坂本龍馬にみる武士道-7

高知県桂浜の旧坂本龍馬記念館にて。
刀剣は龍馬と全く同じ陸奥守吉行です。
寄贈は龍馬研究の第一人者・小美濃清明氏。

坂本龍馬にみる武士道-7

花見 正樹

龍馬は、新式銃千挺を船で土佐に運んで、お龍とも5年ぶりに再会しますが、これが最後の別れとなりました。
龍馬の助言を得た後藤象二郎は建白書の形式にして、自分の策として山内容堂公に提出します。
これを元に土佐藩は薩摩との薩土芸盟約を成立させ、芸州藩を加えて大政奉還建白書を出しました。
その後、薩摩が武力討伐に傾いたために薩土両藩の主張が食い違い、薩土盟約は解消します。
山内容堂からの大政奉還建建白書は、老中・板倉勝静経由で将軍・徳川慶喜に手渡されます。
徳川慶喜は二条城において諸藩重臣に大政奉還について諮問して、直ちに明治天皇に上奏します。
こうして慶応3年(1867)15日に勅許が下されて大政奉還が成立しました。
この大政奉還成立によって、その前日14日に薩摩と長州に出されていた討幕の密勅は無効になりました。
しかし、あくまでも武力討幕を謀る薩長連合は、密勅の無効を無視して戦の準備を進めます。

11月15日、底冷えのする寒い日、龍馬は京都河原町蛸薬師で醤油商・近江屋新助宅の母屋の二階にいました。
龍馬は風邪気味で、土佐陸援隊の中岡慎太郎と酒を飲んでいて複数の刺客に襲われます。
刺客は十津川郷士と名乗る男達数人、龍馬はほぼ即死、中岡は翌々日に死亡します。
この二人の暗殺には謎も多く、真相は未だに闇の中です。
最近、龍馬が殺害される5日前に、越前藩の重臣・中根雪江に宛てて龍馬が書いた手紙が発見され話題になっています。
その手紙を読むと、龍馬が描いた新国家構想が見えてきます。
龍馬の頭の中には武力討幕など全くなく、その手紙の中でも幕府要人である永井尚志との会見を望んでいたのも分かります。
龍馬は大政奉還後の新国家構想に、徳川慶喜総代をも考えていた節があるのです。
龍馬には姑息な欺瞞策など全くあり得ず、武士道に背く言動などゴマ粒ほどもなかったのです。
次回は、龍馬が死の5日前に書いた手紙について触れます。