無償の愛をつぶやく Ⅱ
高尾 義彦
葛地焼 地元紙で知る 秋の朝 二目
(2016/10/02)
明治維新の頃、京都から横浜に窯を移した宮川香山の陶芸展が増上寺宝物展示室で。仕事場が川崎に変わり、神奈川新聞を読むようになつて、真葛焼を知った。かつては京都・真葛ケ原 (まくずがはら=現在の円山公園付近)に窯を構えていたという。
金木犀 薫り感じぬ 人ありと 二目
(2016/10/02)
花粉症治療の後遺症で臭覚が正常に機能しない人がいる。ここ数日、金木犀の薫りにあちこちで出会う。昨日は会社のゴルフコンペを、八王子市の武蔵野ゴ~フクラブで。金木犀が花を着け、薫りを感じながらクラブをる。スコアはさっばりだったが。
柿を買う ゴ帰りに 木更津で
(2016/10/05)
木更津駅前に果物など地元の産物を売る素朴な店がある。そのあたりの家の庭の木からもいできたような柿の実が、ごろんと並べられていた。夷隅郡のゴ~フ場帰りに。
秋天の 五輪パレード 席求め
(2016/10/07)
朝八時過ぎに自転車で銀座通りへ。警察官が多くて、走りにくかった。今日は、11時からリオ五輪・パラリンピックの記念パレード。早々と、車道との境に設けられた柵の一番前に陣取っている若い女性たち。
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「緑の宝石」徳島スダチの魅力と蕎麦米雑炊-3
=「味の手帖」一七年六月号
高尾 義彦
「なだ万」で賄いご飯として供されていた、とこれも門前仲町の和風の店「久寿乃菓」の女将さんに教わり、若い人たちに広めている。
スダチ以外にも徳島は海産物、農作物に恵まれたところで、個人的な好みであげても、鳴門の鯛、ビールのつまみになる干しエビや、魚のすり身を竹に巻きつけて焼いた竹輪、B級グルメとして売り出し中のフィッシュ・カツ、ぼうぜ(エボダイ) の押し寿司など数知れない。京都や大阪で人気の鰻は、その半ば以上が徳島産で、高級和菓子に使用される和三盆も、香川と並んで徳島が大産地だ。

毎年九月初めに、徳島・神山の酢橘をお世話になった方々に贈る。自分のイメージは酢橘爆弾。迷惑している人も、と思いつつ。社内でも一〇個ずつ小袋に分けてみんなに。「緑の宝石」と呼んでくれる人も。 +
故郷の先輩で専門紙「文化通信」社長だつた近藤晃治さんは生前、「松茸はありません」と断り書きをつけて、スダチを知人に贈っていた。主役ではないが、スダチがバイプレーヤーとして貴重な存在になつていることは、食通なら、知る人ぞ知る。
同じさんま祭りといっても二つあって、ややこしい。一つが目黒駅前商店街振興組合(品川区)が主催する「目黒のさんま祭り」。昨年の例だと、岩手県宮古市の秋刀魚七千尾と神山のスダチ一万個が提供され、煙をもうもうと立てて焼いたサンマを楽しむ光景が毎年、テレビなどで報道される。
ひたすらに 葡萄の種を 選り出して
徳島名産のスダチ(酢橘) は、九月になると、露地ものが本格的に出回る。お世話になっている方々に、一キロ入りの箱で故郷の味をお届けするのが、十数年来の習わしになつている。東京に住んでいると、いつもこの季節が待ち遠しく、「緑の宝石」と冬つけて喜んでくれる人もいて、スダチの国の出身でよかつたと実感する。
富山市八尾は三日まで静かな踊りの波が町を覆う。二〇数年前に浦和のある女性が、眼をきらきら輝かせて八尾体験を話してくれた
東日本大震災から一年が経った-22012年3月11日、杉本さんの車で、滋賀県湖南市にある国宝・善水寺に案内してもらつた。ここで杉本さんは地元で生産されるサクラ御影などを用い、住民の手も借りて、連帯して作品を磨いていた。その年の四月から[CORRESPONDENCE」と名づけた彫刻展を、境内を舞台に展開する準備段階だった。
つい
でに金刀比羅宮。奥社まで一二六八段を往復してシャツは汗でびっしょり。資生堂経営のカフェ「神椿」でかき氷を。隣県生ま
[自然や人間のやさしさ」を、どのようにして彫刻の形に造りあげ、創造物を生み出すか。作品を見ていると、その一点に向かって
永六輔さんが亡くなつた。ここ数年、七月にはNHKホールのパリ祭を楽しんできた。パリ祭の生みの親の一人だが、晩年は車椅子での登場が多かつた。石井好子さん、芦野宏さん、戸川昌子さんに続き、彼岸に。
縁あ信楽生愛知県知多市在住彫刻家杉本準一郎さん(六六)と知り合つた。人と人を結ぶ縁はお酒の席で生まれるという、我が交友録の二貝を記しておきたい。
ここも高座は即席で、三十人ほどの椅子席が並べられ、家族的な雰囲気。やってくるのは真打の二代目桂伸治さん。もう三回ほど噺を聞いたが、実は先代の桂伸治さんは大学時代に利用していた西武池袋線の車内でよくお見かけし、なんとなく親近感があつた。いまも桂伸治さんは東久留米が住まいで、話の合間に、ローカルな話題も散りばめられる。
東京五輪の年に入学した大学のクラス会。古稀を過ぎても気持ちは入学当時と変わらないような。みんなが俳句か川柳を作り、出来栄えを競い、近況報告。
小松さんは、その後、骨董の店を閉めて、勝開橋近くのマンションに住み、時折、自宅で「なずな美術サロン」を開くようになつた。
秋田魁新報社140周年祝賀パーティー。「こまち」で秋田へ。梅雨はお休みか、秋田も厳しい陽射し。秋田県立美術館で藤田嗣治の大壁画 「秋田の行事」 や、妻マドレーヌをモデルに猫と横たわる乳白色の裸婦の絵を見る。往復八時間、緑の中の旅。
知り合いのFBに枇杷の収穫。20数年前、お子さんが捨てた枇杷の種から成長、近所にお裾分けしても余るほど、と。自宅ベランダの枇杷の木は、いつ実る?今日は大学の県人会と浦和・千鳥難民の飲み会。
今田寄席は、時に会場を近くの新川区民館に移したり、すぐそばに開店して一年ほどで閉めた讃岐うどんの店でも、即席寄席を開くなど、アメーバーのように活動の輸を広げている。「席亭」の一美寿さんは極めて社交的な人柄で、店の前を通る人に誰彼となく声をかけ、仲間に引き込むことを特技としている。