特別寄稿
寸又峡を遠く離れて-5
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻
高尾 義彦
1980年代には、作家の小田実さんらがリーダーとなり、まだ学生だつた辻元清美・現衆議院議員も事務局員として活動した韓国民主化運動を取材したのも、心情的にはこの流れの中にあつた。善愛さんが尊敬する韓国の作曲家、伊伊桑(ユン・イサン)さんとの出会いもあつた。早さんは朴正配州政権当時に「東ベルリン事件」に加担したとして、当時の西ドイツに追放されていた。
こうした伏線があつて、俳優座の「最終目的地は日本」とめぐりあった瞬間、金嬉老裁判の細部や法廷の内外で展開されたひと模様などが一気に蘇った。善愛さんが、あの径牧師の血を引く娘さんだったことを知った驚き。
自分自身にとっても遠い事件と思ってしまうほど時間が経過していたのに、彼女の存在が記憶を揺り起こした。
それ以来、善愛さんが上野の文化会館小ホールでパートナーのチェロ奏者、三宅進さんらとともに定期的に開催するコンサートに、時間の許す限り足を運んできた。
父であり人権活動家としての径牧師の素顔は、善愛さんの著書「父とショパン」(08年、影書房)に詳しい。著書によれば裡牧師は善愛さんが日本人と結婚するようなことがあれば「おまえを殺して、わたしも死ぬ」 と言って、議論を重ねることが多かった。その父親は、娘から結婚の相手を紹介され、何事もなかったかのように結婚を許したが、善愛さんは「父の人生の中で、朝鮮での拷問に次ぐ試練であつたと思う」と振り返る。
この著書で善愛さんは、独立前のポーランドからパリに逃れて音楽活動を続けたショパンへの思いも語っている。母国・祖国を失った音楽家への深い共感。彼女のコンサートで聴くショパンの曲には、多くの思いが込められていると、いつも実感する。
池袋の東京芸術劇場で16年八8月に見た東京芸術座公演「KYOKAI 心の38度線」では、善愛さんが音楽監督とピアノ演奏を担当して、山僅牧師の生き方を「いま」に伝える展開だった。ここでもショパンの曲が流れた。
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夜桜に 上弦の月屋形船
(2017/04/05)
昨夜は隅田川沿いの佃・さくら亭で、新聞社後輩と花見酒。ようやく満開近く、大川沿いに花見客。帰りにカフェバー「星時計」に立ち寄り、さとみさん手作りの佃煮やカブ漬け。日本酒は「幻」「白竜」「東力士」など。
ゆすらうめ 桜に負けずベランダに
(2017/04/06)
山桜桃梅の花がベランダで満開に。楚々とした白い花。昨夜は門前仲町・大横川の桜を楽しんだ。新聞社時代の「三人娘」と。川面に伸びる花がボンボリの灯りに照らされて。また来年もこの花を。絶滅から救われ、英国から里帰りした「太白」の話題が新聞に。
さくら散る 掃除の苦労知らぬげに
(2017/04/07)
佃小学校の桜が自宅マンションの階段に散り始めた。出勤時、玄関前で管理人の深井さんに「大変ですね」。玄関先には入学したばかりの一年生も含め、傘をさした小学生一〇人ほどが母親達に見送られてにぎやかに。

掛川市で焼肉屋を経営していた金被告の母親(オモニ)を訪ねて取材したこともあつた。
屋形船でてんぷらや寿司を味わい、落語を聞いて、隅田川沿いの桜を楽しむ、という趣向。しかし桜はほとんど開花せず、冷たい雨。それでも浅草・吾妻橋から船出して、桂伸治さんの「長屋の花見」を聞きながら豊洲市場用地など眺めて、連れ合いと二時間。
ここで話がやや横道にそれるが、事件発生の夜、静岡支局では金被告が寸又峡に入ったことをきちんとフォローすることが出来なかった。他紙が「ふじみや旅館」に電話を入れて本人との一問一答形式で翌日の朝刊に報じていたのに、事件後の足取りを報道できなかつた。そのためこの事件に触れることは支局内でタブー扱いになっていて、デスクから「裁判の原稿はいらない」「法廷に行かなくてもいい」とまで言われた不幸な時期があつた。
(2017/03/12)
支局で内勤の仕事を指示され、先輩記者や通信部から送られてくる原稿を、電話機を握りしめながら「ざら紙」と呼ばれた原稿用紙に書き留めてゆく。原稿用紙といっても桝目はなく白紙で、葉書より少し大きい1枚に、1枚5字ずつ3行で、当時の印刷紙面の一行に当たる15字の原稿とする。ちなみにこの用紙は、新聞印刷用に輪転機にかけられる用紙の余りを利用して裁断されたものだ。
少年は 打って走って春を呼ぶ
NHK現会長の再選阻止のため署名をお願いします」。
料理のつまに飾られる桃の小枝。徳島県上勝町のいろどり産業は高齢者の手で発展し、全国的に。小枝をパックに詰める作業風景の写真が地元紙に、とひでこさんのメール。
いまでは総代の多くが昔のことは知らない世代となり、丑井さんは自分の知識や体験を引き継ぐことに使命感を感じつつ、活動を続ける。「なんとか東京五輪の年までは、若い人たちの指導を続けたい」と願う。2020年は例大祭の年に当たり、東京五輪とパラリンピックの間に、その時期がやってくる。
(2017/02/16)
丑井さんが料亭を始めた時に開店資金として1300万円の融資を受けられたのは、芸者時代の信用があつたためで、七年の約束が三年半で全額返済し、店の決裁も現金払いを徹底してきた。
かつては目の肥えたお客さんも多く、自ら芸事をたしなむ旦那衆もいた。正月には獅子舞が恒例で、辻井さんもお面、太鼓、鉦の三人とともに獅子を演じる。ある年、お手玉に獅子がじゃれる場面で、「それでは猫だ、獅子になってない」と厳しく叱責された。悔しくて、一晩中、鏡台の前で何度も練習して次の機会に踊ると、「今日は、獅子になっていたぞ」と誉めてくれた。
寒風の中、「ラスコー展」を国立科学博物館に見に行った。「クロマニヨン人が残した洞窟壁画」と題して、実物大の壁画(レプリカ)を展示。二万年前に制作されたと推定される壁画を少年が発見した偶然。
門前仲町は木場に近く、
梅描く しっかり筆を握りしめ
今獅々さんの詩画集「原風景」を梅本社長に送るため、大川工業団地のポストへ。今獅々さんへの葉書も。奇跡的な偶然の仲介役。
雪見酒 筋肉痛をなだめつつ 一七日