占いの歴史ー5

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占いの歴史ー5

西洋占星術にも東洋の十干十二支同様に長い歴史があります。
その歴史をたどると、紀元前よりまだまだ昔に遡ることになります。
その理由は、人類は初めから空を眺めて天候や季節の移り変わりを感じていたのは確かですから、文字を発明する以前から、本能的に天体観測を覚えて天候や移動地区などを占っていたとかんがえられるからです。
したがって、占いの歴史を辿るのは人類の発展をみるのと同意語になりますし、その歴史をつぶさに調べるなどは不可能なことですから、
かなり大ざっぱにしか占星術の歴史は語れません。
天体観測の歴史は、大きく分けて6時代に区分されています。
1番目は、紀元前300年頃までのプロト占星術期、2番目は紀元前200年頃までの占星術形成期、3番目は、紀元前から紀元300年頃まで続く安定期、ここから徐々に衰退期に入ります。4番目は、1100年代から1500年代までの復興期で、この頃が最も盛んな時期だったとする説もあります。そこからまた徐々に衰退し、1600年頃から約2世紀の1800年代までが再び衰退期となって西洋占星術の冬の時代が続きます。
そして今、1900年代以降に続く第2復興期を迎えて、西洋占星術もまた隆盛となっていあす。
では、現代の占星術の基礎を築いた古代のプロト占星とはいかなるものだったか、その伝承に触れてみます。
 プロト占星術は、チグリス・ユーフラテス流域のメソポタミア南部を発祥のちとしていて、紀元前2000年以前から、天体の動き、すなわち星の動きは神々の意志を知るための予兆として考え他とみられています。その神々の意思とする初歩的な占いが、その後に続くシュメール文化に乗って徐々に占星術として発展してきたとされています。
その後、紀元前から始まる古代バビロニア文明では、星占い=オーメン(予兆)とする占いが盛んになり、占いの対象は自然界の全てのもの、鳥や動物、川や山、虹や雲、日の出と日没の状態など、ありとあらゆるものの動きや変化が、何らかの予兆を示しているとみなされたのです。
このオーメン占いは、過去の出来事と結び付けて考えられ、流星の多い年は洪水に注意とか、森の鳥が騒いだら部族間の争いが起きるとか、過去に起こった事例を基に次々と占例を増やしていったのです。
なかでも最も重要視されたオーメン占いは、部族の儀式のなかで生贄(いけにえ)にされる動物(人間の幼児も)の肝臓の動きや形状で、天災や部族の繁栄に関する予兆(オーメン)をしるというものでした。
その過去のオーメンの解釈が正しいかどうかは、過去の出来事の記録を粘土板に記録して代々伝えて、統計的にも的中する事象も起きています。それらの記録が現代にも引き継がれ、西洋占星術に発展したと考えて間違いはありません。
このオーメンの記録は、7000点以上も残されていて、ニネヴァの古文書館に保存されているとの記録があります。
こうしたオーメン占いを経たバビロニアの天文学者は、現代につながる12星座の基礎を作りました。