第十章 将軍家茂の死

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1、ユニオン号 

龍馬が温泉めぐりを終えて鹿児島城下に戻ったのは四月十二日、およそ二十五日の旅だった。
龍馬とお龍は、あれから数日は吉井邸に世話になったが、小松帯刀が湯治から帰ったのを機に、ふたたび家老屋敷に招かれて、またお世話になることになった。まだ風冷たき二月の末に伏見の薩摩藩邸から旅立って、はや五月、思えば長い旅だった。
だが、安らぎの時は長くない。世情は風雲急を告げ、嵐の到来は間近に迫っていた。幕府が二回目の長州征伐に踏み切ったという噂が流れ、薩摩にも出兵をと幕府からの密令が出た。前回の長州征伐で薩摩藩は幕府軍の中心となって長州を攻め、長州からは薩賊と呼ばれて怨みを買っている。しかし、同盟を結んだばかりの薩摩と長州は戦えない。
そんな中、龍馬が待ちわびていた亀山社中が操船する蒸気船ユニオン号が鹿児島港に到着した。
ユニオン号は、薩摩名は桜島丸、長州藩に渡されると乙丑(いっちゅう)丸と呼ばれることになる全長四十五メートルのイギリス製の木製蒸気船で排水量は三百トン、大砲を常備し、いつでも臨戦態勢に入れる商船型戦艦だった。この船は、龍馬の指示で生前の近藤長次郎がグラバーと交渉して購入しており、幕府に敵対したために外国との交渉不能の長州藩が資金を出し、龍馬の仲介で薩摩藩の名義で購入し、それを亀山社中が運航するという「桜島丸協定」という込み入った契約のある船だった。
ユニオン号の船長は、亀山社中一の操船術と砲術の大家と自他共に認める石田英吉である。英吉は龍馬より四歳下で、土佐の医師の家の息子で家業を継ぐため大坂に出て緒方洪庵に医術を学び、将来を嘱望される英才だったが勤皇の志士・吉村寅太郎に誘われて天誅組の大和挙兵に参戦、敗走して長州に逃げた。しかも、それに懲りずに蛤御門の変にも参加して負傷し、悶々と過していたところを龍馬に拾われて亀山社中の設立に関わった。石田英吉は長岡健吉と共に、龍馬の片腕として動いている。
その英吉も他の隊員も、龍馬の元気な姿と傷の癒えた手を見て、涙を流さんばかりに喜んで、早速、鹿児島市内の小料理屋に繰り出して鹿児島焼酎で大いに士気を高め、龍馬の回復と亀山社中の発展を祝して騒いだ。ただ、お龍の姿はここにはない。お龍に対しては表面上は隊長夫人として接しても亀山社中の殆どの隊員が、お龍を龍馬の妾としか見ておらず快くも思っていなかった。お龍が龍馬の心を軟弱にし、本来の気質を変えていると見て、お龍を疫病神のように思っていた。お龍もその空気を敏感に感じているから無理に彼等に迎合しようともしない。お龍がいないときは龍馬も大いに騒いで羽目を外す。
ただ一同の気がかりは、ユニオン号の長崎出航の折に、綱で曳航してきた薩摩藩船ワイルウエフ号が、出航直後から吹き荒れた猛烈な暴風に耐え切れず、綱を離して自由航行に切り替えてから消息不明になっていることだった。操船責任者の亀山社中隊員・佐柳高次は、勝海舟らとともに咸臨丸でアメリカに渡った経験のある熟練者で、龍馬とは勝海舟門下の神戸海軍操練所以来行動を共にしている。
その翌日、望まぬ悲報が届いた。
薩摩藩船ワイルウエフ号は暴風雨の中、ユニオン号と離れて単独航海に切り替えた直後に五島列島沖で難破し、亀山社中の隊員、水夫ら合わせて十三人が死亡した、と生き残った佐柳高次からの知らせだった。この悲しい知らせに龍馬は失意のどん底に落ちたが、すぐ、亡くなった隊員のためにも頑張るしかないと心に誓って合掌し仲間の冥福を祈るのだった。
夜になって、龍馬は西郷邸を訪れた。
ワイルウエフ号の遭難を報告し謝意を述べると、「天災じゃ仕方なか。それより亡くなられた隊員とご家族がお気の毒です」、と二十両の見舞金を出されたが、龍馬は丁重に断った。その上で、ユニオン丸が長州藩からの依頼で、薩摩藩の名義を借りて船と武器を購入できたお礼として長州米五百俵を積んで来た、と告げると「それはいかん」と、西郷が手を振った。
「薩摩も米は喉から手が出るほど欲しかたい。ばってん、長州は幕府と闘うのに兵糧米が足らんはずでごわす。長州の気持だけは有り難くお受けもうしたと、桂どんには丁重にご好意を謝してお返し頂きたい」
「承知した。桂さんには薩摩の感謝と吉之助さんの思いを伝えますきに」
「かたじけない。そこで、坂本どんにお願いがありもす」
「なんじゃ。改まって?」
「第二次長州討伐に薩摩が主力で攻めよと幕府から命が下った。じゃどん、薩摩は長州との盟約により出兵できん。長州に加担するのも時期尚早、そこで、坂本どんに薩摩の代理で長州を援けて頂きたい。これは、おいどんからのお願いでごわす」
「薩摩に代わって何をするんじゃ?」
「桜島丸の大砲で幕府軍を打ち負かして頂く」
「ユニオン号で戦争か? 隊員と相談するじゃき即答は出来ん」
「では、ご返事お待ちましょう」
龍馬から相談を受けた亀山社中の隊員は全員一致で参戦に賛成した。なかには長州出身の隊員もいて、第一次長州征伐で幕府軍に兄弟を殺された者もいる。龍馬はあわてた。まさか、自分が幕府と実戦で戦うとは思ってもいなかったのだ。しかし、西郷との義理を考えると避けては通れない。その龍馬の迷いを読んだ石田英吉が、鹿児島焼酎の勢いを借りて言った。
「隊長が幕府の犬じゃなか、と言いよるものがおる。バカを言うな! と叱っといた」
長岡健吉が笑った。
「幕府と一戦交えて、そんな噂、吹き飛ばそうじゃないか」
「それは妙案! 幕府を叩き潰す、これはいい機会じゃ」
「幕府は、今回は会津軍が遠いじゃき薩摩藩を主力に戦おうとしちょるが見込み違いじゃったな」
「主役の薩摩が中立じゃ幕府も形なしじゃな。その上、将軍は未だに戦争には反対らしいし」
腕組みをして目を閉じていた龍馬が目を開いた。
「戦いには参加するが人は殺さん。砲術長は石田。船長は石田から菅野に代わる。いいな?」
龍馬の言葉に菅野覚兵衛が張り切った。
「長州には、我々がグラバーから薩摩藩の名義で購入して売り渡した最新式の新型銃がたっぷりとある。士気の上がらん幕府軍との差は歴然、負ける気遣いはない。わしがユニオン号を陸に近づけたら英吉は大砲を撃ちまくって幕軍を一方的に叩き潰せ!」
龍馬が決然として言った。
「石田には砲台潰しを命じる。いいか、人は絶対に殺してはいかんぞ」
こんな難しい注文はない。敵兵は砲台に張り付いて離れまい。それでも石田英吉は、「承知した」と言った。

太兵衛は、京や大坂に戻って一仕事をし、鹿児島で受けた小松家や吉井家その他に届ける反物や小間物を大量に背負い、あるいは薩摩藩お抱えの船便で送り、自分は大坂から薩摩藩の輸送船に便乗して鹿児島に戻って来た。遅い朝の鹿児島港にはいつも見慣れない船舶が数隻はあるが、この日はひと際立派な軍艦が停泊していた。聞くと、桜島丸という聞きなれない船名で、坂本龍馬とその仲間が乗り組んでいると言う。
「出航は?」と聞くと、港湾従業者の誰もが「知らん」と言い、よそ者の太兵衛に警戒の色を隠さない。
上陸してすぐ定宿の十島屋の二階の角部屋に荷物を置き、早速、西郷邸に土産物持参で奥方に頼まれた反物を届けて様子を聞くと、「主人は外出先を言わずに、夜にならないと帰らない」と言う。
それから、夕刻になって十島屋に戻ると、籐蔵が落ち着かない顔で太兵衛に告げた。
「薩摩藩切っての大物、西郷さまがお待ちです。お知り合いですか?」
「呉服のお客さんだ」
太兵衛が二階の部屋に入ると、着流しであぐらをかいた西郷が「やあ」と言って、手に持った椀の焼酎を一口飲んでから、太兵衛が座るのを待って前置き抜きに切りだした。
「明日の朝、桜島丸が出港するのは知っとるかね?」
「さっき聞きました」
「太兵衛どんには夜明け一番に、その船に乗って隠れて頂きたい」
「なぜです?」
「おいどんの知らぬ間に、対岸の浜の市から入った隼人の山中で、当藩切っての剣術使い七人が殺されたのでごわす。その者たちが帰宅しないと家族からの届け出があり、すぐ死体は発見されたが、おいどんには報告がなく、全く知らんことでごわした」
「そうですか?」
西郷が珍しく刺すような目で太兵衛を見た。
「それから二ヶ月ほど秘密裏に探索した結果、よそ者の仕業と断定されもした。死体の状況から逆算すると、坂本どんが温泉巡りに出かけた日の三月十七日ごろでごわす。しかも、傷口からみて相手の武器は、忍びが使うクナイじゃと立ち会った医者が断じたでごわす」
「それを何故わたしに?」
「疑わしいからでごわす。じゃが、逮捕後の折檻で余計なことを吐かれても迷惑千番」
「それで、坂本さんの船で秘密裏に国外追放と?」
「明日の朝から奉行所総出で宿改めでごわす。それまでに撤去願いたい。それと・・・」
「なんです?」
「薩摩は今回の第二次長州征伐は中立だが次は倒幕、太兵衛どんとは敵味方。これで絶交ですな」
「西郷さんには感謝し切れません。薩摩を出たら、早速、薩摩藩内で見聞きした通り、軍事訓練の方法まで細部に渉って将軍に早飛脚で知らせます。これで刀や槍や種子島の先込め銃が主力の幕府が戦いを放棄して話し合えば戦いは避けられます」
「それは出来んでしょう?。もう倒幕の火の手は藩内で燃え盛り始めていて止められんですたい」
西郷が立ち上がり、階段を先に下りながら振り向かずに言った。
「太兵衛どん。命を粗末にせんでな」
「西郷さんもお達者で」
十島屋の玄関前に立った太兵衛は、西郷の持つ提灯の灯が見えなくなるまで見送って頭を下げた。

 

2、再会

早朝、小舟を雇った太兵衛が、西郷の添え状持参でユニオン号に乗り込んだ。
甲板で仲間に囲まれていた龍馬が喜んで迎え、添え状を眺めて笑った。
「おぬしはわしの命の恩人じゃ。こんな紙切れ要らんぜよ」
隣にいたお龍も太兵衛を歓迎してから不思議そうに尋ねた。
「太兵衛さんは、いつ西郷さんと親しくなりました?」
「奥様が呉服の得意先なものでして」
「また一緒に旅が出来るな」
龍馬が、周囲にいた亀山社中の仲間に大声で太兵衛を紹介した。
「こん人は太兵衛さんちゅう呉服小間物の行商人じゃが、わしの命の恩人じゃ。よろしゅうな」
「どこで助けられたんじゃ?」
遠慮のない質問が出た。そこで太兵衛が答えた。
「坂本さんが水が欲しいと言いますので、竹筒の水を差し上げただけです」
「ま、その水で命が助かったんじゃ。分かったか英吉」
太兵衛は、これが海の男で知られる石田英吉か、と精悍な男の顔を見た。
龍馬が、仲間を太兵衛に紹介した。
「こっちから石田英吉、菅野権兵衛、柳原高次、長岡健吉ってとこだ」
「済みません。しばらくは、お名前を間違えてもお手討ちなどなしでお願いします」
菅野という男が笑った。
「ここは、お前呼ばわりされてもお手討ちなどありゃせんよ」
「話の続きじゃが・・・」
石田英吉が太兵衛を気にして龍馬を見た。
「太兵衛さんは身内じゃけん気にせんでいい。それで幕府がどうしたと?」
「幕府内では大久保一翁と勝先生が長州征伐に大反対で、将軍も同じゃが多数派に押し切られていやいや出馬した状態で、幕閣内の足並みの乱れは収拾がつかん様子じゃ」
「どこから出た噂じゃ?」
「幕艦の機関室で働いていたという男が、昨夜寄った小料理屋で、したり顔で話しておったんじゃ」
「信用できるのか?」
柳原が口を挟んだ。
「あちこちで同じような話が出とる。われわれと同じ勝先生の門下だちゅう連中まで次々に幕府に見切りをつけてるんじゃ。それに、当代切っての傑物の勝先生を蟄居させてるようじゃ、もう幕府は終わりじゃと」
そして決然と鋭い目で龍馬を見た。
「隊長、どうじゃ? 今こそ、勝塾仕込みの操船術で幕府を叩いてみんかね?」
「よかろう。将軍や勝先生の意見に反対する輩は許せん」
その場にいる全員が驚いた表情で龍馬を見つめ、石田英吉が詰問した。
「今、何て言うた? 隊長は敵の頭の将軍をかばうんかね?」
龍馬が決然として言った。
「わしは家茂さまと、世界を相手に交易して国に儲けさせると約束して任されたんじゃ」
「そんなの口約束じゃないですか?」
「男と男は口約束で充分。じゃが薩摩からも協力を頼まれて後には引けん。いずれ、今の幕府は倒さねばならんじゃき」
石田という男が太兵衛を見た。
「行商であちこち歩く太兵衛さんは、どんな噂を聞いとりますか?」
「わたしは全く戦とか政治には関心がありませんで・・・」
この様子だと、亀山社中はユニオン号を操って薩摩の代理として戦場に出るらしい。
太兵衛がその場を離れようとした。
「では、わたしは水夫としてお手伝いしましょう」
龍馬があわてて止めた。
「命の恩人に水夫は似合わん。個室も用意させるき、ここにいて、わしらの戦い振りを眺めとったらどうや」
「いえ、わたしは大部屋の棚ベッドが好きでして、ちょっと水夫頭に挨拶してきます」
「ここには十人もおらんからすぐ知り合いになれる。水夫頭は鬼瓦三吉というて、あの舳先で喚いてるざんばら髪の大男じゃ」
太兵衛が少ない荷物を担いだ行商姿のまま、舳先に向って歩いてゆくと三吉という男が振向かずに太兵衛に先に声を掛けて来た。
忍者喉だから、龍馬らには聞こえない。
「お頭、お久しぶり、鬼の三平です。変に思われますで普通でいいですかね?」
太兵衛も驚きを押し隠して「いいよ」と小声で言ってから、声をかけた。
「三吉さんですか? 水夫に雇われた太兵衛といいます。よろしく頼んます」
鬼瓦三吉と名乗る鬼の三平が振向いた。
「人手が足りなかったでよかった。その形じゃ働けねえな。半纏があるからこっちに来ねえ」
階段を下りて、船員室に入って扉を閉めた。
丁度、水夫達が車座になって丼飯を食べているところだった。
その一人が、太兵衛を見て驚いた声を出し、あわてて丼を落としたがこぼした飯は拾って食べた。
「お頭!」
「しっ。静かにしろ」
三平が部下の発言を抑えてから正座して頭を下げると、全員がそれに倣った。
「我々はお頭の動きを絶えず見守っていやしたが、ようやく潮時とみて迎えに参りました」
「どういう意味だ?」
「お頭が継いだ杉山一家を解散した後、我々も夫々正業には就いてみましたが、やはり世間の水には馴染めません。お互いに繋ぎをつけてこうして亀山社中の裏方に入り込み、坂本と関係の出来たお頭を待っていやした」
「それは嬉しいが有りがた迷惑だな。おれにはこの仕事が合ってるんだぞ」
「三平が後ろを振り向いた。
「この喜之助の話を聞いてくだせえ」
「喜之助か。苦労かけたな」
「お頭、将軍様はもういけません」
「どういうことだ?」
「石見(いわみ)銀山を少しづつ盛られていますので、あと余命いくばくもありませんぜ」
「見たのか?」
「半蔵門に伊賀の知り合いがいますので使いっ走りに雇ってもらい、時々天井に潜ってました」
「誰が黒幕だ?」
「そこまでは分かりませんが、ご老中とか松平とかの言葉が御典医と茶坊主の会話にありましたので、上からの指示であるのは間違いありません。将軍は今、大坂城ですが、そこでも盛られてます」
「今の老中は? 井上正直、稲葉正邦の再任、板倉勝静、松平康英・・・まさか?」
太兵衛が首を軽く振って悪夢を振り払い、喜之助を見た。
「済まねえが、急ぎ大坂に戻って将軍を見張ってくれねえか」
三平が喜んだ。
「お頭の指示が出た。これで元通りの杉山一家だぞ」
「あわてるな。もう盗人はおしめえだ。貧しくても正直に生きたくなったんだ」
「ようがすとも、これからは船から船に渡り歩いて世界の海を制覇するってえのはどうです?」
「好きにしろ。おれは陸の上がいいや」
「じゃ。海と陸、二つに分けての交流はどうです?」
「勝手にしやがれ」
三平が立ち上がった。
「さ、決まった。われわれはお頭がいてこそ生き甲斐があるのが分かったんだ。さあ、行くぞ!」
三平らが威勢良く階段を駆け上がった。着替えに残った太兵衛は気が重かった。
将軍家持が死んだ瞬間から、太兵衛は追われる身になる。重要な秘密を握った隠密は雇い主から消される運命なのだ。

 

3、二人の運命

慶応二年六月二日の朝、小松、西郷、吉井ら大勢の薩摩藩の人々の別れを惜しむ熱い視線に見守られて桜島丸は碇を揚げた。薩摩に代わって戦うという亀山社中への励ましの声が岸壁から届いて来る。それに応えて龍馬ら亀山社中の面々も大きく手を振って別れを惜しんでいた。お龍も声を張り上げて別れを惜しんでいる。お龍にとっては様々な想いの重なる鹿児島の旅だった。
桜島丸は五百俵という大量の米を積み込んだまま亀山社中の全員とお龍を乗せて大海に出た。
長州に寄って米を降ろした後は、多分、長州の軍艦となって戦場に向かうことになる。そうなるとお龍が足手まといになる。
船室に戻って二人になった時、龍馬がお龍に言った。
「わしらは長州まで行くが、おまはんは長崎の小曾根に預けるによって、わしの帰りを待ちや」
お龍が「死なないで」と、力なく囁いた。
「どうしたんや、いつものお龍らしくないな」
寂しそうな表情のお龍が龍馬の目を覗き込んで言った。、
「いつか、わたしを伏見の寺田屋に預けた年、近くの三栖神社の祭礼で老人の占い師に観てもらったの覚えてます?」
「わしは占いは好かん。あの爺い、自信有り気じゃったが、口から出任せを言いおって」
「話好きな老人でしたね。気に要らなければ無料、よかったら二人でニ朱・・・とんでもない料金でしたよ」
「払ったのか?」
「払いませんよ。二朱なんて法外な値をつけて、中身があれですもの」
「清水中洲とか名乗り、寛政二年生まれの七十歳、元は奥洲仙台藩士、大坂藩邸留守居役まで勤めた・・・二十歳の頃から真勢中洲に易を学び、師亡き後は、中井履軒先生に淵海子平を学んだ・・・まったく嘘八百を並べたもんだ」
「でも、その嘘をよく覚えましたね?」
一般的には路傍の占い師が道行く人に声を掛けて話が進むのだが、この場合は違った。
風格のある年老いた占い師画腕組みして瞑目する姿に感じて、龍馬から声を掛けたのだ。
ひとしきり世間話で身元も明かされ、「占うかね?」と言われて断ろうとしたら、お龍が乗ったのが悪かった。
そこで見料は二人で二朱、気に要らずば無料と言われ、ついその気になったのだ。
清水中州と名乗った老占い師はこう言った。
「おぬしには死に黒子がある。険難の相じゃな。名は龍馬? 天馬のように空を掛け巡るようにと親が名づけたのかね? いい名だが名前負けしとる。理想高く夢多し、飛龍として開花するも中途挫折の兆し有り。ま、一代の風雲児として名を残すな。
出生日は? 天保六年十一月十五日か? 三碧木星乙未(きのとひつじ)年、四緑木星戊子(つちのえね)月、生まれた日は庚子(かのえね)か。生年月日の干支の組合せからあらわれる命運星を読むと、生月生日ともに副運は{死}、運命の流れが一時的にもせよ停止することが推測されるな。さらに吉凶星の中に含まれる{身弱}の星二つが悲劇的結末を暗示してるな。生年の主運は「正財」、これは経済的に恵まれた家柄に生まれた、とある。幼くして身内との別離あり、文武両道の学び舎に入るが文は泣かず飛ばずで挫折の連続。じゃが{建禄}年は十三歳か? この年が新たな出発となり、将来の発展、隆盛につながる。剣を学びはじめてから頭角をあらわす運命じゃな。次の岐路が嘉永六年の十九歳じゃ。ペリー来航の年は生年の乙未と吉相性の癸未(みずのとひつじ)年、若き野望に胸ふくらませて激動の舞台を求めて旅立ったのか? ま、それが若さじゃからな。
さて、こちらの女子(おなご)は? はっきりしないけど天保十二年六月六日? ま、いいじゃろ、女はとかく年齢をごまかすもの。これでみると、生年は{六白金星辛未(かのとひつじ)}、生月は{九紫火星乙未(きのとひつじ)}、生日は{辛亥(かのとい}で、きわめて気が強く人に頭を下げることができない性格、口の災いも要注意、生年の主運は{比肩}自立運の他に命運星の{天哭}と合せると別離、不遇、親しき人との離散などをも有る。また生月の{九紫火星乙未}は派手好みで浪費癖あり、さらに命運星の{身旺}の重なりは気が強すぎて周囲との和を保つことが困難と出ておる。まあ、そう怒りなさるな。当たるも当たらぬも八卦でござる。
お二人の相性は、生年九星で男の{三碧木星}が女の{六白金星}に傷つけられて凶、生年干でも男の乙(きのと)の木の質が、女の辛(かのと)の金の質に傷つけられて凶、生年支では男の未と女の丑は反対側に位置する対冲の凶、さらに生年と生月を合せみた傾斜鑑法でも男の巽宮傾斜の木の質と女の坤宮傾斜の土の質は凶、運命のめぐり合せとはいえ、さほどに悪しき仲も珍しいな。ま、これは前置きじゃ。占いはこれからじゃが覚悟はいいか? 当たるも八卦、凶と出ても気になさるな」
と、筮竹(ぜいちく)に手を伸ばしたところを、龍馬が思いっきり折りたたみの台を蹴飛ばしたから、老人が占いの道具ごと床几から雑踏に転がって悲鳴を上げる。あわてて抱き起こしたお龍が言った。
「ここまで悪しざまに言われたら、いくら温厚な男でも怒りますよ」
「正直に言って恨まれるなら代金は要らん。とっとと失せなされ!」
怒りに肩を震わせて去る二人の背に、野次馬に囲まれた老占い師の罵声が飛んだ。
「おい男、二年後の一月「傷官」日に命狙われ「帝旺」の強運星に救われるが、三年後の「偏官の絶」はいかん。親しき身内の裏切りに要注意じゃぞ! 気を許してはいかん」
老占い師の語尾は、雑踏に紛れた二人の耳にはかすかにしか届いていない。
お龍には、そう聞えたような気がしている。だから気になったのだ。
「あんな老いぼれ占い師の、口から出任せを信じるのか?」
「でも、寺田屋の件は当たってましたよ」
「占いは丁半博打と一緒、半分当たったんやから、後の半分は外れじゃ」
「そうね。もう当たりっこないわね」
お龍は二度三度頷いて、自分を納得させてからため息をついた。

六月四日、ぐずるお龍と折り合いがつかないまま、桜島丸は長崎に入港した。
どこまでも同行するといって利かなかったお龍も、龍馬の並々ならぬ決意に押しきられた形で泣く泣く、隊員の小曾根英四郎の兄である豪商小曾根乾堂邸に向かうことになった。お龍は下船時の梯子を降りるときの着衣の裾の乱れを気にしてか、服装だけ伏見を脱出した折の男装に戻して半泣き状態で甲板に向かった。
亀山社中本部に立ち寄る隊員たち、小曾根乾堂の弟英四郎や龍馬に続いて通船に乗り移ったお龍に、龍馬が言った。
「乾堂さんは、書画、絵画、篆刻に優れた文人でな。多くの弟子や仲間が出入しちょる。お龍もここで何か習ったらどうじゃ」
お龍はそれには返事もせずに龍馬の目を見た。
「あんたが、ここに立ち寄ると必ず丸山に足が向くと聞いとります。今日だけはわたしと一緒にいてください」
「分かった。お龍の好きにすればいい」
龍馬は目を合わせずに投げやりに言った。
お龍の押しつけがましい態度に龍馬はそろそろ嫌気がさしている自分を感じていたのだ。薩長連合も成し遂げたし幕府の崩壊も見えてきた。交易や商売に熱を上げている自分が、なぜか金銭財宝などには欲がない。龍馬は顔には出さないが何となく沈んだ気持ちで亀山社中の隊員数名と小曾根英四郎同行で、伊良林亀山の高台にある豪商小曾根乾堂邸に向かって歩いていた。
亀山社中の本部はこの小曾根邸の別邸を借りている。龍馬を最初にグラバーに紹介したのは小曾根乾堂だった。乾堂は佐賀藩や越中藩の御用商人だったが、自分の出来ない闇の仕事を龍馬に任せたいとの思惑もあって、家屋や資金を提供して龍馬を長とするの亀山社中の設立を促している。龍馬より七歳年長のこ小太りで温厚な小曾根乾堂は、男装のお龍を見て驚いた様子だったが、すぐに温厚ないつもの顔に戻って快く龍馬の頼みを聞き入れ、お龍を本宅の庭を隔てた別邸に住まわせ、自分の特技でもある月琴でも習わせようと言った。
お龍もそれに賛成し「いつかお聴かせしますよ」と、ようやく笑顔を見せて龍馬に言った。
乾堂は三十歳の時、十四代将軍徳川家茂公に謁見して自筆の隷書を献じ、将軍自らの親書を下賜されているというもので、龍馬にも以前から「幕府はともかく、家茂様にだけは逆らわんで下さい」と言い続けている。この点でも龍馬とは気が合う。
龍馬は改めて長次郎の墓を、皓台寺から小曾根邸の墓地に移してきちんとした墓石を建て、供養も頼んで小曾根邸を辞した。
「送らんでいい」という龍馬の言葉を無視して、お龍は岸壁まで送る、と言い後を追った。
これで、一緒に下船した隊員を残して折角一人になり、丸山遊郭のお元に逢えると思っていた龍馬の目論見が外れた。
「達者でえ」と、岸壁から手を振るお龍を、龍馬は不機嫌な顔で睨みユニオン号に戻った。

 

4、参戦

佐柳高次のたっての願いで五島列島の薩摩藩船ワイルウエフ号の遭難地点に近い地に、遭難した十三人の仲間の碑を建てて供養し、下関に着いたのは六月十六日だった。この時、すでに幕府対長州の戦端は開かれていて開戦から七日立つが膠着状態で、勝敗は全く見えていないという。
この状況下では桂小五郎としても、長州の善意を受け取らなかった西郷をなじるどころではない。かといって、西郷の言葉通りに兵糧に使うのも沽券に関わる。龍馬が、その桂の困惑を見抜いた。
「そげに邪魔なら、亀山社中で引き取らせて頂くがどうじゃ?」
「よかろう」
龍馬は、とんでもない安値で米五百を買い取り、それを亀山社中の食料として長崎に運ぶことにした。
その日、戦場にいた高杉晋作が、龍馬がユニオン号で下関に帰港したとの報告を受けて戦場から急ぎ戻って来た。
「坂本さんとは、前から会いたかった」
二人は初対面だが縁は深い。高杉が松田という仲間と上海に行った折に購入した拳銃を龍馬に贈っている。
「おまはんから譲り受けたスミス&ウエッソンの短筒と、警護に付けてくれた三吉慎蔵がいなんだら、わしはとっくにあの世行きじゃった。高杉さんには感謝ばかりで、まっこと頭があがらんぜよ」
「なあに、こっちこそ坂本さんのお蔭で天敵の薩摩とも手打ちできた。その上、坂本さんの口利きでグラバーから鉄砲七千五百丁と軍艦というとてつもない武器を薩摩経由で調達してもろうて感謝感激しとる。いずれお礼をさせて頂きます」
「そいつは心配ないぜよ。亀山社中の取り分は充分頂いてるきに」
高杉晋作は龍馬より四歳下の天保十年に長門国萩城下に生まれ、漢学塾、藩校明倫館、松下村塾を経て文武両道の達人となり、江戸へ遊学して昌平坂学問所などで学んだ英才だった。今は自他共に認める長州藩切っての尊王倒幕志士の第一人者として活躍し、奇兵隊などの諸隊を創設し農民を組織して軍隊とし長州藩を倒幕一辺倒の強国に仕上げていた。
龍馬との共通点は、お互いに美女好みの点で、晋作の妻まさは防長一の美人と言われている。
「ところで、おぬしに頼みがある」
高杉が土下座せんばかりに頼んだ内容は、龍馬が想像した通り「すぐ参戦してくれ」との一言だった
長州藩は、薩摩藩と同様にかなり以前から海防に備えていたが、その殆どは大砲台場の建設など革に向けられ財政難もあって軍艦の保持には消極的だった。それが外国の四ヶ国連合艦隊の攻撃を受けて台場の砲台が根こそぎ壊されてからは、海軍局を設けて軍艦の強化に向かい、今は五隻ほどの艦船を有している。この乙丑丸もそのうちの一艦だった。
ただ、艦船は薩摩藩経由で手に入れても、今すぐには操船技術を持つ者が間に合わない、と高杉は言う。
「おまはんは?」
「わしは今、海軍総督で丙寅丸ことオテントサマ丸に乗って指揮をとっとるんじゃ」
「薩摩にも頼まれてるじゃき手伝ってもいいが、わしは殺生を好かん。大砲で敵の台場を全部破壊する。それでどうじゃ?」
「それで結構、おぬしの部下には砲術の名人で石田英吉とかいう医者の息子がいたな?」
「知っとったのか?」
「それに長岡健吉と菅野覚兵衛、この三人がおらんと、おぬしは仕事になるまい?」
「そん通りじゃ」
話が決まって、ユニオン号から桜島丸、さらに長州藩海軍局命名による軍艦乙丑(いっちゅう)丸は直ちに出陣となった。

六月十七日、黎明の海峡を龍馬の乗る乙丑丸は長州の軍艦庚申丸を従えて出陣した。
乙丑丸の船長を任された菅野覚兵衛が叫んだ。
「我々は門司をやるぞ!」
七十馬力で速力四ノット、小型で動きの早い小型軍艦だが備砲は六門、三十斤砲二門の威力も見逃せない。彼我の砲弾が飛び交う海上は、硝煙が濃霧になって視界が利かない。海峡のあちこちで水煙が上がっている。
戦いはすでに芸州口、大島口、石州口、小倉口に続々と集結した幕府征討軍と長州軍の戦いで一進一退の攻防が続いているらしい。聞くところによると、幕府征長軍のなかで主体になる部隊は、副総督の小笠原壱岐守の指揮する九州勢で小倉、久留米、肥後の各藩の精鋭部隊で、海上には富士山丸、翔鶴丸、順動丸などの大型軍艦が馬関海峡にかけて暴れている。
瀬戸内海に浮かぶ周防大島は幕府の手に落ちて占拠されていた。
総指揮官・高杉の丙寅丸が癸亥丸(きがいまる)、丙辰丸(へいしんまる)を従えて田の浦を攻撃していた。
太兵衛は、この戦いを複雑な思いで眺めていた。
三平らの集めた情報によると、将軍家茂は長州の攻撃の及ばない広島に陣を敷いていて、戦いに巻き込まれる心配はない。
高杉が乗る丙寅丸は英国製の鉄製蒸気型で三十馬力で全長約二十二間(約四十m)で、この戦いのために高杉がグラバーから四万両近い大金を払って購入したものと聞いている。豪快で変人とも言われる高杉は烏帽子姿で、戦場でも酒を呷りながら大声で指揮し、その声は海上を飛んで、砲弾の途切れた時には敵艦の将兵や陸地の敵兵の耳にも飛び込んで幕軍の戦意を削いだ。
田ノ浦方面での激しい砲撃戦も幕軍の砲台が壊滅して決着がついた。高杉は直ちに奇兵隊と呼ぶ陸戦部隊を小船に乗せて上陸させてゆく。高杉の率いる三艦はすぐ進路を変えて門司に突入し、乙丑丸が砲台を攻撃し終わったのを確認すると、ここにも陸戦隊を送り込む。
その上、幕軍側の小倉港に幕軍の軍艦の姿がなく輸送船一隻だけしかないのを見極めると、すかさず砲撃をしながら湾内に進入して、龍馬の乙丑丸が後に続くのを確認すると、軍艦備え付けの小船を海上に下ろすと次々に上陸を開始し、自分も烏帽子直垂姿で小船に乗り込み、自らも刀と拳銃で戦いながら水際での白兵戦から幕軍を圧倒して船舶に火を放ったりして勝ち進んで行く。
その様子が甲板に出た太兵衛の目にも見えた。
乙丑丸が陸地に接近すると、石田英吉の指揮で甲板に備えた三門の大砲が火を噴いた。
石田は次々に標的の砲台を破壊して行く。その着弾点は殆ど狙い通りで見事と言うほかに言葉がない。
やがて、敵塁を制覇し岸辺の船を焼き尽くして、高杉らが小船を走らせて軍艦丙寅丸に戻ると、乙丑丸との二艦は直ちに小倉湾を撤去して幕艦からの反撃を避けて下関港に戻った。

 

5、将軍家茂の死

旗艦の丙寅丸に集まっての夕食会はまるで祝勝会のように華やかだった。
乙丑丸からは亀山社中の菅野や石田などの他に龍馬の指名で太兵衛も参加し、丙寅丸、丙辰丸、癸亥丸、庚申丸からも艦長、操舵手、砲手などが集まって来て賑やかな宴になった。総指揮官の高杉は極めて上機嫌だった。
「今日までの戦局は一進一退だったが、今日で我らが勝利は不動のものになった。これも、坂本さんの部隊が門司、小倉の砲台を一つ残さず叩き潰してくれたからじゃ。砲手指揮方の石田殿の着弾点の正確さには頭が下がりました。これこの通り」
高杉が英吉に向って頭を下げたので、恥ずかしそうに英吉が言った。
「うちの隊長は佐久間象山塾から勝塾と大砲の大家に学んどりますで、私などの及ぶところではありません」
それから様々な意見が出た。
いつもは強力な軍艦で海上を制して我が者顔だった幕軍が、なぜ急に攻撃をしなくなったのか?
この疑問には高杉が応えた。
「急に、外国軍艦のユニオン号の表示をつけたままの乙丑丸が姿を表したから、外国艦隊が介入したと思って控えたのさ。いくら幕府がフランスを味方につけても、アメリカ、イギリス、ロシア、オランダなど外国の軍艦を敵にまわす元気はもうないのじゃ」
その言葉に龍馬が頷くのを太兵衛は横目で見て酒を飲んだ。久しぶりの酒が五臓六腑に沁みてゆく。だが、その味は苦かった。
太兵衛は思った。
勝海舟が海軍提督で戦ったていたら、この戦は圧倒的な海軍力を持つ幕府の勝ちだった。
勝海舟が激を飛ばせば、隊員の大半が海舟に師事する亀山社中も長州に与するわけにはいかず、少なくも中立だった。
その勝海舟は、幕府の表舞台から姿を消している。
幕府内では、アメリカなど欧米各国との条約勅許問題にも意見が分かれて紛糾を重ね、解決の道筋すらつけられずにいた。そのような状況だから太兵衛ら遠国御用の報告によって薩長の急接近を知りながらも幕府は何の手も打てなかったのだ。
それに対して、幕府に敵対して薩摩と会津の連合軍に敗れた長州は、表向きこそ恭順の姿勢を見せていたが、博多から大宰府に落ちていた公卿衆の後押しなどで倒幕の気運が高まりつつあった。そこに龍馬が薩摩との和睦を仲介するというのだから渡りに舟、紆余曲折の末に長州の桂小五郎と薩摩の大久保・西郷とによって薩長連合が成立していたから士気が上がっている。
将軍家茂と老中間でも意思統一にいたらず、ますます幕内の混乱は深まるばかり、そんな背景の中での長州討伐で、幕軍はとんだ弱点をさらけ出してしまった。
その後も、圧倒的な長州の近代兵器と高杉の鬼神のごとき働きによって幕軍は劣勢を強いられていた。
太兵衛はすでに、龍馬の目指す方向を見抜いていた。
龍馬の考えを推察するとこうなる。
幕府の開明派の大物が三人いる。第二次長州討伐に断固反対し、討伐隊の解体を主張して蟄居させられた前越前藩主・松平春獄(慶永)、早くから徳川幕府解体による大政奉還を進言して蟄居さえられた前福井藩主・大久保一翁(忠寛)、龍馬と同じ公武合体を主張する勝海舟、これら三人がまず意見を一つにして薩摩や長州と話し合えば、まだまだ本格的な戦争は避けられる。
龍馬は明らかに、薩摩と長州とを和解させた今、幕府との和解の橋渡しが出きるのは龍馬しかいない。龍馬は当然ながらそれを念頭に人れて、乙丑丸を率いているはずだ。
ただ、その夢を実現させるためには、この長州との戦いで、もう幕府は薩長と戦って勝つ力がないことを悟らせねばならない。幕藩体制が弱体した今こそ幕府と長州との和解の好機なのだ。だが、この龍馬の考えを薩長が知った時、龍馬の命はない。薩長にとってもっとも邪魔なのが龍馬になるからだ。
そんな中、下関港に戻った乙丑丸に深夜、一隻の小舟が近づきカモメの鳴き声がした。
甲板の夜警を手伝っていた杉山一家の鎌吉という男が、一声啼いてから忍者用の瘤付き縄を垂らすと喜之助が上がって来た。
「鎌吉、済まねえな。大事な話だ、お頭と一緒におめえも話を聞きな」
水夫部屋に走る喜之助を追って鎌吉も走った。
「将軍さまがお亡くなりになりやした」
これが太兵衛の周囲に集まった仲間の前で放った喜之助の第一声だった。
「いつだ?」
「七月二十日の朝、胸を掻きむしるように苦しんでお亡くなりになりました」
喜之助の話では、江戸から従った伊藤貫斎など奥医師四人、朝廷からは典楽頭の福井豊後、さらに大奥から和宮の奥医師二人、その上、長崎からオランダの軍医ボートウインを呼ぶという念の入れようだったという。
太兵衛が言った。
「いいか。これは誰にも言うな。幕府はすぐ撤退するが将軍の死は一ヶ月は伏せられる。その先は戦争だ」
「じゃ。われわれの仕事は忙しくなりますね?」
「各藩が腕利きの間諜を求めてくる。われわれは西と東に分かれて情報を流す。その割り振りは三平に任すぞ」
「合点です。この亀山社中には?」
「ここは要らん。ここは坂本さんを失ったら寄せ集めの集団だ。長いことはあるまい」
「分かりやした。敵味方に半分づつ分けて情報はお頭に集めます。それでどうです?」
「少し待ってくれ。将軍が亡くなった以上裏御用は幕府にとって不要、おれは自分の生き方を考えてから決める」
太兵衛に迷いがあった。このまま龍馬を見捨てたら、誰が薩長と幕府の戦争を防いで国中を火の海から救えるのか?
太兵衛が三平に頭を下げた。
「おれは坂本さんを守る。三平に仕切りを任せるが、やってくれるか?」
「ようがす。お頭が我々の上にいてくれるだけで安心です」
「有難い、これでおれも坂本さんに張り付くだけで済む」
太兵衛が安堵の表情で、何度も死線を共にした一騎当千の部下を見回した。だが、腹の中では違うことを考えていた。
将軍を殺した元凶を探り出して仇を討つ。これが家茂の遠国御用を勤めた男の意地だ。相手の見当はついている。