心労  新海富美代

心労

新海 富美代

先日娘の家から帰った夜に新聞に目を通すと「60代、70代のうつ」と言う見出しがあり目に止まり  読みました。そこには60代70代の方がうつになる要因が書いてありました。60歳で定年退職して毎日の生活が変わり、やるとこが無くなったり体力が落ちたり医者にかかることが多くなり、と不安材料が多くなって来ているのが理由らしいです。それに加えて負のスパイラルで心配事が増えて自分で病気かもしれないとかこうなるのでは無いか?日常生活の中に於いてもありとあらゆる事に不安を感じてしまい、うつに陥って行く様です。アドバイスとしてそういった事を払拭して生活するように書いてありました。
この記事を読んで、ある事に、あっ!そうだったんだと納得安心しました。というのも3年前の4月、60歳になった時に崇敬している神社に60歳の節目の年を無事に迎えることができた御礼参りに行った折、宮司様より「60歳を迎えられたことはまた生まれ変わり、原点に戻ったと言う事で子供に返った気持ちで気を付けて過ごして下さいね。」とお話を頂きました。
そして普段通り2か月ほど過ぎた6月のある日主人と話をしながら道を歩いていると少し窪んだ所に足を出したところで私は転んでしましました。あれっと思った瞬間身体が宙に舞い、下り坂でしたから身体ごと転がって行ってしまいました。主人もビックリ!恥ずかしさの余り慌てて起き上がりました。幸い大きな怪我もありませんでしたが、左手の指から手のひらを打撲してしまい病院のお世話になってしまいました。おまけに身体の下敷きになってしまった携帯電話が壊れてしまい、携帯電話が身代わりになってくれたのだと思いました。そのあと宮司様からの言葉を思い出して、あ~こう言う事だったのか?と思いました。
そして翌年の事、こんどは主人が車の運転中に追突事故を受けて大した事無きを得ましたが心身ともに衝撃を受けました。そして半年も過ぎない内にこんどは30数年事故をしなかった私が車をぶつけてしまいました。怪我もなく車の修理で済みましたから不幸中の幸いでしたが、こんなことが続くとまた何かあるかな?とか思い不安になって来ました。2度あることは3度あるかな?とか思っていましたらその翌年、昨年の事ですからその時にもここでご紹介した事があったのです。
7月に喉に小さな腫瘤が見つかり耳鼻科で悪いものではないだろうけど取ろうか?と言われたのですが、ちょっと小さすぎるから病院でお願いするという事でしたが、取っても再発あるかもとか色々と不安になる事ばかり言われてバカが付く位真面目な私は悩み、1週間くらいモヤモヤしていました。
娘にそんな事を話したら娘は医療系の仕事をしていますから「お母さんの年になればもっと大変な病気になってもおかしく無いのにその位で済んで良かった。悪いものではないならさっさと取って貰って来て気持ち良く過ごした方が良い」と言われました。
そこで早速行きつけている病院に行き耳鼻科を受診しました。見て頂き取り除いて病理検査して頂くと個人の耳鼻科で言われた病名とは違い扁桃腺の一部が出たまでの事でした。色々言われて悩んで神経をすり減らしていたのでその時は本当に安心しました。
その後は反省して身体や心を疲れさせないようにしようと毎日楽しく明るく過ごそうと思うようにしてきましたが何かが引っかかっているような気がする日が続いていました。今年に入ってからは私の運勢を見て頑張る年なのだと自分を再度奮い立たせて仕事の企画も進めていました。
そんなで気分も上昇し始めた事や1月末に娘宅に行き、久しぶりに一緒にランチして娘と話したり、娘が将来について考えている事を聞いて親バカですが娘は頑張っているなあ~と感心しながら、これからも私に出来ることは協力して上げようと思ったらまだまだ自分のやるべき事があるような気持ちになり不思議に気力が湧いて来ました。
この所娘とも話す事が出来ないでいた私は心の中でスッキリしない日が続いていましたので、帰りの甲府に向かう電車ではなんとなく幸せな気持ちが湧いてきたのでした。今は毎日朝起きて今日はあれしてこれしてと思い浮かび朝から身体が動けている事が本当に有り難い事です。元気になれた要因は幾つかありますが以前の私に復活しました。(笑)

もうすぐ春ですね

もうすぐ春ですね

新海 富美代

もうすぐ節分、翌日は立春、季節は春を迎えますが今年は暖冬の為か春が待ち遠しいと言う気分は余りありません。今回は手もみをさせて頂いている86歳のおじいちゃんに付いてお話したいと思います。
おじいちゃんは数年前より物忘れが少しづつ始まって来ていました。手もみが脳の刺激にも良いと言う事でお勧めすると早速始められて気持ち良いと言ってくださり10日位の間隔で手もみに来ていました。昨年の夏頃から手もみをさせて頂くと時々手を触ると熱っぽい事が度々ありました。夏なのにいつもより厚着をされていたり、時には赤い発疹があったりしていました。
実は私の母がリンパ腫になる前にも赤い発疹が出ていてその後リンパ腫と分かったのでその経験から気になっていました。顔色も良い日もあればパッとしない日もありおじいちゃんの様子を見ていると何となく体力低下なのか気になるところがあり、おじいちゃんのご家族にもおじいちゃんに付いて感じている事をお伝えなどしていました。ご家族はどの様に捉えていたかは分かりませんが、多分物忘れの進み方のほうが気になったのでしょう、私にはその事をよく話してくれていました。
そんな日々が過ぎて行きましたが昨年12月初めにおじいちゃんが入院中と聞きました。理由を聞いて見るとおじいちゃんが嘔吐したのでかかりつけ医を受診したとのことでした。薬を処方してくれて帰宅しました。食事を取るとまた暫くしてから嘔吐してしまったそうです。かかりつけ医は呼吸器内科なので家族は自宅近くにある消化器内科の医院を受診させようと言う事で連れて行ったようです。そこでおじいちゃんの奥さんのおばあちゃんが20数年前の病気の話を医師に話されたようです。おじいちゃんは20数年前に腹部にリンパ腫の腫瘍が見つかり治療をしましたが軽度の為経過観察で、年を重ねながら病気も一緒に持っていけば良いと言われていたみたいです。そんな事の経過を医師にお話したようです。
すると医師は奥さん話してくれてありがとう。と言って直ぐに検査をしたら腸が詰まっていてその為嘔吐してしまうと言うことが分かり紹介状を書いて貰い病院に急行しました。病院で検査すると以前の病気の腫瘍が大きくなり腸を塞ぎ始めていたようです。年齢も年齢ですから抗がん剤治療で治療をすることになったそうです。点滴のみの日が続き徐々におもゆから3分粥になる頃、入院3週間目には退院ですと言われた様でした。
食事はまだ固形物は無しで全てペースト食なのでおばあちゃんが食事のお世話が大変なのでもう少し入院させて下さいとお願いしましたが厳しい状況らしく、おじいちゃんはそんな状態で退院して来ました。退院して来た翌日おじいちゃんの様子を見にお見舞いに行かせて頂いたところ食事をしていないのでやつれてはいましたが元気そうなので安心しました。その後も定期的に抗がん剤投与に通院している様です。食事は相変わらずペースト食だそうです。
先日我が家の前を歩いているおじいちゃんと会いました。手紙を書いたのでポストに投函してきたと話してくれました。おじいちゃん元気になれて良かったですね!と話すとおじいちゃんがまた手もみお願いします!と言われました。おじいちゃんの方から手もみを希望してくれたので、おじいちゃんが回復して来ていると思い嬉しくなりました。早速予定を立て数日後に手もみをさせて頂きました。
手もみをさせて頂きましたがまだ以前のおじいちゃんの様には体力も体重も戻っていないみたいで、手もみをさせて頂いても皮膚の状態は以前の様にはなっていません。いつも通りお話をしながら手もみをさせて頂き、終わってからお茶も一緒に飲み帰られました。帰り際におじいちゃんがまだふらふらしてしっかりとは歩けないと言っていましたが、私がおじいちゃんまだ無理ですよ、しっかりと食事を取れるようになればまた前の様に歩けるから大丈夫だよと話して安心して貰いました。
手もみがとても気持ち良かったと言って次回の手もみも楽しみにしていますとおじいちゃんが言って笑顔で帰って行きました。おじいちゃんの帰り姿を見ながら、おじいちゃんは運のいい人だなと思う事が今までたくさんあったなというような事を思い出していました。とても人柄が良く穏やかで気持の良い方ですからそう言った事からも運が良く、守られているのかなとも思います。おじいちゃんたち夫婦はとても感じよく、私達夫婦もおじいちゃん達夫婦みたいになりたいよねとよく話していました。
今回はおじいちゃんの手もみを通しておじいちゃんに触れさせて貰っていたので昨年の夏からの微妙な身体の変化を私は感じていました。次第におじいちゃんの身体の中でも腫瘍が動き出していったのだと思います。
手当てと言う言葉がありますが、手を当てて相手の様子を見ると言う事の大切さも感じました。今は医療も進み機械や検査等もかなり性能良く高度の医療が出来る様になってきていますが昔ながらの手当てと言う事も見直したいなと思った出来事でした。

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

   新海 富美代

明けましておめでとうございます。
令和2年がスタートしました。元号が変わり始めてのお正月我が家では番狂わせのお正月でした。29日の午前中には息子家族が帰省しました。30日には私の姉宅でのお餅つきに家族総動員して神棚やご先祖様にお供えする鏡餅を作り、のし餅も作りました。つきたてのお餅にあんこやきな粉大根おろしをつけたからみ餅でみんな一緒に昼ごはんとして食べて息子の孫は大喜びでした。
餅つきも終わりお正月の準備が着々と出来て来ましたがその夜に娘の上の孫が咽頭炎にかかり高熱が出て31日の帰省が厳しいとの連絡が入りました。高熱の為救急医に行ったとのことで心配と明日帰省出来ない残念の気持ちの夜でした。
翌朝予想外の出来事が起きました。いつも早めに起きる主人が起きてから1時間位でまたベッドに戻って来ました。ちょっと熱があるとの事で測って見ると38度3分ありましたのでそのまま主人はベッドに戻って寝ました。本人も心配になったみたいで救急医に行った方が良いかな?と言う事で当番医を調べて受診しました。
主人は5か月の孫が可愛くてよく抱いてたりしていたから腰が疲れて腰に熱が溜まってしまったとばかり思っていましたが、診断はインフルエンザA型でした。ビックリです。主人の心配もですがそれ以上に5か月の孫にうつっていてはと、医院からすぐ息子に連絡を入れるときは胸がドキドキでした。息子と上の孫はやはりインフルエンザAにかかっていたので多少心配は薄れましたが、まだかかっていない者や特にまだ小さな孫にうつしてはいけないという思いで一杯でした。
息子に連絡をとると買い物中でしたが家の換気と消毒液をまいておいて欲しいとの事で主人に投薬して頂いた薬屋さんで主人のタミフルと併せて赤ちゃんにも安全な消毒液を購入して帰宅すると幸い息子家族はまだ帰宅してないので、家中の換気と消毒を済ませて主人は2階の寝室に隔離して、家族中マスク生活が始まりました。私たち夫婦はインフルエンザの予防接種をいつも受けていましたからここ10数年インフルエンザにかかったことはなくビックリの出来事でした。
31日昼過ぎから主人への食事運びやお世話が始まり我が家の独特の31日の夜のおもせと言うおせち料理など全ての作った物を並べて神棚に上げて一年間無事に過ごせた感謝の食事をする習わしになっていますが、今回のおもせの食事は今までに経験の無い息子家族との年越しとなりました。年が明け元旦の朝も始めての経験、やはり家の主がいない年越し元旦は寂しい年明けでした。
主人も始めての経験で可哀想に思ったのか息子が携帯でビデオ電話で主人にも状況を伝えていました。今までに経験の無いお正月で、私も気持ち的に
沈んでいましたが毎日の玄関掃除や清めを済ませて東の山を見ると丁度初日の出を見る事が出来ました。山から初日が出る5分間の間初日に手を
合わせながら今年も無事に過ごせますようにと祈りながら初日の出を見つめていました。寂しい年越し元旦でしたが偶然にも
初日の出に会うことが出来、幸せな一時で幸運を感じました。
心配していた娘の孫も熱も下がり回復したので2日の朝早く甲府に来ました。子供家族はこれで揃いましたが残念ながら主人だけは参加出来ないお正月でした。今は便利なビデオ電話がある為それぞれを中継してみんなで新年の挨拶と、じ~じとば~ばから恒例のお年玉を孫達に上げることが出来ました。子供達も孫達も今年はいつもとちょっと違うお正月でしたが、孫たちはじ~じがいるいないは関係ない様子でいつも通り大変にぎやかに楽しんで行ってくれましたので良かったと思います。
2020年代スタートの年に番狂わせのお正月でしたが主人曰く、子供達にも親が次第に歳を取ってきているのだなと思って貰えるいい機会だったかな?と話しながらも、親の介護という仕事の一端を見た様な気がして、決してこの先子供達にはいろいろな苦労や迷惑をかけないように自分たちの健康管理には気を付けなければと話しました。
今回のお正月を通して一番感じた事は息子夫婦の成長でした。主人が寝込んでから息子が色々と動いてくれたりお嫁さんが料理等してくれ主人の世話で
疲れ切っていた私を気遣い「お母さんは疲れるから休んでいてください」と優しい言葉を掛けてくれたり、息子もお母さん疲れているから今度から俺が
お父さんに食事を運んだり世話するからお母さんは休んでていいよと言ってくれました。とても嬉しく思いました。帰り際にも息子も嫁さんも「お母さん無理しないで気を付けて」と声かけて帰っていきました。私も2人に今回は良くやってくれてありがとうと伝えて心から感謝しました。息子夫婦の優しさが嬉しかったし息子夫婦の成長を感じたお正月でした。主人には残念なお正月だったと思いますが主人のインフルエンザが怪我の功名の様だった気がします。

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 よいお年をお迎えください。

よいお年をお迎えください。

新海 富美代

 今年も残り少なくなってまいりました。22日は冬至です。翌日からは日が米一粒ほどずつ伸びて来ますから毎年冬至の翌日からは私は気持ちがアップしてワクワクしてしてきます。また新たな気持ちでスタートしようと思うからです。
今年一年を振り返ってみると自分の事や仕事などに実りあったとは言い難く気持ち的には慌ただしく落ち着かない一年でした。孫の小学校入学と言う大きな行事があり入学して直ぐに登校班でのちょっとしたトラブルから校門をくぐれない日々が続き毎朝娘からの孫の様子をラインで聞くと言う日課が始まり神経的にも私もかなり参っていました。またそのちょっと前に義兄の軽い心筋梗塞があり私に連絡あって駆けつけて救急搬送すると言う出来事や4月からは自治会の組長が回って来ました。
私の組は世帯数が多く配りものも大変ですし、甲府市でも武田の史跡等も多く地元愛がある地区の為に自治会の行事がかなりあります。4月スタート当初は武田神社のお祭り等もありそれに関わる行事もあり目まぐりしい4月でした。
秋口になってきましたら私自身も組長に慣れた事と行事もちょっと一段落して来ましたから気持ち的にもホッとして来ました。前年度の組長さんの奥様も一段落した頃に持病が悪化してお医者さんにドクターストップがかかり仕事を辞めた様で治療をしながら身体を休めたら良くなり、今はいつも通りの生活が出来ているということでした。
私も同様に身体の疲れと心理的な疲れで7月頃に耳鼻科に扁桃腺関連でお世話になってしまいました。いつもと違う生活をするということは身体にも心にも負担がかかりまして若い内は体力がありカバー出来るけれど残念ながら年を重ねて行く事で身体も無理が効かない事を感じた年でした。年の後半も友人や親友とに時間を使い過ごして来た様に思います。
この1年振り返ってみると自分の事よりも孫の事義兄そして組長のお役友人や親友の事に加えて長男の所に二人目が生まれての手伝いやお宮参りそして長女の2番目の子の3歳の七五三祝い等々の喜び事もありました。社会に目を向ければ台風15号、19号による被害等もあり目まぐるしい一年だった気がします。
私の生まれつき持っている星の性質や特徴もありますが良く言えば奉仕的で心使いが細やかといえますが、性格的にはお節介ばあさんなんですね~。本当に今年は周りの人達の為に時間を使わせて頂いた年だなと思います。こう言う年もあるのだろうと思うことにします。
人様の為に自分の時間を使いお役に立て喜んで頂けたら嬉しいし本来私が望んでいることであり人様の為になる事が私の目標ですから良いことにします。そう言う事で今年も暮れようとしていますが来年は七赤金星の庚の子年で私の星は五黄土星の定位置中宮に回座し周囲に囲まれていますから周りの人とのやり取りが大切になってくると思います。
自分を見つめる年かとも思っています。先日ある事で占って見ると自分に目を向けなさいと出ました。今まで外に目を向けて来たので今度は自分にむけることだと理解しましたが来年の運勢を見たら中宮に回座するのだからそういう事なんだと再度認識しました。周りの人達共上手くやりながら自分の本業の仕事や自分の身体の健康管理に気を付けて過ごしたいと気持ちを新たにしています。仕事の整体は勿論継続ですが体力が必要ですからずっとと言う訳にもいきませんから継続しつつ占いの方に力を入れて徐々に移行出来たらと思っています。
私は何より人とのお話が好きですからこの事が出来て生涯現役で頑張れたら良いなと思っています。占い部門に力を入れる為に先日より今年出会った方がやっているお仕事にコラボ企画させて頂き私の占いを宣伝させて頂きたいなどと計画中です。そんな事を考えているとあっ!!そうだ!あの方にもお願いして宣伝させて頂きたいなどと考えが浮かんで来ます。この考えを実践に移して行きたいと思います。
12月23日また太陽が力を増してどんどん日が高く上り乾為天目指す様に私も計画が実現するように努力して行こうと気持ちがアップしてワクワクして来ています。今年も一年間ありがとうございました。皆さん良いお年をお迎えください。

冬への心準備

冬への心準備

新海 富美代

師走に入りました。
11月は柿が赤くなると医者が青くなると言う言葉がありますが、整体の仕事も同様でちょっと仕事が減ります。
陽気も良いし、こちらでは果樹園等の仕事をなされている方々が、一年の仕事も一段落して休息を取る時期でもありますから、お出掛けする方もおります。私もこの時期を利用して友人達との旅行をして休息を頂き、心と身体の癒しを頂きました。 こうして休息を頂きましたから、さあ~頑張ろうと気持ちを入れました。
12月に入って、やはり師走、何とはなしに周りがちょっと忙しそうです。整体仲間やお客様も家のお掃除を始めているようです。私も月半ば頃になると、お疲れのお客様もきますので自分の事はなるべく早めに済ませてお客様をお迎えさせて頂こうと思っています。
先日、ある出来事がありました。私の整体のお客様で、最高齢の91歳のおばあちゃんの事です。おばあちゃんって言うと失礼に当たるかもしれませんが、今も独居で病院通いも近くに住む娘には世話にはなりたくないと、出来るだけ一人で行き病院の先生や看護師さんに迷惑が掛かってはいけないときは、娘さんに付いて行って貰います。
常に気を配り迷惑をかけてはいけないと思って生活している様です。頭もしっかりで記憶力も抜群、努力家で寝込んでしまったら大変と日々の体力作りや整体に来ては健康管理にをしっかりとなさっている方で、私も尊敬してあやかりたいと思っている方です。その方は今まで一度も忘れることなく予約日予約時間の必ず5分前には来て下さるのに今回は10分過ぎているのに来られません。心配になり自宅に電話しましたが出ません。
お年のいった方には念の為、離れてお住まいの家族方や同居の家族の電話番号はお聞きしてありますが、その方は自宅が私の家と意外に近いしもしも倒れていたり何かあってはならないと思いその方の自宅に携帯電話持参で走って行ってみました。門は二重に鍵が掛けられておりましたが、何度もいった事ありましたから開けられ、玄関に行くとやはり鍵が掛けられておりましたので南の部屋の方に行くと、居間の掃き出しの窓が開いていましたから、おばあちゃんの名前を大きな声で何度となく呼ぶと、耳が遠いのですが聞こえたらしく、台所から出て来ました。おばあちゃんの顔を見て一安心しました。その方は私が立っていることに驚かれ話の内容をお話しすると、あらっと驚かれその方はすっかり忘れていたと言っていました。
訳を聞くと、2週間前に甲府駅でいつもはエレベーターを利用していますが、その日は何気なく駅から北口に降りるときにエスカレーターに乗ってしまったみたいです。すると、乗って直ぐに転んでしまい、仰向けに倒れてしまいました。周りには誰もおらずエスカレータが押し上げて立ち上がることは出来たようですがびっくりして北口のベンチで一休みして家に戻って来たようです。
早速娘さんに電話して事の次第を話したそうです。症状的なものはなく不幸中の幸いだったと言われましたが娘さんから後で症状が出るかもしれないから3週間は様子を見る様に言われたようです。
定期的に通院しているお医者さんにもお話した様ですが同様な事を言われたようです。神経質で気にするタイプだと本人も言っていますが何か症状が出ては困ると毎日毎日そればかり気にして生活していて体調が悪くすっかり整体の予約もすっかり忘れてしまっていたとの事でした。
「先生悪かったね~」と恐縮して「先生の時間空けさせてしまった申し訳ない」と何度も詫びて下さいました。その日は整体はしないで、改めて日を決めて来て頂く事にしました。本当に今回は何事もなく良かったと思いましたし、高齢で独居生活している方には、常に変わったことがあった場合は気遣い見守って差し上げる事も大切と思います。その方も、改めて整体の約束の日に見えました娘さんも気にして下さり、朝「お母さん!今日は整体に行く日だよ。今回は失礼のないようにね。」と電話があったそうですが、その方はいつ戻りにしっかりと覚えて来院されました。
気になる3週間まで先生あと3日間大丈夫だよね!と言いながら帰っていきました。その方の様子から見ても大丈夫だと思いましたが、ご高齢になるとちょっとの事で大事になってしまいますから、気を付けて欲しいと思います。
甲府も冬本番に入って行きます。周りの遠い山々も雪景色となっています。身体も冬準備をして冬の到来に備えましょう!!

長野県松本市探訪記

長野県松本市探訪記

新海 富美代

今週も松本旅行記のお話です。先月28日に友人とに引き続き11月13、14、15日と今度は昨年10月に突然ご主人を亡くした30年来の10歳年上の親友との旅でした。親友がご主人を亡くしてからは度あるごとに電話して寄り添ってこさせて貰いましたが、1年経ち一周忌も終わり温泉でゆっくりとご主人の思い出話をしたりして過ごしましょう!と松本の浅間温泉に宿を取り出かけました。お互いが松本で落ち合う約束をして私は甲府から彼女は富山から、彼女の方が距離はありますが私のお気に入りの四柱(よばしら)神社に参拝したいと言う希望もあり松本の浅間温泉に決めました。
電車に乗り車窓から見ていると前回の松本行きよりも紅葉が進み山々が色づいて赤や黄色が鮮やかでとても綺麗でした。松本には新幹線を使い交通の便が良い彼女の方が早く着いて待っていてくれました。
待ち合わせ場所に行くと彼女が笑顔で迎えてくれ抱き合うまではいきませんが手を握り合い再会を喜びました。ご主人が亡くなられてから一年東京で1、2回会ってはいますが他の方もいてなかなか心を通じ合わせる事は出来ませんでしたが今回は二人だけですから本当に心から再会を喜び合いました。
会って先ずは四柱神社に行きお詣りして以前も行った神社横のこばやしお蕎麦屋さんに行きました。前回のおすすめの天ぷら蕎麦は量的に多いのでかけそばを頂き天ぷらの盛り合わせを頂き二人で食べることにしました。温かいお蕎麦も大変美味しく、また天ぷらも”天ぷら蕎麦”の時とは材料が違い珍しい物もあり彼女もお蕎麦も美味しいし天ぷらも美味しいと大変喜んでくれました。ご案内して良かったと思います。
松本駅に戻り温泉のお迎えのバスに乗り予約していたホテルに向かいました。チェックインして部屋に入り先ずは一服お茶を頂きながら女同士の話は止まりません。夕飯の時間もあるからお風呂に入ろうよ。と言いながらも話が続き中々お風呂に向かう事が無く時間だけは過ぎて行きました。お風呂に行っても話は続き話は尽きません。
夕食の時間になり会場に行き好きなものを取りビールで再会を祝して彼女がビールを一口、口にすると彼女の様子がちょっとおかしく、彼女も胸から上が熱い熱いと言いながらタオルで顔を拭いたりしていると、顔色も芳しくなくなり心配になった私は彼女にちょっと部屋で休む?と声掛け彼女もそうすると言う事で彼女は部屋に戻りました。
私は食事を取り電話にて彼女の様子を聞き、今夜は食事をしないということなので私も部屋に戻りました。彼女も落ち着いた様でしたが本調子では無いようでした。その夜はそんな状態だったので話すこともなく休むことにしました。私は眠りながら、彼女もこの一年間ご主人を失った事により気落ちして心身ともに疲れたのかな?とかやはり10歳の年の差があり、新幹線なので楽で時間も余りかからなかったといっても彼女には疲れが出ていたのかな?と色々考えてしまい明日も体調が戻らなかたらどうしようか?等々心配しながら休みました。
翌朝目を覚ますと彼女は元気を取り戻してくれいていつも通りの様子に私もホッとして安心しました。彼女自身も何故昨晩急にあのような状態になったか不思議だと今までこんな事は一度も無かったと話して私に昨晩夕飯一緒に出来なくてごめんね!と何度も詫びていました。彼女も元気になれたので女同士のお話再開です。
2日目も部屋に籠り一日中話をしていました。話の場面でご主人の事を思い出し涙ぐむことや泣いてしまうこともありました。私はまだ彼女と同じ経験をしていないから彼女の気持ちを全て理解して上げる事は出来ないけど、私の母もやはり父が早くに亡くなり、彼女のご主人同様あっという間に逝ってしまって全て父に頼ってきた母が舵を失った船の様でしたので、多分彼女も私の母と同じようなのだなと思い、彼女の気持ちがちょっとわかる気がして彼女の話を沢山聞いてあげました。
彼女曰く娘さんからママいつまで泣いているの?とか、別の友人からは亡くなった人は戻って来ないから泣いてないで頑張れと言われるらしく彼女としては
頭では分かっているけど出来ないんだよね。と私に話しました。今回の再会はゆっくりと会って彼女を生意気ですが癒してあげたいと思っていましたから、私は彼女に泣きたいときは泣けば良いし自分の気持ちに正直になって過ごせば大丈夫だよと話しました。時間が何よりの特効薬だしあなたとご主人の思い出はあなたしか分からないのだから自分の気のすむままにやって行けば良いと思うよと私なりに彼女を励ましました。
飴とむちに例えるならば私は彼女に飴をあげたのかも知れません。時間がかかっても彼女は元気になってくれると信じています。人は誰しも人との別れはあるものですが長年連れ添い過ごしてきた連れ合いを亡くす事は本当に寂しい事なんだと彼女を通して感じました。
つい一緒にいる今は当たり前とか喧嘩もしますが一緒にいられる有難さを感謝して悔いがないように毎日を過ごしたいと思います。15日昼に松本の竹風堂で名物の栗おこわを頂きそれぞれの地元へ帰途に着きました。彼女が無事に富山の自宅に着いた連絡を貰った時はホテルでの出来事もありホッとしました。そして彼女が富美ちゃんありがとねー今回は心身ともに癒すことが出来た。と言って心から喜んでくれたので私も嬉しかったです。彼女との付き合いは30年これからも続いて行くことでしょう。

 四柱(よばしら)神社に参拝しました。

四柱(よばしら)神社に参拝しました。

新海 富美代

先日10月28日に7つ年下の女性の友人と友人の念願だった長野県松本市にある四柱(よばしら)神社に参拝に行ってきました。28日前はお天気になかなか恵まれず28日もお天気悪かったら中止となっていましたが、当日の朝は爽やかに晴れ上がり最高の行楽日和です。
彼女と甲府駅で待ち合わせをして台風19号の後遺症で中央線が特急電車も運行されておらず普通電車もダイヤ通りには運行されていませんでしたが、私達の参拝に合わせてくれたようにその日から特急電車も運行されるようになり普通電車もダイヤ通りに運行されて最高の日になりました。私達は普通電車でゆっくりと行く事にしました。
松本まで約2時間近く電車に乗り彼女と話しながら過ごしましたが話に花が咲きあっという間に松本に着きました。彼女は整体のお客様でしたが施術中にも気が合い価値観も似ていてお互いに気に入ってプライベートでもお付き合いをさせて頂いています。
開運道の相性診断で見ると彼女は九紫火星甲辰年の生まれです。私は七赤金星丁酉の生まれです。相性的にはとっても良いとは行きませんが悪くもありません。彼女と私は一緒に居ても違和感なく話も合うし楽しく過ごせるのです。有り難い事です。私はなかなかここまで気を許してお付き合い出来る友人はおらず貴重な友人です。
その彼女が四柱神社に行ってみたいと言うので参拝することにしました。私が以前から四柱神社の話をして中々気の良い神社で私は好きで何度か参拝しており四柱神社の四柱とは、天と地、家の屋根と土台を結び、橋であちらとこちらを結ぶ、箸で私達の口に食べ物を運ぶの4つの意味があると以前四柱神社の宮司様よりお聞きしたことがあります。そんな話も彼女にしたので興味があったのか行ってみたいとのことでした。
参拝すると彼女は心を込めてお参りをしてました。気持の良い神社ですねと喜んでくれて、私と一緒に御朱印帳に御朱印を頂き社務所に置いてありました台風19号による長野県の災害募金がありましたので気持入れさせて頂きました。
その後二人でおみくじを引くと二人とも22番の大吉が出て、凄いね二人共大吉だよ一緒だねと喜び合いました。
昼近くになったので彼女が事前に調べておいてくれた美味しいお蕎麦屋さんが神社横にありそこでお昼を頂く事にしました。お店に入ると平日ですが結構混んでいて外国人もかなりいました。お店の方におすすめを聞くとなんと言っても天ぷら蕎麦と言われて冷たいお蕎麦でちょっと?でしたが折角来たからおすすめを頂かなくてはと彼女と一緒に頂く事にしました。
お蕎麦を待つ間彼女が話し出しました。実は彼女は以前乳癌を患いその後乳癌は完治しましたが数年後に肝臓への転移が見つかり治療しながら薬の副作用にちょっと苦しみ公的機関の職場を辞めて静養していました。その後調子よく過ごしていましたが数か月前から腫瘍マーカーの数値がちょっと上がりだして検査していましたら今度は肺にちょっと異常があると言う事で気を病んでいました。
そんなこともあり神社参拝したいといったかもしれません。彼女の口から「先生私死ぬの?」と言われて私は言葉がありませんでした。暫く間があり私なりに自分の聞いた話の中からフォローしましたが彼女は肝臓に転移した時も自分なりに闘って来たと話してくれ、又同じ思いをするのかと思うと気持ちが沈むと話してくれました。彼女の気持ちを察すると胸が痛みました。
お蕎麦屋さんを出て松本市内を散策して彼女のお気に入りのレトロの喫茶店に寄り美味しい珈琲を頂き又普通電車に乗り松本を後にしました。帰りの電車の中でも彼女と一杯沢山の話をして楽しい実りのある一日になりました。甲府駅で今日は楽しかったねと言いながら又行こうねと彼女と別れました。自宅に戻って彼女の私に言った「先生私死ぬの?」の言葉が思い出され彼女は私から「大丈夫死なないよ。」の言葉を待っていたのかな?と、とても気になりました。
四柱神社で引いたおみくじをもう一度見て病の所に「治る信じよ!」と書いてあったので、翌日彼女に電話して「おみくじに治る信じよ!」と書いてあったよね。だから信じて頑張ろう!と元気付け私も信じて気持ちで寄り添って行くねと伝えました。病と闘う彼女の気持ちを全て分かって上げる事は出来ないけど辛い時悲しい時は彼女に寄り添って行って上げようと思っています。彼女と元気出る様に四柱神社に又一緒にお参りに行こうねと話しています。四柱神社の神々様願いが叶いますように。

行楽シーズンでの台風災害、心からお見舞い申し上げます。

行楽シーズンでの台風災害、心からお見舞い申し上げます。

新海 富美代

 10月の三連休は関東甲信越東北地方に台風19号が上陸して大きな被害をもたらしました。季節的にも良い時で行楽や結婚式やらイベント等も色々と計画していた方も多くいたことと思います。我が家も娘の孫の3歳の七五三祝いと息子の8月に産まれた孫の初宮詣りを13日に計画していました。
数日前から台風の進行状況を気にしていました。12日は台風の影響を一番受けるらしく13日なら台風も去ってお天気になるから何とか大丈夫だと思っていました。ただ息子の孫はまだ2カ月なので1泊での遠乗りは厳しいとの事で、12日午前中のまだ台風の影響が少ない朝早めに埼玉を出てお陰様で道も空いていて10時頃には甲府に来る事が出来ました。
一方娘たちは13日の朝に来ると言う事になっていました。甲府も午後から雨が強くなり次第に風も強くなってきて雨戸をしめたり家の周りの小物をかた付けたりして台風に備えました。一夜が明けて朝になると雨も上がり日が指して来て、これは良かったお天気になったと思って七五三詣りと初宮詣りのお祝いのお赤飯やお料理の準備を始めました。
その日は中央線が止まっていると言う情報が入りましたが中央高速については何も言ってないから大丈夫だと思い、娘からの電話に高速道路大丈夫みたいだよと答えてしまいました。それで娘達は朝早めに車で家を出たのですが中央高速も土砂の崩落で通れない事がわかり、一般道で来ようとして向かったのですが山梨に向かう主な道はどこも土砂崩れがあったりして、それでもあちらこちらのルートを模索して2時間あまり走りましたが結局どうにもならず甲府に来る事を断念しました。
娘の住んでいる場所も道路の冠水やら土砂崩れの災害が発生し大変だったと言っていました。幸いにも被害を受ける事が無かった事だけでも有難い事です。結局私はお祝いの準備はしたもののどうなるかと気を揉み心身ともに疲れながらも息子の孫の初宮詣りのみを行いました。無事にお宮詣りを済ませてホッとしたものの今度は翌日息子達が帰る方法を考えなくてはなりません。
中央道が大月八王子間で通行止め、国道20号も通行止め。さてどのルートで帰れるか?と検討した所中央道で大月まで行きそこから須走ルートを通り御殿場から東名に乗るルートがどうも行けそうだと言う事になり一安心しました。翌日息子達は渋滞をさける為に早めに出掛けて行きました。須走辺りでちょっと渋滞はあったものの埼玉まで4時間程で無事に帰宅出来ました。いつものコースよりも2倍増の時間は掛かりましたが小さな子供を連れての帰宅でしたので無事に到着出来た事に感謝です!私も息子家族が無事に帰ってくれたことで本当に安心しました。
毎度のことながら山梨は陸の孤島になってしまいましたが幸いにも大きな災害被害は無く有難い事でした。我が家の今回の台風の影響も、息子家族が無事帰宅してくれた事で解消しましたが、目をテレビに向けると、各地で大変な被害が出ていてその大きさに胸が痛む思いです。近年全国各地で災害が頻繁に起こるようになり此れからはいつなんどき何が起こるかわかりません。
災害から身を守る事をそれぞれが意識していかなければいけないと感じた今回の台風でした。被害に遭われた方々の事を思うと本当に胸が痛くなります。一日も早く元の生活に戻れます様にと祈る気持ちです。

子どもは宝です。

子どもは宝です。

新海 富美代

朝夕めっきり涼しくなって来ました。空もうろこ曇やイワシ曇が広がり秋らしくなって来ました。秋の運動会が真っ盛りです。先日娘の孫が小学校初めての運動会でした。21日でしたが天気予報で21日から3日間は雨と言う予報で誰もが運動会は厳しいかな?と思っていたと思います。20日の13時に父兄に学校から一斉メール配信で21日の運動会は中止で24日に変更との連絡があった様です。
私にも婿より連絡が入りました。なので21日運動会を見に行くのは中止して24日に見に行く事にしました。24日は朝からお天気で暑い位のお天気でしたが爽やかな風がちょっと吹いてくれていたので暑かったですが、ちょっと助かりました。私も自分の娘息子以来の小学校の運動会です。昨年は幼稚園で年長さんとして最上級生としてお兄さんぶりを発揮していた孫でしたが、小学校では可愛い1年生で優しくお兄さんお姉さんに囲まれて幼稚園とはちょっと違った様子に見えました。
小学校の運動会は内容的には、私達が子育てしていた頃とは違い1年から6年までの縦割りで赤白に分かれて競技などしていました。徒競走も昔とは違いやはり赤白での競争でした。娘と今は共に競い合うと言う事をしないね。競争すると言う事をさせないし子供にも意識が少ないし家庭においても兄弟姉妹が少なく兄弟姉妹同士の競争もなくそういった経験しないまま社会に出て行き、社会へ出れば出たで競争の世界なのにこの子達が社会に出て行ったときに果たして大丈夫かしらね~と娘と危惧しました。
運動会の醍醐味はやはり見に行った人たちで頂くお弁当です。しかし今回は平日と言う事で参加出来ない親御さんもいることからお弁当は教室内で子供達は食べる事になっていましたから、残念ながら運動会の醍醐味を味わう事は出来ませんでした。
しかし1年生としてダンスに競技にと頑張っている孫の姿を見る事が出来て嬉しかったです。ゴールデンウィーク前頃に登校時登校班の友達兄弟とのちょっとしたトラブルがありそれを機に校門をくぐる事がなかなか出来ず毎朝母親が校門に送りそこで校門担当の先生にお願いして連れて行って頂くと言う日々でした。最初は校門に立っている時間が長く入れずてこずっていました。私も毎朝気になり孫が登校する時間離れたところに住んでいますから、携帯のラインで様子を聞いていました。
5月も終わり頃になっても入って行けず娘もかなりしんどかったと思います。娘共々精神的に厳しかったです。娘も担任の先生と連絡を密に取り娘が校門まで連れて行くから後はよろしくお願いしますと話したら担任の先生もそれが一番ベストですと言って下さり対応してくれました。担任の先生以外の先生方も協力して下さり孫を見守ってくれていました。先生と娘の信頼関係もしっかり出来て少しずつ改善に向かって行きました。
7月に入りそろそろ夏休みの話題が出る頃には娘が校門まで送って行くと振り返りながらも一人で校内に入って行ける様になりました。先生方のお陰もありかと思います。親バカかもしれませんが娘は仕事をしながら下の孫を幼稚園送りながらの毎朝の校門までの送り孫の校門を入って行けない姿を見ての心中はさぞかし辛い物があった事と思います。良く頑張ったな!!と誉めてあげたいと思います。校門をくぐる事が一人で出来なかった孫が今は元気に登校友達とも仲良くしているし今回の運動会で一生懸命頑張っている姿を見る事が出来て本当に良かったと思います。娘もさぞかし嬉しかったのではないかなと思います。
子供が成長して行く途中には色々とありますが親やおじいちゃんおばあちゃん等の沢山の人の愛情をたっぷりと注いで感情豊かに成長していって欲しいと思います。国を良い国にしたければ子供の教育をしっかりとすることだと以前書物で読んだ気がします。子供はこれからの社会を支えて行く大切な宝ですから。

暑い夏でした

暑い夏でした

新海 富美代

 今年の夏は昨年同様に暑い夏でした。
体力的にも厳しさを感じた年です。暑さが原因かと思っていましたがやはり年を重ねて行くと体力が落ちるのを感じます。整体のお客様からも聞きますが体力も何年かに一度ガクッと落ちる年があるみたいで節目があるようです。どうやら今年は私もその節目の年だったかもしれません。
自分も年を重ねて体力も落ちて来たから自分の体力や身体の状態を見ながら過ごしていかねばならないと自覚させて貰った夏でした。そのはずです整体の仕事をさせて頂き22年目に入っている訳ですから自分自身も開業当初の私と違いがあっても不思議ではありません。開業して22年ともなりますと来て下さるお客様も高齢化が進んで来ています。
現在のお客様の最高齢は91歳です。80代の方も何人かいらっしゃいますがその方の中でも個人差が出てきております。元気にはつらつの方もいますし足腰がちょっと弱って来ている方もおります。やはりちょっと気になるのは現代社会の問題になっている認知症です。
お客様を拝見していてちょっと気になり出した方がおります。様子見ていますと徐々に進んでいるなと思っていますが、ご本人は全く意識がなく、私は元気で皆さんが驚いているのと言って、ご自分では全く自覚のない状況です。一人暮らしで近場に子供達もいるのですが、理解しているのか知らないのか?と言う状況の方もいます。
別の人は家族がちょっと気付き始め、早くから病院にかかり予防したりご本人も気にして進まないように努力されています。私が師匠から教えて頂いた手もみが脳の刺激にも良い話をした所、やって欲しいと言って来ていただいています。気持ちが良いらしくずっと続けて頂いております。進まない様ご本人も家族も気を付けておられます。
前者のお客様にも手もみの良さをお話ししてさせて頂いております。気持ちが良いと言ってくれていますがだだ認知が出て来ている事が本人に全く自覚ないので、ご本人にはお話出来ません。その方が通っている美容室の先生もご承知でその先生とも情報を共有して見守っています。先日その美容室の先生に、今までずっと通っているのに整体屋さんの行き方が分からなくなってしまったと話された様です。しかし本人はおかしいとは思っておらず私にも行き方が分からないと連絡ありタクシーで来院されました。その方は本当は来かたが分からずタクシーで来られたのに、私に足がちょっと痛かったからタクシーで来たと話されました。
私は承知の上でその方のおしゃっる事を聞いて差し上げています。同じ話も繰り返し繰り返しお話しますがずっと聞いてあげております。有難い事にお客様の中に看護師や介護士ケアマネージャーさんもいて下さって色々教えて頂いておりますので、できるだけそのように対応させて頂いております。やはり専門家の方にお客様の様子をお話すると認知症の症状だと教えてくれました。専門家の方たちはご本人を傷つけないように話を聞いてあげて欲しいと話してくれました。本来なら家族が気付いて見守って行くことが一番ベストの様です。
お二人の方を見ても本人や家族が自覚して対応しているのと全く自覚が無く家族の協力も無いとでは大きな違いがあるなと思いました。以前聞いた言葉があります。”子どもを叱るな自分の来た道。年寄りを笑うな自分の行く道”。認知の症状が出てくるお客様や周りの方もいるかもしれませんが温かく見守って行ってあげようと思います。私たちがその方達と同じ年齢になる頃には、5人に1人が認知症になると言われている様です。認知症にならない為にも今から予防し日々の暮らし大切にして意識して生活して行きたいと思いました。