第十章 復活

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第53回三軌展(2001) 向春 松岡隆一画伯(秋田県鹿角市)

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58、縄文回帰

 あの忌まわしい拉致事件から二年ぶりに行われる「縄文フェスティバル」の模様や、鹿角十和田地区の変貌ぶりを記事にしようと試みる雑誌社も入れ代わり立ち代わりでこの地を訪れていた。
 しかし、地元の人達に取材してみて、祭りに対する異様な熱気とは裏腹に、あれだけ世間を騒がせた過去の事件に対する反応が余りにも冷やかなのに取材側は戸惑っていた。誰もが二年前の事件については口を閉ざして語ろうとしないのだ。
 そこで、マスコミ各社の記者達は、事件の全貌を握るただ一人のマスコミ関係者である戸田友美を追いまわす。なにしろ、縄文村を取材した雑誌記者は友美だけだから止むを得ないのだ。
 だがその友美も、自社の月刊誌に「縄文村探訪記」を連載はしているがどことなく歯切れが悪く、いつもの鋭い切れがない。
 それだけに、友美を頼る同業の記者に対しても適切な説明ができなくて、「もう少し時間をください」としか言えないのだ。
 形としては確かに事件は終結している。
 だが、友美の頭の中では、鹿角市十和田のスト-ンサ-クルを巡る古代祭りから端を発して、次々に起こった現代と縄文時代を結ぶ奇妙な事件の謎はまだ終わりを告げていなかった。
 山奥で起こったという大量死事件の謎も解明されたとは言い切れない。だらこそ、新たな材料を求めて取材を続けるのだが、すでに決着のついた事件だけに地元の反応もイマイチなのだ。
 あの事件から一年ほど過ぎた昨年八月の下旬、美香からの手紙が友美に届いていた。消印は秋田県の十和田からで、差出人は加納美香となっていて手書きの地図も添えてあった。
「先輩、お元気ですか? 私はいま、十和田湖の畔の発荷というところで以前から結婚を迫られていた加納二郎と、お互いの両親と中里さんの立ち会いで十和田神社に参拝し、湖畔のレストランで食事をしただけの簡単な式で籍を入れ、両親の了解も得て一軒家を借りて住み、男の子を産みました。子供には中里さんが、光浩と名付けてくれましたが天人地揃った三十一画の頭領運で大吉だとか……額にアザがある男の子ですが可愛いくて可愛いくて、加納もクリスの
子であるのを知りながら、とても可愛がってくれて……うちではミツヒロと呼ばずにヒロと呼び、いまはとっても幸せです。家は、和井内のT字路を右に曲がったすぐ右側です。近くまで来たら、ぜひ立ち寄ってください。
 奥入瀬川もそろそろ紅葉で、空気もきれいですし、山菜を主体の食事もすっかり気に入って、東京にはますます帰る気がしなくなりました。また、縄文祭りの季節が来ましたが、今年はあの事件の影響で中止だそうで、残念ですね」
 お祝いを添えて返信をした友美に、お礼の絵ハガキが届いた後はまた連絡がと絶えていた。
 それから一年後、友美が縄文フェスティバルに招かれたのを機に電話をしたが誰もいないのか留守電になっている。
「ヒロちゃんを見たいので、おうちにお邪魔します」
 と、メッセ-ジを入れておくと、数日して美香本人が十和田湖をスケッチした絵入りハガキが届き、短い文面が踊っていた。
「当日は、ぜひ広場でミツヒロを……」と、だけある。
 それからはお互いに連絡はしていない。
 縄文フェスティバル招待状には中里顧問の添え書きで、「スト-ンサ-クル館の会議室を利用して前夜祭をするので、一日早くおいでください。宿は千石屋ホテルにとってあります」と、ある。
 達也を誘おうと電話をしたが、アパ-トの電話は料金未納なのか不通だし、携帯もバッテリ-切れで通じない。勤務先のメガロガに電話をすると社長の田島が出て喚いた。
「勝手に有給休暇だと言ってね、二日前から休んでるんだ。
 道楽のラジコンに凝って……友美さんと一緒にマニアの大会にでも行ったのかと思って我慢してたんだ。どこにいるのかね?」
「知らないから電話してるんです」
「連絡がついたら、急ぎ仕事が入ってるって伝えてくださいよ」
 何時ものことだから、田島の口調もあきらめ気味だった。
 早朝、中央区湊の自宅を出た友美は、愛車を駆って首都高から東北道に入り、北に向かった。
 現地に着くと、すぐ、鹿角市役所の市長室に向かう。
「ワシは、このフェスティバルの後、長期休養でな……」
 と、後片付けに余念がない斉東洋吉市長が妙に冷たい。
 ついでに、警察署に立ち寄ると、佐田刑事が笑顔で出迎えた。
「丁度いいところに来ました。今、石脇警部も署長室にいます」
 佐田刑事に案内されて署長室に行くと、署長訓示が終わったところらしく二十人ほどの私服と制服組が難しい顔でぞろぞろと出たきたところで、石脇警部だけがまだ署長と話し込んでいた。
「署長。戸田さんが挨拶に見えました」
 佐田刑事の声を聞いた菅野喜一署長が会話を中断し、「じゃ、後は頼むぞ!」と、石脇の肩を叩いて友美を見て笑顔を見せた。
「よく来てくれました」
 石脇が友美に握手を求めた。
「なにしろ暫くぶりですからな。ところで佐賀さんは?」
「ここ何日か警備会社も無断欠勤で、連絡がとれなくて」
「携帯には?」
「圏外かバッテリ-切れかで、まったく通じないのです」
「ま、コ-ヒ-でも……」
 こうして、石脇を交えての雑談で署長室を出たが、例の拉致事件や縄文村についての雑談では、その歯切れの悪さが気になった。
 愛車で鹿角の街を一周して宿に着き、花井夫人の女将に手土産を渡してお茶とズンダ餅の接待を受けてから部屋に案内されてシャワ-を浴び、ほんの少しだけドレスアップして、スト-ンサ-クル館で開かれる前夜祭に向かった。
 前夜祭での乾杯前の挨拶で、斉東市長が抱負を語った。
「ごく最近、シベリヤの凍土から完全な姿で発掘された巨大生物のマンモスが、日本にもお目見えして展示されると聞いています。
 何十万年もの昔に地球上に棲息した生物が姿を現すのです。
 これからみても、わずか数千年の過去にしか過ぎない縄文人やイエス・キリストの足跡などを再発掘して新たな史実を求めることなど、さほどの難しいことでもありません。
 なぜ、このようなお話をするかと言いますと、この鹿角市の一隅にあるクロマンタ山が、先祖代々、侵すべからざる聖地であったことが伝えられていましたが、今、その謎が解けつつあり、これから申し上げることは紛れもない歴史的事実なのです。
 前市長の在任中に調査をした記録から見ますと、確かにあのクロマンタ山にはヘブライ人の記録が残されており、キリストまたは弟のイスキリが住み着いていたと思われる形跡があるのです。
 したがって、現在は青森県の新郷村に実在するキリストやイスキリの墓はそれとして、新たに鹿角市を、イエス・キリスト終焉の地として認めざるを得ません。また、それを世間にも知って頂く大きなチャンスが訪れたと思うのであります」
 前夜祭の冒頭の挨拶だけに、市長が、鹿角の歴史を覆すような大事なことを何の根拠もなく軽々しく口にするとも思えない。
 友美以外の参加者はみな満足げに拍手をしていたが、友美には納得がいかなかった。鹿角市が市をあげて縄文村とキリスト伝説を観光の目玉にしようとする魂胆が見え見えなのだ。これでは、新郷村のキリスト伝説に便乗したと言われても返す言葉もない。
(これが、過去の一連の事件と何か関係があるのか……?)
 その友美の心を見透かすように、隣にいた石脇が囁いた。
「あれは、市長の願望に過ぎんよ」
「でも、地元の人は皆さん、それを望んでいるんでしょ?」
 友美の声が聞こえなかったのか、石脇がその場を離れた。
 周囲の空気は明らかに以前とは違っている。

59、豪雨

 この年の「縄文フェスティバル」は前にも増して盛会だった。
 開会式は、二年前の前回同様に、縄文衣装に身をかためた観光課長一家の火起こしの儀式で、二日間を通じて行われる古代祭りの幕が開き、広場のあちこちに地域や団体別のテントが張られ、売店も軒を並べて賑わっている。
 今回も広場の中央には、花井主任が学生たちを指導して造ったワラぶきの縦穴式縄文住居があったが、今回はテレビ撮影も座談会もなかったので、役員やゲストの休憩所に使われると聞いたが誰も出入りしている気配はない。みな本部のテント内に集まっていた。
 祭りの二日目は八月の最終日曜日、子供達にとっても夏休みのラストイベントとして欠かすことの出来ない祭りとあって、親子連れでの参加も多く、五千人を越す賑わいが朝から続いていた。
 村田会長率いる大太鼓保存会も、派手な競演を繰り広げたが、会長自らが大太鼓を一台一台見てまわり、変な仕掛けがあるかないかを調べていたのがご愛嬌だった。
 広場に燃える縄文焼き用の盛大な焚き火は夜空を焦がし、土・日に渡って繰り広げられた古代を忍ぶ縄文祭りは、二日間で延べ一万人を越すといわれる参加者の熱気をそのまま持ち越して、華やかな賑わいの中で閉会の時を迎えようとしている。
 友美は会場の隅々まで探したが、美香の姿はどこにもない。絵ハガキに書かれていた「広場で……」は、間違いだったのか、それとも何か急用ができて、来られなくなった事情でもあったのか。
 この日限りという特別企画もあった。
 広場の一角に設営された大型テント内では相変わらずの「縄文人度テスト」なる催しが開かれていた。血液型、顔型、体型、行動パタ-ン、出身地、嗜好、性格、身体的特徴、髪質などを、三内丸山遺跡記念館ではコンピュ-タを用いている診断を、審査員は中里顧問と松山画伯二人の問診で行うというもので、かなりの人気を呼んでいた。
 前日に造った一般応募の参加者による縄文土器が、二日目の今日焼き上がっての表彰式も終わり全ての行事が終わり、あとは閉会式を待つばかりとなった。
 友美がゲストの控室に当てられた仮設の縄文住居に戻ると、見たような顔が並んでいる。
 下を向いてわら沓を足になじませていた男が顔を上げて、口を開いた。なんと菅野署長ではないか。菅野が友美を見た。
「熱心な取材で感心したよ。最後までご苦労さんだな」
「最後までって?」
「いや、なに。祭りの最後までって意味さ……」
 フフッと菅野が笑った。
 友美にはどうも意味が通じない。近くにいた佐田に質問する。
「祭りが終わったら衣装を脱ぐのに、皆さんは逆に縄文衣装を身につけているのは、なぜですか?」
「これは閉会式のイベントの目玉で、縄文人パレ-ドです」
「そんなの聞いてませんが……?」
「戸田さんは、ゲストですから遠慮願いました」
 閉会式用に縄文衣装を身にまとった中里顧問が志穂に聞く。
「志穂さん。戸田さんも拉致するのかね?」
「戸田さんは無理ですよ。佐賀さんがうるさいですから」
 友美が中里に聞いた。
「わたしをどうかするんですか?」
「いえ、こっちの話だがな」
「加賀志穂さん!」
「なんですか戸田さん、改まって……」
「また、なにか悪いことを企んでるんですね?」
「悪いことなど何も企んでませんよ」
 土間の片隅で後ろ向きでブリ-フを脱ぎ、子鹿のなめし皮のパンツに履き替えた男が振り向いて笑った。斉東市長だった。
「戸田さん。この人は悪い人じゃないよ。みんなの隠れ蓑になってるだけでな」
「その通りじゃ。志穂さんにはもう一肌脱いでもらわにゃな」
「あたしのこの肌でよければ……いつでも」
 志穂が色白の胸元を開き、それを覗いた佐田が目を剥く。
「たまらんなあ。これで熊五郎も参ったのか?」
「いえ、佐々木さんは、もっと別のところです」
「よく言うよ……」
「冗談ですよ。でも、あたしはどうせ悪役ですから」
「なにを言う。志穂さんがいなきゃ始まらんよ」
「みなさん。どこへ行くんですか?」
 友美の問いに佐田が笑った。
「戸田さん。あなたは世紀のスク-プを書いてください。なぞの大量拉致事件で犯人は加賀志穂……ただし、また仮釈放でしょうな。
なにしろ証拠が何もないんですから」
「まさか。そんなの悪い冗談でしょ?」
「いや。真面目です」
 斉東市長が心配そうに中里顧問に念を押す。
「ワシは縄文人になれるかのう?」
「ご心配なく……73パ-セント、かなりの縄文度ですからな」
「そうか、そいつはよかった」
 先程の縄文人度テストの話題らしい。友美は、一般の市民に混じって菅野署長や石脇警部、佐田刑事などが次々に縄文度を診断して一喜一憂していたのを思い出いていた。
 あの時、石脇警部は闘争的な性格そのままに、弥生人度が上回っていると診断され、「こんなもの……」と、怒って立ち去った。
 佐田刑事が友美に言った。
「さっきのテストで戸田さんも確か、縄文人度が六十パ-セント以上でしたな? 石脇主任は血の気の多い弥生人の遺伝子が多かったから落第ですが、佐賀さんはどうですかね?」
「あの人も闘争的ですから弥生人ですよ……佐田さんは?」
「私は昔から平和主義ですから、縄文人度八十パ-セント……だから、弱いものいじめの警察の仕事が合わなかったんですな」
 菅野が聞きとがめた。
「おいおい、佐田。警察は弱い者を助けるんだぞ」
「じゃ、署長……タヌキかキツネしか通らない田んぼ道で、一時停止やベルト不使用、バイクの二人乗りなんか捕まえて罰金とるのは止めたらどうです? 誰にも迷惑をかけていないんですから」
「バカいうな。あれは国の予算に組み込まれたノルマだぞ」
 その菅野署長が、縄文人度審査係の中里顧問に聞いた。
「顧問は何で隠居して縄文人に戻るんだね? 市民講座では後家さんにモテモテだと聞いとるが」
「悪い噂ですな。若い娘にもモテてるのに……しかし、もう名物講師も飽きましたでな」
 まったく友美には意味が通じない。
 中里顧問が花井主任に念を押す。
「花井君も山に入ってみるのか?」
「まあ旅館は女房に任せたし、役場でもいつも便利屋ですから、せめて人生の後半ぐらいは自分の意思で好きにしたいですからね」
 その時、広場の数カ所に設置されたスピ-カ-からウグイス嬢役を努める松沢千加子の声が流れた。
「間もなく、広場の中央テント前にて、元出土品管理センタ-所長中里健蔵さまの消火の儀と鹿角市市長斉東洋吉さまのご挨拶による閉会式を行います。皆さま、お集まりください」
 老若男女が挙って参加した縄文焼き土器の品評会も、鱒の掴み取り大会や、古代火起こし大会も終了し、二日目の夕暮れになると後は閉会式を迎えるだけになっていた。この閉会式は大会委員長のイキな計らいで、古代土器出土品の管理センタ-を努めたことのある中里顧問の引退セレモニ-として行われることになっていた。
 これを花道として、中里顧問はすでに教育委員会にも市民講座の講師辞任を申し入れた、と友美は花井主任から聞いていた。
「こだわり先生」として知られる中里先生の引退を伝え聞いた受講生から、かなりの引き止め嘆願が出て、今更ながら顧問の人柄と人気の度を知らされたと、花井主任が言葉を添えている。その閉会式要員の中里顧問と斉東市長が、テントから広場に向かって歩き出すと、友美も愛用の小型カメラを手に後に続き、佐田らも続いた。
 大会用に木を擦り合わせて火起こししたト-チの炎を、中里顧問が縄文式土器に溜めた水を用いて消すと同時に、広場に燃え盛るかがり火が消され、市長の一言で幕を閉じる。
 スポ-ティな友美とジ-ンズ姿の地味な服装の志穂が人込みを分けて前に出た。友美は周囲を見渡したが、やはり美香の姿はない。
都合が悪くなって来られなくなったのか。
 いつの間にか石脇が肩を並べている。
「あら、石脇さん?」
「戸田さんには用はない。そっちの加賀志穂を見張ってるんだ。これなら悪いことは出来んからな」
「わたしは、悪いことなんかしませんよ」
「どうかな……」
 縄文衣装に身を包んだ中里健蔵が現れると、それに気づいた市民から大きな歓声と拍手が湧いた。
「待ってましたっ!」
「中里先生! まだ辞めないでえ」
 群衆の声援に促された中里顧問が、進行係から手渡されたト-チの炎を傍らの縄文の土瓶に入れようとした時、群衆の中から声が上がった。人々が暗くなった空を見上げて叫んでいる。
「なんだ、あれは……まさか?」
「いや、間違いなくUFOだ!」
「また、出たか?」
 騒ぎを聞いて暗い空を見上げると、友美にも確かに浮遊物体が見えた。これが、この地方に伝わるUFO伝説を生んでいたのか。

60、濃霧

 石脇が、その光る物体が舞う暗い空を見上げて大声で叫んだ。
「誰だか知らんが、悪いいたずらをすると逮捕するぞ!」
 すると、その声に呼応するかのように雨が降り始め、クロマンタ山の方角から連続した光った稲妻が鋭い光を地上に突き刺し、その直後に地面を揺るがすような激しい音がして雷鳴が轟いた。
 それまでが好天だったから、人々の驚きは一様ではない。
「なにか降ってくるぞ……」
「なんだ?」
「人形か?」
 友美も、闇を割く稲妻の光に、なにか白い物体が天からゆっくりとスト-ンサ-クルの方角に舞い落ちてくるのを確かに見た。しかし、稲妻が去ると夜の闇と豪雨が友美の視界を奪い、何事が起こったのかさえ定かではない。また稲妻が光ると、一瞬、また天から舞い落ちる白い物体がかいま見えて、また消えた。
 人々が走り出しても、友美はただ呆然と立ち尽くしていた。
 激しい雨がまたたく間に、中里顧問が持つト-チの炎だけでなく広場の火をも消した。それを確認した斉東市長のだみ声が、「閉会を宣言します」と、雨音に消されながらも大会は幕を閉じた。
 豪雨から逃げまどう人々は、テントやスト-ンサ-クル館、駐車場の車内、屋台、特設舞台の下などに殺到して、たちまち大混乱が巻き起り、悲鳴や怒号が雨中に広がっていた。
 それでも、かなりの数の物見高い野次馬がびしょ濡れになりながらも、落雷のあった方角に向かって走った。
「どこだ?」
「万座のスト-ンサ-クルの上空だぞ!」
 石脇と志穂に続いて花井、渡部館長ら見慣れた顔の面々が、豪雨の中に飛び出して「なにが落ちたっ?」と、口々に叫んで走って行く。勝川が友美に駆け寄った。
「戸田さん。赤ん坊が降って来るぞ!」
 呆然とした友美も、勝川に肩を叩かれて我に帰った。
(そんなバカな……)と、思いながらも、なぜか胸騒ぎを感じた友美はビショ濡れのまま勝川を追って走った。
「ほら、あそこだ!」
「なんだあれは!」
 雨を避けてテントや車、あるいはスト-ンサ-クル館に逃げた人を別にしても、まだ千人をゆうに越す人々が、万座のスト-ンサ-クルを囲む柵の外側に群がって、その真上の闇を見上げて騒いでいる。その人波を分けて先に進むと、先に来た石脇警部も口を開いて空を見上げていた。その目線を友美も追った。
 その視線の先に見えるのは、ただ夕闇を割いて舞い落ちる豪雨だけだが、時折光る稲妻にほんの一瞬、たしかに白っぽい衣装に身を包んだ人形か幼児かが、ゆっくりと舞い落ちてくるのが見えた。
「手を振った、生きてるぞ!」
「本物の赤ん坊だ!」
 人々の興奮は極度に達し、柵の外で押し潰されそうになった人の悲鳴や怒号が騒がしい。
「あれは何だ!」
「誰か、立ってるな!」
 市の職員が小型のサ-チライトで照らすと、窪地になっている直径四十八メ-トルの万座のスト-ンサ-クル周辺は瞬く間に周囲からの水を集めて浅い池と化していて、中央にそそり立つ自然石に片手を添えて、激しい雨中に膝までを水に浸けて豪雨の降り注ぐ天を見上げて、嬉しそうに微笑んでいる縄文衣装の女性がいた。
 石脇が叫んだ。
「そこにいる女、何をしてる! そこは立ち入り禁止だぞ」
「美香……美香じゃないの?」
 広場で会うという手紙の真意は、これだったのか。思わず友美が目をこらしたが豪雨がまた視界を奪う。友美の声に触発されたように声が広がった。
「日東テレビ・アナウンサ-の河田美香か?」
「河田美香が、ここで何をしてるんだ?」
 天空から舞い落ちた幼児が、両手を広げた美香の腕の中にすっぽり納まって、あどけない笑顔で柵の外の群衆に手を振るのが、激しい雨の中で朧げに見えた。サ-チライトの焦点が幼児の顔を照らした。全員の視線がその幼児の顔に注ぐと、ざわめきはすぐ悲鳴に変わった。防水のホ-ムビデオで撮っていた男が喚いた。
「なんだあれは? 額に疵があるぞ……」
 ズ-ムを最大限のアップにして覗いているらしい。
「ダビデの星だ……目が青いぞ!」
 人々が騒ぎだした。
「奇跡だ。神の子だ……!」
「いや。悪魔だ、悪魔の子供だな」
「恐ろしいことが起こる前兆だぞ」
(ミツヒロちゃん……)
 呟いた友美ですら恐怖で身体がすくむのを感じた。
 志穂といた石脇が、身近に寄って友美と勝川に言った。
「昨日、展示場の模型台上に花火みたいな光が散って、ミニチュアの子供が動いてたんだ……また、あの事務員が仕掛けて、こいつを予告したんだな」
「まさか?」
 勝川が否定すると、石脇が続けた。
「ワシはあの松沢千加子の動きには気を配ってたんだが、気がつかなかったな」
「でも、彼女にそんな細工ができるのかね?」
「そんなの知るか。それより……」
 石脇が窪地に立つ美香に向かって叫んだ。
「おい、河田美香さん。風邪をひく前に上がって来い!」
 友美も大声で美香を呼んだ。
「美香。どうしたの? そこはもうすぐ水没しちゃうわよ」
 そのとき突然、稲妻が光って落雷が広場を襲った。
「サクラの木に落ちた!」
「ここにも来るぞ」
「逃げろ! 悪魔の仕業だ」
 人々は恐怖に戦いたが、逃げようにも金縛りにあったのか誰一人として身動きもできずに立ちすくんでいた。豪雨は収まって小雨にはなったがまだ稲妻と落雷が広場を襲っていた。
 幼児を抱いて窪地に立つ美香の足首から下は、広場から流れ込む雨水に没して、サ-チライトの光の輪のなかで雨に濡れて光る大小の安久谷川石が独特の緑青色がかった光を反射させていた。これが古代の祭祀場と墓場といわれる環状列石の神秘的な色彩なのか。
 そのスト-ンサ-クルの窪地のどこからか、雨の勢いが失せたのを待っていたかのように白い霧が沸いてくる。
「何だあれは?」
 石脇が指を指した方角を友美も見ていた。
 サ-チライトに照らされたその霧の中に、ほんの一瞬だけ杖を持つ長身の痩せた男の人影が一つ浮かび出た。生きている者とも思えないそのおぼろげな人影が、美香に向かって片手を差し出した。
 それを見た美香が霧の中に入って、抱いていた幼児をその痩身の男に手渡すのが見えたが、そのまま深い霧に溶け込んで行く。
 それを柵を囲んだ群衆が声もなく呆然と見送った。
 深い霧の中の一瞬の出来事だけに男の姿かたちが見えたわけではないが、友美の脳裏には霧に浮かんだ幽体の残像がイメ-ジとなって残っていた。友美の想像した幻影は、長い木の杖を手にし、灰色に汚れた裾の長い白衣に身を包んだ髪ぼうぼうの青い目の痩身の男で、しかも、腰から下は透けていて足はないようにも見える。
 まさか、この現代に幽霊などいるはずもないのに……。
 そんな友美の思惑とは無縁な鹿角市民は、熱狂的にこれを迎え、期せずして歓声が沸き上がっていた。
「キリストの復活だ!」
「奇跡が起きた」
「その後継者が、あの赤子だな?」
 霧に消えた男女と赤子の残像を追って感激した群衆が、誰からともなく霧に向かって手を合わせ、ごく自然に祈りの姿勢になっていた。
 これが、人々に奇跡を印象づけるために何者かが仕組んだ演出だとしたら、これ以上の効果はない。これで充分だった。
 キリストの奇跡の復活を具象化したその意図は、この現場にいた千人近い群衆から人々の口の端を通じて、風のように日本中、いや世界の果てまでも広まってゆくだろう。
 だが、友美の目から見れば、この男はキリストどころか十和田湖に身を投げたとされるクリスでしかない。ただ、これが現実なら、彼は生きていたことになり、達也の証言も疑わしくなる。
(みんなで下手な田舎芝居をして……だが、何のために?)
 これが、友美の率直な疑問だった。ところが、その思いをさらに混迷させる出来事が起こった。
 鍵の壊れた柵の扉を開いて、斉東市長を先頭に菅野署長、中里顧問ら縄文衣装の一団が粛々と窪地に降り立ち、美香らを呑み込んだ深い霧の中に入ってゆく。すると、それが合図でもあったのか徐々に雨も霧も薄れて雲も去り、八月下旬の下弦の月が雲間に姿を現すと、霧に呑まれた斉東市長ら一行の姿は跡形もなく消えていた。
 その奇妙な光景を、雨中の縄文広場にいた千人に近い人々が現認し、恐怖と畏怖の念で立ち尽くしていたのだ。
 しばしの時を経て、全員が呪縛から解けたように騒ぎ始めた。
 友美が、隣にいる石脇に詰問する口調で声をかけた。
「署長までが悪のりして……一体、どうなってるんです?」
 それには答えずに石脇が横目で、隣に加賀志穂がいるのを確認して首を捻る。
「女狐がこにいるんじゃ、拉致事件じゃなさそうだな……」
 志穂が聞きとがめた。
「女狐って、わたしのことですか!」
「いや、何でもない。戸田さん、行ってみるか」
 石脇が走ると友美が続き、志穂はその場に残った。
「そこは立ち入り禁止です!」
「なにを言うか!」
 二人を阻んだ若い警官が懐中電灯で石脇と友美を見て、「戸田さんも……」と、あわてて敬礼し、柵内に導いた。
 だが、その警官は、続いて入場しようとするマスコミ関係者らを阻止して揉み合いになって殴られ、鼻血を出してうずくまった。それでも、戸口の柵に寄り掛かって窪地への入場を阻止したから、職務を全うしたことには変わりはない。
 それを尻目に石脇と友美は窪地を隈なく調べていた。
「あの人たちは、どこかに身を潜めているとしか思えません」
 友美の疑問に応じた石脇があちこち探したが、隠れる場所などどこにもない。その二人の挙動を、柵の周囲に残った大勢の人々が見つめていた。
「窪地のどこにも隠れ場所はないようですね?」
 思惑が外れた友美が、狐に包まれたような顔で石脇を見た。
「石脇さんはどう思いますか?」
「そう言われても、誰に聞いたって見た通りだからな」
 その通りだった。柵を囲んだ群衆全員が、怪訝な顔で二人を見ているが、真実はただ一つ、見た通りなのだ。
 大量失踪事件……これが、この縄文祭りの幕引きだった。
 ふと、友美の頭の中にある仮説が芽生えた。これは、鹿角市ぐるみのトリックで、何か大きな陰謀でもあるのだろうか? これを暴けば何が出るのか? また謎が謎を呼び友美を悩ませた。
 まさか、崩壊寸前の現代に対する「古代人からの挑戦」などという大げさな意図が隠されていることなどはないと思うが……

61、推測

 その夜、石脇に誘われた友美は、事件の謎を語りながら松山画伯らと食事をし、遅い時間になってから定宿の千石屋に戻ると、大変な騒ぎになっていた。
 なにしろ、宿の経営にこそ影響はないが所帯主が地面に消えたのだから騒ぐのも無理はない。
この縄文祭りの夜の奇妙な出来事は、大勢の目撃証言があるだけに地元局からの映像提供で、たちまちその夜のテレビニュ-スで大きく報じられている。しかも、二年前の河田美香拉致事件に次ぐ大事件だけに、縄文の鹿角市十和田の地名は全国に鳴り響き、今や小学生以上で鹿角市の名を知らない者はいないほどだった。
 それだけ、センセ-ショナルな事件だっただけに、現場に居あわせた友美としてはこのままでは帰れない。月刊誌掲載の友美の記事は、どうしてもテレビや新聞の後追いになる。折角、ここまで取材していてこれでは、鬼のデスクに合わせる顔もない。
 案の定、深夜、携帯に鬼の加川デスクからの怒声が入った。
「おい、なにをしてる! 警察署長や市長、宿屋のオヤジまで地面に潜ったそうじゃねえか? スコップを探して掘って来い! そこに穴蔵があるに決まってるじゃねえか。スコップはあるのか?」
「スコップはありますけど、スト-ンサ-クルは指定特別史跡ですから、許可なく掘り返すことなんかできませんよ」
「バカ! 人命と特種が掛かってるんだ。蓋付きの落とし穴なら全員を隠せるだろ? ヤツらが消えた辺りを掘ってみろ!」
「そんなの警察の仕事ですよ」
「署長も消えたんだ、警察は信用出来ん。地元の野次馬を動員してヤツらの隠れ家を突き止めて、特ダネを持って来い!」
「努力します」
「いいか、特ダネが出るまで帰るなよ」
 そこで電話は切れたが、誰が帰るものか。
 だが、確かに鬼デスクの論にも一理はある。今回の例は特殊だけに、失踪したそれぞれの家族からの捜索願いを警察が受理すれば、その失踪者がこの環状列石群の地下に消えたのは事実なのだから、特別に許可は出るはずだ。
(明朝すぐ石脇に相談して……)と、友美は思った。
 そんな深夜に、達也から電話が入った。
「女将に電話をしたらな。取り込み中だが部屋は空いてるというから、千石屋旅館に泊まってやることになった」と、言う。
「わたしが泊まってるのを確かめたんでしょ?」
「バカいうな。ハナから知ってたら他の宿に泊まってるさ」
 と、いつもの調子だが、多分、それは真っ赤なウソで、女将とはこの部屋に転げ込むことで話がついているに決まっている。
 現れた達也は、紺シャツにカ-キ色のブルゾン、ジ-ンズのラフなスタイルはいつもの通りだが、髪も髭も伸び放題で何となく薄汚い。山にでも籠もっていたのか。
「今まで、どこにいたの?」
「少しだけ山歩きをな」
「誰と?」
「誰とって、山岳ガイド付きだがな」
「もしかしたら、前田さんと?」
「なんだ、知ってたのか?」
「それ本当? カマをかけただけなのに」
「なんだ……」
「でも、変ねえ?」
「なにが?」
「縄文祭りが終わった途端に姿を現すなんて?」
「偶然、そうなっただけさ」
「ウソよ、そんなの……田島さんがラジコンに凝っての無許可欠勤だって怒ってたわ。電話をちょうだいって……」
「冗談じゃない。休日働いた分の代休だぞ」
「そうは言ってなかったわ」
「その件はそこまでだ。風呂に入ってくるから、その間に、女将に交渉して酒と夜食を貰ってきてくれ」
「ここは取り込み中なんですよ」
 文句は言ったが、そこは元恋人……好きで同棲していた仲だけに友美としても嫌な状況ではない。いそいそと部屋を出た。
 達也がこざっぱりと、脱いだ着衣を抱えて浴衣姿で戻って来た時はすでに、部屋の座卓には調理場で調達してきた一升瓶の冷酒や残り物の料理やお握りなどがあり、とりあえず二人酒となる。
 友美が、今日の出来事について話すと、達也が笑った。
「そんなの、集団幻視だったんじゃないのか?」
「幻視? 冗談でしょ。千人近い人が見てたのよ」
「はっきり見えたのか?」
「雨と霧に包まれていて、まるで神隠しみたいなの」
「そんなの迷信だぞ」
「だったら、幽体離脱とか?」
「今昔物語じゃあるまいし、いまは二十一世紀だぞ」
「でも、初めから妙でしたよ。まず、閉会式を始めた瞬間に激しい雷雨に見舞われた。あれは偶然かしら?」
「低い積層雲にロケットを飛ばせば、摩擦熱と発電現象で雨ぐらいは降らせられるし、電気のショ-ト現象だから稲妻だって局地的なら人工的に作ることが可能だ。ただし、設備が大変だがな」
「じゃあ、UFOは?」
「UFO……なんだそれは?」
「模型のオ-トジャイロの下部に取り付ける赤色ランプの位置を円形にしたら? 空が暗ければ、UFOに見えないかしら?」
「ほう……」
「そこで、天から赤ん坊を降ろすのね」 
「まさか?」
「舞い落ちるあの子の白い顔が、稲妻が走る度に青白く夜空に浮かんで……それを、下で待ち受けた河田美香が受け止めたのね」
「だとすると、赤ん坊をどうやって空から降ろすんだ?」
「それは簡単よ。前に新橋演舞場でのス-パ-歌舞伎で、あの太った猿之助が宙を飛んだのを一緒に見たでしょ? あなたは居眠りしてたけど……でも、あれがヒントね? あなたはアラスカでサ-モン釣りしたとき、太い糸で電動リ-ルを使ったって言ったわね?
それとタイマ-を組み合わせれば完璧でしょ?」
「なるほど。それをどこで操作するんだね?」
「クロマンタ山は遠いから無理ね。あとは人には絶対に見つからない場所で、万座のスト-ンサ-クルが見えるところね?」
「ほう?」
「分かった!」
「どこだ?」
「まさか、とは思うけど、スト-ンサ-クル館の館長室?」
「ほう、思い切った推理だな」
「だとしたら、鹿角市は上から下まで全員がグルなのね?」
「どうかな?」
「幼児が地上に降りた直後に、霧の中からおぼろげにクリスが現れて、あたかもキリストの復活のように見せかけた……」
「いよいよ幽霊だな?」
「なんで?」
「クリスは十和田湖に……」
「冗談でしょ。誰もそんなの信じませんよ」
「どうせ、ヤツは戸籍のない男なんだ。ま、勝手に謎解きに挑戦しろ。オレは明日帰る。こんなのに付き合ってられんからな」
 お互いに茶碗酒だから、一升もたちまち半減し酔いもまわる。
「小型飛行機が運転できて、グライダ-や模型飛行機に凝って、それに赤子を乗せて飛ばせて……これじゃ、まるで達也さんまで犯罪に加担してるじゃないの」
「犯罪? オレは何も悪い事なんかしてないぞ」
「でも。人を騒がせてるのよ」
「頼まれたから、観客を楽しませただけだ」
「なぜ、あんな手の混んだことまでしたの?」
「さあな……蛇が出るか鳩が出るか、結果をみないとな」
「みんなして、何を企んでるの?」
「これ以上はダメだ。友美に記事にされたら、彼らの計画は白紙に戻されることになるからな」
「やっぱり、なにかを企んでるのね? 石脇さんもグルなの?」
「さあ、バカ正直なあのダンナだけはカヤの外かな」
「やっぱり……それと、あの霧は大量のドライアイスでしょ? ただ、どこにどうしてあれだけの人数が姿を隠したのか……」
「それは、探し方がまずかったんじゃないのか?」
「でも、私と石脇さんが一緒に探したのよ」
「どこを探した?」
「直径四十メ-トル以上のスト-ンサ-クル内の窪地をくまなく探したけど、何の変化もなかったのよ。でも、明日、石脇さんが指揮をとって掘り返し作業をするそうです」
「無駄だな」
「なぜ?」
「苦労して作った抜け道を、そう簡単には見つからんだろ?」
「抜け道? じゃあ、やっぱり神秘的に見せただけなのね?」
「当たり前だ。神秘的じゃなければ縄文の宣伝にはならんぞ」
「宣伝? そんな商業的な目的で人を騙すの?」
「いや。そうとも言えんさ。目的は別かも知れんぞ」
「めくらましで、神秘的に見せる必要があるのね?」
「それをオレも知ろうとしたが、もう止めた」
「なぜ?」
「あまりにもバカバカしいからさ。その件だって、それを見て驚いた人が、まわりに宣伝してくれればいいだけだろ?」
「なるほど、霧で隠して……引田天功の奇術と同じね?」
「窪地の高さは?」
「一メ-トルぐらいかしら」
「それがヒントだ」
「そうか……地面じゃなくて窪地の横壁に扉があって秘密の通路はそこから、どこかに通じてるのね……?」
 友美は、以前にどこかで耳にした縄文広場からクロマンタ山への抜け道の存在が現実味を帯びたことに戦慄を感じていた。
「あなた。もう一日だけ付き合ってもらえる?」
「オレはもうご免だ。頼まれた仕事も終わったからな」
「やはり、ここで何かを手伝ったのね?」
 それには答えずに、達也は茶碗酒をあおって友美に聞いた。
「ところで、友美はたしか、クロマンタにも登ったな?」
「ええ。一度だけ……あの信仰の山は禁断の地ですけど」
「人を拒絶するための口実さ。なにか、気づかなかったか?」
「そういえば……急斜面の崖の岩裏に洞穴がありました……」
「夜明けにそこに行ってみたらどうだ? オレは始発で帰る」
 達也がまた一升瓶から茶碗に酒をつぐのを見ながら、友美は明朝、達也を駅に送った後で山に登ることに腹を決めていた。
「洞窟の中に、なにがあるのかしら?」
「さあ。自分の目で確かめるんだな。それじゃないと本物の記事は書けないだろ?」
「でも、あなたが見たことを教えてくれても書けるのよ」
「どういう意味だ?」
「二年前、あの縄文村に行ったでしょ? あの時、あなたは誰と喋っていたの? 言葉は聞き取れなかったけど……」
「なんだ、知ってたのか?」
 これは、カマをかけたのだが達也は見事に引っかかった。