カフェ・ド・ワカバ 9

「案外筋がいいかもよ」

マルちゃんはいつもの窓際の席にドッカリと座ると、沈み込むように腕を組みながら微笑んだ。

「ゴルフって一回は行ってみたいのだけど、いままでやる機会がなくって。もう遠い世界の話って感じ」

「そんなことない、最近では打ちっぱなしも郊外に行けば沢山あるしね。ちょっとそういうところでチャチャっと練習したらすぐコースに出れるよ」

「またマルちゃんは適当なこと言って。打ちっぱなしのシステムすら分からない私にはハードルが高いわよ」

良い香りが漂うカップをゆっくりとマルちゃんの待つ机に届けると、泰葉は近くのカウンターに腰掛けた。

「東京のゴルフ場は高いし、人が沢山いるし僕は好みじゃ無いんだよね。ちょっと不便なところにあるくらいのゴルフ場のほうが安いし、ゆっくり回れる。今度町内会の催し、ゴルフでもいいかもねぇ。やっちゃん、周りのお店に声かけて豪華賞品にして大会開くのアリじゃ無い?」

「豪華賞品!じゃあマルちゃんのところでドラム型洗濯機か、お掃除ロボット出すのはどう?それか今流行りのゲームなんかにしたら、若い子は食いつくと思うワァ〜」

急に堰を切ったように話始めた泰葉にマルちゃんはついつい吹き出した。

「おれんとこはそんな高尚なもの売ってねぇなぁ〜」マルちゃんはまちの電気屋さんなのだ。

「マルちゃんじゃないと用意できないわよ〜、ほら、うちは、オリジナルワカバブレンドくらいしかないから」

「まーた、あなたはすーぐ物につられるねぇ〜」

奥の座敷でお昼寝していた若葉がのそのそと店に出てきた。

「あ、お母さん、おそよう。うるさいわね、いいじゃない妄想するくらい。」

別にやめろだなんて言ってないけど〜とワカバは口をすぼめた。

「そうだなあ、全自動落ち葉掃き機なんてあったら、この店は大助かりだよなぁ〜」

マルちゃんはちびちびと美味しそうにコーヒーを飲んでいる。

そうなのだ。本当にそれが厄介なのである。

カフェドワカバのすぐ隣には大きなイチョウの木があって、それはそれはとっても綺麗なのだ。しかし秋口には掃いても掃いても道路を埋め尽くしてしまう。

ギンナンが落ちるのもあってちゃんと掃除しないと芳しい香りがしてきてしまう。

「やっちゃんが店の前でホウキ振り回さなくて済むしな。振るならドライバーよ。ドライバー。」

店内にはガハハ、ウフフと笑い声が響いていた。

カフェ・ド・ワカバ 8

「ありがとうございましたあ、またきてね」

チハルが帰ったあと、ワカバはぽつりぽつりと話し始めた。

「そうよねぇ、この時期の子達の専らのお悩みはこういう人間関係よね。

世界はもっともっと広いのに、狭い狭い学校の中の悩みでいっぱいいっぱいになってしまう。彼女達の世界は、家か、学校か、その二つしかないから」

まあ、サチオさんの昔話が聞けるなんて思わなかったけどね、とホクホクした顔でワカバは微笑んでいた。

「でも、あのチョコ渡したっきりで何も解決になってないじゃないの。もっとこう、アドバイスとか、色々欲しかったんじゃないの?あの子、えーっとチハルちゃんは」

ワカバは、そうねえ、、、と呟くと、

うとうとこっくりこっくり舟を漕ぎ始めた。

「ああいけない、時間切れだ」

泰葉はふふふと噴き出すと、この店の神様にブランケットをそっとかけてやった。

 

時刻は14時半を過ぎた頃だろうか。

泰葉が店の前を掃除していると近所の小学校のチャイムが鳴った。小学生になったばかりの子たちの声が遠くの方から聞こえてくる。

もうこんな時間か。伸びをすると固まった腰が悲鳴をあげた。元々腰痛持ちだったが、ここ数年でまた悪化した。原因というものも自分では思い当たらないもので、これが歳をとるってことか、と生命力に満ち溢れ、跳ね回りながら下校する小学生達をぼんやり眺めながら考えた。

腰のストレッチをしながら体を動かしているうちに、なんだか楽しくなってきた。

手に持ったホウキはさながらゴルファーのドライバーか。

両腕にもって、肩や腰から動かすようにゆっくりと降ると、爽快な音とともに凝り固まった腰がほぐれるような感覚がした。

『ナイスショット!』

突然の声にビクッとして振り向くと、徐々に近づいてくる人影が。

丁度逆光になっているものだから目を細めながら見つめると、見慣れた顔がそこにはあった。

「あぁ〜、マルちゃん!」

「あはは、やすちゃん、暇だからってちょっと豪快すぎやしないかい?」

そう言って近づいてきたのはマルちゃんこと、丸山フトシ。近所に住む常連の好々爺だ。

「あちゃー、見つかったか。」

バツが悪そうに泰葉は舌を出した。

カフェ・ド・ワカバ 7

事の顛末はこうだ。

目にうるうると涙を溜めながらチハルは話し始めた。

中学校に入学した日。ドキドキしながら教室に入り、隣の席がその子、アイだった。

きっかけなんて今では覚えていない。アイとチハルはお互い緊張しながらもどちらともなく話しかけたのだろう、気付いた時にはもう友達になっていた。

それからは何をするにも一緒に過ごした。クラスも一緒、部活も一緒、帰り道も一緒。休みの日でもお互いの家で一緒に勉強したり、近くにできた大型ショッピングモールに通い詰めたりしたものだ。

2人でいれば何も怖いものなんてなかったし、親にできない恋の相談だってした。お互いがお互いの占い師みたいなものだ。そんな関係がこれからもずっと続くと思っていた。

きっかけはささいなすれ違いだった。

年に一度の文化祭の出し物を決める時、一緒の係にしようと言われたのに、すっかり忘れていて違う係に立候補してしまった。

その係は2人しかできず、ペアの男子がその友達の片思い中の男の子だったが故にさらにタチが悪かった。

「私はその男の子のこと全然好きじゃないしなんとも思っていないんだけど、やっぱりあの男の子の事好きなんだ、抜け駆けだ。相談乗ってくれてたのも利用してただけなんだねとか言われちゃって。否定しても否定するだけどんどん本当っぽく思われちゃって」

そこからどうも顔を合わせても目を逸らされるそうで、どうも気まずい。

「私はアイといつも通り、前みたいに昨日のテレビの話とかどうでもいい話を話したいのに。もう戻れないのかな」

一通り息継ぎもせず話し終えると、チハルはぬるくなったミルクティーをぐっと飲み干した。

「可愛い可愛いお嬢さん、あなたの悩みはきっとこの猫が運んで行ってくれるわ。ね、マメ」

若葉はチハルと、その膝で丸くなる白い物体に声をかけた。

マメは呑気にブアンと鳴いてチハルの膝から軽やかに降りると、店の奥にトコトコと消えていった。

「そうねえ、どこだっけ。これこれ」

ガサゴソと棚の奥からワカバがあれでもないこれでもないと探し物をしている。

さながらドラえもんのような姿にチハルはふうっと気が抜けた。

ワカバがチハルに手渡してくれたのは、キラキラとした包装に包まれたチョコレートだった。猫が丸くなっているようなデザインで、白猫と黒猫の二つがコロリと手の平にころがった。

これこれ。こないだ近所の中川さんが海外旅行のお土産でくれたのよ、とニコニコしながら若葉は話す。

「ね。可愛いでしょう、2匹で丸くなってて」

チハルは目をパチクリさせながら、両手の上で丸まる2匹の猫を眺めていた。

カフェ・ド・ワカバ 6

「で、結局その子は受かったわけ?」

泰葉がみかんを剥きながら尋ねた。

「勿論。この話のすごいところはここからです。」

チハルは若葉から貰ったチョコをすごいスピードで食べている。この子は結構甘党のようだ。

試験当日、試験場につき最後のチェックで参考書を開いていた青年は、本の間に猫の毛が挟まっているのに気づいた。

取ろうと思ったが静電気でなかなか取れない。

取れた!と思ったがまた違うページにフワフワと挟まってしまう。

そんなこんなで試験が始まる時間となった。

「では、はじめてください」受験生たちが一斉にテスト用紙を裏返す。競い合うように鉛筆の音が響き始めた。

ええいままよと、青年も腹を括って一気にテスト用紙をひっくり返した。

途端、青年は目を丸くした。

出されていた問題は猫の毛が挟まっていたページの問題とほぼ同じだったからだ。

「で、青年は合格して神の猫に感謝したっていう。」なぜか誇らしげに、鼻の穴を膨らませながらチハルは言った。

「本当に〜?」

泰葉は我が家の白い猫を疑いの眼差しで見つめた。相変わらず間抜けな顔で欠伸をしている。どう考えても偶然だろう。

「お礼参りにまたカフェに来たかったけれど、道に迷っちゃってもう来ることは出来なかった。だからそのカフェの場所は誰も知らないっていうのがお決まりのフレーズです」

チハルは興奮しながら答えた。

マメ〜あなた凄いわねぇと若葉はニコニコしながら見守っている。

「でもそれだけじゃ噂にもならないでしょ?まだあるの?」泰葉が笑いながら問いかける。

「たくさんありますよ!片思いの子と同じクラスになったとか、先輩と付き合えるようになったとか、失くし物が見つかったとか、宝くじが当たったとか、テストのヤマが当たったとか、部活でレギュラーになったとか、遅刻したけどバレずに教室には入れて怒られなかったとか」

「なんだか学生らしい悩みねぇ、若いって素敵ね。でも、おかしいわねぇ、そんなにここのお店って学生さん来ないのよね」

それもそうだ。徒歩圏内に学校はあるものの、やはり道が入り組んでいるからなかなか来ない。駅近くにはファーストフード屋が何軒かあるから、そこに皆行くのだろう。

好き好んでこんな古いカフェにくる学生はほんの一握りだ。

「でも絶対ここだと思うんですよね。古いし。猫いるし」

「ふふふ、そうかしらねぇ」

お世辞にも新しく綺麗なお店ではない。アンティークな置物や時計が所狭しと置かれており、ゴチャゴチャと雑多な雰囲気だ。しかし椅子や机も長年の使用でいい味を出している。どれも手入れが行き届いており、埃も気にならないのはこの店の主人達が暇さえあれば、あぁ忙しい忙しいとハタキでパタパタ、フキンで拭き拭きしているからか。

「で、それはそうと、あなたは何を叶えてほしくていらっしゃったのかしら」

若葉がアンティークのティーポットを丁寧に拭きながら尋ねた。

さながらアラジンの魔法のランプのようなやりとりだ。

神様のネコがマメなら、飼主の若葉は神様ということになるな、様になる質問もまた面白いと思い、泰葉は笑いを堪えた。

さっきまで流暢に話をしていたチハルは、最初来た時のように下を向き、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「わ、私の、親友と喧嘩しちゃって」

絞り出すようにそういうと、丸々とした瞳がゆらゆらと輝いて、ポトリポトリと雫が落ちた。

カフェ・ド・ワカバ 5

時刻は10時を過ぎただろうか。

マメを膝に乗せてもらったチハルは、最初はおっかなびっくりマメを撫でていたがもうずいぶん落ち着いた様だ。

泰葉はミルクティをカップにそそぐとチハルの前に置いた。

「で、本当なの?うちのマメが福を呼ぶ招きネコっていう話は?」

ミルクティに手を伸ばしながら、チハルはコクコクと頷いた。

福を呼ぶ招きネコ、もとい若葉の愛猫マメにお悩みを相談すると叶うらしいとの噂がまことしやかにささやかれているのは本当のようだ。

チハルはミルクティをふうふうと冷ましながらちびちびと啜り、美味しいとふうっと大きな息を吐いた。

「もう先輩の先輩のそのまた先輩くらいの代からずっと言われてることなんです。」

チハルは愛おしそうにマメのお尻をフワフワと撫でながら、ポツリポツリと話し始めた。

最初の始まりはある高校生だった。

彼は受験勉強に追われ心をすり減らしていた。センター試験まであと数日。ふらふらと入り組んだ路地を参考書片手に歩いていると、どうやら道に迷ってしまったようだった。

目の前には古民家のようなカフェが一軒。寒かったし塾まで時間もあったものだから青年は目の前のカフェで一休みをすることにした。

重たい扉を開け店の中に入ると店内は暖色の電灯がついており、少し薄暗かったものの優しい雰囲気が感じられた。彼はコーヒーを注文し、参考書を開く。眉間に皺を作りながら勉強する彼に、マスターがこだわりの一杯を振る舞った。

コーヒーに口をつけると、青年の眉間の皺はフワッとほぐれ、美味しい!と気づいたら声に出していた。マスターはニヤニヤと青年に話しかける。

「おまえさん、眉間に皺ついちまうぞ。受験かあ?大変だな。」

「そうなんですよ、いよいよ試験も近づいてきてやってもやっても不安なんですよね。神様にも縋りたい気分です」青年が眉間を撫でさすりながら苦笑いをした。

「そうだよなあ、なんかしてやりたいけど俺はうめえ珈琲を作ることしか出来ないからなあ」

マスターは腕を組んで店内を見回すと、閃いた閃いたと奥からなにやら白い物体をむんずと片手でつまんできた。

「ほらよ」

マスターは片手の物体を青年の膝の上に優しく置いた。

それは白い猫だった。フワフワと暖かい生き物の感触は彼の心を癒した。

「こいつは神様のネコだからな。願い事なら一つくらいは叶えてくれるかもな。ま、ネコだから気まぐれにご注意だがなあ」

マスターはガハハと白い猫の頭を乱暴に撫で回すと、サービスだゆっくりしてけとコーヒーのおかわりを青年のカップに注いだ。

青年は眉間をさすっていた手を、膝のネコに下ろした。じんわりと暖かさが伝わってくる。

その暖かさはさながら湯たんぽのようで、自分以外の生き物から伝わる熱は逞しく、こんなに暖かいものなんだとしみじみと感じさせた。

すると、早く撫でろと言わんばかりに白いネコが振り向いた。そのふてぶてしい顔つきに思わずごめんごめんと言ってその丸まった背中を撫で始めた。

「おまえが神様のネコかぁ、頼むから志望校に合格させてくれ」と、藁にもすがるような気持ちで声を出してお願いをすると、膝の上から、ブア〜ンと気が抜けたような返事が聞こえてきた。

思わずマスターと目を合わせて、ガハハと笑った。

カフェ・ド・ワカバ 4

「ありがとうございました、またよろしくどうぞ」

朝の忙しい時間が終わり、客足もまばらになってきた。

「お母さん、お茶にしようよ」

娘の泰葉が若葉に声をかける。その意見には大賛成、時刻は9時になっていた。

若葉は疲れた体をマイチェアにゆっくりと沈み込ませると、口をチチチと鳴らした。するととどこからか太った猫がけだるそうに現れた。看板猫のマメだ。

マメはゆっくりと若葉に近づき、ブアンと一鳴きして定位置の若葉の膝まで軽やかに上ると、ゴロゴロとのどを鳴らして丸くなった。

「この子はどうしてこんなに太ってるのかしらねえ」

マメを愛しそうに撫で回しながら若葉は呟いた。

「お母さんが喜んで猫オヤツばっかりあげるからねえ」

あ、そうだと思い出したように泰葉が続ける。

「なんかマメ、近くの学校で福を呼ぶ招き猫って言われてるみたいよ。ほらこの前来た女の子が言っていたわ。膝に乗せて撫でさせてもらえると願いが叶うんだって」

確かにふくよかなボディと、白く輝く毛並みはさながら招き猫のようだ。

マメ、福を呼ぶなら宝くじ当ててくれえと泰葉が乱暴に撫で回すと、ブア〜ンと気が抜けたような鳴き声がした。こりゃダメだあと二人で笑っていると、カランカランとドアが開いた。

ドアを開けたのは中学生くらいの女の子で、外は寒かったのかほっぺたは赤くなっていた。

「あらあら可愛いお客さま、いらっしゃいませ。何飲む?」

若葉がマメを撫でながら尋ねる。

中学生のチハルは下を向きながら

「ミルクティーありますか」とボソボソと答えた。

チハルは俯きながらカウンターに座ると、そこで初めてハッと顔を上げて若葉を見た。正確には若葉の膝を。

「キャ!!!本当にいた!神様のネコ!」目を丸くしてチハルは声を上げた。

若葉と泰葉は顔を見合わせて、吹き出した。

ーつづくー

 

 

カフェ・ド・ワカバ 3

都営地下鉄の駅から徒歩圏内。朝のラッシュ時はサラリーマンでごった返すが、それ以外の時間は至って平和な町だ。

カフェ・ド・ワカバは知る人ぞ知る店だ。

一見さんお断りという訳ではないが、一見さんが辿り着けない場所にある。

Googleマップを駆使しても神社の脇の細い私道を通り抜けるものだからなかなか見つけづらい場所にある。

知る人ぞ知ると言えば聞こえはいいが、どうしてこんな立地で珈琲屋をオープンしようと思ったのか、今では聞く由もない。

初代店主は五木若葉の夫、五木幸生(サチオ)だ。幸生は若葉にベタ惚れだった。念願であった自分の城を手に入れた時も、迷わずこの店名にしたし、いつも2人は一緒にいた。

おしどり夫婦の営む珈琲屋は近所の人から愛されていた。また質の良い珈琲を種類も多く取り揃えていることから、どこからともなく噂が広がり、全国各地から遠征してくる珈琲マニアも多かった。

常連達は、居心地の良いこの珈琲屋が好きだったから沢山通った。珈琲は勿論のこと、この夫婦の愛情たっぷりな会話に癒されていたことだろう。

オープンして20年後、店主の幸生が病気で突然亡くなってからは、若葉が亡き店主幸生の代わりに珈琲を振る舞うようになった。

常連達はああでもない、こうでもない、と文句を言いながらも毎日通った。

幸生の作った、みんなが安らげるこの居場所を若葉を始め、周りの常連客は皆守りたかったのだ。

今では娘夫婦が店を継ぎ、カフェ・ド・ワカバは絶好調だ。

最近はオンラインストアも始め、地方発送も行なっている。

名誉店長の若葉は朝のオープンから15時頃までレジ脇の椅子に腰掛け、常連達と話し込んだり、時に看板猫のマメを膝で撫でながらウトウトしたり、割と自由に過ごしている。

若葉は齢も80を越え、忘れっぽいことも増えたのは間違いない。

質問に対してトンチンカンなことも返したりするが、まだまだ元気だ。

7時〜9時までのモーニングタイムは毎日若葉が珈琲を淹れる。朝のひと時にフラッと寄る大人達の憩いの場になっている。

また、最近では、流行病のせいでテイクアウトを始めたのが功を奏し、朝は大繁盛となった。こんなに忙しくなくてもいいんだけどとボヤく若葉だが、1日の張り合いになっているようでイキイキと珈琲を淹れている。

さて、朝の開店作業は、まだまだ若葉の仕事だ。

家から歩いて30秒、朝の恒例、孫との語らいを終えると店に向かい、1日が始まる。

 

ーつづくー

カフェ・ド・ワカバ 2

外からピィピィと小鳥の声が聞こえだした。外を見ると空が白みだしている。

慌てて一樹が席を立つ。

「婆ちゃん、また火付けっぱなし、やかん!」

「ああ、ごめんねぇ。またやっちゃった。婆ちゃん駄目ねぇ」

最近孫に注意されることが増えた。それも同じことを何回もやってしまうもんだから困ったものだ。

5時半の孫達との朝の語らいはここ最近の習慣となった。孫の一樹は立派に社会人になり、工場で働いている。早朝勤務や、夜勤帰りの時にこうして顔を出してくれるのは婆ちゃん孝行だろう。

芽吹は大学3年生だ。流行り病も下火になり飲み会が増えたからか体重がドンと増えたようで、今年こそダイエットするんだと息巻いて年明けから早朝にランニングを始めた。ランニング前の腹拵えにでも寄ってくれるだけで嬉しいものだ。

そんなこんなで孫ふたりが揃ってこんな婆さんと朝食を共にしてくれるのはとても嬉しく、若葉自身の張り合いにもなっている。同居はしているものの、日中は会えないし夜は私が早く寝てしまうもんだから余り話す時間もない。

3人が席に着くと、最初はドーナツだけ出してあったテーブルの上も、あれもこれもと結局冷蔵庫から色んなモノを出してしまう。結局テーブルの上は盛り沢山になるのが恒例だ。とても騒がしくてとても楽しい。

「ごちそうさま!じゃあこれから一寝入りするわ!」

夜勤帰りの一樹はペロリとテーブルの上の3分の2は平らげると、しっかり洗い物もして、自分の部屋に帰って行った。

「先に風呂くらい入ればいいのにね。あー、私、ちょっと今日は、寒そうだから走るのやめようかなぁ」

「そうねぇ、また明日でいいんじゃない?」

孫に甘い私はいつも芽吹を甘やかしてしまう。

だって芽吹はそこまで太っているとは婆ちゃんの引け目なしでも思わない。だって女の子はちょっとぽちゃっとしているほうが可愛いし。

「うーん、おばあちゃんがそういうなら、そうしようかなぁ」

芽吹は欠伸をしながら、大きく伸びをした。

まだまだ1日は始まったばかりだ。

ーつづくー

カフェ・ド・ワカバ 1

カフェ・ド・ワカバの朝は早い。

名誉店長の彼女は毎朝4:50にピッタリ目を覚ます。目覚まし時計なんてかけない。彼女自身がアラームなのだから。さてさて、二度寝せずに起きられるようになったのはいつ頃からだったかしら。

ゆっくりと床から起き上がり、のそのそと布団を畳んでいく。万年床だったのに毎朝畳むようになったのは、いつ頃からだったかしら。

障子を開け、縁側の引き戸を開ける。少しヒヤッとした風が入ってくる。外はまだ暗く、人々の声はまだ聞こえない。新聞配達のバイクの音だけが遠くから聞こえる。

五木若葉は、早朝のこの雰囲気が昔から好きだった。昔は起きるのも大変だったのに、外の空気を吸えば心がシャンとして背筋が伸びる感じがした。

ふと目線を下げると、池の鯉が彼女を見つけて、メシはまだかと口をパクパクさせている。

「はいはい、ちょっと待ってね。いやでも、あなた達、まだちょっと早いんじゃないかしら?」

池の鯉たちは若葉に溺愛されているからか、つやつやと太ってなかなかいい貫禄になっている。

鯉に朝ご飯をやり、手をパンパンッと払うと鯉たちは満足して散り散りになっていった。

「はいはい、私も一服いたしましょう」

台所に向かい、水の入ったやかんに火をつける。

「今日はどちら様にしようかしら」

棚を開けると様々なビンが所狭しと並んでいる。

「昨日があちらのお国でしたから、今日はそちらのお国にしようかしらね」

原産国や焙煎日、焙煎の度合が瓶に貼り付けられている。長年の買い付けにより、彼女の自宅には、もはや飲めないコーヒーはないくらいの品揃えになった。

静かに豆を挽き、手に伝わってくる感触を楽しむ。ゆっくりと広がる香りにうっとりする。毎度毎度の作業なのに毎度新鮮味があってとても不思議に感じる。

「うん、今日も良い富士ね」

挽き終わった粉を見て満足げに1人頷いた。粉をフィルターに移して準備を進めていく。

やかんがピィピィと寂しげに鳴き、沸騰を知らせてくれる。

「はいはい、ちょっと待ってね」

数十年来の相棒のミトンでやかんを掴み、まずコップにゆっくりと注ぐ。次に、フィルターにセットされた粉に、ゆっくりゆっくり回しかけていく。部屋の中にフワッと良い香りが広がっていく。

「色々やり方はあるだろうけど、美味しけりゃなんでもいいのよ」

じわじわ、ぽたりぽたりと落ちていく様をじっと見守る。ここは焦りは禁物。ゆっくりゆっくり。

「ふうっ」

全て注ぎ終わり、これで漆黒に輝くスペシャルドリンクの完成だ。

先程お湯を注いだコップも、いい塩梅で温まっている。お湯を捨て、熱々のコーヒーを注ぐ。

コップからは白い湯気が立ち上がり、今か今かと待ち侘びている。

ドーナツをいそいそとお皿に盛り付けて、若葉はようやく椅子に座った。

時刻はもう5時半。

「さてさて、いただこうかしら」

するとガラッと扉が開いた。

ガヤガヤと2人の孫が入ってくる。

「婆ちゃん今日も早いねぇ。いい匂いだぁ、1杯ちょうだい」

「私も私も。これがなきゃ朝が始まらないよねぇ」

なんてことだ。どうしてこうも良いタイミングで来るのかしら。

1杯って、いっぱい?いっぱい欲しいってことかしら?」

憎まれ口を叩きながらも孫可愛さにマグカップを2つ出してコーヒーをよそってやる。

一樹はブラック、芽吹は牛乳を少し。

ドーナツは棚から紙袋ごと出して二人のお皿に盛り付け、今度は3人で手を合わせた。

「いただきます」

ーつづくー