今泉みねの話-3

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

2.今泉みねの話-3

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 福沢さんは、桂川に出入りしていた他のお仲間とはちょっと違う雰囲気の方でした。懐は本で終始一杯にふくらんでいました。いつも本のことばかり心にかけて、父から洋書をよく借りていらっしゃいましたが、他の方が借りた本を写すのに一月(ひとつき)も二月(ふたつき)もかかるのに、あの方は大抵四、五日か六、七日位で写してお返しになりました」
みねは、当時を思い起こすように話を続けた。
「福沢さんがお召しになるものはお仲間の中で一番質素で、木綿の着物に羽織、それに白い襦袢をかさねていらっしゃいました。
父の講話は、刀掛けがある二十畳位のお座敷で、福沢さんはいつも、父の前に真面目に足をきちんとかさねて話をきいていらっしゃいました」
そして、吹き出しながらこう言った。
「ある時、私は福沢さんのすり切れた足袋に空いている穴を見つけて、松葉を十本ばかりたばにして突つけたことがありました。
でも、福沢さんは父の面前にお座りだったので、動くには動けず大分お困りのようでした。
私の悪戯(いたずら)は『桂川の松葉攻め』といわれて、学者のお仲間で有名になってしまいました」
みねは、表情を戻して、
「福沢さんは、非常に厳格な方でした。めったにお遊びになりませんでしたが、ときには私の相手をして下さることがありました。
歌がるたをしても名人だったので、福沢さんと組むといつも勝ちでした。福沢さんが相手方になると、遠慮なく私の組みを負かしました。私が不満顔をすると、『この世には、勝ちもあれば、負けもあるのです。負けたからといって、そういう顔をするのなら、人間をお止めなさい』と、私を厳しく叱りました。
福沢さんは何をしてもお上手で面白く、また物知りでいろいろお話をしてくれましたが、時間がくるとぴたりとよしてしまって、いくらねだっても聞き入れてくれませんでした。
その時はいい方だけれど強情の方だと思いました。子どもに対しても機嫌をとる風がなく、教えてゆくという気骨がおありになりましたので、子供心に先生の様な気がしていました。どんなことを伺っても面倒がらずによく教えて下さいました」
そして、懐かしそうに明かした。
「父の甫周が家の者に、『あの人物は、将来必ず大成する』と申しているのを聞いたことがあります。私は幼いながら『そういうお方なのだ』と強く胸に刻んだことをつい昨日のように思い出します。何ごとも一生懸命に為さるお方でした」
愚直な軍人の木村浩吉が、珍しく気を回した。
『みねさんの初恋の人かな』
みねが続けた。。