追悼・平尾昌晃さん。

 作曲家で元歌手の平尾昌晃さんが7月22日、肺炎のために死去しました。
享年79歳、若過ぎる死です。
若い頃の平尾さんは、ロカビリー全盛時代の超人気歌手でした。
一時期、肺疾患で入院生活を送り、その時から路線変更で歌手をしながら作曲家への道を歩み始めたのです。
平尾さんが世に送り出した曲は多数多くありますが、私の記憶にあるだけでも「グッド・バイ・マイ・ラ(アン・ルイス)」「よこはま・たそがれ(五木ひろし)」「瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)」「霧の摩周湖(布施明)」「アメリカ橋(山川豊)」、それに、私と一緒に仕事をした頃、当時18歳だった畑中葉子さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」などです。
フジTV事業局の企画で、平尾さんと私が一緒に仕事をしたのはお互いに40代のはじめ、大いに夢を語り合ったものです。
きっかけは、私がある会員制通販雑誌のモデル審査の仕事をしていたのと、フジTV「小川宏ショー」で、私の提唱する「心美人」と、当時から芸能人ご用達で著名な銀座整形外科の盛川院長の整形美人とのトークバトル番組の影響からです。
何度かの実践テストで、洋服や着物の販売にとって、商品以上にモデルが重要なことが明確になったのです。
通販雑誌の編集長のお気に入り超美人モデルを使うより、私が選んだ平均的な感じのいい女性の方が商品の売れ行きが遙かにいいという結果が出たのです。
しかも、着物や洋服だけでなく、身につけているバッグや時計、イヤリング、足元の草履や靴までも問い合わせが入るのです。 ただし、私は人相学ですから、日頃から柔和な「心美人」や、色彩感覚の良し悪しは本業が染色化学ですからOKですが、ファッションセンスは全くありません。商品の売れ行きがモデルによって左右されるとなると日頃からの着こなしなどファッションセンスも重油な要素になります。雑誌に載せる写真のために、商品を身につけてのモデル審査をしなければなりません。
ならば、ファッションセンス抜群で生きた洒落男そのままの平尾さんとのコンビでのモデル審査は?
このいい加減な企画が実行に移されて大成功、モデルさんの全員が華やかな中年イケメン平尾さんに笑顔で挨拶、ヤボな私には見向きもしません。それでも、人気絶頂の平尾さんと同額ギャラ(担当者談)ですから文句はありません。本当に楽しい仕事でした。
ともあれ、温かい人柄で気配りもよく、自然に身についた幅広い感性の上に努力で磨いた技が生きてのヒット曲の数々、平尾さんは偉大な作曲家でした。その死は本当に惜しまれます。
どうぞ穏やかにお休みください。心からご冥福をお祈り申し上げます。
花見 正樹