手は非常に大きかった。なにより終わってから素朴な旅館で供された新鮮な海の幸と、地元の人たちの温かい歓迎の気持ちが嬉しくて、それまでの苦労はいっペんに消えてしまった。         一
旅といえば、現在のようにスピードだけを追いかけて汽車弁当の楽しみも忘れてしまうのは、ほんとうに残念である。私は四〇年の間に、日本全国、津々浦々ほとんどの場所で歌っている。
~から駅弁の味も今となっては遠い思い出として残っているだけになってしまった。