6.サンフランシスコにて-1

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

6.サンフランシスコにて-1

 

軍艦奉行木村摂津守は、サンフランシスコへ入港する前の旧暦二月二十三日、日本人乗組員に対して訓辞を発した。
「今般の航海は日本国開闢以来の大事業であり、各人の日夜の努力によって日ならずして着港することになり、まことに大慶の至りである。ついては、国内での航海においても乗組員各位は身を慎んできたことは言うまでもないが、今回は外国に来たのであるから、些細なことでも噂になってはもっての外である。一同いっそう身を慎んで日本人の正しく厳かな風習をアメリカ人に示したいと思う。万一、日本人は規律が悪いなどという風評が流れては、我々の辛く苦労した働きも徒労になってしまう。いわゆる『功一簣(いっき)に欠く』という結果になっては、残念至極である。これらのことは改めて言うまでもないことであるが、今般の大航海は、将来の日本国の基本にもなることであるから、十分胆に命じて慎重に行動して欲しい」
さらに木村は、旧暦二月二十九日、サンフランシスコに上陸するに際して、全員に対して外泊や単独行動の禁止、上陸時間の規制など上陸後の行動に関する具体的な注意を告示した。
こうして、木村摂津守は咸臨丸提督として、サンフランシスコ滞在中の乗組員全員の自覚ある行動を遵守させるべく、一般的、総論的な訓辞と具体的、各論的な告示を出して日本人全員の気持ちを引き締めた。
この木村の周到な配慮によって、咸臨丸の一行は、現地アメリカの人たちとの間で何のトラブルを起こすこともなく、アメリカ人からその礼儀正しさを大いに賞賛されることになった。

木村摂津守は、全員の気持ちを引き締めるだけでなく、咸臨丸を無事にサンフランシスコへ到着させたという乗組員の達成感を満足させることにも心を砕いた。
乗組員それぞれに、その働きに応じて恩賞を与えた。
旧暦二月二十九日、木村提督は乗組員全員に褒美としての現金を配った。帰国に備えて日本へのみやげ品などを購入する原資にしてもらう配慮からだった。
木村摂津守は、その後も、折々に現金でそれ相当の恩賞を配った。
例えば、メア・アイランドで咸臨丸の修理が完成したとき、無事帰国して浦賀に入港したときなどである。
配った恩賞の内訳は、木村摂津守の従者長尾幸作が詳細に記録に記しているが、二月二十九日に士官を始め水主など乗組員すべてに渡した金額は、総計百両を優に超す金額だった。