口論ストレス-1

口論ストレス-1

いじめとケンカ

小学六年生の頃、マセた眼つきで担任の先生に大人の男女のことで何か質問したことがある。内容は忘れたが髭チョビ先生は一言、「世の中複雑なことだらけ」と歩み去った。
二階の教室の窓から、校庭を横切って校門から外に姿を消すまでの先生のゆったりした歩き方には、妙に悟りきった安堵感があったのを思い出す。
終戟から数年を経て価値観も教育も大きく変貌を遂げつつあるとき、肩を落とすようにしてのんびりと校庭の銀杏の葉の散る中を去る先生の姿はけっして雄々しいわけではないが、そこには平和でおだやかなやすらぎがあった。
今思うと多分、卑猥な内容の質問をしたらしいおぼろげな記憶だが、悪ガキを軽くいなした先生の眼はあたたかだった。少なく先生と生徒の信頼を損なうものは何もなかった。
今、新聞紙面は暗いニュースを伝えている。
いじめに耐えかねた中学二年生が父親の郷里に近い東北の雪降る街の駅ビル内のトイレで自殺した。遺書には「もっと生きたかった」とある。それでも生きていられなかったのであろう。 限界が来て、耐えきれず死んだ。雪の降る盛岡の夜は寒い。
中学二年、よくケン力もした。
原因はビー玉かベー独楽か退屈したときだったか忘れたが、いじめの体験は加害も被害もまったく無かったし、ケンカの勝率もまずまずだったのでいつも気分はすっきりしていた。ケンカというのは不思議に同レベルの人間同士に発生するもので一見して相手のはうがかな り強そうだと自然に妥協しないでもロゲンカ程度で収まるもので、相手が弱すぎても弱いもの いじめで後味が悪いから何となくこれも本気のケンカにはならない。こけ脅しのどやしで片が
つく。脅かされたこともある。
いじめは苦からあったはずだし、いじめっ子もいた。だがこれはど陰湿ではなかったのは事 実、教師も逃げなかった、ような気がする。いじめよりは口論、ここでは□払網が善玉に思えてくる。
一般に議論、討論、口論と並べるとどうも口論が分が悪い。なぜ口で論ずることが悪いのか。
聞いた話だが、あるマスコミの入社試験で「月刊誌名を列記せよ」と出題、解答中に「中央口論」なる迷答があったとか。当時は労組問題で揺れていたときだけになにやら真実味がある解仙合だった。
そうなると「婦人口論」などはぴったり、なんなら「夫婦口論」という離婚専門誌はどうだろうか。ついでに「職場口論」「PTA口論」「三角関係口論」「倦怠期口論」「校内口論」「満員電車口論」「口論についての口論」と無限に企画が進行し、そのマスコミがテレビ局ならば、.口論というタイトルで視聴率がとれるかもしれない。