第五章 魔界の迷路

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第61回三軌展(2009) クルえの追憶 松岡隆一画伯(秋田県鹿角市)
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25  岩手山SA

車のライトの届く範囲以外は闇に包まれた午後八時過ぎ、すでにこの時間は夜の領域に入っていた。
日東テレビの島野泰造は、鹿角八幡平I・Cから入って五十キロほどを過ぎた東北高速道上り車線で、日東テレビ名入りのワゴン車の助手席にいた。
その時、携帯電話の受信用音楽が鳴ったのだ。
「日東テレビの島野泰造さんですね?」
相手の若い女性は、本人であることを確認してから続けた。
「鹿角市役所観光課所属で縄文祭り担当の若木と申しますが、島野さんに用意した記念品をお渡しするのを忘れました。すぐお届けしますが、いま、どちらにいらっしゃいますか? まだ大湯ホテル本館ですか?」
島野はタバコの煙を吐きながら周囲を見た。
「高速に乗って……湯瀬からパ-キングを過ぎて……景色からみると、安代にかかる辺りですかな?」
「それでしたら、そこから一番近い岩手山サ-ビスエリアの駐車場に乗り入れて、お車でお待ち頂けますでしょうか? たしか日東テレビとネ-ム入りのワゴンでしたから、わたしがすぐお探ししてお届けします」
「鹿角からだと大変だから、社に送ってくれれば……?」
「上司に叱られましたのですぐ参りますが、島野さんだけに用意した記念品ですから、島野さんだけお車でお待ち頂いて、スタッフの皆さんには、先に食事でもして頂いたら如何でしょうか?」
「いや、夜食は郡山SAでとることになってますから……土産に薄皮まんじゅうを買うというスタッフの希望がありまして」
「とにかく、島野さんだけに謝礼もありますので」
謝礼と聞くと断れない。電話を切り、運転の田代という撮影助手に命じて、とりあえず車を岩手山SAに入れさせた。
同乗のカメラ班らスタッフ五人には「忘れ物を届けに来るから」
と、コ-ヒ-タイムをとらせて、自分だけが車に残った。
なぜ、こんな遅い時間に役所の事務員が? なぜ携帯の番号が?との疑問は残ったが、撮影班責任者としての連絡電話として事務局の控えに書いたような曖昧な記憶もないでもない。若木と名乗った事務局の女性の甘い声がまだ耳に快く残っている。
そこに、石脇からの無粋な電話が入って島野の夢を消した。
「いま、どこにいる?」
「岩手山サ-ビスエリアですが?」
「そこで、食事かね?」
「いや、いま、スタッフはSAのレストランにコ-ヒ-を飲みに行っていて、私だけ駐車場で市役所からの使いを待ってるところです
が、ここには長居はしません」
「ワスらは今、盛岡市内だが、一旦鹿角まで行ってUタ-ンすっけど、一時間はかからん。待っててくれっかね」
「なにか用ですか?」
「今回のイベントの企画で、少し聞きたいことがあるだ」
「だから、どんなことを?」
「それは、会ってからでねえと言えんな」
「冗談じゃない。スタッフも疲れてるし……」
「スタッフにはそのまま帰ってもらって、あんただけお茶でも飲んでてくれれば。帰りの新幹線代は署から出す」
「遅くなった帰れなくなりますよ」
二人の口調が徐々に乱暴になる。
「心配ねえだ。署にも泊まる設備はあっからな」
「留置所のことですか?」
「それは、ま、あんた次第だが」
「冗談じゃない。オレは何もしてないですよ!」
「だがら、会ってから聞くと言ってるでねえか」
「言うことなど何もないから、このまま帰ったら?」
「疑いが深まるだけだべな」
「だから、何の疑いですか?」
もっと、詳しい事情を聞こうとしたのだが、企画の時点から人選を考えたのか? とか、石脇警部は訳の分からないことばかりをくどくどと言うばかりで、あれこれ話したが一向に要領を得ない。
ただ、覆面パトカ-には運転の佐田刑事の他に戸田友美ともう一名、東京から来た元刑事という男がいるのが分かった。
プロデュ-サ-が企画者の意見を取り入れながら人選をしないで誰がやる? まったく訳の分からないオヤジだ。
電話を切った後も、石脇の言いまわしが気になる。
明らかに何らかの疑いをもって身柄を拘束し、それを糾そうとする姿勢が口ぶりに表れていた。
電話が長びいたので、待ちくたびれたスタッフもそろそろ帰って来るに違いないと思うから、島野も今からコ-ヒ-だけのために動く気にもなれない。
スタッフを帰京させて、自分一人だけここのレストランで食事でもしながら待つか……と、暗い思いで、観光バスの出口で笑顔を振りまくバスガイドの横顔などに見とれていたが、面白くもない。
盛岡インタ-にあと約二十五キロの地点にある岩手山SAは、西に小高い茶臼岳、西南に岩手山をのぞむ溶岩地帯で、冬は荒々しく殺風景だが、緑濃い夏は風光明媚な景観で心を和ませる。
だが、今はすでに夕闇に包まれて山々は見えず、売店やレストラン、休息所のあるメインハウスとゆとりのある広い駐車場には、明るい照明灯が燦々と輝いていて何処にも闇はない。
その駐車場をゆっくりと何かを探すように、やや茶髪でサングラスの女性が運転するグレ-のパジェロが徐行していた。
その女性は、車体に書かれた日東テレビの社名を見たのか、島野が手を伸ばせば届くような距離にまで接近して停車し、エンジンを切らないままで運転席の窓ガラスを開いて島野を見た。
島野が見返すと、サングラスで目元は見えないが愛嬌のある顔だちの若い美人顔の女性が声をかけてきた。車内にはその女性以外の姿はない。
「日東テレビの島野さんですか?」
「そうですが?」
「遅くなりました。初めまして、若木と申します」
「どうも」
その女性が声をひそめた。
「実は、加納さんからのお手紙も預かってるのです」
「えっ、加納から!」
驚いた島野に、その若木という女はパジェロの助手席に来るようにと手招きをした。
常識で考えれば、手を伸ばせば届く位置にいるのだから、記念品も手紙も手渡しすれば済むのだが、一瞬にして鼻の下が長くなった島野に、冷静な判断力や沈着な思考力などは望むべくもない。
そのまま島野は「ひょっとしたら……」との思いを胸に、夢遊病者のようにワゴンを降りてフラフラと歩き、パジェロの助手席に上がり込んだ。少し茶色掛かった髪から爽やかなコロンが匂った。
だが、彼の甘い考えはここまでだった。
女性が軽く微笑み、手に持った封筒を島野に渡そうとして、島野の手に触れた。その瞬間、島野の体に衝撃が走った。
後部座席から沈めていた上半身を起こした人相の悪い頑強そうな男が、持っていたスパナで島野の頸椎に一撃を加えた。その男は、驚いて振り向いた島野の首を、スパナを投げ捨てた右手で背後からしっかりと締めつけると、小指のない左手に握った布片を島野の鼻と口に押し当てた。
それを外そうともがく島野の身体が、ものの数十秒で力が抜けて崩れ落ちた。
「おバカさんね。わざわざ車に乗り移ったりして……」
「姐タン、トッチの車は?」
舌を傷めたらしい男が舌足らずの口調で美女に聞く。
「この男が、乗り逃げしたことにするのよ」
さらに、女が指示をした。
「あんたが運転して付いて来るんだよ。次の滝沢パ-キングでそれを乗り捨てたら、あたし達はこの車で盛岡インタ-で一度下りてUタ-ンだからね」
パジェロを降りた男が、指紋の付着を避けるためか黒い手袋をはめながら日東テレビと社名入りワゴンの運転席に急いだ。
その時すでに、女の運転するパジェロは、失神した島野を助手席に乗せたまま発進していた。
石脇が鹿角署の清水という若い部下から無線連絡を受けたのは、まだ、高速道路を北に走っているときだった。
「島野泰造が消えました」
「いきなり何だね? 島野とはこれから会うだが」
「いま、日東テレビの田代という社員から一一〇番通報がありまして、島野がスタッフを置き去りにして車で逃げたそうです」
盛岡で岡島の話を聞いて、島野に疑いを抱いた石脇はすぐ友美から携帯の番号を聞いて島野に連絡をしたのだが、まさか、仕事仲間を裏切ってまで逃亡をするとは思ってもいなかった。
しかし、逃げたとなると、やはり島野は拉致犯人の一味だったのか?
「岩手山サ-ビスエリアの駐車場からかね?」
「そうです。駐車場から日東テレビのワゴンを男が運転して、高速に出るのを何人もの人が見ています。各高速の入り口にも網を張らせましたが、私は今、岩手山SAにいて現場検証をしています」
「どんな状況だね?」
「いま、スタッフから事情聴取をしてますが、高速を走行中の午後八時前にに島野の携帯に、市役所の若木という女性から電話が入ったのを、スタッフが洩れ聞いていました」
「なんて?」
「記念品と謝礼を届けるから駐車場で待ってるように、とのことらしく、スタッフら五人にコ-ヒ-を飲みに行かせて、島野だけが車に残ったそうです」
「ワスもそこに電話して、待ってるように言っただが」
「スタッフは、誰もそんなこと言ってませんでした」
「島野しかいなかったから当然だ。市役所でウラはとったか?」
「調べました。役所には若木という女もいませんし、観光課でも、謝礼など考えてもいない、と言ってました。とにかく、スタッフが帰ってきたら、車ごと姿を消していた、というわけです」
「車体に日東テレビの社名があるんだ。すぐ通報があるべ」
「とにかく、広域手配で高速の各料金所には手配しましたが、まだどこからも連絡が入りません」
「サ-ビスエリアは?」
「全部、調べさせてます」
「各パ-キングも調べさせろ。ワスらもすぐ行く」
やがて、走行中の石脇に、日東テレビのワゴン車が、岩手山SAからわずか十キロの至近距離にある滝沢PAに乗り捨ててあったのが発見された、との報告が入ったが島野の姿はないという。
そこからは、トラックの荷台にでも潜り込んで逃亡したのか?
ともあれ、島野泰造は、河田美香失踪事件の参考人として広域手配されたのである。

26 スナック・華

午後〇時前、鹿角市内では数軒しかない毛馬内の深夜営業「スナック・華」で、打ち合わせと称する飲み会が続いている。
と、いっても四人だけだから単なる飲み会だが……。
佐田の運転する覆面パトは、友美の車の置いてある上の湯の竜門館千羽ホテルに寄り、佐田だけが署に戻った。
こうして、達也と石脇は友美の運転するアウディで、「スナック・華」に立ち寄り、友美も平気でビ-ルを飲んでいる。
友美の希望で、山奥に棲む縄文人に会ったという石脇の従兄弟で商工会理事の勝川史郎にも声を掛けると、喜んで参加してきた。
この一連の事件の検証を始めるにあたって、どうしても縄
文村についての予備知識が必要になるからだ。
ところが、この店の常連の勝川が、まず打ち合わせの前にリラックスだとばかりに、近所の若い寡婦でバイトの小夜という顔なじみの女を相手に、カラオケで古いデュエット曲を歌っている。
呆れたマスタ-の木場が石脇警部に苦情を呈した。
「いまからカラオケなら、看板です。警察がうるさいですから」
水割り片手の石脇は返事もせず、達也相手にグチを続けた。
「島野ちゅうヤツは、好みの女ばっか集めて仕事らしい……」
「それがプロデュ-サ-の仕事だからな」
達也が珍しくなだめ役に回っているがピントはずれだし、普段は標準語の石脇だが、ムキになると方言丸出しになる。
「そんなに悔しいなら、あんたも一人ぐらい囲ったらどうだ」
「そげなのはどうでもええだが、島野はどけさ消えただ?」
「広域捜査で各料金所にも手配したし、警視庁でも網を張ったからもう袋のネズミさ」
「いまは?」
「分からん。築地行きのトラックの荷台ってこともあるべし」
勝川や達也が、この店を利用するには理由がある。
この店を経営する木場昭二がまだ二十代だった頃、新宿歌舞伎町のキャッチバ-の雇われ店長で善良な市民を店に引きずり込んでは財布の中身を全部吐き出させて荒稼ぎしていたことがある。そんな時に木場は、歌舞伎町を根城にする中国人マフィアから仕入れた大麻を新興の暴力団幹部に売ったときに、相手が外国製の偽一万円札を使用したことで争いになり相手を刺殺してしまった。
その事件現場に乗り込んで、木場を逮捕したのが達也だった。
その結果、木場は七年ほどを塀の中で暮らしたが、出所後に自分を逮捕した当時警視庁一課警部補だった佐賀達也を頼って相談し、更生して地方で暮らすことを薦められ、石脇を紹介してもらって鹿角のスナックに勤めたのだ。
やがて、生まれ変わったような真面目な仕事ぶりを認められ、病気がちだったその店の経営者から、その店を安く長期ロ-ンで譲られたことから、バイトの女性などを使い堅実経営を続けている。
あとは、三十五歳を越えた今、所帯をもつのと、事業を多角化して実業家として成功するのがが夢だと言う。
だが、殺人の前科が邪魔して、幾つかあった縁談もまとまる寸前で壊れたし、排他的な地元の商工会や金融関係からも認められず、木場の夢が実る確立はかなり低くなっているらしく、キャッチバ-時代の木場の本性も出るらしく、ここのところ、鹿角署の石脇に入る木場の評判はあまりよくない。これも身から出た錆で仕方のないことだった。そんな事情も知ってはいたが、達也が鹿角十和田方面に来る時は必ず石脇とここに来る。
いつも通り木場が「店長の奢り」などと言って勘定を払わせないが「収賄になるような只飲みはしないぞ」などと、僅かばかりの千円札を数枚置いて帰る。
要は、ここは達也と石脇が懐の寂しい時に寄る店なのだ。
カラオケに満足したのか勝川も、テ-ブルを囲んで座った。
「さあ。何の話ですかな? 縄文村とか」
石脇が、カラオケを終えるとすぐ洋酒と煮物を運んで来た小夜に何気なく聞いた。
「今日は、いつもの四人組の常連さんは来てねえのかね?」
「クマさんたちのことね? 三人だけ来ましたよ。全員、ケガをしてましたけど」
「小指のない小太りの男が、クマってボスか?」
「今日はクマさんは来なかったわ、三人はさっき、キズが痛むからと言ってさっさと帰りましたけど……」
「クマは、どうしたんだね?」
「昨日は仕事で舌を怪我して、今夜も仕事ですって」
「舌を? でも、そのクマが彼らの金主元だろ?」
「そうです。だから三人のときは現金がないんです」
木場が、余計なことを……と、いうような目で小夜を睨んだ。
その木場の目線を感じた石脇が、すかさず小夜に畳みかける。
「現金がないと、三人の飲み代はツケかね?」
「ツケはダメって断ったら、どうしてもこれでって……でも、わたしまでチップを頂きました」
「これって?」
「これです」
小夜が嬉しそうにポケットから小銭入れを取り出し、見せびらかすように金の粒を五、六個ほど取り出して手のひらに乗せた。

27、砂金

「なんだこれは……砂金じゃないか?」
石脇の目が鋭くなった。
「飲んだり食ったりも、これで払うのか?」
「もうお断りしてますが、現金がないというもので」
「何回かは払ってるんだな?」
「もう受け取るなと言われてます……」
「余計なこと言うな!」
小夜の発言を、カウンタ-内の木場が我慢できずに阻止した。
「ウソ言うと偽証罪だ。おい、木場。砂金を全部見せろ!」
「そんなの……」
「何回かは受け取ったんだろ。ここに出せ! 見るだけだから」
「いま、お見せしますよ」
木場が観念したように、皮袋を持ってきて、テ-ブルの上に中身を撒いた。
そこには、米粒ほどの大きさがある大粒の砂金が淡い室内照明の下で、燦然と黄金の輝きを発して散らばっている。
「約二百グラム、これが五回分で、今は受け取ってません」
「豪勢なもんだな」
貧しさに慣れた達也が感心したように二、三個摘んで重さを感じとっていたが、すぐにサイコロでも転がすような手つきで無造作に投げると、木場があわてて大切そうに皮袋に入れ戻した。
「なんで砂金なんか受け取った?」
「最初は一カ月ほど前ですが、四人で来た時に二万円ぐらいの飲み代に、持ち合わせがないから、こいつで我慢してくれって、五十グラムぐらいを置いてったのが最初でした。大儲けだと思ったんで、まあ、いいだろうと受け取ったんですが……」
「グラム千四百円換算で五十グラムは六万以上、悪くないな」
「採れたてのホヤホヤだと言っていました」
黄金となると目の色が変わるのは人類の常、気のせいか石脇と達也の目の色が変わったのも酒のせいだけだけではないらしい。
「なるほど……採れたての砂金か?」
「そうなると谷だな。金鉱山から流れ落ちる谷で、噂にもなっていない、車の出入りがあっても目立たない。そんなところは?」
「観光地か、山の中かどちらかだろう」
「その採掘場に必要な人手はどうする?」
「まさか、求人誌で募集はしてないだろうな?」
「かといって、暴力団の男達が慣れない力仕事の砂金堀りに熱中するとも思えないのですが……」
「ヤツらは監督役で、浚われた男たちが砂金堀りだべ」
石脇の疑問に、達也がきっぱりと言った。
「木場、もう一度、その砂金を見せてくれ」
達也が、出し渋る木場から皮袋を奪い取ると、テ-ブルの上に金を撒き、じっと睨んでからその一つを手に持った。
「さあ、ようく見てろ」
達也が、その一粒を噛んでから全員の目の前にかざした。
「オレの噛み跡を見ろ。少ししか凹んでないぞ。谷川から採れる砂金は純金のはずだ。純度の低い鈴や銀との合金が出るのか?」
木場の顔色が変わった。
「知りませんでした」
「そうか。そっちの粒に噛んだ跡があるぞ。あんたの歯形かどうか鑑識にまわすかね?」
「そんな……」
「偽砂金と知ってからは現金払いにした。だから、三人組の今日の代金も砂金で受け取らなかったんだ。その上、偽砂金を蒔いてるヤツらを脅して、そのピンハネを考えたんじゃないのか?」
「まさか」
「まあいい。石脇警部だって、いまさらあんたから事情聴取するほどヤボじゃないと思うがな」
石脇がポツリと言った。
「ヤボだって必要ならやるすかねえべ。朝、十時に署さ来い」
「勘弁してくださいよ」
「そんだら全部言えば許してやんべ。そこの小夜さん。今日来てた三人の会話の内容とか、知ってること全部吐きなさい!」
「ハイ」
小夜の話を整理するとこうなる。
最近、よく四人で出入りしている余所者の暴力団員風の男達のうち、左の小指のない男を除いた三人が今夜、小一時間ほど飲みにきていた。その一連の会話の内容はつぎのようなものである。
まず、一人が小夜をからかって会話が始まった。
「あんたもきれいだが、オレらは夕んべ有名な美女とやり損なってな。もう、からだをもて余らせてんだ。今夜、どうだね?」
「バカ。滅多なこと、言うもんじゃねえぞ……それにしても、あんないい女を野蛮人に横取りされるとはな」
「あいつらは、絶滅したんじゃねえのか?」
「しぶといヤツらだ」
「ワカの指示でこがね屋敷に連れ込むはずの女を、なんで、あんな山に運ぶようになったんだ?」
「急に姐さんの指示が変わったって、クマ兄イが言ってたぜ」
「しかし、クマ兄イも女に舌を噛まれるとはドジだったな」
「兄イは、今日の仕事の褒美に、志穂姐さんと寝るのか?」
「まさか。姐さんだって、ワカに浮気がバレたら大変だからな」
こんな内容だったらしい。
有名な美女というのが河田美香という場合もある。
石脇が木場を問い詰める。
「その左の小指がないクマという男は、どんな男だ?」
「佐々木熊五郎という元創世会の幹部です」
「今日、そのクマと志穂という女は、どんな仕事をしただ?」
「そんなの知りませんよ」
「その女は、ワカちゅう男の女か? ワカとは誰のことだ?」
「知るわけないじゃないですか?」
「いいのか? 明日の朝、署に十時だぞ」
「言いますよ。ワカとは紫門千蔵、姐さんと呼ばれる志穂さんは千蔵の彼女で、いずれ千蔵の嫁になる間柄ですよ」
「と、いうことはこがね屋敷ってえのは、紫門邸のことだな?」
「ま、そういうことです」
達也が呟いた。
「そこに太鼓を運ばせるはずだったのか?」
石脇が聞きとがめた。
「なんの事だね?」
「その連中が、女子アナを大太鼓に詰めてその屋敷に運ぶはずだったが、指示が変わって、女を山に運んだってことだ」
「なるほど、太鼓か……」
勝川が友美に言った。
「戸田さんは、この鹿角市周辺が昔、有名な黄金の産地で、この近くにも、マインランド尾去沢(おさりざわ)という金鉱跡を観光化した施設があるのを知ってますか?」
「知ってます」
「その鉱山を含めて、この周辺で産出された莫大な量の黄金が、この地を統治していた阿部一族によって藤原氏に提供され、平泉の黄金文化に貢献したのは有名な話です」
「それもどこかで聞きました」
「その黄金採掘の権利のあった一族の本家を、昔からこがね屋敷と呼ぶんだが……それが、何カ所かあって」
達也が横から口をはさむ。
「なるほど……今でも掘れば出る鉱脈があるってことだな」
今度は石脇が頷き、話題を大太鼓に変えた。
「縄文祭りの大太鼓大会で途中退場した二組のうちの一人が、小指のない男だったのは、受け付けのオナゴから聞いてるだが」
石脇は、ここでの情報でついに突破口を見つけたらしい。
「小夜さん。ご苦労さん、もう用は済んだから帰っていいよ」
木場が優しく声を掛けると、
「洗い物だけしてきます」
と答えた小夜という女性は、カウンタ-の中に戻った。
そこで、神妙になった木場も交えた五人が、小夜が運んできたオードブルを肴に水割りなどを飲みながら雑談に入ったが、その場が本格的な検証の場であることを誰もが意識していた。
小夜が店を出るのを確認してから達也が言った。
「すでに解散して、世間からは忘れられていたはずの創世会の連中が、この山奥にまで逃げていたとは知らなかったなあ」
「そいつは仕方ねえだべ。佐賀さん達が政治結社から暴力団に成り下がった創世会を解散に追い込んで関東から締め出しただから……
こいつは、古い因縁が絡むことになるだな」
勝川が言葉を添えた。
「女を救けたのが縄文人なら、命に別状はないですな」
「でも、縄文村なんて作り話でしょ?」
友美の質問に、勝川が真顔で答える。
「私も昔からの噂を聞いてウソだとばっかり思っていたですが、どうしても確かめたくて、決死の覚悟で山に登ったんですよ」
「本当に縄文人がいたのですか?」
「戸田さんはまだ疑ってるんですか? 何度でも言いますが本当に絶滅したはずの縄文人が、しぶとく生きてたんです」
「その縄文人が、その佐々木をボスとする暴力団から美香を救ったというのですね?」
石脇がたしなめた。
「戸田さん。そいつは警察の仕事だ。史郎に聞いたって仕方ねえだ……でも、いきさつはその通りだべな」
ここまで推測できれば、あとは、こがね屋敷を急襲して贋砂金造り容疑でガサ入れをすればいい。そこから、拉致事件は一気に解決するだろう。
「四人組は、面も割れてるし、まず事件は解決だな?」
ここまでは、誰にも異論はなかった。
それよりも友美は、縄文人に会ったという勝川の証言に驚いていた。この現代にそんなバカな……これは確かめるしかない。
友美は思い切って勝川に聞いた。
「その縄文村に案内して頂けますか?」
一瞬、酔いが覚めたのか勝川の顔色が変わった。
「それはいい案だな」
石脇が同調すると達也も頷き、勝川は追い込まれた。

28、金鉱

島野はふと目が覚めた。時計を見ると午前五時に近い。
頭が重く、首筋が痛い。
現状が把握できずに目を見開いたまま、獣脂の臭いが鼻につくランプの淡い灯火を頼りに周囲を見回すと、大部屋のゴザの上で十人ぐらいの男達がザコ寝をしているのは分かったが、目が闇に慣れていないせいか顔かたちまでは見分けがつかない。
イビキをかく、寝返りを打つ、寝言を言う者など様々だが、全員が眠りこけていて目が覚める気配はない。
島野は天井を眺めてギョッとした。洞窟の中なのか岩肌が剥き出しになっていて、コウモリが飛びかっている。
昨夜、仕事が一段落して、高速道路で帰路についたところに、若木という女から電話が入った。記念品と謝礼があるとの誘いに乗って、岩手山SAの駐車場で待ったが、これが罠だったのか?
若木と名乗ったちょっとした美人に出会って、加納からの手紙だという書類に手を出した。そこまでは覚えているが、そこからは何もかもが曖昧になる。どうも、状況がよくない。
しかし、気持ちが落ちついてくると、背後から殴られたのか首筋に受けた衝撃と、クロロフォルムらしい薬剤を嗅がされたような記憶が甦えってくる。
なぜ、こんな目に会わなければならないのだ。
あの女からの電話で、スタッフをコ-ヒ-飲みに行かせたがあれも間違いだった。女から車内に島野一人でいるように指示され、その通りにしたために襲われた。
よく考えると、あの女は電話があって約三十分後に現れた。
鹿角市内花輪の荒田にある市役所から準備して国道二八二号を鹿角八幡平インタ-までの時間が約十分、高速に乗って岩手山SAまでの約五十キロは約三十分を考えると、電話をしてから三十分ではあまりにも早すぎる。これは、どう考えてもおかしい。
多分、市役所並びの広域文化センタ-駐車場辺りで待ち伏せて、日東テレビ名入りのワゴンが高速入口に向かって通過するのを確認してから、時間を計って電話をし、SAの駐車場まで追って来たと考えると辻褄が合う。と、なると、これは明らかに島野本人を誘拐のタ-ゲットにした計画的な犯行なのだ。
(なんのために?)、これが分からない。
それにしても、自分が拉致されなければならない理由など、何もないし、拉致したところでそれほどの価値があるとも思えない。
まさか、拉致事件も取材したことのある自分が拉致されるなどとは思いもよらないことだった。
今までも、海外取材で内戦の銃弾で手傷を負ったこともあれば、小遣い稼ぎ目的の暴力団員に短刀で脅されたりもして、危険な目には何度も出会っている。この程度のことでは恐怖感を抱くことでもない。ただ、今回のこの拉致事件は従来のパタ-ンとは全く違う様相を呈していて北朝鮮問題とも関係ない様子だった。しかも、相手の正体も拉致の目的も、皆目見当がつかないのが不気味だった。
島野は後悔していた。
美人に会って甘い顔を見せたばかりに、むさ苦しい男ばかりの洞窟内の飯場に放り込まれるなんて……目が闇に慣れて、身近な男の顔が徐々にはっきりして来た。見慣れた部下の加納なのだ。
驚いて肩を揺すると、男は不服そうに呟いて寝返りを打った。
「うっせいな、もう少し寝かせろよ」
「おい、加納。起きろ!」
寝ていた男が顔を上げて島野を見た。
「あれ、部長……こんなとこで何してるんです?」
「オレが聞きたいんだ。ここはどこで、何をしてる?」
「ここは飯場ですよ。谷川から砂金や金塊を拾ってるんです」
「金塊を拾う? 金とは凄いな!」
「でかい声、出さないでください。皆、まだ眠いんですから」
「悪かった。金を拾うって、どういう意味だ?」
「だから、拾うほど落ちてるんです」
「まさか? おまえは、一昨日の夜、拉致されたばかりだぞ」
「ええ。昨日一日稼ぎましたから」
「稼ぐ? どのぐらい稼いだんだ?」
「まだゼロです」
「ゼロって、どういうことだ?」
「昨日働いた分は、食事と夜の楽しみで差し引かれるんです」
「労働基準法とか給与体系、人権はどうなってる?」
「そんなの知りませんよ。弥生人の酋長に聞いてください」
「弥生人? そういえば、なんだその服装は?」
「部長も同じですよ。頭を触ってみてください」
慌てて手で触れて見ると、いつの間にか木綿の布で鉢巻きをし、衣服は、麻で編んだ布の中央に穴を開けた所から頭を出して、腰を縄で縛っただけの弥生式の貫頭衣姿なのだ。
「変だな? ここにいる連中は全部、弥生人か?」
「部長、頭でも打ったんですか? いまは二十一世紀ですよ。山にいる本物の縄文のヤツらは別として、弥生人なんかいませんよ。これは真似事です」
「いま、何て言った? 縄文は別だとか?」
「だから、実際にいる本物の縄文人に対抗して、それより強い弥生人の服装をしてるって訳ですよ。天敵のこの服装を見ただけでヤツらはブルっちゃいますからね?」
「まさか? 縄文人なんて、あれは悪い噂だ。冗談だろ?」
「いえ。実際に一昨日、縄文人に殴られたヤツが四人もいます」
「一昨日? なんでだ?」
「よく分からないんですが、屋敷に運ぶ荷物を間違った指令で山に運んでしまい、そこで襲撃されて荷物を奪われ、四人ともケガをしていて、ボスの男なんか舌まで切られたらしいですよ」
「なるほど、野蛮人がやりそうな手だな。で、何の荷物だ?」
「知りませんよ、そんなの」
「じゃ、おまえは何で運ばれたんだ?」
「大太鼓です。美香を探しに行って、大太鼓の積んであるトラックを覗いてたら、いきなり背後から布で口を塞がれて……」
「気を失ったのか?」
「何で知ってるんです?」
「オレも同じ手でやられた。太鼓には詰められなかったが」
「私は、胴の部分が片開きになる大太鼓に入れられたんです」
「そうか。美香も同じ手口でどこかに運ばれたんだな。ところで、ここの連中も拉致されたのか?」
「いえ、暴力団に脅されたり、女房やサラ金から逃げたりした連中ばかりですよ」
「拉致されたのは、われわれだけか?」
「知りませんよ。それより美香はどこにいます?」
「おい。いま、おまえは大太鼓に詰められてって言ったな? 美香も同じじゃないのか? オイ。もしかして……」
「大変だ。大太鼓で運ばれた美香が縄文人に奪われたんです」
「じゃ、もう姦られてるな。縄文人はフリ-セックスだから」
「どうしますか?」
「まず、ここから逃げよう!」
「誰がです?」
「誰がって。おまえ、逃げたくないのか?」
「何で逃げるんですか? 何も悪いことしてませんよ」
「監視されてて逃げられないのか?」
「誰も監視なんかしてません」
「じゃ、一緒に逃げよう」
「いえ、わたしは遠慮します」
「逃げるのが怖いのか?」
「とんでもない。迎えに来られるのが怖いですよ」
「どうも、納得がいかんな」
「この世の中に、本物の桃源郷があったのです」
「どこに?」
「ここが、その桃源郷です。部長もすぐ分かりますよ」
突然、法螺貝の音がのどかに「ボウ-」と響くと、今まで眠りこけて微動だにしなかった男達がバネ仕掛けか、トランポリンから跳ねたかのように起き上がった。服装はみな弥生人だった。
「部長。食事を持って女性が来ますが、顔はよく見えません」
「なんでだ? そうか、弥生人にも戒律があるのか」
「部長は初対面ですが、相手の女は新入りが来たのを知ってるはずで期待されてますよ。挨拶をして、名前を言っておいてください。
いいですね、名前だけは絶対に忘れないでくださいよ」
「なんでだ?」
「それが約束ごとだからです」
「分かった。名前を言えばいいんだな」
外に足音がして、加納が言った通り、頭を上で束ねて髪飾りで飾った薄い布のベ-ルで顔を被った弥生人風女性が次々に現れ、飯台の上に、粗末な土器に豪華な朝食を乗せて運んで来た。
顔は見えないがスタイルはなかなかいい。
彼女らは室内に入って来て、自分の係の男の前に飯台を置くと握手をして、渡された重そうな皮袋を抱えて出て行く。
島野の前にも飯台が置かれた。握手をしながら薄衣を通して覗くと、つぶらな瞳がはにかんでいる。甘い柑橘系の香りがかすかに匂い、その途端に島野は頭の中が真っ白になって、用意した挨拶の言葉を忘れた。男なんて単純なものだ。
女はすねたような仕種で立ち去った。
飯台の上には、食事を入れた土器の横に、島野と油性ペンでSIMANOと名前が書かれた革袋が置かれていた。
山ブドウ入りのクルミパンを主食に、焼き魚と鹿の肉、豊富な生野菜、野イチゴのデザ-ト、アイスティ-が付いている。見てくれは素朴だがなかなかの美味だった。島野は昨夜が夕飯抜きだっただけに、武者振りつくようにしてガツガツと食べた。
食事が終わって、満足そうな加納が近づいた。
「その革袋は収穫の金を入れて、朝、食事を運んで来た女が気に入れば渡すし、気に入らなければ渡さなくていいのです。それを受け取った女は袋の中の二十パ-セントが収入になり、あとは部長の貯金で、そこから食費などが引かれます」
「女は?」
「夜になれば忍んで来ます。なにしろ欲求不満で亭主から逃げ出した人妻などで希望すれば入れ替え自由、しかも美人ばかりですよ。
わたしは、もう約束しました……部長は?」
島野が目を剥いた。これで脱出を考える男がいないという意味がよく分かった。
「いかん、名前を言うのを忘れた!」
「バカですねえ。あれだけ念を押したのに」
「チクショウ!」
「残念でした。一回目は手渡す収穫袋がありませんので、名前さえ言えばOKだったのに……こちらがノ-の場合は、名前は言わないんです。多分、女はフラれたと思って拗ねてたでしょうね」
「明日までお預けか。昨日はどうした?」
「マネ-ジャ-から教わった通りに行動して天国行きですよ。今朝もその娘が来ましたから約束したんです。部長も明日の朝は必ず名前を言って、これから拾う金を入れたその袋を渡してください」
「今朝と同じ女が来るのか?」
「今朝のを断りましたからかなり落ちますね。しかも相手が拒否する場合も……あ、マネ-ジャ-が来た。部長の知ってる人です」
「知ってる人? まさか……」
加納が動いて人の輪の中に入り、モジャモジャ不精髭の弥生人姿の男に何かを告げると、その男がすぐ島野に近寄って来た。

29、偽弥生人

島野が思わず身構えると、その男が懐かしそうに口を開く。
「泰造。久しぶりだな?」
「どなたです?」
「オレだ、オレ!」
「オレオレ詐欺は、もう古い手だが?」
「何を言う。オレだ、日東テレビにいた津矢木だよ」
「津矢木……あの津矢木先輩? 忘れてました。いや、心配も」
「忘れた、心配、どっちだ? 心配してるとしたら誰がだ?」
「誰がって? ご家族は知りませんが、会社の連中のごく一部とスナック”ミキ”のママです」
「そうか、オレも拉致されたんだ。家出なんかじゃないぞ」
「怖い奥さんから逃げた、と言われてますが……」
「とんでもない。女房とは冷戦状態、子供にもバカにされ、社内では陰ケツの津矢木と嫌われ、ミキのママが心配するのはツケが大分溜まってたからだな。おまえ、どこかでこの一年の間に、オレの名前を聞いたこと、話したことがあるか?」
「ここ暫くはありませんが、先輩が失踪して三日ぐらいは……」
「それじゃ二年近くも話題に乗ってないんだな。いいか、おまえだって十日も過ぎれば世間から忘れられるんだぞ」
「まさか?」
「本当だ。オレは、あれから人に頼んで一億円の身代金を会社に請求してみたんだ。ところがな、浮気ばかりしていた女房の作文で、オレは離婚問題で家出したことになっててな。里へ降りて電話で文句を言ったら、離婚届けを提出済みだそうだ。局でも女房の言葉を信じて、警察には家出で捜索願いを出したそうだ」
「じゃ、身代金は拒絶ですね?」
「それどころか、局の上司は女房に預金はあるか、家を担保に一億円できるか。その挙げ句、オレが仕事の合間にイベントの司会や講演で一億は稼いだだろうって、ふざけたことを言うらしい。おかげで女房のヤツめ、オレが真面目にコツコツ内緒で溜めた裏預金のヘソクリを本棚から見つけて、ババアが猫ババだ。しかも、離婚には法律で定めた音信不通五年にはまだ三年以上も残ってるのに、あの欲ふか女房めが勝手に印鑑を使って、離婚届を出しやがった。お互いに怒鳴り合ってガチャンだ」
「そういえば、オレも浮気がバレて離婚沙汰なんです」
「そんなの知るか……ま、そんな訳で、腹の虫が納まらないから、誰か日東テレビの人間を拉致して、改めて身代金を請求してみてくれって、ここの上層部に相談したんだ。それで、現在の局の対応が分かるからな。その犠牲が美香と加納、それにお前もだ」
「それじゃ、津矢木先輩が誘拐の元締めですか?」
「オレはマネ-ジャ-だ。オ-ナ-はここには来ないよ。でもな、おまえらを少しは幸せにしてやろうと思って、本部に申請を出して拉致してもらったんだ。少しは感謝しろ」
「冗談じゃない。加納は知りませんが、私は充分に立場を利用して旨い汁を吸ってましたから」
「そうか、それなら、すぐ娑婆に戻してやる」
「あ、待ってください。とりあえず暫くは……」
「それみろ恩知らずめ。すぐ感謝することになるんだぞ」
「ところで、オ-ナ-は誰です?」
「そんなの知らなくていい」
「じゃあ、身代金も美香もそいつが?」
「身代金の一部はオレにも来るが、美香は誰が抱くかは知らん」
「オレの美香を、とんでもない話だ」
「なんだオレのって?」
「オレと美香は、前からデキてたんですよ」
「バカだな、そんなのはゴマンといるさ。加納はどうだ?」
「大好きです。美香は、私の方が部長よりイイって……」
「オレが下手だと? 面白くないな」
「なんだ、三人ともこれっじゃあ、まるで兄弟じゃねえか……」
「え、先輩も?」
「なんだ、その不思議そうな顔は? あいつの入社祝いのパ-ティで酔いつぶれたのを送ってってな」
「相変わらず汚い手ですね。だからインケツなんですよ」
「うるさい! おまえらだって似たりよったりだろうが?」
「オレは正攻法ですよ。で、身代金はいくら?」
「美香は三億円で話が付いたが、加納の一億円は無視された。千円でも無理だな。だから、お前のも請求しない」
「でも、美香は縄文人に浚われたそうですね?」
「何だ、知ってたのか?」
「いま、加納に聞きました」
「とにかく身代金の一割はオレが頂く」
「美香本人がいないのにですか?」
「クマという暴力団上がりの男がヘマをやって美香を奪われた。山狩りをして縄文人から奪い返すんだ。三億円のためだからな」
「オレも参加します」
「おまえは警察に追われてるんだ。おとなしくしてろ」
「冗談じゃない。オレが何をしたっていうんです?」
「事情は知らん。とにかく、今朝、スナック華の木場オ-ナ-からの情報だと、警察では逃亡したと見てるらしい。多分、そろそろテレビに出るだろうな」
「そんな……オレが何で逃亡するんです?」
「多分、誘拐犯の一味と見たんだろう。ま、悪いことは言わん。ここは天国だからな」
「そんなに、居心地がいいんですか?」
「これこそこの世の桃源郷だ。ただ、少し悪い知らせが……」
「なんです?」
「その木場からの情報で分かったことだが、日東テレビの会長と社長がガン首を揃えて、知人の警察庁長官に美香の救出を直訴したそうだ」
「三億円で話が付いたんじゃないんですか?」
「その三億円が惜しいのもあるだろうが、世界に誇る日本の警察の優秀な捜査能力を試したい気持ちもあるんだろうからな」
「それで、どうなるんです?」
「結局、一民間人の誘拐事件に警察庁長官が直接動くわけにはいかんから、その話が警察庁から警視庁に降りて、さらに、警視庁中退の吹き溜まりみたいな民間の警備会社に委託されたそうだ」
「まさか? で、彼らも美香捜しに大挙して山狩りですか?」
「大挙? 頭の悪い元刑事が、たった一人で鹿角に来たそうだ」
「そんなヤツじゃ、何も出来ませんね」
「ところが、頭は悪いが恐ろしく度胸がいいヤツらしい。ここに逃げ込んでる元暴力団員の話だと、ほとんどソイツ一人に組織が壊滅させられてるんだな。折角、一旦は三億円で話が付いたのが、ゼロになって美香を奪還されたら何にもならないから、いま、オ-ナ-はそいつの買収を考えてるそうだ」
「いくらで?」
「どうせ元貧乏刑事とその会社だ。十分の一で御の字だな」
「十分の一? 三千万! 大金ですね?」
「そんな端した金、金ならたった二十キロぐらいだぞ」
「金で二十キロ分?」
「オレはもう、その十倍以上も稼いだ」
「えっ、三億円ですか!」
「泰造も一年、ムキになって働いてみろ。一億にはなるからな」
「それを持って帰れるのですか?」
「飲食、滞在、娯楽など様々な経費を差し引いて、残ればな」
「先輩は残したんですか?」
「いや、差し引きでいつもゼロだ。でも、また稼げば……」
その時、また法螺貝の音が「ボウ-」と響いた。
「お、仕事だ。オレは向こうを指揮する。加納、泰造を頼むぞ」
「分かりました。部長はこっちです。さあ、行きましょう!」
洞窟を出ると、外はもうシラジラと明けて朝の風が森の梢を揺すり、小鳥の囀りが賑やかに聞こえる。気のせいか密生した木々や、目の前を横切ったリスなど全てが島野を歓迎してくれているような気がして嬉しかった。
森に入ると急な坂道があり木の間越しに清流が見えた。木の幹や蔓を頼りに降りると澄んだ流れに小魚が群れ、まだ太陽が届かない底石まわりにキラキラと光る物がある。
「あれが砂金ですが、たまには大きな金塊が見つかりますよ」
岸の雑木の枝には細い蔓で編んだ目の細かいザルが掛けてあり、スコップ状の板切れが木の幹に立てかけてある。それぞれが思い思いの道具を持って川に入ってゆく。
「部長、初心者はそれより、こっちの方が使いやすいでしょう」
加納が選んだザルと木製スコップを抱えて、島野も川に入った。
「すぐコツを覚えますよ。少し見ててください」
「ちょっと待て……変だと思わんか?」
「何です?」
「毎日、同じ場所で採れるのか?」
「でも、流れ落ちる量で、多少の変動はあるようです」
「どこから流れて来るんだ?」
「津矢木先輩から最上流の岩場からだと聞きましたが、そこまで行くと逆に金が見えないらしく、この数十メ-トル先の小さな滝のあたりから急にキラキラしてるそうです」
「変だな。こんなチビた流れで重い金が流れるもんか」
「変でも何でも、ここに金があるのは事実ですから……」
加納が浅瀬で上流に向かって足を広げ、両足の足首の位置にザルを挟み、その少し上の小砂利を木製スコップでしゃくり上げ、スコップを岸に投げてから両手でザルを持ち上げ、浅い水際に運ぶと見事な手つきで小砂利を捨てていたが、すぐ何かを見つけた。
加納はそれを島野に投げた。受け取って見ると幅八ミリほどの見事な金塊が光った。
「それ、部長に差し上げます」
「いいのか?」
「いくらでも採れますから、昨日の収穫は二百グラムでした。その二十パ-セント、約五万が私の稼ぎです」
「二百グラム! 今じゃ千四百円だが二十年ほど前のバブル期は、グラム六千円を越えてた……当時なら十二万だぞ」
「そんなのどうでも……人生は金じゃないです」
「それにしても、こんなに金を勝手に採っていいのか? 警察とか税務署はどうなってるんだ?」
「こんな山奥、誰も来ませんよ。それに、いま、部長を含めてここの全員が弥生人です。この東北全域は一万年もの間、縄文人が住み着いていたのが、この弥生人に征服されたんです」
「そんな古い話を持ち出したって……」
「それでも、奥羽山脈からこの十和田山中にかけて、しぶとく生き残った縄文人は、かなり昔にできた先着土民法という法律外民法によって保護され、税の対象から外されたんです」
「まさか?」
「津矢木先輩の話だと、ここのオ-ナ-はそこに目をつけて、ここの全員に死亡届けを出させて戸籍を抹消し、ここが世間にバレた時は、ここは弥生人の村だと言い張るつもりみたいですよ」
「セコい話だな」
「例えニセ弥生人だとしても、こうして先住権を主張する限りは、わずか数百年ぐらいで成り上がった近代人などが勝手に昔からある先住民の土地をわがもの顔に侵すのは変だと思いませんか?」
「だったら、弥生人も縄文人から土地を奪うのは変だぞ?」
「強い者勝ちの世の中です。これから、われわれは弥生時代を踏襲して鉄剣で武装し、山にいる縄文人を皆殺しにして美香を奪還し、我々を見捨てた日東テレビから身代金を奪うのです」
「加納、そんなこと、本当に信じてるのか?」
「信じるですって? 今朝、食事に使った土器、あれは全部、津矢木先輩の指導で焼いた弥生式土器ですよ。縄文みたいに派手な模様や絵のない、実にシンプルで実用的な土器だと思いませんか?」
「思わないね。弥生からは文化が感じられんよ」
それでも、島野も見よう見まねで砂金捜しに熱中し始め、二人は会話をしながら、次々に大粒の砂金を拾い上げては、無意識に腰の皮袋に押し込んでいた。その姿はまさしく弥生人だった。

30、心の故郷

加納が、仕事の手を動かしながら島野に語りかける。
「いま部長が身につけている貫頭衣、それもさっき食事を運んで来た女性達の弥生式衣装の作品ですよ。布袋に穴を開けて頭と手を出して、腹部を縄で縛るだけですから弥生は簡単でいいですね」
「こんなの,縄文の文化と比べてどこがいい?」
「考えてください。縄文では花柄を編み込んだり縁を付けたり、植物染料で染めたり、飾ることばかり考えてます。あれじゃあ、手間がかかり過ぎますよ。時は金なりですから……」
「それは変だ。縄文人は時間を潰すのに苦労してるんだろ? だいいち、この弥生の服なんて布に穴を開けて首を出しただけで、センスがなさすぎるぞ」
「でも、弥生人は忙しいんです。戦争もしなきゃならないし」
「戦争のない世界に住んだ縄文人の方が、オレは好きだな」
「じゃ。部長が縄文、弥生、どちらに近いか調べましょうか?」
「なんだ、そんなの分かるのか?」
「三内丸山遺跡会館内のコンピュ-タと同じで……例の縄文祭りの取材で覚えたばかりですが」
「面白い。じゃあ、やってみてくれ」
「三内丸山では十一種類ですが、ここでは分かりやすく十種類の質問で、各一問が十点で百点満点、指を折って数えてみます。まず、一問目は目です。部長の目は、太い、細い、どっちですか?」
「どっちかといえば目はギョロ目だから、大きい方かな?」
「弥生人ほど細い目をしてるそうですから、縄文に十点になりますね。二問目はまぶたです。部長は一重ですか、二重ですか?」
「二重だな」
「縄文人に十点、弥生人は一重まぶたが多いそうです。つぎの三問目はは顔の形ですが、角張っている? それとも丸か細型?」
「丸かな」
「はい、縄文に十点です。四問目は眉、眉は太い? 細い?」
「太いな」
「また縄文に十点ですね。弥生は眉が細いですから。五問目は眉の形です。部長は直線ですか、曲線ですか?」
「ゲジゲジだが直線だろうな」
「縄文に十点……弥生人は曲線的な眉が多いそうです。次の六問目は眉の濃淡ですが、眉は濃い、薄い、どっちですか?」
「濃いな」
「縄文に十点ですね。弥生人の眉は薄いそうです。次の七問目は口です、唇じゃなく口の骨格ですよ。口が横からみて平坦か、出っ張ってるかです」
「これは、出っ張ってる方だな」
「弥生に十点、縄文人の方が出っ張ってないそうです。八問目は、前歯の大きさで、前歯が身体の割に、小さいか、大きいかです」
「比較的、大きいかな?」
「これは弥生人に十点ですね。縄文人は前歯が小さいんですね。九問目は、唇が厚いか、薄いかの問題です」
「オレは、薄い方かな」
「弥生人に十点。縄文人は厚いんです。では、ラストの問題です。
ほほ骨は、平坦で直線的? それとも出っ張ってますか?」
「出っ張ってるな」
「ほほ骨の出っ張りの目立つのが弥生人の特徴ですから、弥生人に十点ですね。そこで集計すると、弥生人度は三十パ-セントとなりますね。縄文が七十点で、部長は典型的な縄文人ですね」
「この他に、縄文や弥生をみる分類法はないのか?」
「ありますよ。縄文人には縄文人のDNAがあるんですから」
「それを聞かせてくれ」
「部長の血液型はO型でしたね?」
「よく知ってるな。オレはO型だが?」
「ご両親の出身地は、たしか父方が青森の弘前で、母方は秋田の大館だったように記憶してますが?」
「気持ち悪いな。なんで知ってるんだ?」
「いいですか? その辺りにいる人にも聞いてみますね」
加納が、近くで作業している男達に質問をすると、即座に父も母も血液はO型で、先祖代々の東北地方出身が圧倒的に多い。
「わたしの父親は栃木県で、母は岡山です。でも、どちらも偶然にO型家系が続いてるんです。と、いうことは、ここにいる全員が、縄文の因子が強いメンバ-ばかりということです」
「O型だから縄文人ってこともないだろ?」
「でも縄文人の骨からはA,B,AB型は見つかっていません。それと、縄文人の男は活動的で手足も長め、エラが張って彫りの深い顔で二重まぶた、髭や髪が濃いのも特徴の一つです。両手を見せてください……」
「なんだ、手相見もやるのか?」
「この指紋です。指紋には渦巻きのような渦紋、右か左に流れる流紋、それに流れが下に向かって両側に分かれる形が馬の足底の蹄に似ているところから蹄紋と呼ばれる紋があって、この蹄紋が縄文人特有のものなのです。ほら、部長は十本中、七本が蹄紋ですよ」
「じゃあ、オレはこれで見ても縄文人率七十パ-セントか?」
「これは、山渓社発行関根秀樹さんの『縄文人になる!』から借りたのですが、探せば、まだまだ、面白いのがあるようです」
「まてよ。気になることがある」
「何ですか?」
「美香もこれに該当するのか?」
「そういえば、美香もO型で宮城県白石市の出身でした」
「ヤバいぞ。これは誰かが仕組んだんだ!」
「仕組んだ?」
「そういえば、今回のDAT社の岡島専務の企画書に、こんな項目が有ったのを覚えてないか? キャスタ-は四大卒で百六十五センチ前後、血液型O型、東北出身が望ましい……」
「そうですか? 記憶にありませんね」
「加納、おまえは制作部に来る前までは総務にいたな?」
「ええ。それが何か?」
「社員が入社時に出した身上書を見たか?」
「仕事上ですから、見ますよ」
「それで、すらすらとオレの身上が言えたのか?」
「もっと言えますよ」
「じゃあ、言ってみろ」
「そうですね。部長の場合を言えば、八年前に埼玉県所沢市に六千五百万円のマンションを現金千五百万、残金五千万を十五年ロ-ンで購入、二歳年下の奥さんと高二の息子さん、中三の娘さんの四人暮らしで、車はトヨタ・マ-ク・、趣味はゴルフ、サ-フィン、勤務先は日東テレビ報道制作部部長職、年収は約千二百万円。社内に出入りしている下請け会社西部映像の女子社員と不倫を三年続行中、社内恋愛も女子アナの花形である河田美香とも不倫、奥さんの妙子さんにこれがバレて別居中、奥さんも恋人が二人いて……これ、かなり正確なデ-タです」
「これじゃ、プライバシ-の侵害だぞ! じゃ、美香は」
「言っていいですか? じや、経歴は省略で愛情問題だけに触れますが、人気絶頂の美香ですが、実際にはボロボロですよ。学生時代から続いた番記者時代からの東海地区球団のボスに抱かれ、局内では局長や相方のキャスタ-、島野部長の不倫相手としても、その挙げ句がこれですからね……もっとも、私とも深い仲ですが」
「それで分かった」
「なにがです?」
「おまえが、DAT社に女子アナのリストを売ったな?」
「それが違うから不思議です。なぜ、DAT社は縄文人に近いDNAの女子アナを捜し出して司会に使おうと言ったんですかね?」
ここから先は二人には分からない。
ふと気がつくと島野は、自分が無意識のうちに会話をしながらザルを振るって、砂金や金塊を拾い、皮袋が溢れたために、貫頭衣に縫い付けたポケットにも押し込んでいるのに気付いた。その手つきは我ながらも驚くほど巧みだった。
やはり、自分は生まれついての縄文系人種だった、と納得した島野泰造は、とりあえずニセ弥生人に混じって縄文村に乗り込み、愛しい美香を救出する決意を固め、場合によって村人を皆殺しにして縄文村を乗っ取るつもりにもなっていた。
平和な縄文人の因子が七十パ-セントもあるのを忘れている。
地球上の人類は、つい六十年前の五十億からいまや六十五億に近づき、増殖し続けた人類は飽和状態になって必ず滅亡に向かう。それが天の理というものだ。
何年、何十年、何百年後には核戦争か疫病で人類が滅び、日本でも五百分の一にまで激減し、たった二十数万人程度になれば縄文生活の最適環境になる。このとき、山奥で原始生活を続ける縄文人は生き延びるだろう。
島野は思わず頷いた。
そうだ、人類滅亡を防ぐためにも美香を救出して彼女の子宮に自分の子種を植えつけねば……だが、その前に毎晩のように繰り広げられる酒池肉林の生活に花を添える日替わり美女も捨てがたい。
男ならこんな一生も悪くない。あらぬ妄想に想いを馳せた彼は、絶対にここから帰らないぞ、と心に誓った。
そんな彼の気持ちを知らぬ加納は、島野に下山を勧める。
「部長。今ならまだ、西南に杣道を辿れば、暗くなる前に麓の村に着きますけど、どうします?」
甘い夢を破られた島野が思わず叫んだ。
「帰るもんか。ここがオレの心の故郷だ!」
世俗にまみれた現代社会などに戻って、いまさらどうする?
そう思うと、冷たい水で身体が冷えるのも厭わずに、砂金を拾い続ける自分がとてつもなく幸せに思えてくるのだった。