【超短編】隙間BAR④

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   明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申しあげます。
2023年 元旦
松尾 栄里子

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いらっしゃいませ。

こんな分かりづらいBARによくいらっしゃいましたね。

ワタクシはBAR隙間のマスター、隙 間太郎と申します。

あなたがここに来たのも縁。

マフラーとストールの間のような、熱燗と常温の間のような、クリスマスと正月の間のような隙間をつくオリジナルカクテルをご用意しております。

どうぞどうぞ、寒かったでしょう。

こんなに寒い日には暖かいホットワインが飲みたくなりますよね。シナモンをたっぷりきかせて用意してありますので。

ウェルカムドリンクとして今夜は特別に。

橋本稲子は寒さで赤くなった鼻をすすりながら、丁寧にお礼を言ってホットワインに口をつけた。

「ふぅ。」

「ねぇマスター、子供の頃のトラウマってある?」

「トラウマでございますか。そうですね、どこかから逃げ出してきた犬に死ぬほど追いかけられたことがありまして、そこから犬は苦手ですね」

逃げれば逃げるほど犬は追いかけてくるものだから、半泣きで全力疾走。足はもつれ転んだ。振り返ると楽しそうに笑う犬が。

マスターは話し終えるとブルッと震えた。

「そうなのよねぇ、他人事であれば可愛いものよね」

稲子はカラカラとグラスの中の氷を回しながらポツリポツリと話し始めた。

稲子は今でさえ几帳面な性格だが、昔はそうでもなかった。

出したものは出しっぱなし、靴は脱ぎっぱなし、扉は開けっぱなしなことが多く、いつも母に怒られていた。

そんなことを繰り返していたある日のことだった。母は稲子の肩をガッシと掴み真剣な顔で語り始めた。

扉を中途半端に閉めていると、向こうから誰かのぞいていることがあるよ。

お化けの通り道になるからしっかり閉めなさい。

怖がりの稲子には効果抜群だった。

それは、ちょっと怖がらせてやろうと思った母の目論見を大きく上回った。

半開きな窓や、ドアを見ると一目散に掛けていき何がなんでも閉めようとした。

それが自分の家でもそうでないところでも。

出しっぱなしや脱ぎっぱなしはなかなか治らなかったが、開けっぱなしだけは病的に気にするようになってしまったのだ。

自分でもやりすぎなことは薄々気づいていたが、一度気になるとやめられないのだ。

真剣な顔をして、なんなら病的に扉を閉める姿は友達からも気味悪がられたこともあり、大人になった今でも扉が開いていると気になってしまうらしい。

母はヒステリー気味に気にするようになった娘の姿を見て、言いすぎたと思ったがもう後の祭りであった。

「自宅以外の扉を閉めに走りに行くのはさすがに辞めた方がいいと思っていつもギリギリ我慢するんです」

「でも、向こうから何か覗いているって思うと怖くって」

トイレのドアの下についた空気孔ですら気になり、冷や汗が出る。

換気で三分の一くらい開けた窓も閉めないとソワソワしてたまらなくなるのだ。

「気にしすぎってわかっちゃいるんだけど」

自嘲気味に乾いたように笑ってお酒を飲み干した。

マスターは手際よく氷をグラスに。次にウィスキーを注いでから氷に当たらないように炭酸をゆっくりと注ぎ込む。静かにステアし、ハイボールの完成だ。

するとそのハイボールを稲子の前に差し出した。

「サービスです」

稲子は甘いお酒が大好きだ。カクテルばかりこの店では注文しており、ウィスキーは殆ど飲んだことがなかった。

「マスター、わたし、ハイボールなんてほとんど飲んだことないわよ」

口を尖らせて稲子はブゥブゥと文句を言ったが、マスターはニコニコと笑うばかりで下げようとはしない。

チラッとマスターが店の奥の扉に目をやった。

稲子が振り返ると、なんと扉が半開きになっているではないか。

今すぐに扉を閉めたい気分になったが他のお客さんもちらほらいて躊躇した。

そんなことを思った瞬間、扉の奥にユラッと揺れるものが見えた。

見間違いかと思ったが、だんだんとそれは近づいてくるようだった。冷や汗がドッと出る。

すると店内の照明が一段と暗くなっていく。

他のお客さんもざわついてきた。

「マスター、暗いわよ。で、あの扉もう怖くて見れないわ、早く閉めてきて!」

「、、、マスター?

正面に向き直るとマスターの姿はなかった。

稲子がくらくらしてきてしまったところで陽気な音楽が流れ始めた。

ユラユラと扉の奥から見えていたのは小さい人魂のようだったが、だんだんと目が慣れていく。

「あ、ケーキだ」

BARのスタッフが奥から蝋燭のついたケーキを持ってきた。

半開きになったドアを腰で押し開けて。

「本日、お集まりいただいた皆さーん!今日が隙間BAR3周年記念でーす!」

照明を元に戻してマスターが陽気に声を掛けた。

わいわいと隙間BARにきていた客がケーキの周りに集まってくる。

拍子抜けした稲子はその場から動けないでいたが、急に力が抜けて笑ってしまった。

ケーキを切り分けたマスターが戻ってきて、稲子にケーキを差し出す。

「半開きの扉も、悪いものではないでしょう?たまには、楽しい事もやってきますよ」

マスターはいたずらに笑いかけてくる。

「もう!本当にびっくりしたんだから!でも、本当に気が抜けちゃった」

さぁさぁ、ハイボールと共にケーキをどうぞ。結構あいますから。

わいわいと隙間BARからは暖かい光が漏れている。

BARの前を通りかかるひとがドアの隙間から覗いている。

「へぇ、こんなところにBARがあるのか、なんか楽しそうだな。入ってみよう」

カランカラン、、、

隙間BARの夜は、まだまだ更けていく。

つづく