【超短編】隙間BAR ⑤

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いらっしゃいませ。

こんな分かりづらいBARによくいらっしゃいましたね。

ワタクシはBAR隙間のマスター、隙 間太郎と申します。

あなたがここに来たのも縁。

冷房と除湿の間のような、老眼鏡とハズキルーペの間のような、ラガーとエールの間のような隙間をつくオリジナルカクテルをご用意しております。

暑い日が続きますから、体も疲れたでしょう。

はい、キンキンに冷えたビール?かしこまりました。

北極の氷のようなグラスでお出しいたしますので、少々お待ちくださいませ。

最近ダイエットの為に市民プールに通っているんだ。

青葉タイキはそう話すとつまみのナッツに手を伸ばした。

ボカァ元々、こう言っちゃあなんだけどスポーツはだいたい出来てね。

マラソンだって町で1番、地域の大会なんかに出ても決勝までは普通にいけてたね。

サッカーだってバスケだって、大抵のスポーツは練習なんかしなくてもそつなくこなすタイプだったんだ。

「ほう、学生時代はスポーツ万能な子は人気でしたからね、青葉さんも人気者だったのではないですか?」

マスターはテーブルの水滴をスパッと拭き取った。

「それがさ、水泳だけは出来ないんだ」

出てきた生ビールをグイッと口に運ぶと、少しずつ話し始めた。

学生時代も水泳の時間が嫌いで嫌いで。

泳げないもんだから、授業に出たくなくてね。風邪ひいたーだの怪我したーだの言ってサボったもんさ。他のスポーツは人並み以上にできるもんだから恥ずかしくってね。

水泳なんて、なーんでわざわざ息ができない所に行くのか全く理解出来ないね。

どんどん沈むだろう?ほんとに嫌なんだ、それが。

 

学生時代サボりにサボっていたらそりゃそうだ、単位が怪しくなってね。

鬼みたいな体育教師から呼び出しくらったんだ。

「お前、補講だからな。水泳くらいできるけどサボってるだけだろ?回数泳げば良いだけだからな、サボンなよー」

そう言って先生からバシッと頭をファイルで叩かれた時にもう観念したね。

俺泳げないっすって言っても何もきいてもらえないんだもん。

放課後プールに行ったら10人くらい生徒がいたかな。

その補講メンバーのなかにさ、俺が気になっている子がいたの。

可憐なタイプの女の子でさ、クラスも部活も違ったから接点が無かったんだ。やっと出来た接点が水泳の補講。笑っちゃうよね。

こんなとこ見られたくないと思ったけどさ。始まっちゃったらもう仕方ない、ええいままよとプールに飛び込んだよ。

しっかし、水をかけどもかけども進まない。誰かに足でも掴まれてるんじゃないかと思うくらいに足が重たい。するとお尻から沈んでいく。1人でバシャバシャと犬かきなのか平泳ぎなのかわからない泳ぎだ。

海でこんな泳ぎしたらまずまっすぐにライフセーバーが飛んでくるだろうね。

とても25メートルは泳げなくて、半分で足をついちゃったかな。

すると鬼教師の野次が飛んで来るんだ、教育的指導ならまだ良いんだけどさ。

俺がふざけてるって見えたみたいで。

「おい、青葉!ちゃんとやれ!留年したいのかー?!」などとのたまう。

半ばヤケクソになりながらもう半分死ぬ気で泳いだよ。泳いだって言って良いかわからないけど、足はつかなかったんだから良しとして欲しいよね。

俺が息も絶え絶え、ゴールの壁にタッチして、パアッと顔を上げた瞬間。

鬼教師が見たこともないような笑顔で俺を覗き込んでいたんだよ。

「おおい、青葉。お前、本当に泳げないんだなぁ〜ガッハッハ」

そんなこと大声で言われたもんだから、補講で一緒の生徒達になんか言われるかな、馬鹿にされるかなっておもったりもしたんだけどさ。

みーんな優しくって俺に手取り足取り教えてくれるわけ。もちろん俺の気になっていたあの子も優しく教えてくれるんだ、ここは生きながらにして天国か?なんて思ったね。

ダッセーの見られて凹んだけど、全5回の補講の最後、俺が25メートル足つかずに泳ぎ切った時なんかはみんな大盛り上がりでさ。

何つうんだろ、一体感、そういうのを感じたね。

遠い目で青春の日々を話す青葉をマスターはニコニコとして見つめていた。

出来ることばっかりやってもダメなんだなって思ったよ。

出来ない事があるくらいの方がヒトとしての魅力はあるのかもね。

ん?とマスターが見つめると

「その時気になっていた子が今俺の嫁です」

「え!そういう話ですか!」

「うん、嘘。」

ズッコとマスターがコケるのも気にせず青葉は話しを続ける。

「まあ人生そんなに甘くないよねー」

でも出来ない事をあえてやるって大事だよね。この歳になって思うよ。

まあ俺はいまスクールの先生の連絡先をどうやって聞くのがいいか毎日考えてるんだ。

マスター、いやらしくない、不快感を与えない、ちょっと気になるかもって思わせるちょうど良い誘い文句ないかい??

「相手の心の隙間に入るの、お手のものだろ?」

 

「おお〜、一本」

 

どこからともなくそんな声が聞こえてきて、マスターはこりゃ参ったと言わんばかりの表情だ。

店内はささやかな笑いで満たされ、今日も隙間BARの夜は更けていく。