第六章 薩長の密約

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1、早朝の海

夜明けの太陽を見たいというお龍に誘われ、龍馬も舳先に出て日の出を見た。雲一つない東の空と海の境界線が徐々に明るさを増しているが、まだ黄金の輝きが浮かび出ただけで太陽の姿はない。
潮風に髪をなびかせたお龍が、背後から身を寄せて龍馬に甘えた。髪や体から匂うお龍の香りが龍馬の鼻腔を仄かにくすぐり、なまめかしい体のぬくもりが背に伝わって来る。龍馬の頬に触れんばかりに口を寄せてお龍が囁いた。これなら二人の会話は誰にも聞かれない。目線を下に落とすと軍艦三邦丸の先端がまだ薄暗い海面を豪快に裂いている。
三本マストの百十馬力の鉄製蒸気スクリュー船三邦丸は、船長約三十間で四百十トン、悠々たる雄姿で白波を左右に蹴立てて快走していた。幕府への届け出は輸送船だが海賊対策にと称して武装していて三邦丸はいつでも戦える。これは明らかに薩摩の軍艦だった。
「今日は下関に着くのね?」
「慎蔵どのともここまでじゃ」
「寂しくなりますね?」
「死活を共にした仲じゃきに仕方ないさ」
「わたしたちは、これから鹿児島まで行って、それからどうなりますの?」
「成るようになるさ。温泉で養生して大いに英気を養ってくるだけじゃ」
「帰れますか?」
「どういう意味じゃ」
「西郷さんは、龍馬さんの動きを封じるために鹿児島に誘ったのでしょ?」
「そんな邪推はせんでいい。わしも薩摩入りは望むところじゃきにな」
「なにを目的に?」
龍馬は口を閉ざして遠い海原を眺めた。ここから先はお龍にも言うべきではない。
「でも、聞かせてください。夫婦で水くさいと思いませんか?」
「じゃ言うが、倒幕の旗頭になる薩摩の武力がどれほどのものか、この目で見ておきたいのじゃ」
「それによっては龍馬さんの立場も変わるの?」
「わしは変わらん。同じ国の人間が大勢で殺しあうのを防ぐだけじゃ」
「そんな考えの龍馬さんを、西郷さんは邪魔だと思わないのかしら?」
「わしは邪魔にはされん」
「なぜ?」
「薩摩は孤立しちょる」
「でも、あなたが長州と手を結ぶように仕組んだでしょ?」
「長州の桂が、貧弱な武力で暴走するのを防ぐには、あれしかなかった」
「桂さんは、長州藩だけで幕府に歯向かうつもりなの?」
「そうだ。武器も戦力もないまま幕府憎しだけで戦う・・・桂ならやりかねん」
「それで、倒幕の準備をしている薩摩と結びつけたのね?」
「じゃが、薩摩と長州は天敵同士、わしがおらんといつ仲間割れするか分からん」
「それで龍馬さんを必要と?」
「そうじゃ。わしを人質にとっておきたいのじゃ」
「人質に?」
お龍が驚いて目を剥いた。意外な展開になっている。
「薩摩は長州との仲介役にわしを利用した。こんどは土佐との仲立ちが必要なのじゃ」
「龍馬さんは、なぜ薩摩にそこまで尽くすの?」
「わしも薩摩を利用する。薩摩が動かなければ国は変わらん。わしはこの国のために働くんじゃ」
「倒幕ってことね?」
「倒幕は考えちょるが、将軍は救わねばならん。将軍の命もそう長くは持たん」
「なぜです?」
「将軍は幕艦の中で勝先生の講釈を聞いて納得した生粋の開国派じゃきに、頭の古い老中達とは意見が合わんのだ」
「でも、将軍なら独断で決めることも出来るでしょ?」
「そんなことしたら暗殺されるに決まっとるさ」
「将軍がですか?」
「もはや、将軍だからといって絶対的な権威などあらんのじゃ。哀れなものさ。それに・・・」
「なに?」
「将軍は病弱じゃきに激務には耐えられん。紀州に帰って養生させて上げるのが一番じゃ」
「同情してるの?」
「以前、勝先生の助手で軍艦に乗っておった頃、家茂さまと約束したことがある」
「将軍さまと?」
「わしが外国との貿易で国に大儲けさせちゃると言うたら、将軍が「任せる」と言われた。家茂さまがじゃぞ」
「畏れ多いことですね」
「畏れ多くはないが男と男の約束じゃ。絶対に守らにゃならん」
「あなたは将軍さまがお好きなのですね?」
「好き嫌いの問題じゃない。これは信義というものじゃ」
龍馬は暗い目を海に向けた。
「それにしても薩摩の戦争好きには困ったものよ」
「どうしても戦争するのね?」
「吉之助さんは、幕府の軍艦奉行じゃった勝先生の穏健論に賛同して、武闘派の大久保一蔵らと対立した。アメリカでは各地の代表が中央に集まって議会を開く共和政治ちゅうもので争いも収めるちゅうのを吉之助さんは勝先生から聞いていて、それまでの武力一辺倒の考えを改め、長州藩と禁門の変の手打ちの策をとったんじゃ」
「それで戦争は収まったのね?」
「その結果、長州は壊滅的な敗北から救われた。責任を取って家老の切腹や、禁門の変の策謀者だった三条実美卿らを他藩預かりに加えて、長州藩の主城である山口城の破却などの条件で和解し、西郷は幕軍の長州総攻撃を中止させたのじゃ」
「城下の人々は家も焼かれず殺されずってわけですね?」
「そうだ。このように寛大になれたのも勝先生のお陰じゃと、吉之助さんは言うちょった」
「よかったですね」
「じゃが、大久保や大山など薩摩の戦争気狂いには通じんのじゃ。薩長和解の密約ができてからは、薩摩も長州もその矛先を幕府に向けて牙を研いでおるから始末に負えん」
「でも、幕府の長州征伐はまだあるんでしょ?」
「あっても今度薩摩が抜けたら、他の藩はどこも長州との戦争に消極的だから喧嘩にもならん。幕府は長州にも敵わんぞ」
「幕府が長州に負けたらどうなるの?」
「倒幕の機運が高まり、西の大軍は往路の各藩を攻め落とし江戸を火の海にし一気に奥州までも席捲して殺戮を続けるじのは間違いない」
「そうなると将軍さまも討ち死にか切腹ですね?」
「幕府は倒さねば新しい国づくりは出来んが、家茂さまは何としてもお救いせにゃならん」
「秘策はありますの?」
「幕府の要職にある大久保一翁さまという方はとうの昔から、天皇と公卿衆に国の政治を任せて徳川家が一大名に戻るのがいい、と将軍に進言して諸大名から袋叩きに遇っているが、これが正論じゃ」
「あなたも、そう思っているのね?」
「勝さまも、こう言うちょるから間違いない」
「あなたは、勝さんの言うことなら何でも認めるの?」
「わしにとって勝さんは親より大切な師匠じゃきに右向けと言われたら左には向けん」
「でも戦争のない無血革命なんて夢みたいなものでしょ。できるの?」
「できるさ。いや、絶対にやらねばならん」
龍馬は顔を紅潮させ、昂然と胸を張って真正面からの冷たくて強い海風を受けていた。

 

2、龍馬の願い

三邦丸が瀬戸内の海域に入ると波が穏やかになって揺れが収まり、三本マストの帆が北風を孕んで一気に船足が速まった。とくに陸地に接近してからの三邦丸は、大海原での遅々とした鈍重な姿とは打って変わって敏捷に西に向かって走り抜け、背後に遠ざかって行く陸地を見るだけで驚くほど速いのがよく分かった。
早柄(はやとも)の瀬戸から壇ノ浦で最も狭い門司側から陸地が飛び出した潮見鼻が見えた時、龍馬が右手の陸地を指差してお龍に言った。
「あそこの前田ちゅうところに青銅製の大砲が二十門もあって、狭い関門海峡に睨みを利かしてたんじゃ」
「どこにあるの?」
「二年前の米英仏露四ケ国の艦隊との砲撃戦の末に敗れて占拠され、砲台は取り壊されてしもうた」
「やはり、外国には敵わないのね」
「いや、これからの海外交易で軍備を整え、列強を差し置いてどこにも負けぬ国を築くんじゃ」
龍馬が真顔になってお龍の顔を覗き込んだ。
「お龍・・・」
「なによ、改まって」
「わしに万が一のことがあったらじゃが」
「やめてください。縁起でもない」
「だから、万が一って言うとるじゃろ」
「嫌なこと考えないでください」
「わしの身にもしものことがあったら、慎蔵どのを頼ってくれ」
「今日のあなたは変ですよ。でも、なんで三吉さんなの?」
「慎蔵どのは小坂、田辺、三吉家など養子のたらい回しにされた苦労人ぞ。藩校だけでなく萩の明倫館にも学んだ英才じゃ。とくに宝蔵院流槍術では右に出るものがない名手という文武両道の達人でな、わしは命を預けるだけでなく私事全般について相談に乗ってもらっているんじゃ」
「あなたは、寺田屋の事件以来、ずいぶん弱気になりましたね?」
「わしは幕府側からも薩長や土佐の過激派からも狙われておるで、いつどうなるか分からん」
「なぜ、薩長からも狙われるの。お味方でしょ?」
「わしは勝先生の言う通り、幕府が政治の主役を朝廷に返して一大名に戻ればいい。国中を二つに割っての殺し合いなど愚の骨頂だと思うちょるでな。じゃが、薩長や土佐にはそれを快く思わん輩がいるから困るのじゃ」
「あなたでも説得できないの?」
「わしの親友の中岡でさえ薩摩藩の過激派の大久保と通じて、豊富な火薬と圧倒的な武力で江戸を火の海にし、幕軍や反抗する町民を一人残らず殺戮して幕府の息の根を止める気になっちょる」
「中岡さんも?」
「もう誰もわしの意見に耳を貸さなくなっちょる」
「西郷さんは?」
「吉之助さんも一時は勝先生の大政奉還論に傾いたが、それでは生ぬるいちゅうて最近は武闘派に傾いとるらしい。ただ、あん人の腹は読めん。めったに本音を吐かん男じゃきにな」
「土佐藩の方々は?」
「これが難しいのじゃ」
「なぜ?」
「海千山千の山内容堂公も西郷に似て自分の意見をよう言わん。じゃから藩内の意見も割れちょる」
「薩摩と長州だけで幕府を倒せるの?」
「吉之助さんは、中岡の倒幕に対する強烈な意欲に感じて土佐も倒幕軍に合流させようとしちょるが、そうはならん」
「なぜですか?」
「容堂公は、島津や毛利の後塵を浴びるなど絶対にあり得んからじゃ」
晴れ渡った夜明けの空に太陽の暖かい陽光がを現すと、思わず龍馬とお龍は手を合わせた。なにを祈るでもない、ただ太陽の輝きの尊厳さに圧倒されて拝まずにはいられなかったのだ。その二人の後ろ姿を、帆柱の陰にいた太兵衛が哀れみの目で見つめ、視線を夜明けの空に舞う海鳥に移してから足音を忍ばせて立ち去った。そろそろ水夫としての仕事があるからだ。

潮の渦巻く鳴門海峡を越えて、本州の西端に位置する馬関の港に近づくと「帆を下ろせえ!」の声と同時に船員がいっせいに帆綱にとり付いて風をいっぱいに受けて膨らんでいる大小の帆を巻き下ろした。太兵衛も懸命に力仕事をしながら湾内を眺めた。
湾内は活気に溢れており無数の小舟が往来していた。
夕刻になって薩摩の軍艦三邦丸が穏やかな馬関湾に到着した。ここで軍艦に備え付けの小舟を下ろして三吉慎蔵を陸に運ぶ。
船がゆっくりと湾に入って碇を下ろすと、丸に十の字の薩摩の旗印を見てか、港のあちこちから発進した手漕ぎの小舟がいっせいに三邦丸に向かって寄って来るのが見えた。
「攻めて来るぞ!」
「戦闘準備!」
誰が叫んだのか、武器を手に薩摩藩士が甲板に集結して戦いに備えたが、どうやら様子は違うようだった。
小舟の多くは、野菜や米味噌の類や魚などを扱う農民漁民や商人などが夫々が何やら叫んでいる。
「新鮮な野菜はいらんかね!」
「下関の地酒を運んで来たぞう!」
「獲りたての魚はどうやね」
これで鶏や野菜や魚介類などを買い叩いて購入すれば、陸に上がらなくても済む。
船上の誰もが息抜きは「長崎で」と思っているだけに出帆は速いほどいい。
やがて、停泊した船舶の乗員を陸に運ぶための通船が桟橋を出て三邦丸に接近し、船役人らしき武士が下から見上げて叫んだ。
「薩摩藩御船役頭の藤尾六兵衛でござる。薩摩藩の方々ご苦労様でござった。三吉慎蔵どのはおられるか?」
「おう!」
三吉慎蔵が三邦丸上の手摺から身を乗り出して手を振ると、藤尾という役人が応じた。
「三吉どの、お迎えでござる」
長州藩からの差し入れで酒樽や新鮮な野菜や魚介類の食料が運び込まれた。これだけを見ても長州藩内にはすでに薩摩との和睦が好意的に受け止められている様子が読み取れる。この同盟で薩長両藩の討幕の意慾が大いに盛り上がっているのがよく分かる。
この危険な空気をどう将軍家茂に報告すべきか、太兵衛は暗然として考えを巡らしていた。

3、長崎へ

西郷が愛用の扇子を「季節外れじゃが」と断って、惜別の挨拶に添えて慎蔵に手渡して別れを惜しんでいる。
「有難く頂戴する。次はお味方として戦場でお会いしましょう」
「長州とは過去を水に流して今や友藩でごわす。三吉どんがそれを強めてくれもうした」
船上で痛い思いをさせられた薩摩藩士の面々も、今は慎蔵を尊敬の目で見ていて惜別の念で夫々挨拶を交わしている。
慎蔵は少し離れた位置にいた太兵衛を見つけ、おだやかな表情で頭を下げた。その目は明らかに太兵衛に敬愛の情を込めている。太兵衛もまた三吉慎蔵の人柄を認めて深々と頭を下げた。
龍馬は笑顔、お龍は涙顔で慎蔵との別れを惜しんでいる。
「お龍とこうして旅に出られたのも慎蔵どののお陰、感謝するばかりじゃ」
「なあに、我らはお龍さんの機転に救われただけじゃ」
「あたしなど何も。やはり、三吉さまの槍の凄さがあればこそ龍馬さんは助かったのです」
「お二人には、末永く幸せであって欲しいと思うちょります」
「おぬしこそ死ぬなや。せっかく寺田屋で助かった命だ。わしも怪我が治ったら長州に駆けつけるきにな」
「お待ちしてますぞ。そのためにも命を永らえて頂かねば」
「心配せんでいい。高杉から貰った銃は失せたが吉之助さんから貰った六連発があるじゃきに」
お龍が心配そうに口を挟んだ。
「でも、銃だけじゃ心もとないのは寺田屋で実感したでしょ?」
「全くその通りじゃ。剣にはとんと自信がないきに、つい単筒に頼ってしまうでな」
「もう槍や剣の時代じゃないです。坂本さんには面白いことをいろいろと体験させて頂きました。この旅は生涯忘れられません」
「それを言われると一言もない。慎蔵さんがいなければきゃ今頃は地獄で閻魔さまとご対面じゃ」
お龍が頷いた。
「その通りです、三吉さんには感謝ですね?」
「なにを言われる、いち早く危機を知らせてくれたお龍さんは、拙者にとっても命の恩人です」
「そんなこと・・・」
「お龍さんの度胸には驚きました」
「嫌ですわ。はしたない姿で、今となっては恥じ入るばかりです」
龍馬が三吉慎蔵に頭を下げた。
「お龍にも話してあるじゃき、いざというときはお龍をお頼みもうす」
「そこまで信頼してくださるのか? お龍さんのお気持ちは?」
「万が一なんてないと信じますが、そんな時があったらよろしうお願いします」
「ならば縁起の悪いことは考えたくないが、万が一の時は引き受けますのでご安堵を」
「かたじけない。これで心置きなくお国のために働けます」
お龍が龍馬に告げた。
「あなたに凶事があったら、あたしも生きてません」
「慎蔵どのがなんとか考えてくれるで心配はいらん」
「でも・・・」
「ご心配されますな。坂本さんはそう簡単にくたばらんですよ」
慎蔵が明るくお龍を励まし、思い切りよく綱梯子に足を掛けて下に待つ通船に降りて行く。
龍馬とお龍、西郷や薩摩藩の武士や水夫までもが、手漕ぎの小舟が小さくなるまで手を振って見送った。
太兵衛は、龍馬とお龍のやりとりを見聞きし、二人が心の動きを隠さないことに感動し、羨ましくさえ感じていた。
しかし、三吉慎蔵は明らかに龍馬の命脈が尽きかけているのを感じている。それを知った上での龍馬と慎蔵の会話だっただけに、龍馬に万が一のことがあった時のお龍の気持ちを感じると気が重かった。
それにしても、わずか数カ月の間に、太兵衛を取り巻く環境は目まぐるしく変わっていた。
時代は明らかに変革を求め幕府の崩壊を願い、この薩長連合が徳川の治世の終焉の鐘を鳴らし始めた・・・太兵衛はそれをしみじみと感じていた。
(この国はもう戻れない)
太兵衛はおのれの行く末も見えて来たような気がした。
薩長連合の倒幕への目的意慾の強さと近代兵器で武装して充分に訓練して得た自信は、太兵衛が京都や伏見の薩摩屋敷や大坂や伏見の志士宿で密かに見聞きした以上に確かなものになりつつある。
ましてや武士の名にこだわり銃砲を卑怯者の武器と蔑み、刀と槍を主体に戦おうとする東国各藩の不利は目に見えているのだ。
銃にしても東国各藩は旧態依然とした先込め式の種子島型火縄銃が主だから、薩長の持つ外国製の近代式鉄砲とでは弾道の正確さや飛距離、貫通力がまるで違う。戦えば殺傷力の差が出て幕軍は戦場いっぱいに死体の山を築くだろう。それが読めるだけに薩長と戦っての結果は太兵衛の脳裏にもはっきりと見えていた。
どうすれば、この強力な薩長の軍勢と戦って勝てるのか?
海戦であれば優秀な鉄製大型軍艦を保有する幕軍に利ありといえども、所詮は各藩の寄せ集めに過ぎない。戦闘意欲の差は歴然としているし陸上の戦いとなると火器も弾薬の量も薩長には敵わない。 いくら幕府側に立って緻密に策を練ってみても太兵衛の頭に良案は浮かばなかった。
薩長に土佐を加えてもたった三藩、その他の全国二百七十二藩の大名の大軍が幕府側として戦えば衆寡敵せず量が質を制しての勝機もある。しかし、九州各藩が薩摩に席巻され、四国が土佐になびき、その軍勢が長州の軍勢と併せた討幕の炎が芸州、伊勢、近畿から岐阜、親藩の尾張をも飲み込んで燃え盛って東海に迫ったとき、近代兵器で武装した百姓町民を鍛え抜いた薩長の兵の火力と、竹刀での道場剣術で強弱を争って来た刀や槍に旧式の種子島銃で装備した幕軍でどこまで戦えるのか?
その力の拮抗が敗れたとき幕軍は雪崩を打って敗走し、虐げられ鬱屈した歴史から開放され、勝ち誇って正気を失い血に狂った百姓町人の討幕軍は、街道筋や江戸の街を火の海にして人々を殺戮し強奪して暴虐の限りを尽くすことも考えられる。そこから何が新しく生まれ変わるのか? それも太兵衛には予測できない。
太兵衛が断片的に西郷らから得た情報では、薩摩と長州の和解にもかなりの難関があったらしい。会談の主役は薩摩の大久保利通と長州の桂小五郎だが、薩長それぞれの過去の憎悪と意地の衝突で二人は激しく口論し会談はかなり難航した。それも、薩長の仲立ちに立った龍馬の国を思う熱い心と、その意を汲んだ西郷吉之助の胆力が薩長の遺恨を収めさせ、大久保と桂の歩み寄りによって和解に至ったと聞く。

 

4、薩長の取り決め

この三邦丸に乗る前に太兵衛が知り得た薩長の取り決めの内容は次のようなものであった。
一、いざ幕府との戦いが始まりし折は、両藩とも直ちに二千以上の兵を派遣し京都駐屯の兵と合流し、大坂に千人程置いて、後の戦力で京都大坂への拠点を固めること。
一、戦いが勝利に終わったときは速やかに朝廷に、薩長をはじめとする諸藩の尽力による成果であることを報告する。
一、万が一に戦いに敗れし時は、一年内には再度の連合協力によって再起し目的を果たすこと。
一、幕兵が勝ちて東帰せしときは、朝廷に申あげて冤罪を晴らし再度両藩協力して討幕軍を編成すること。
一、兵士の士気をあげるために、勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義の旗印を表に掲げて戦う。
一、薩摩長州の双方とも誠心を以って皇国のために粉心尽力すること。

太兵衛は三邦丸に乗船する前に、この極秘情報をしたためた将軍あての密書を早飛脚に託して松平康英あてに送った。これらの六カ条に合意したことで薩摩と長州は正式に軍事同盟を結んだ。これで薩長から見れば龍馬の役割は済み、一転して武闘派からみて大政奉還による無血和平論を主張する龍馬は邪魔でしかなくなった。案の定、薩長連合がまとまった夜、祝い酒に酔った龍馬が寺田屋で捕吏に囲まれて命を落すところだった。それが、若い娘の嫉妬から出た密告からであったにしても幕府の役人を二人も単筒で撃ち殺したのは龍馬にとっても大きな誤算だったに違いない。
太兵衛は、ここから先の龍馬が幕府や各藩が放つ刺客に狙われ、坂道を転がるように地獄道に落ちてゆくのを感じていた。
だが、船上の龍馬はあくまでも陽気で、西郷から譲り受けた単筒の試し撃ちで薩摩藩士やお龍を相手に技を競っている。その天衣無縫な屈託のなさに太兵衛は安堵する前に呆れるほかなかった。
太兵衛も海風が好きだった。
ここでの太兵衛は小間物屋でも呉服商でもない。色浅黒く筋肉隆々とした体をあたえられた軍艦三邦丸のれっきとした水夫に成り切っていて、ごく自然に薩摩の武士や水夫と薩摩弁で打ち解けて語り合っている。責任者の西郷がどう出るかはわからないが、太兵衛はこのまま呉服小間物商としての薩摩藩鑑札手形を使わずに、臨時雇いの水夫として鹿児島入りできるかどうか試す気になっていた。
商人髷を崩して髭も伸ばし、水夫風に束ねた髪を海風になびかせながら作業をしていると、海鳥になって大海原の空を自由に舞う自分を想像することが出来た。下関港で水や食料を充分に購入した三邦丸は、巌流島を右に見て小倉から博多と九州各地の港を眺めながら、長崎の港に向かって海上をひた走っていた。
下関を出立してからの三邦丸上の薩摩藩士は、張り詰めた空気の中で実戦の訓練を始めている。 海上に大きな板づくりの箱を投げ込み、航路を戻すように回転させて距離を測り、軍事参謀西郷吉之助の命令一下、甲板に据えた移動式二十ポンド砲らしき四門の大筒がいっせいに砲門を開いて火を噴き海上の空気を裂いて、はるか彼方の海面に浮いた木箱の周辺に大きな飛沫を上げて炸裂した。
「二間手前に狙いを修正!」
何度目かの着弾で木箱が木っ端微塵に吹き飛ぶと艦上の薩摩藩士が歓声を上げて喜び、難しい西郷の表情も少し緩んだ。
西郷が振り向いて龍馬を見た。
「坂本どんは佐久間象山塾で砲術を学んだでごわしたな。撃ってみますかな?」
「遠慮します。わしは大筒などに何の知識もありません」
龍馬が微笑み大砲に歩み寄り、鉄製の砲身を撫でながら西郷に言った。
「幕府の大艦隊の殆どの戦艦が木製なのに比べて、薩摩は安行丸を始めとして十を超える艦船が鉄製じゃき日本一の海軍力に間違いなかです。幕艦に積載した大筒はまだ青銅製の前装砲じゃというに、薩摩は大筒まで鉄の加農砲、これなら幕府の大型艦船とて恐れるには足らんですな」
甲板掃除に汗を流す太兵衛は、龍馬の声に耳を傾けながら頭の中で彼我の軍事力を測っていた。
薩摩の艦船は確かに購入した鉄艦が多い。雲行丸など国産の木製蒸気外輪艦もあるが、輸送船仕立て仮装艦の翔鳳丸などは木製と称して鉄の骨組みで頑丈に作られた軍艦であるのは間違いない。だが、安行丸、永平丸、開聞丸、青鷹丸、天佑丸などの主力艦隊の殆どはイギリス製などの頑丈な鉄製軍艦だった。これだけでも幕府にとっては脅威になる。それを龍馬は熟知しているのだ。
太兵衛は横目で龍馬を見た。
龍馬ほど大砲に詳しい男はいない。
港湾補強と品川警備の臨時御用で江戸に出た坂本龍馬は、勝海舟の義兄弟でもある砲術家で著名な佐久間象山塾に入門した。そこで、短期間ながら砲術を修行し、土佐に戻っても土佐藩で砲術を指導した徳弘孝蔵門下で十年近くも学んで奥義を受け、八町(約八百七十メートル)離れた距離の小さな目標を砲弾の重さや仰角を計算し、導火線に火を点けて目的に着弾するまでの数さえ正確に数えて百発百中に近い実績を残している。もしかすると龍馬は愚鈍ではなく愚鈍の振りをした秀才なのかも知れない。
現にその腕が見込まれて海軍操練所の助手になっている。勝海舟が龍馬を抜擢したのだ。
太兵衛の知る限りはこの砲術免許は、江戸の千葉定吉道場で頂いた娘達の裏書の並んだ怪しげな長刀免許と違って、本物に間違いなかった。だからこそ、龍馬が大砲を小型にした短筒に命を託す気持ちになれるのかも知れない。
その龍馬が大筒など何の興味もないと言う。
全く人を食った男だが、西郷も似たような者だから五分五分で何の問題もない。
太兵衛は、坂本龍馬と言う男を見守るように将軍に言われてからというもの、その生い立ちから脱藩の動機まで調べたが、調べれば調べるほど頭がおかしくなってくる。
どうも坂本龍馬と西郷、この二人だけは図り知れないのだ。

 

5、生き方を変えた日

勤皇攘夷から大政奉還による開国への近道としての心理的な変化までを追っていて、龍馬の得手不得手までも、太兵衛は憶測することが出来るようになっていた。
老中松平康英の命で太兵衛が密かに会った勝海舟は、龍馬を称してこう言った。
「あいつは下手を表に上手を裏に隠して、おれの夢を叶えてくれる」
それが何を意味するかは語らなかったが、海舟の気になる一言が頭に残っている。
「やつは天下をひっくり返しても必ず約束を守る男だ」
この信頼の深さと言葉の意味を考えると、何やら辻褄が合って来る。
龍馬はまさしく勝海舟の開国思想に沿って行動しているのだ。
そう思うと、太兵衛にも龍馬が「上手を隠す」という意味が見えてくる。
世の中には人に言えない秘密を持つ者も少なくはない。
将軍徳川家茂直属の遠国御用を勤める杉山太兵衛もその一人だった。
太兵衛は、自分の悪しき過去は一生口に蓋して腹に収め墓場に持ち込む覚悟でいる。
ただ、その悪事に見合う善行を残してこそ安心して地獄に行けるものと心に堅く決めていた。
したがって、過去の悪行の埋め合わせが出来たと悟った瞬間に死ねればいい。世の中への貸し借りが無くなるのが最善で、その死に様に注文はない。病死でも餓え死にでも惨殺されても文句はない。
だが世の中そんなに甘くはない。その帳尻合わせがなかなか楽じゃないのだ。
盗賊に養われて腕を磨き天才小僧と呼ばれて図に乗って犯した悪の限りを思うと、その罪の重さはそう簡単には拭い去れない。
子分を集めて蓄えた有り金を配分して因果を含め、それぞれ堅気になって生きることを誓わせ、自分は諸国を荒らしまわって蓄積した政治や文化、食物や薬草など生きるための知恵や知識を生かすべく遠国御用に応募して新たな道を開いたつもりだったが、これとて善根を施している気分などにはとてもなり切れていない。心のどこかで歴史に残る大きな悪事に加担しているような後ろめたさを感じている。それが何かはまだ太兵衛にも見えて来ないのは、世の中が混然として善悪が共存し白黒さえはっきりしないからかも知れない。ならば諦めもつく。

各地の大名が自藩が生き残る道を考えて幕府に気遣いし、藩内の空気にも目をつぶり勤皇攘夷とも開国左幕とも旗色を明確にせず、玉虫色の対応で自藩の対応を決めかねている大名も多く、朝令暮改の言葉通りに朝と晩では言うことが違ってくる領主さえいて家臣や領民を困らせる例もある。
太兵衛が噂に聞く賢候の一人に土佐藩主の山内容堂公の名がある。
その賢候でさえ過ちを繰り返すのは時代の流れが複雑に変わるからだ。
武士優遇や門閥による偏った政策を破棄し、洋式兵器の採用などで農民商人の隔てなく軍人として育てて民兵を組織し、富国強化論を画策して上申した土佐藩参政の吉田東洋をその職から解いたのも間違いだったが、さらに容堂公は間違いを冒している。
土佐の尊皇攘夷派を集めて決起し土佐勤皇党を創設した郷士武市半平太を、巧みに操って土佐のために働かせた挙句、勤王党員の那須信吾らが吉田東洋を暗殺したのを理由に弾圧を加え、武市半平太を切腹させてしまったのも大きな過ちだった。
武市半平太は土佐藩の大半を占める下級武士や郷士間に絶大な人望があっただけに、その弾圧の首謀者だった吉田東洋の甥の後藤象二郎は藩主に代わって藩内の怨嗟の声にさらされることになる。
龍馬と半平太は親戚でもあり親しき友でもあり、土佐勤皇党の同志でもあったから、龍馬は後藤象二郎を憎み、象二郎が龍馬を避けるのは理の当然で、この二人は永遠にかみ合うはずがない。
太兵衛は土佐藩の複雑な動きの中の小さな事件をこう見ていた。
公武合体か勤皇攘夷か大政奉還、いずれに与すべきか態度を決めかねている土佐の藩主山内容堂公が賢候であるかどうかは歴史の未来に譲るとして、太兵衛は龍馬に注目していた。
この男はただ者ではない。
嘉永六年(一八五三)六月、浦賀に現れたペリーの黒船艦隊によって世の中は裏表がひっくり返るほどの騒ぎになった。
江戸中が恐慌状態になった。人々はこの世の終わりかと慌てふためき、中には旦那寺や名主の家に駆け込んで通行手形を書いて貰うと早々に家族をせき立て大八車に満載した家財道具を押しながら上州や甲斐めざして江戸を逃げ出す者もいた。太兵衛がまだ忍者修行の頃だった。
あのペリー艦隊来航からの十年が太兵衛とその一味の生き方を変えた。
そして、同じように人生を変えた男が他にもいる。それが坂本龍馬だった。