第三章 寺田屋事件真相

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1、生か死か

廊下側から刺す股や六尺棒を武器にした役人が何人か飛び込んで来た。
だが、宝蔵院流らしき三吉慎蔵の短槍にの技は見事だった。肩を刺されて一人が倒れ、次の一人も絡め棒を槍で叩かれて手放したところを腰を刺されて悲鳴を上げて転倒し、刀で切り掛かった捕吏が腹部を突かれて転倒して呻いている。後に続く役人が刀を真っ直ぐ突き出して飛び込んで来たが、三吉の槍の餌食になって肩を刺されて悲鳴をあげて転倒している。これで捕吏側の勢いが止まった。
太兵衛の目には、三吉の扱う短い手槍が、まるで穂先に目があって自由自在に敵を襲う毒蛇のように見えていた。しかも、相手の命に別状がないように急所を避けて槍を突き出す余裕が見えている。これでは怪我人が増え続けるだけで、この二人を討ちとるのは容易ではない。
お龍が、部屋にあった男物の寝巻きの帯を見つけて長襦袢の上から巻き、衣桁に掛けてあった坂本の物らしい羽織を着込むと、坂本に向かって「刀を貸して!」と叫んだ。
その時、大声を上げて切り込んで来た捕吏を狙って、坂本がまた一発撃つと、運悪くこれが胸部に的中したらしく捕吏が短く呻いて畳に突っ伏し、大量の血を流して微動もしなくなった。これを見て驚いた捕り手が一瞬ひるんだ。
その隙に坂本が脇差を抜いて柄の部分を持ちやすいようにお龍に手渡すと、お龍は必死の形相ですぐ近くに迫った捕吏の目の前で白刃を振り回した。これもまた捕吏をひるませる効果があった。
「おのれ許せん、三人とも切り捨てよ!」
部下が殺されたのと、自分を階段から突き落とした女の参戦が与力の怒りを買ったらしい。太兵衛の眼下で繰り広がれる死闘が新たな展開を迎えた。
「全員で突っ込め!」
与力が叫び、自分も十手を腰に差して刀を抜き、凄い顔で部下を叱咤した。
短筒の威力に怯えていた捕吏らが、与力の叱咤に応えて無我夢中で飛び込んで、槍を突き出し刀を振るって三人に迫って激しい争いになった。そこでまた何人かが三吉の槍の餌食になった。坂本という男が槍を防いで腕を怪我し、刀を避けてまた指を切られて血を流している。それでも、坂本の執念は凄かった。
血だらけの両手で握った短筒を突き出し、短槍を構えた捕吏が近寄ったところをまた撃った。短筒が火を噴くと同時に悲鳴が湧き、肩を撃ち抜かれた捕吏が槍を手放して血を噴いたまま廊下に転がり出て呻いている。
また捕り手の足が止まった。誰もが自分が撃たれるのが嫌なのは当然だった。
三吉慎蔵と龍馬とお龍は、次に迫りくる敵に備えて後ずさって床の間を背にしたが、これでは後がない。坂本が、槍を構える三吉慎蔵の背後に廻り、肩を借りて短筒の狙いを定めた。標的を真正面に対峙して刀を構えている与力の胸に決め、引き金に指を当てた。こうなれば一人殺すも二人殺すも同じだ、と、坂本の顔に険しい悲壮感が漂っている。
それを見た部下の一人が、与力の背後から槍を投げた。槍は咄嗟に首を傾げた龍馬の横顔をかすめ飛び、床の間の壁の山水画の中央に深々と突き立った。間髪を入れずに坂本が引き金を引き轟音が響き硝煙が部屋にこもり、悲鳴が湧いた。だが、悲鳴は与力ではない。首を動かしたのと親指が痛む分だけ狙いが外れて、与力の横にいた同心の腕を射抜いたのだ。同心が刀を落として手首を押さえて呻いた。また槍が何本か飛び、一本は三吉が落ち着いて横に払ったが、一本は坂本が傷ついた手を振るって拳銃で叩き落した。
その坂本を目掛けて、横から飛び込んだ捕吏が脇差を振るったのを,避け損ねた龍馬が短筒で受け、またどの指かを切られたらしく、また激しく血が噴いた。返り血を顔に浴びたその捕吏を三吉の槍が横から突いて倒し、足を掛けて槍を抜くと、すぐ振り向いて次ぎの敵の肩を刺した。だが、龍馬とお龍をかばいながらの乱戦になって何ケ所か傷つき、三吉慎蔵の顔が凄い形相になって捕り方を睨んだ顔には殺気があった。今度は本気で殺す気だ。太兵衛は息を呑んだ。
その凄まじい形相が、行灯と御用提灯の明かりに照らされて捕吏側の恐怖心を煽ったらしく、攻撃の手が緩んだ。
「あと一発じゃ!」
龍馬が小声で三吉に言ったのが、真上にいた太兵衛に聞こえた。
「六連発じゃないのか?」
「一発試し撃ちしたきに、入ってたのは五発じゃ」
お龍が早口で聞いた。
「弾は?」
「そこの小行李の中じゃ」
お龍が素早く屈んで荷物を探って弾の箱を見つけ、落ち着いて坂本に手渡した。いざという時のお龍の胆力に太兵衛は驚嘆した。太兵衛は、噂で聞いたことのある回転式の連発銃を初めて見た。銃を折って穴の開いた弾倉に弾を詰め込んで撃つらしい。坂本は相手に悟られないように短筒を開けて弾をこめようとしたが、斬られた指が動かないらしく弾込めが出来ない様子だった。その間に、また敵が迫っていた。坂本は弾込めを後にして銃を持ち直したが血だらけの手が深手なのか苦痛に顔を歪めている。
もう太兵衛も傍観者ではいられなくなったが、だからといって将軍直続の隠密が幕府の役人と戦うことは出来ない。爆薬の入ったうずらの卵玉二つを右手に握りしめた太兵衛は、天井から両者の動きを見つめて機をうかがっている。龍馬が、最後の一発を撃つべく血だらけの両手で銃を構えた。
捕吏の中に怪力のものがいたらしく、隣室から運んだ丸火鉢を軽々と抱えて逆さになるように投げ込んだ。その瞬間、太兵衛が手に持った卵玉爆薬二ケを、続けて捕り手の前に投げ込んだから凄まじい火花が散って爆音が響く。と、ほぼ同時に龍馬の短筒からも最後の一発が放たれ悲鳴が上がった。
もう誰もが状況が分からなくなり「火鉢に火薬が入ってたぞ!」と、怒鳴る者がいて混乱がさらに広がった。畳の上に逆さになって落ちた火鉢の灰が飛び散り灰煙が立ちのぼり、うずらの卵に込めた爆薬が激しい火花と硝煙が黒煙を上げて部屋にこもったから誰もかもが咳き込んで目も開けていられなくなった。風圧でか行灯も消え、釣鐘式御用提灯を持った捕吏も咳込んで階段に下がったから室内が闇に包まれ、怪我人のうめき声だけが残った。
この状況下で、お龍から手渡された弾を、龍馬が手探りで短筒に込めようとしたが、右の親指の根元から血が流れて指が動かず、そのうち弾倉を取り落としたらしく「しまった!」と、呟いた。あわててお龍にも手伝わせて手探りで探すが灰に埋もれて一向に見つからない。灰が目に入って痛いし涙が出て視界もきかない。こうなると、短筒はもう使えない。
「どうする?」
「こうなれば、討ち死にか?」
硝煙と黒煙の中で覚悟を決めたらしいが、坂本はまだ捕吏が全員避難したのに気づいていないようだ。咳込みながら非難した捕吏が、怪我した仲間を部屋から引きづり出したり、窓を叩き壊して室内の煙を排出したり、避難した階段から一階にかけては怪我人の悲鳴やら与力の叱咤する声、怒鳴り合う声などで蜂の巣を棒で突いて追われるガキの騒ぎではない。
太兵衛が口を押さえていた布を外し、三人の真上から「今だ、逃げろ!」と叫んだ。
お龍が一瞬、けげんな顔で周囲を見たが、声の主が三吉慎蔵だと思ったらしく、小さく頷き、勝手知ったる裏庭に面した窓をすかさず開き、龍馬の背を押して庇屋根に逃がし「飛び降りて!」と言った。続いて、槍を手に窓から庇に降りた三吉に向かって、お龍が小さく叫んだ。
「庭を走ると捕り手に見つかります。裏の家の中から次の家の中を抜けて逃げてください」
「お龍さんはどうする?」
「追っ手を引きつけます。お二人は蓬莱橋より上流に走って材木小屋に隠れててください!」
「分かった」
「わたしは薩摩藩邸に走って、救援を求めて駆けつけます」
お龍は語尾を残して窓を閉め、廊下に走り出ると、咳込んで屈んでいた捕吏を押し倒し、わざと激しい足音を立てて急で粗末な裏階段を駆け下りるのを、太兵衛は煙の充満する天井裏から目で追った。この時点までは、家人や女中などが出入りする裏階段は捕吏に気づかれていなかったらしい。それにしても胆の据わった女だった。惚れた男のために命を投げ出している。お龍という女を太兵衛はしかと見届けた。

 

2、密告者

「別の階段があるらしいぞ!」
灰煙の中で裏階段のきしむ音を聞きつけた捕吏が、激しく咳き込みながらも裏階段めがけて殺到して、急な階段につまづいて次々に転げ落ち、養女や女中たちの悲鳴が聞こえた。
太兵衛は、天井を移動しながら各部屋ごとにずらした天井板を全て元に戻すと、屋根裏に闇が戻った。クナイを用いて横板を少し外して様子を見ると、表を固めていた伏見奉行所の御用提灯がいっせいに揺れて寺田屋を離れて行くのが見えた。お龍が冬の霜が降り立つ冷たい地面を裸足で走って、坂本らと逆方向に捕り手を誘導したのに違いない。
「逃げたぞ」「あっちだ!」と、捕吏の声とともに御用提灯が揺れながら闇の中を遠のいてゆく。
あの女なら、追いつかれる前に男物の羽織を他家の庭に投げ込み、逆側の民家に飛び込んで捕り手を巻くぐらいの知恵は働く。それよりも、心配なのは、手にかなりの深手を負って出血が甚だしい坂本という男だ。あの調子だと指の動脈が切れているから止血を急がねばならない。太兵衛の印籠には薬草を煮詰めて作った止血の特効薬もあるが、今はまだそれを手渡すことは出きない。
太兵衛が外に出て、切り外した横板を元に戻して二階の庇の端に両手を掛け、軽く身をひるがえして一階の出屋根に音もなく立ち、そこから地上に飛ぼうとして動きを止めた。
下の端の部屋からかすかな人声が聞こえたのだ。
「これで終わったのかしら・・・」
あとは聞こえないが女の声だった。まだ、怪我人の手当てや現場検証に残された捕吏が何人かいるのは承知だが、女中たちが安堵したのか?
ここは覗かなくてもいい、会話だけ聞こえればいいだけだ。幸い闇に包まれて屋根の上までは誰も気づく者はない。瓦を一枚だけ外して声の通りをよくして、右耳を瓦下の冷たい板に当てた。
空を仰ぐと星もない重い雲の垂れ込めた夜で、漆黒の闇が濠川の流れをも包み、夜目の利く太兵衛だからこそ白っぽい揺らぎに見えるが、多分、並みの人には暗い揺らぎさえやっと視界に入る程度の闇夜だった。それだけに逃亡する側にとっては都合がいいはずだった。
伏見奉行所の御用提灯の灯が揺れて、材木小屋とは逆方向の濠川の下流に向かって走って行く。お龍が逃げているらなら、いずれ、どこかで捕り手を巻いてから材木小屋に現われるに違いない。
「お春さん、捕まったら、どうなるのかねえ?」
「二度と、ここに来られなくなるんじゃない? そしたら、スッキリするわ」
「でも、坂本はんは来てくれるやろか?」
「当然やろ? おかあはんとお力さんがいやはるもの・・・」
「あたし、お力さんがあの人に抱かれてるのを見ちゃたのよ」
そこで隠微な含み笑いが洩れてくる。
ここでは、明らかにお龍は招かざる客だったのだ。
急勾配の裏階段を、大柄な男が用心しながら下りて来る足音がした。
その男が下の、お登勢の部屋に踏み込んだらしい。
「伏見奉行所同心、藤堂玄衛門である、寺田屋のあるじ、登勢・・・」
「はい、私ですが?」
「お役目とはいえ、宿の建具を少々傷めた詫びを言う」
「しっかりと弁償して頂きますよ」
「それは、拙者には関係なきこと、いずれ奉行所より・・・」
「冗談じゃありません。四年前の薩摩さんの争いで部屋が壊されたときは、宿を改装した上に新型の三十石船を造ったほどのお金を島津のお殿様じきじきのお言葉と共に頂戴いたしました。今回は幕府がお相手です。相手にとって不足はありません」
「不逞のやからを泊めることは、きつく禁じおるのは承知のはず。落ち度はそちの方にあろう」
「ご冗談でしょう。薩摩藩のれっきとした方からのご紹介で、お名前もしっかり聞いております」
「土佐浪士坂本龍馬と、長府藩士の三吉慎蔵、以上に相違ないか?」
「いいえ、薩摩藩士才谷梅太郎と記帳があり、そのお仲間はこれから記帳するところでした」
「記帳は入室時と決まっておる。深夜に及んで、これからとは不届き千万」
「そう言われましても、お客さんにも都合があります」
「隠し立てすると、ためにならんぞ!」
「知りません。なにも知らないんです」
「と、ここまでだ、お登勢・・・」
「はい。お上手でした」
「調書は以上の通り、拙者が書き揃えておく」
「よろしうお願いします」
「多分、逃亡したお春も捕まると思うが、客を善意でかばったことにすれば咎は軽い」
「有難う存じます」
「家屋破損の弁償については、拙者の一存ではどうにもならん。与力の藤田さまに頼んで精一杯気張ってもうることにする」
「それで、結構です」
「ただ、坂本は役人を二人も殺したから手配人となるが、いいか?」
「あの人とはこれで縁が切れました。もうここには立ち寄らないでしょう。カンの鋭い人ですから」
「密告されたのを感じた、と申すのか?」
「藤堂さま、それ何の話ですか? 私は存じませんが」
「奉行所への投げ文には名前こそなかったが、女文字だったぞ」
ここで話が途切れて、二、三、小声で私話が交わされて同心が廊下に出て玄関の方角に去った。
やはり、密告者はお登勢だったのか? 密告者が誰であろうと太兵衛には関係のないことだが、気分はよくない。何だか期待が裏切られたようで、太兵衛は全身の力が抜けて行くのを感じた。

太兵衛が瓦を元に戻そうとしたとき、お登勢が立ち上がって隣の部屋に向かう気配があった。
太兵衛は再び冷たい板屋根に耳を付ける。
部屋に入って襖を閉めると、声を潜めてお登勢が言った。
「お力(りき)、寝た振りをしたって今の騒ぎ・・・起きてるんでしょ?」
「分かった。起きるわよ」
「投げ文、あんたね? 坂本はんは死にかけてるのよ!」
「ごめんなさい」
「なんで、そんな馬鹿なことを?」
「だって、お春さんが羨ましかったのと、あたしたちを裏切ったあの人が憎かったの」
「子供だと思ってたら、いつから出来てたの?」
「ずっと前から・・・」
しばし、沈黙があって登勢が呟くように娘を諭すのが聞こえた。
「お互いに好きなのは知ってたけど、まさかあの人がこの子にまで」
「違うのよ。あたしがお膳を運んで行ったときに自分から抱きついたの・・・」
「それで?」
「お春姐さんはまだいなかったた頃だし、お母はんは一回しか抱かないの知ってたから」
「人によるわよ」
「だから、お春さんを連れてきたときにはびっくりして」
「わたしだって驚いたわよ」
「でも母はんは、器量がいいから養女にして働かせたら客が増えるって喜んだでしょ?」
「それは建前、心では泣いてたのよ」
「そんなの、いまさら言われても」
「済んだことは仕方ない。一生、誰にも言っちゃダメよ」
「分かった」
「人を好きになったら、死ぬほど好きになって尽くすのね」
「そんなの本物じゃないよ。好きなら妬くことだってあるでしょ?」
「でも、お龍を妬むのも、あおの人を憎むのもお止し」
「もういい。お母はん、戻って! あたしは寝る」
お力という娘がふて寝を決めたらしい。
自室に戻ったお登勢が泣き崩れた。すすり泣きが聞こえて呟きが聞こえた、
「いつも私は一人ぼっち、本気になってくれる人もいない」
お登勢は噂に違わぬいい女だった。太兵衛は瓦を元に戻して闇深い空を見上げた。

 

3、材木小屋

太兵衛は、一階の庇屋根から木に戻って隠してあった亀屋の半纏を着て地上に降り立ち、何人か残った捕吏の目を避けて濠川端に走った。
川べりに間口も奥行きも十間(18メートル)もあろうという大きな材木小屋が目に入った。
小屋の前にまで材木が山と積まれているところを見ると、小屋の中も想像がつく。ここなら、材木の奥に身を潜めたら探しだすのは至難になる。お龍はなかなか頭がいい。太兵衛は材木小屋前の冷たい土手陰に飛び込み、顔だけ出して闇の中に目を凝らして様子を窺った。太兵衛を見つけて、小屋を棲み家にしているらしい三頭の野犬が、低い姿勢で唸りながら太兵衛に迫って来る。
吠えない野犬は危険だ。怪我人が現われて血の匂いで凶暴になってからでは始末が悪くなる。
そこで太兵衛は、この三頭の野犬を始末することにした。中央の野犬が親分らしく図体も大きい。
忍びの基本の一つに犬に対する対処法があり、その一つが肉団子に毒薬を仕込んだ丸薬を投げ与える手だ。だが、今宵の太兵衛は生憎と毒団子の持ち合わせがない。そこで、第二と第三の方法の併用を考えた。懐中からクナイと短刀を取り出してクナイを左手に持ち短刀の柄を右にして刃の部分を銜え、右手に握り飯大の石を握って腰を屈めた。
獲物狩に慣れた肉食犬は。必ず三方から同時に襲って来る。それを待ったら殺られるから、こちらから先に攻めるのだ。それも迷いなく・・・三頭の野犬が同時に飛び、太兵衛も飛んだ。
勝負は一瞬の空中戦で終わった。真ん中の犬の眉間の急所に太兵衛の投げた石がめり込み、すかさず両手に握った刃物が両側の犬の喉元を裂く。三頭の野犬が地に落ちた時はすでに即死状態で少しの時間痙攣して動かなくなった。だが大きな誤算が生じていた。勝ったはずの太兵衛が地上に倒れて、呼吸が止まるほどの痛みに苦しみ体を丸めて呻いている。
太兵衛の飛びが浅かったのか、中央で飛んだ猛犬の失速が予想より少なかったのか、太兵衛の急所と猛犬の硬い頭が激突したから堪らない。額に脂汗が滲むほどの激痛が太兵衛を襲っていた。
太兵衛は川原を這って水際に行き、恥も外聞もなくふんどしを外して奇妙な格好で急所のふぐりを真冬の清流に漬けて冷やした。これは見られた図ではないが、周囲に誰もいないのが救いだった。
だが、誰一人見るものもない闇夜だと思ったのが間違いだった。頭上低く飛ぶ夜烏が、太兵衛の無様な姿を眺めて「アホウ、アホウ」と嗤って消えた。

しばしの時を経て、落ち着きを取り戻した太兵衛は犬の死骸を川に流した。
次に、小屋の観音扉の前に立ち、小屋の開き戸に掛けられた鉄製の錠前を手で壊そうとしたが簡単には壊れない。傷ついた二人ではこの錠前を壊すのは難しい。どこかに犬が出入りした破損箇所があるはずだが、それを探すのも面倒だし時間もない。クナイを用いて錠前を掛けた板を削ると開き戸が簡単に開いた。「これで安心」、太兵衛は少し場所を換えて待機した。
やがて、坂本という男と三吉慎蔵の二人の姿が意外な方角から現れたのが闇の中に見えた。
寺田屋の裏の家どころか、かなり遠まわりしたらしく四軒ほど離れた家の裏木戸を抜けた路地から姿を現したのだ。お互いに傷つきながらも肩を支え、闇夜の中でよろめきながら小声で励ましあって材木小屋に近づいて来る。その姿には、絶望的な悲壮感が漂っている。
「三吉さん、これだけ血を出したらもういかん。足も動かのうなった」
「馬鹿を言うな、ここまで生き伸びたんだ。なんとかなるさ」
太兵衛は迷った。ここで飛び出して坂本を救うことは出来るが、自分の正体は伏せておきたい。
天運があれば彼等は生き抜くだろう。あの時、お龍が湯上り姿で知らせなかったら坂本は死んだ。このまま死なずに済んだら、お龍が命の恩人になる。しかも、あの場面だけではない。短筒の弾が尽きたときの冷静な処置、坂本を三吉を窓から逃がした咄嗟の機転、さらに、あられもない格好で霜柱の立つ冷たい地面を素足で走り回って奉行所の捕吏を材木置き場から遠く引き離した自己犠牲の姿、これらはお龍以外の女では出来ることではない。この女はそれほど龍馬を好いていたのだ。
問題はこの材木亥置き場だ。ここで龍馬が死ねば、あの女の努力が水の泡になる。
ここで坂本が生き抜けば、平和で血の流れない坂本流の革命があり得るかも知れない。だから生かしたい。だが、伏見奉行所も黙っては見逃すまい。坂本は二人の捕吏を殺し三人に重傷を負わせた。これだけで坂本龍馬はお尋ね者として手配され追われる身になったのだ。
太兵衛の役目の一つに、徳川家を潰さない無血改革の手段として公武合体案を持つ坂本龍馬の警護がある。幕府が存続するのが一番だが、坂本の案も最悪の場合の徳川家の救助策として必要になる。
小屋に向かって歩きながらの二人の会話が近づいてくる。
「このままだと寒さと出血で命はない。拙者が薩摩屋敷まで行って来る」
「お龍が行くと言うちょったきに」
「お龍さんは、捕らえられたかも知れん」
「無茶だ。おぬしが長州だと知れたら、薩摩に切られるぜよ」
「坂本さんの知り合いはおらんか?」
「そなら、西郷、小松は京都藩邸じゃき、伏見の留守居役の大山彦八を訪ねてつかわさい」
三吉が槍と坂本を小屋の板壁にもたれかけさせて、小屋の開き戸に掛けられた錠前を壊そうとしたが、すぐ、錠前を支えている横木が削られているのに気づいて戸を開けてから振り向いた。
「坂本さん、寝ちゃあいけん」
寄りかかった板壁から崩れ落ちそうな龍馬の頬を三吉慎蔵が平手で叩くと乾いた音が響いた。力なく目を覚ました坂本を抱えて小屋に入った三吉は、板壁に立てかけてあった槍を持ってもう一度小屋に入ったが、出てきたときは槍が手になかった。龍馬にいざというときは槍で戦えとでも言ったのだろうか? あるいは、長州を憎む薩摩藩士に刃こぼれした血染めの槍は見せられないという配慮だったのかも知れない。三吉慎蔵は、腕から血を滴らせながら薩摩藩邸に向かってよろめいて去った。
その姿を見送ってから、川原に下りた太兵衛は懐中の短刀を取り出して刃先は手ぬぐいで包んで懐中の袋に戻し、鞘に水を汲んで着流しに黒足袋姿のまま音もなく材木小屋に入った。あれだけ働いたのだから水も欲しいはずだ。
血の匂いで坂本の所在はすぐに分かった。暗闇での処置になるが、夜目の利く太兵衛には苦でもない。うず高く積み重ねられた杉丸太の陰の平板に寝かされた坂本は、すでに末期症状なのか震えが出ていた。腕に布は巻いてあるが、それも血塗られて何の役にも立っていない。手元に三吉の槍が置いてあったが、これでは捕吏が来ても使えまい。
太兵衛はまず、亀屋の半纏を脱いで坂本の体に掛けた。次に、常時持ち歩いている小型印籠を取り出し、狐の手袋の別名もある宿根草の一種を煮詰めて丸薬にした特効薬を、無理やり開かせた坂本の口に入れ、短刀の鞘に汲んだ水を流し込んだ。気付け薬だが心臓強化と延命効果があるから、これだけで当面の命は助かる。これも忍びの基本だが水と薬を坂本の口に入れ、唇を合せて押さえつけると苦し紛れにゴクリと呑み下した。これで心配ない。本来は、毒を盛って敵を殺すときと自決に用いる手だが今日は命を救う側に用いた。
傷口を見ると、右手の親指と人差し指は根元まで切り裂かれていて痛々しい。左も親指が落ちそうになっている。ここは簡単な応急処置をするしかない。まず、馬鞭草の丸薬を口に含んで噛み砕いて傷口に縫って止血をし、短刀の刃に巻いた手拭いを半分に裂いて片手づつ包んだ。消毒用の酒がないのが気になるが、取りあえずはこれでだけで暫くは何とかなる。太兵衛は鞘の中の水をきれいに払って短刀を元に戻して印籠共々懐中に戻した。
暗闇で顔色までは見えないが、心なしか坂本の呼吸が楽になっているのが伝わってくる。
ただ、自分がいることの痕跡は残せない。援けの姿を見たら素早く半纏や包帯を剥がし、材木の陰に隠れるのだ。追っ手が先にここを見つけたら・・・その時は? その場で考えればいい。

 

4、生い立ち

龍馬は遠い彼方から呼び戻されたような感覚で仮死状態からかすかに甦り、苦痛の中で生死の狭間をさ迷っていた。
「この痛みは地獄の責め苦なのか、生ある証しなのか?」
これが判然としない。まだ命ある世に生きながらえていたのなら・・・そう考えると、どんな苦痛や困難にも耐えて生き抜かねばならない。今、志半ばで死ぬのは龍馬の望むところではない。この国を大きく変えるために立ち上がった以上はどんな苦痛に耐えても生き抜いて目的を達成しなければならないのだ。だが、その執念で傷の痛みを和らげようと意識しても無駄だった。痛みは間断なく龍馬を襲ってくる。
「これは地獄か?」
生きている実感を得るべく材木の上で意識してもがいたが、冷えた身体はただ痛むだけで微動だにしない。そうなるとやはりこの身はあの世に召されたとも思えてくる。現世に未練が強い者は死しても怨念が残り、身は滅びても霊魂はこの世に残るという説もある。ならば死せるとも己の生き様から省みても霊魂をこの世に留めて目的を果たさねばならない。どうせ、極楽には無縁の身だ。地獄に墜ちて最初の責めがこの激痛なら今後の試練の第一歩と受け止めて覚悟せねばなるまい。
だが、地獄で仏という言葉もある。自分がこの苦痛で気を失う前に、乾いた喉に水を流してくれたのは何者なのか? しかも冷えた体に布まで掛けてくれた。すでに薩摩屋敷に走っている三吉慎蔵の行為ではないのは確かだから、或いは青鬼赤鬼が責め苦を与える前に甘い罠を仕掛けたやも知れぬ。
幼児期から子供時代にかけては「寝しょんべん垂れ」と子供仲間に苛められ、藩校にも通わぬためにまともな字も書けず学問もなく、けんかに負けては「弱虫!」と姉の乙女に棒切れで叩かれた日々もある。机に座らされて嫌な書物を読まされ筆で字を書かされても「覚えが悪い」と馬鹿にされた日々も今は懐かしい。そこから抜け出した切っ掛けについては、自分では分かっているつもりだが、疑問があるのも事実だった。
背が高く茫洋とした外見から「坂本のでくの棒」と言われ続けたこの身が、いつからか身分制度の歴然とし旧態依然の土佐から飛び出て世界で孤立するこの日本を変えようとしている。この大きな変わり身の謎を誰が解き明かせるというのか? 十九歳で江戸に出て自由な空気を吸い幾多の人材に遭遇したことが、この急激な変貌を呼び込んだのも否定はしない。しかも、この自分が周囲の期待を浴びている。これは大きな誤算だった。平凡で幸せな暮らしが一番いいのは当たり前のことだ。

死を迎えた人は、魂が肉体から離れる瞬時の間に、幼い日々から死に至るまでの出来事を走馬灯が早廻りするように、目まぐるしく思い浮かべると聞いたことがある。
父の名は坂本八平直足で母は幸、龍馬を生んだとき母は三十八歳とかなり遅い出産だった。そのとき兄の権平直方は二十歳、長姉の千鶴は十九歳、次姉のお栄が六歳、三姉の乙女が四歳で、龍馬の名は、母が龍馬懐妊の折に雲竜の夢を見たことから名付けられたと聞いたが、その真偽のほどは母の早逝で質す間がなかったのが惜しまれる。
龍馬を生んだ母は高齢出産ゆえに乳が出ず、坂本家では龍馬の乳母として近隣の農家の娘で隣村に嫁ぎ、妊娠中の農作業で転倒して死産して悲嘆にくれていた女を雇ったと聞く。
龍馬の養育は、母が病弱だったので、坂本家で下働きをしていた遠縁のおたべと、姉達に任されていた。おたべは、文字も読めず世間的な常識もなかったが龍馬に対する愛情だけは本物だった。病いの床に伏せがちだった母や、気まぐれに溺愛と苛めを繰り返す姉たちと違って、おたべはただ一筋に龍馬の成長に尽くし、その愛情は母の幸が十歳の龍馬を残して病死してからも変わらなかった。龍馬は母の死後、おたべの愛情と次姉乙女の訓育によって成長し夜尿症も徐々になくなっていた。
「あの故郷の山や川はよかった・・・」
龍馬が育った家のすぐ目の前に鏡川の清流が流れ、もの心ついた時から姉の乙女に連れられて小魚や沢蟹取りに熱中していたし、家から見える小高い筆山の丘陵を駆け巡り自然に親しんでのびのびと育っている。龍馬の生まれた高知城下の上町にある坂本家は、母屋のほかに離れ座敷や土蔵も幾棟か建ち並ぶ広い敷地をもつ名家で郷士とはいえ、なまじな武士の暮らしよりははるかに裕福だった。
十二歳になった龍馬は、父の勧めで学問を始めるべく地元小高坂の楠山塾という学問所に通ったが、もの覚えが悪く友人も出来ず、どこで知られたのか「寝小便たれ」などと言われて苛められ、いつも泣いて帰っては姉の乙女に叱られたものだった。そこでは何も得ることなく、次に志和塾というところに通ったが、教授方にもバカにされる始末で休みも多く、「もう来んでいい」と断られて退塾させられてしまった。
それでも、四歳上の姉の乙女が父以上に熱心に素読や剣術を仕込んでくれたおかげで、龍馬の心は折れなかった。
十四歳になった龍馬は自分から父に申し出て、鏡川べりにある築屋敷の日根野弁治吉善という三十半ばの小栗流剣術の達人の道場に通わせてもらうことになった。日根野道場には身分や格式に囚われず誰とでも稽古が出来る自由な空気が流れていて、剣術に柔術や拳法までを取り入れた総合的な剣法で、理論より実戦を目指していることも龍馬の肌に合ったらしく、この日根野道場に通うようになってからは寝小便が完治した。
今にして思うと、この日根野道場に通わなかったら、身心ともに人間的な成長もなく今の自分はなかった・・・龍馬はそう思うと、角ばった真面目顔でよく冗談を言った恩師の日根野弁治吉善師が無性に懐かしい。だが、稽古はきつかった。
小栗流は、開祖の小栗正信は徳川家の旗本で柳生石舟斎の高弟で新陰流剣術の達人だったが、大坂夏の陣に出陣した折に乱戦の中、敵将と組討になり格闘の末に鎧通しを用いて敵を倒した経験から、新陰流同門の駿河鶯之助という友人と共に組討の研究をして、小栗流和兵法を開いたと伝えられている。その小栗正信の弟子の朝比奈某という剣士が土佐藩士だったことにより、土佐藩の指南役となり藩内の主流として伝えられてきた、と龍馬は師から聞いている。
日根野道場に通うこと五年、師から「小栗流和兵法事目録」を与えられた時の感激は今でも忘れられない。龍馬が生まれて初めて自信らしきものを感じたのは、間違いなくこの目録を頂いた嘉永六年三月、十九の春だった。

 

5、龍馬の恋

材木の上に横たわり生きていることを実感した龍馬は、傷の痛みから逃れるためにひたすら過去を想った。母の愛は海より深しというが、龍馬は今まで母の愛は薄かったと思っていた。日頃から母との接触が少なかったためにそう思っていたのだが、病弱の上に年齢的にも母乳の出ない体である母が、龍馬のために乳母を雇ったことを考えると、やはり母の愛は深かったのだ。
それでも、十歳で母を失った龍馬としては、母恋しさのあまり母との思い出の少なさが寂しかった。
土佐の一般的な慣習では、長男以外は家族とも思わぬ風習のある土地柄で、父母が兄弟に注ぐ愛情を十とすれば長男が九、その下に何人の弟妹がいようと一でしかないのが一般的だった。それに男尊女卑も土地柄だったかも知れない。これによって、長男が家を継ぎ、それ以下は他家に奉公に出るか他郷に出る。貧しい家を存続させるための口減らし対策としては当然のことだった。
それからみれば、経済的に豊かだった坂本家はどこか他の家と違っていて、父や病弱な母の子供達に対する愛情は、長男よりは劣っても三人の姉たちと龍馬には平等だった。それに今、龍馬は気が付いた。
坂本家は、商才のある父の八平と生真面目な長男の権平のおかげで、本家の才谷屋が営む質屋の繁盛ほどではないがほどほどに収入があり、子供たちが家にいることを苦にすることもなく家族全員がのびやかに暮らすことができた。
龍馬が幼児の頃に下級武士の家から嫁いできた兄嫁の千野は、母亡き後も龍馬には優しく接して母代わりとして尽くしてくれたし、裏表のない性格で人当たりもよく、近所でも評判のよく出来た嫁だった。龍馬はこの義姉にも頭が上がらない。
遠縁のおたべ、長女の千鶴、次女のお栄、三女の乙女、兄嫁の千野と坂本家の女の誰もがおおらかで龍馬を愛し、人目がないときは誰もが抱きしめてくれたし、日根野道場に通うようになって逞しく凛々しい男ぶりになってからも、おたべは添い寝をして男女の営みを教えてくれたし、龍馬がそれを試みるときに「ここだけの秘密だよ」の約束さえ守れば拒まない者もいた。誰とは言えないが・・・それを想うと龍馬は「坂本家に生まれてよかった」、とつくづく思うのだ。
それが、龍馬の女好きと女性交流の軽さにつながっているのは否めない事実なのだが、それを口にすることは出来ない。愛の深さを語ることは出来るが家族兄弟身内にこれ以上の迷惑を掛けたくないからだ。

江戸にでも行ってみるか?」
師の日根野弁冶の何気ない一言から、龍馬の江戸修業の夢が広がったのだが、これは簡単なことではなかった。
江戸に出るには用件をはっきりさせて藩の許可も通行手形も要るし、私用では殆ど許可は無理だった。ましてや、身分制度の厳しい土佐藩での郷士の立場は必ずしも快いものではなかった。ましてや、坂本家は郷士の中でも格下の町人郷士だったからだ。
郷士とは、百姓であると同時に半分は武士でもあるという特殊な存在だが、土佐藩では領内に旧長宗我部氏の家臣であった百姓が戦に参加する一領具足制度があったことから、その弊害を薄めるためと寄進を集める目的で、百年ほど前に郷士の数を一気に増やす政策をとったことがある。この、商人でも藩主に忠誠を誓い経済的な面で何らかの貢献をすれば武士に準ずる郷士として認めるという、画期的な藩の政策は大成功だった。だが、土佐在住の商人の大半が挙って応募したことで、剣術どころか刀を持たない郷士も生まれたからて武家からは蔑視されることになる。それが町人郷士だった。
土佐の有力な商人だった坂本家もこのとき応募して郷士に取り立てられれたている。龍馬が生まれる百年以上も昔のことだった。
これによって土佐藩における身分は町民郷士と言われ、他藩の郷士と比べて格段に低く扱われることになり、本来の武家からは殆ど相手にされない存在となっていた。
それが今でも続いていて、土佐では武家出身の仲間と町民郷士の龍馬との差別は大きく、城下での居住地から服装に至るまで歴然と差がついていて、居住地が郭中、上町、下町といえば、それだけで身分や家格が推察できた。
城を囲むように開かれた郭中には武家だけが住むことを許され、鏡川西側の上町には郷士や足軽などの下士が住み、境川より東の下町には町人が住んでいた。その身分制度の重く厚い壁は、百年以上も経た今でも郷士に生まれたわが身にのしかかり、絹は身につけることならず、衣服は木綿か紙に限られ、下駄履きが許される武士と違って、郷士の履物は草履かわらじに限られていた。日常生活でも武士とすれ違う際は、道端に寄って片膝ついて敬意を表さねばならなかった。
雨が降れば武士は傘をさせるが、郷士は油紙製か蓑製の雨合羽しか用いることが出来なかった。。
その身分の差だけは如何ともし難かった。この身分制度の壁がある限り、高知城下で評判の娘がいてもそれが士分の家の者であれば滅多に口にも出来なかった。やたらなことを言って周囲の士分の若者から袋叩きにあった郷士の若者を何人も見聞きしているからだ。
しかし奇跡が起きた。さすがに日根野弁治師は只者ではない。
老中に掛け合って藩主の山内容堂公に「将来有望なる坂本龍馬なる若者あり江戸に武術修行を」と進言し、自費での剣術修行だが品川の大井にある下屋敷での湾岸警備や工事などの臨時御用を含めた十五ケ月間の江戸出張許可を得てくれたのだ。
これは天地をひっくり返すほどの大事件だった。
町人郷士の倅の坂本龍馬が「江戸に剣術修行」・・・この噂はたちまち高知城下を駆け巡り、祝福と妬みとで格好の話題になり興味深々の目が道行く龍馬に注いでいた。家族の喜びも大きく、乙女はもちろん、おたべや義姉の千野、後添いの義母もわがことのように喜んでくれた。藩からの支給金はほんの少しだけあったが、これは路銀にもならない。物価の高い江戸での一年三ケ月におよぶ生活を考えるとどうしていいか分からなかったが、その金策をそっくり引き受けてくれたのが兄の権平だった。
龍馬の剣術修行を知って、一族の名誉ということで親族身内や次女・栄の嫁ぎ先の土佐藩馬廻役三百石の柴田家などからも過分な餞別を頂き、龍馬は豊かな路銀を持って故郷の地を離れることが出来たのだが、あの時、心残りがなかったわけではない。
当時の龍馬には、苦しいほど好きな女がいた。それと別れるのが辛かった。
幼い頃から読み書きも出来ぬ無学で女の歓びだけが生き甲斐のおたべに抱かれて育った龍馬にとって、男女の営みは飲食と同じ平凡な日常的な習慣の一つで、いつでも手を出せば届くものだった。それが一時的にせよ無くなる。それは辛いものだった。
当時の高知城下で女性に人気のある男というと、後に城下新町で剣術道場を開く武市半平太の右に出るものはいない。色白長身で威風堂々として曲がったことが嫌いという文武両道に傑出した正義感あふれる好漢で、龍馬とは遠縁の仲で六歳年長で日頃から口うるさく、「女で身を持ち崩すなよ」と説教を垂れるので龍馬は苦手だった。この半平太には富子という賢妻がいて、どこに行っても女性に騒がれる半平太ではあったが、妻以外の女には見向きもしなかった。
この半平太は、役者絵から抜け出たような好青年で、時々、坂本家に現れては龍馬や乙女と木刀で剣術の稽古をしたものだ。龍馬もこの半平太にだけは頭が上がらなかった。この半平太の道場で、中岡慎太郎やのちに人斬りの異名をとる岡田以蔵らが育ってゆく。やがて、半平太は自分の門下生や覇気のある藩の若者たちに激を飛ばして土佐勤皇党を結成し、龍馬も名を連ねたことがある。
当時の高知城下では、「男は武市、女は加尾」と言われ、これが美男美女の代表的な象徴だった。
この加尾とは、龍馬と共に剣技を磨いたいた平井収二郎の妹で、高知城下一の美女と噂のある平井加尾のことだった。
その加尾がたまたま収二郎の忘れ物を届けに現れたのを見た仲間の若者たち全員が、暫くは稽古を中断して見入っていたと言えば、それだけで加尾の美貌ぶりが群を抜いていたことは男なら誰でも想像できるはずだ。だが、当時の龍馬には加尾に群がる上級士族の若者の間に割り込む勇気はなかった。いや、遠くから見ているだけでも胸が激しくときめいて息苦しく話しかけることなどとても無理だった。こんなことは龍馬にとって初めての経験だった。それからも何度か加尾の顔を見かけたが龍馬は挨拶すらしていない。いや、出来なかったと言ってもいい。
龍馬が女性を見て、身体が震えるほどの衝撃を感じたというのは、この平井加尾が初めてだった。
ところが奇跡が起きた。加尾から先に龍馬に声をかけて来たのだ。男の誰もが自分をちやほやするのに、遠くから見つめているだけの龍馬が以前から気になったいたらしく、ある日、ひそかに龍馬に挨拶をして来たのだ。これが切っ掛けでお互いに好意を深め愛を確かめる仲になったのだが、兄の平井収二郎は龍馬の移り気を心配して、加尾に龍馬との交流を自制するように説得を重ねていたらしい。そんな時に、龍馬の江戸行きが決まったのだから世の中ままならぬものだ。
これが、龍馬のほろ苦い初恋の思い出だった。