カフェ・ド・ワカバ 1

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カフェ・ド・ワカバの朝は早い。

名誉店長の彼女は毎朝4:50にピッタリ目を覚ます。目覚まし時計なんてかけない。彼女自身がアラームなのだから。さてさて、二度寝せずに起きられるようになったのはいつ頃からだったかしら。

ゆっくりと床から起き上がり、のそのそと布団を畳んでいく。万年床だったのに毎朝畳むようになったのは、いつ頃からだったかしら。

障子を開け、縁側の引き戸を開ける。少しヒヤッとした風が入ってくる。外はまだ暗く、人々の声はまだ聞こえない。新聞配達のバイクの音だけが遠くから聞こえる。

五木若葉は、早朝のこの雰囲気が昔から好きだった。昔は起きるのも大変だったのに、外の空気を吸えば心がシャンとして背筋が伸びる感じがした。

ふと目線を下げると、池の鯉が彼女を見つけて、メシはまだかと口をパクパクさせている。

「はいはい、ちょっと待ってね。いやでも、あなた達、まだちょっと早いんじゃないかしら?」

池の鯉たちは若葉に溺愛されているからか、つやつやと太ってなかなかいい貫禄になっている。

鯉に朝ご飯をやり、手をパンパンッと払うと鯉たちは満足して散り散りになっていった。

「はいはい、私も一服いたしましょう」

台所に向かい、水の入ったやかんに火をつける。

「今日はどちら様にしようかしら」

棚を開けると様々なビンが所狭しと並んでいる。

「昨日があちらのお国でしたから、今日はそちらのお国にしようかしらね」

原産国や焙煎日、焙煎の度合が瓶に貼り付けられている。長年の買い付けにより、彼女の自宅には、もはや飲めないコーヒーはないくらいの品揃えになった。

静かに豆を挽き、手に伝わってくる感触を楽しむ。ゆっくりと広がる香りにうっとりする。毎度毎度の作業なのに毎度新鮮味があってとても不思議に感じる。

「うん、今日も良い富士ね」

挽き終わった粉を見て満足げに1人頷いた。粉をフィルターに移して準備を進めていく。

やかんがピィピィと寂しげに鳴き、沸騰を知らせてくれる。

「はいはい、ちょっと待ってね」

数十年来の相棒のミトンでやかんを掴み、まずコップにゆっくりと注ぐ。次に、フィルターにセットされた粉に、ゆっくりゆっくり回しかけていく。部屋の中にフワッと良い香りが広がっていく。

「色々やり方はあるだろうけど、美味しけりゃなんでもいいのよ」

じわじわ、ぽたりぽたりと落ちていく様をじっと見守る。ここは焦りは禁物。ゆっくりゆっくり。

「ふうっ」

全て注ぎ終わり、これで漆黒に輝くスペシャルドリンクの完成だ。

先程お湯を注いだコップも、いい塩梅で温まっている。お湯を捨て、熱々のコーヒーを注ぐ。

コップからは白い湯気が立ち上がり、今か今かと待ち侘びている。

ドーナツをいそいそとお皿に盛り付けて、若葉はようやく椅子に座った。

時刻はもう5時半。

「さてさて、いただこうかしら」

するとガラッと扉が開いた。

ガヤガヤと2人の孫が入ってくる。

「婆ちゃん今日も早いねぇ。いい匂いだぁ、1杯ちょうだい」

「私も私も。これがなきゃ朝が始まらないよねぇ」

なんてことだ。どうしてこうも良いタイミングで来るのかしら。

1杯って、いっぱい?いっぱい欲しいってことかしら?」

憎まれ口を叩きながらも孫可愛さにマグカップを2つ出してコーヒーをよそってやる。

一樹はブラック、芽吹は牛乳を少し。

ドーナツは棚から紙袋ごと出して二人のお皿に盛り付け、今度は3人で手を合わせた。

「いただきます」

ーつづくー