【超短編】隙間BAR ⑤

いらっしゃいませ。

こんな分かりづらいBARによくいらっしゃいましたね。

ワタクシはBAR隙間のマスター、隙 間太郎と申します。

あなたがここに来たのも縁。

冷房と除湿の間のような、老眼鏡とハズキルーペの間のような、ラガーとエールの間のような隙間をつくオリジナルカクテルをご用意しております。

暑い日が続きますから、体も疲れたでしょう。

はい、キンキンに冷えたビール?かしこまりました。

北極の氷のようなグラスでお出しいたしますので、少々お待ちくださいませ。

最近ダイエットの為に市民プールに通っているんだ。

青葉タイキはそう話すとつまみのナッツに手を伸ばした。

ボカァ元々、こう言っちゃあなんだけどスポーツはだいたい出来てね。

マラソンだって町で1番、地域の大会なんかに出ても決勝までは普通にいけてたね。

サッカーだってバスケだって、大抵のスポーツは練習なんかしなくてもそつなくこなすタイプだったんだ。

「ほう、学生時代はスポーツ万能な子は人気でしたからね、青葉さんも人気者だったのではないですか?」

マスターはテーブルの水滴をスパッと拭き取った。

「それがさ、水泳だけは出来ないんだ」

出てきた生ビールをグイッと口に運ぶと、少しずつ話し始めた。

学生時代も水泳の時間が嫌いで嫌いで。

泳げないもんだから、授業に出たくなくてね。風邪ひいたーだの怪我したーだの言ってサボったもんさ。他のスポーツは人並み以上にできるもんだから恥ずかしくってね。

水泳なんて、なーんでわざわざ息ができない所に行くのか全く理解出来ないね。

どんどん沈むだろう?ほんとに嫌なんだ、それが。

 

学生時代サボりにサボっていたらそりゃそうだ、単位が怪しくなってね。

鬼みたいな体育教師から呼び出しくらったんだ。

「お前、補講だからな。水泳くらいできるけどサボってるだけだろ?回数泳げば良いだけだからな、サボンなよー」

そう言って先生からバシッと頭をファイルで叩かれた時にもう観念したね。

俺泳げないっすって言っても何もきいてもらえないんだもん。

放課後プールに行ったら10人くらい生徒がいたかな。

その補講メンバーのなかにさ、俺が気になっている子がいたの。

可憐なタイプの女の子でさ、クラスも部活も違ったから接点が無かったんだ。やっと出来た接点が水泳の補講。笑っちゃうよね。

こんなとこ見られたくないと思ったけどさ。始まっちゃったらもう仕方ない、ええいままよとプールに飛び込んだよ。

しっかし、水をかけどもかけども進まない。誰かに足でも掴まれてるんじゃないかと思うくらいに足が重たい。するとお尻から沈んでいく。1人でバシャバシャと犬かきなのか平泳ぎなのかわからない泳ぎだ。

海でこんな泳ぎしたらまずまっすぐにライフセーバーが飛んでくるだろうね。

とても25メートルは泳げなくて、半分で足をついちゃったかな。

すると鬼教師の野次が飛んで来るんだ、教育的指導ならまだ良いんだけどさ。

俺がふざけてるって見えたみたいで。

「おい、青葉!ちゃんとやれ!留年したいのかー?!」などとのたまう。

半ばヤケクソになりながらもう半分死ぬ気で泳いだよ。泳いだって言って良いかわからないけど、足はつかなかったんだから良しとして欲しいよね。

俺が息も絶え絶え、ゴールの壁にタッチして、パアッと顔を上げた瞬間。

鬼教師が見たこともないような笑顔で俺を覗き込んでいたんだよ。

「おおい、青葉。お前、本当に泳げないんだなぁ〜ガッハッハ」

そんなこと大声で言われたもんだから、補講で一緒の生徒達になんか言われるかな、馬鹿にされるかなっておもったりもしたんだけどさ。

みーんな優しくって俺に手取り足取り教えてくれるわけ。もちろん俺の気になっていたあの子も優しく教えてくれるんだ、ここは生きながらにして天国か?なんて思ったね。

ダッセーの見られて凹んだけど、全5回の補講の最後、俺が25メートル足つかずに泳ぎ切った時なんかはみんな大盛り上がりでさ。

何つうんだろ、一体感、そういうのを感じたね。

遠い目で青春の日々を話す青葉をマスターはニコニコとして見つめていた。

出来ることばっかりやってもダメなんだなって思ったよ。

出来ない事があるくらいの方がヒトとしての魅力はあるのかもね。

ん?とマスターが見つめると

「その時気になっていた子が今俺の嫁です」

「え!そういう話ですか!」

「うん、嘘。」

ズッコとマスターがコケるのも気にせず青葉は話しを続ける。

「まあ人生そんなに甘くないよねー」

でも出来ない事をあえてやるって大事だよね。この歳になって思うよ。

まあ俺はいまスクールの先生の連絡先をどうやって聞くのがいいか毎日考えてるんだ。

マスター、いやらしくない、不快感を与えない、ちょっと気になるかもって思わせるちょうど良い誘い文句ないかい??

「相手の心の隙間に入るの、お手のものだろ?」

 

「おお〜、一本」

 

どこからともなくそんな声が聞こえてきて、マスターはこりゃ参ったと言わんばかりの表情だ。

店内はささやかな笑いで満たされ、今日も隙間BARの夜は更けていく。

【超短編】隙間BAR④

 

   明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申しあげます。
2023年 元旦
松尾 栄里子

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いらっしゃいませ。

こんな分かりづらいBARによくいらっしゃいましたね。

ワタクシはBAR隙間のマスター、隙 間太郎と申します。

あなたがここに来たのも縁。

マフラーとストールの間のような、熱燗と常温の間のような、クリスマスと正月の間のような隙間をつくオリジナルカクテルをご用意しております。

どうぞどうぞ、寒かったでしょう。

こんなに寒い日には暖かいホットワインが飲みたくなりますよね。シナモンをたっぷりきかせて用意してありますので。

ウェルカムドリンクとして今夜は特別に。

橋本稲子は寒さで赤くなった鼻をすすりながら、丁寧にお礼を言ってホットワインに口をつけた。

「ふぅ。」

「ねぇマスター、子供の頃のトラウマってある?」

「トラウマでございますか。そうですね、どこかから逃げ出してきた犬に死ぬほど追いかけられたことがありまして、そこから犬は苦手ですね」

逃げれば逃げるほど犬は追いかけてくるものだから、半泣きで全力疾走。足はもつれ転んだ。振り返ると楽しそうに笑う犬が。

マスターは話し終えるとブルッと震えた。

「そうなのよねぇ、他人事であれば可愛いものよね」

稲子はカラカラとグラスの中の氷を回しながらポツリポツリと話し始めた。

稲子は今でさえ几帳面な性格だが、昔はそうでもなかった。

出したものは出しっぱなし、靴は脱ぎっぱなし、扉は開けっぱなしなことが多く、いつも母に怒られていた。

そんなことを繰り返していたある日のことだった。母は稲子の肩をガッシと掴み真剣な顔で語り始めた。

扉を中途半端に閉めていると、向こうから誰かのぞいていることがあるよ。

お化けの通り道になるからしっかり閉めなさい。

怖がりの稲子には効果抜群だった。

それは、ちょっと怖がらせてやろうと思った母の目論見を大きく上回った。

半開きな窓や、ドアを見ると一目散に掛けていき何がなんでも閉めようとした。

それが自分の家でもそうでないところでも。

出しっぱなしや脱ぎっぱなしはなかなか治らなかったが、開けっぱなしだけは病的に気にするようになってしまったのだ。

自分でもやりすぎなことは薄々気づいていたが、一度気になるとやめられないのだ。

真剣な顔をして、なんなら病的に扉を閉める姿は友達からも気味悪がられたこともあり、大人になった今でも扉が開いていると気になってしまうらしい。

母はヒステリー気味に気にするようになった娘の姿を見て、言いすぎたと思ったがもう後の祭りであった。

「自宅以外の扉を閉めに走りに行くのはさすがに辞めた方がいいと思っていつもギリギリ我慢するんです」

「でも、向こうから何か覗いているって思うと怖くって」

トイレのドアの下についた空気孔ですら気になり、冷や汗が出る。

換気で三分の一くらい開けた窓も閉めないとソワソワしてたまらなくなるのだ。

「気にしすぎってわかっちゃいるんだけど」

自嘲気味に乾いたように笑ってお酒を飲み干した。

マスターは手際よく氷をグラスに。次にウィスキーを注いでから氷に当たらないように炭酸をゆっくりと注ぎ込む。静かにステアし、ハイボールの完成だ。

するとそのハイボールを稲子の前に差し出した。

「サービスです」

稲子は甘いお酒が大好きだ。カクテルばかりこの店では注文しており、ウィスキーは殆ど飲んだことがなかった。

「マスター、わたし、ハイボールなんてほとんど飲んだことないわよ」

口を尖らせて稲子はブゥブゥと文句を言ったが、マスターはニコニコと笑うばかりで下げようとはしない。

チラッとマスターが店の奥の扉に目をやった。

稲子が振り返ると、なんと扉が半開きになっているではないか。

今すぐに扉を閉めたい気分になったが他のお客さんもちらほらいて躊躇した。

そんなことを思った瞬間、扉の奥にユラッと揺れるものが見えた。

見間違いかと思ったが、だんだんとそれは近づいてくるようだった。冷や汗がドッと出る。

すると店内の照明が一段と暗くなっていく。

他のお客さんもざわついてきた。

「マスター、暗いわよ。で、あの扉もう怖くて見れないわ、早く閉めてきて!」

「、、、マスター?

正面に向き直るとマスターの姿はなかった。

稲子がくらくらしてきてしまったところで陽気な音楽が流れ始めた。

ユラユラと扉の奥から見えていたのは小さい人魂のようだったが、だんだんと目が慣れていく。

「あ、ケーキだ」

BARのスタッフが奥から蝋燭のついたケーキを持ってきた。

半開きになったドアを腰で押し開けて。

「本日、お集まりいただいた皆さーん!今日が隙間BAR3周年記念でーす!」

照明を元に戻してマスターが陽気に声を掛けた。

わいわいと隙間BARにきていた客がケーキの周りに集まってくる。

拍子抜けした稲子はその場から動けないでいたが、急に力が抜けて笑ってしまった。

ケーキを切り分けたマスターが戻ってきて、稲子にケーキを差し出す。

「半開きの扉も、悪いものではないでしょう?たまには、楽しい事もやってきますよ」

マスターはいたずらに笑いかけてくる。

「もう!本当にびっくりしたんだから!でも、本当に気が抜けちゃった」

さぁさぁ、ハイボールと共にケーキをどうぞ。結構あいますから。

わいわいと隙間BARからは暖かい光が漏れている。

BARの前を通りかかるひとがドアの隙間から覗いている。

「へぇ、こんなところにBARがあるのか、なんか楽しそうだな。入ってみよう」

カランカラン、、、

隙間BARの夜は、まだまだ更けていく。

つづく

【超短編】隙間BAR③

いらっしゃいませ。

大通りと脇道の間、公道と私道の間にあるこのBARにわざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます。

ワタクシはBAR隙間のマスター、隙 間太郎と申します。

あなたがここに来たのも縁。

二日酔いと向かい酒の間のような、ビールと発泡酒の間のような、醸造酒と蒸留酒の間のような隙間をつくオリジナルカクテルをご用意しております。

「いや僕ね、噂に聞いていたけど、こんなにわかりづらい隙間にあるBARは初めてだよ。知る人ぞ知るって感じがして嬉しいなぁ。」

席に着くなり、おしぼりで顔をゴシゴシと拭き、脂ぎった顔をサッパリさせながら四谷四郎は話し出した。

「このおしぼりもいいね、フワッといい香りがする。これも何かと何かの間の香りなの?」

マスターはニッコリして答えた。

「左様でございます。リラックス効果のあるラベンダーとカモミールの間のちょうど良い香りを目指しております。」

ふぅん、と感心したようにおしぼりを嗅ぎながら、四谷は深いため息をついた。

「ねぇマスター、いきなりだけど、火事場の馬鹿学力ってあると思う?

「馬鹿力ではなく、馬鹿学力でございますか。」

マスターはシェイカーの手を少し止めて聞き返した。

「そう、馬鹿学力。僕の娘がねぇ〜、たいそうおバカちゃんでね。受験も近いっていうのに夜まで遊び回ってんのよ。」

困ったように笑いながら、年頃の娘の写真をスマホから見せてくれる。

「髪なんか茶髪にしちゃってさあ〜、僕は黒い方がいいと思うんだけどまぁ、パパウザいとか言われちゃって〜。まぁ無視されるよりはマシかなぁ〜って思っちゃうよねぇ〜。服も派手でさ〜、この間買ってたバッグなんかそりゃもう派手派手で。そうそうこの写真。高校生なんだから高校生らしくしろって。」

「アラッ。可愛らしい子じゃないですか。自慢の娘さんですね。」

マスターが写真を覗き込み、ふふふと含み笑いをして声をかける。

「それはそうなんだけどさ、親としては心配なわけよ。もう勉強なんかほんとにしてるのかなって思っちゃうよね。いっつも家にいないんだもん。」

四谷が続ける。

「火事場の馬鹿力ってこう、のっぴきならない状況に立たされた時に、普段以上の力が出るとかいうじゃない。それと同じでさ〜、受験の時だけ、こうアドレナリンがブワーッとでてさ。センター試験全問正解!なんつって。」

ガハハ、と四谷は笑った。

親としては、合格まで気が抜けない日が続く。家でこんな話なんかしたらまた娘に怒られちゃうよぉ〜とシーッと口に指を立てた。

カラカラカラン。

カクテルを丁寧にコップに注ぎ、マスターは四谷の前にスッとグラスを差し出した。

「安心なさってください。お嬢さんは火事場の馬鹿力の方は既に取得されていますよ。」

「えっ」

「ちなみに、学力の方に関しても問題ないかと。四谷さんのお嬢さんに関しては火事場の、というより普段の学力で問題ないかと思いますが。」

四谷は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてカクテルに口をつけた。

「なんでマスターにそんなことわかるの?僕、ここに来るの初めてだよ?」

四谷は矢継ぎ早に質問すると、クイッとカクテルを飲み干し、オカワリ!と元気良く手を挙げた。

先程写真を見せて頂いた時はビックリしましたよ。まさか四谷さんの娘さんだったんですね。いやいや、この前たまたま見かけたんですが、印象的で覚えていたんですよ、この茶髪の派手なお嬢さんのことは。」

「えーっ!この子可愛いなって?マスター、困っちゃうよお〜。そういうことは、事務所、そう、僕を通してもらわないと!なんちゃって。」

四谷は既に何杯か水のようにカクテルを飲み干している。アルコールが入って更に陽気になってきた。この人は楽しくお酒が飲める人のようだ。

マスターが語り出す。

「ついこの間、店が休みでしたから私も敵情視察も兼ねて、気になっていたBARに飲みに行きました。帰り道、駅に着いてホームを気持ちよく歩いているところにちょうどホームに電車が来て、小柄で茶髪で派手な服の女性が降りて来られました。」

「アッ!それ僕の娘?」四谷が口を挟む。

フフと頷き、マスターは続ける。

「そう、四谷さんのお嬢さんです。お嬢さんと入れ違いに、ホームから電車に乗る高齢の女性の方がいらっしゃいました。ええ。それは、アッというまの出来事でした。」

四谷はグラスを片手に、マスターの話に耳を傾けている。

「まさに、アッ!という声がしたと思ったら、先ほどまで電車に乗ろうとしていた高齢の女性は私の視界から消えていました。」

マスターは振り返る。

驚いて目を凝らすと、なんと、ホームと電車の隙間に落ちてしまったようでした。

ここの駅は少しカーブがきつく、ホームと電車の隙間が広く開いていました。高齢の女性は、背負っていたリュックがホームに引っかかり、線路まで落ちることは免れていましたが、紙一重の状況です。また、突然のことで自分に起きたことが理解できず、パニックになるというよりは呆然としているようでした。

ワタクシはその状況に驚いて少し面くらい、数秒ほどフリーズしてしまいました。はっと気づいて急いで駆け寄って助けに行かなければ、と思った瞬間、既に動き出している方がいらっしゃいました。そう、四谷さんのお嬢さんです。

お嬢さんは肩にかけていた派手なバッグを放り投げ、すぐに駆け寄りました。

そして高齢の女性に優しく声をかけると、脇に両手を入れて、「おりゃっ」とホームと電車の隙間から引っ張り出しました。1人でです。

なんということでしょう。駅員さんが気づくより先に動き出し、ホームと電車の隙間に落っこちてしまったオバアチャンを、ヒョイっと持ち上げてしまったのです。

高齢の女性がようやく事態に気付き、慌てて振り向いてお嬢さんにお辞儀をしてお礼を言った瞬間、プシュー、とドアが閉まりました。

「ダイジョブっすよ〜」

キラキラした爪の手をヒラヒラと振って、ニカっと笑ったお嬢さんの姿は、まさにヒーローでした。

ホームに無惨に投げ捨てられた派手なバッグからは、どうやってこんなに入っていた?と思うほどのたくさんの荷物が散らばってしまっていました。

ワタクシは何もできないまま、呆然と立っていました。ふと我に帰り、自分の周りまで散らばった荷物を拾うことにしました。いやはや、それしか出来ず、お恥ずかしい限りです。

散らばっていたのは本やノートばかりでした。そして、やたら重たい本ばかり持っているなと思ったのもそのはずです。そこには、いろんなペンでびっしりと書き込まれた参考書やノートの数々。ひと目見ただけで、受験生の持ち物だと分かるような代物でした。

申し訳ないですが、パッと見た外見はただの派手なギャルと見受けられました。ただ外からではわからないような努力がお嬢さんには刻まれており、そしてお気に入りのバッグも厭わず、助けにいく姿に、ワタクシは大変感銘を受けました。

また、お嬢さんご自身も華奢な体なのにも関わらず火事場の馬鹿力だったんでしょうか、助け出せるパワーにも脱帽しました。重い参考書を持ち歩くほどの勉強に対する姿勢は二宮金次郎も顔負けでしょう。

出来事自体も印象的でしたが、派手な出でたちの受験生。そして人助けのヒーローでしたから、ワタクシの心の中にも深く残っておりました。

そんな聡明なお嬢さんのお父様がワタクシの隙間BARに来てくれるなんて!こんな奇跡的なことがあるでしょうか。

それこそ今のワタクシを見ただけでは、わからないでしょうが、ワタクシ、現在、大変興奮しております。

「アッ、ごめんなさい、私ばかり話してしまいましたね。」

マスターが気まずそうに四谷に話しかけた。

「いえ、、大丈夫です。」

四谷は目頭を強く抑えると、ふうっと息を吐き、静かにグラスの氷を見つめた。

「こんな話を聞かせていただいて、ありがとうございます。僕は、心が引き締まる思いです。外からの姿だけ見て判断して、娘を信じてやれていなかった。」

「いえいえ、素敵な出会いをありがとうございます。今日は、ワタクシの、驕りです。今日のお勘定分、まるっと娘さんに使ってあげてください。」

「参ったな。じゃああと一杯だけもらえる?すぐ帰るよ。顔が見たくなったからね。」

「喜んで。お嬢さんも成人したら是非うちに連れてきてくださいね。ご馳走しますから。」

「マスターには敵わないな。」

四谷は静かに笑った。

隙間BARは、今日も静かに人々を包んでいく。

優しく尊い時間は全ての人の隙間に、平等に注がれている。

振り返り、愛おしむ、そんな心の隙間を作る事がこのBARに与えられた宿命なのかもしれない。

おわり

【超短編】隙間BAR②

いらっしゃいませ。

ビルとビルの隙間にある、こんな分かりづらいBARに足をお運びいただき、ありがとうございます。

ワタクシはBAR隙間のマスター、隙 間太郎と申します。

あなたがここに来たのも縁。

芋焼酎と麦焼酎の間のような、山崎と白州の間のような、10年物と13年物の間のような隙間をつくオリジナルカクテルをご用意しております。

お嬢さん、今日はお疲れの様子ですね、何かございましたか?

はい、ウィスキーを水割りで?

かしこまりました、ではご用意致します。

飲んで一息入れてから、少し話を聞かせてくださいませ。

〜市谷ノリコさんの話〜

私、ずっと悩んでいることがあるんです。

靴を、必ず片方落としてしまうんです。

小さい頃に電車に乗る際、ホームと電車の隙間に靴を片方落としてしまったんです。

気づいた時にはもう遅く、振り向いた時にはドアが閉まってしまいました。

その時は片足だけ靴下で、ベソをかきながら家まで帰ったことを今でも覚えています。

それがきっかけだったのか、楽しみな行事やお出掛けの時に限って、いつも靴を片方落としちゃうんです。

ヒールで歩けば、道路の側溝の隙間にヒールが取られて靴が脱げ、ヒールは折れてしまいます。

そんなアンバランスなヒールなんて履けませんから、泣く泣く接着剤を買いに行ったり、新しいヒールを買いに行ったりしたことも両手で数えきれないほどあります。

ハイキングに行った時も私だけ遊歩道と泥の隙間に足を取られて、靴が脱げ、顔から転んでしまいました。

昔からこういうことが続きすぎて、何か足を掴まれてるんじゃないか、下を向いて歩くのが怖いんです。

もう何かお祓いとか行ったほうがいいんでしょうか。

ふむふむと聞いていたマスターはニッコリして、こう答えた。

「お嬢さん、もう開き直りましょう」

「解決策はあります。まぁ飲みましょう」

そんな適当なことを言って欲しかったわけじゃないのにな、と市谷ノリコは思ったが、

マスターが勧めてくるカクテルはどれも飲みやすくとても美味しかった。いつもよりかなり飲み過ぎてしまったくらいだ。

解決策なんてあるのかしらとぼんやり思い始めてきた頃、マスターが口を開いた。

「たぶんね、明日は平気だと思いますよ、靴」

「こんだけお酒飲んだら、大抵次の日は浮腫みますんでね」

思ったよりも適当なアドバイスと、ウフフと行儀良く笑うマスターが面白くて釣られて笑った。

ノリコはよくよく考えてみると、楽しみな行事の前はしっかりマッサージでフットケアをしたり、お酒を控えたりして万全な体調で迎えていることに気づいた。

普通の人ならそれで良いのかもしれないが、なにかしら隙間に縁のある私には靴と足との潤滑油を与えてしまっているのかもしれない。

「これを機にオーダーメイドシューズなんて作ってみようかしら」

ノリコがそういうと、

「お酒入ってる時と、普通の時と、どっちで合わせます?」

と、マスターはまたウフフと笑いながらお代わりのカクテルをスッと提供してきた。

「隙間BAR的に言いますと、お酒を入れて測った方がありがたいですが」

これだからこのBARはやめられない。

つづく

【超短編】隙間BAR 

いらっしゃいませ。

こんな分かりづらいBARによくいらっしゃいましたね。

ワタクシはBAR隙間のマスター、隙 間太郎と申します。

あなたがここに来たのも縁。

ウィスキーとハイボールの間のような、白ワインと赤ワインの間のような、水割りとお湯割りの間のような隙間をつくオリジナルカクテルをご用意しております。

ワタクシが今までお客様から聞いてきたスキマバナシで、印象に残ったものをご紹介いたしましょう。

〜中学生のE子さんのお話〜

E子さんは放課後、忘れ物をして教室に戻ってきたそうです。

教室には1人。外からは部活動をしている生徒の声や、吹奏楽部の伸びやかな音が響いています。

E子さんは帰宅部だったものですから、のんびりと忘れ物を手に取り、帰ろうとしたそうです。

その時でした。窓の方からバタバタッ、バタバタッと聞き慣れない音がしました。

教室は一階でしたから、ベランダの方を見に行きましたが誰も居ないし人の気配もしません。

おかしいなあ、たしかにこの辺から音が聞こえたんだけどなぁと思ったE子さん。

窓枠のすぐ下にあった暖房器具を覗き込みます。

すると、暖房器具と壁の隙間、窓枠の下にいたのですー

バサッバサバサッ

マスターがおもむろに被っていた帽子を取ると鳩が店内を飛び回った。 

「そう、鳩が」

私の驚いた顔を見て、嬉しそうにまたマスターは話し始めた。

E子さんに見つかった鳩は、何だか気まずそうに、そしてしっかりと挟まってしまっており、人間に見つかったと観念したような様子で大人しくしていました。

E子さんは心根が優しい女の子でしたから、少し怖がりながらも勇気を出しました。

『えいっ!』

意を決して鳩を両手でむんずと捕まえ、窓から放り投げました。

すると鳩は先ほどの大人しい様子から一転、解放されたようにまさに自由の象徴の如く教室から飛び立って行きましたー

E子さんは、今でも鳩を両手で掴んだ時のサイズ感と、感触が忘れられないと語ってくれました」

「そのスキマバナシにインスピレーションを受けまして、オリジナルに作らせていただいたのがこの【ピジョットショット】です」

手際の良い所作からマスターがスッと私にカクテルを差し出してくれた。

爽やかな色のカクテルに、キラキラとした氷が輝き、コップの淵には塩が付けられている。

ひと口飲むと、爽やかな見た目よりもキツいお酒感を感じ、驚いて目を丸くした。

その顔をマスターは嬉しそうに眺めるとこう言った。

「その顔が見たかったんです。おつまみと一緒にどうぞ」

小さい小皿に豆菓子が載せられていた。

マスターは続けて、

「早く食べないとこの子が食べちゃうので気をつけてくださいね」と語った。

隣の席のテーブルを見るとさらに驚いた。

マスターが手品で出した鳩がテーブルに行儀良く座り、私の豆菓子を狙っていたのだった。

私のその顔を見てまたマスターが嬉しそうに笑った。

つづく