木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-6

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

3.木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-6

 彼らは、こぞって木村を自宅に招き、盛大な宴を張ってくれた。
木村は喜んで招待を受け、福沢たちと一緒に彼らの家を訪問し、異国の地で大いに楽しんだ。
木村は、その中の何人かの人たちを、自分の『友』(フレンド)と呼び、親密に交際した。
こうした木村のアメリカ人との交流態度について、ドナルド・キーン氏は前出の『続百代の過客(上)日記にみる日本人』の中で、次のように書いている。
『思うに、日本人が西洋人に対して『友』という言葉を使った、おそらくこれは最初の事例ではなかったろうか。』

木村芥舟と福沢諭吉の、思い出話が終わった。
話し終えた二人の脳裏に、今までの人生の光と影が一瞬交錯して消えた。
木村が、遠くを見るような目つきで言った。
「以前私が大病をしたとき、病後の療養のために、先生ご一家が私どもを箱根湯本に誘ってくださったことがありました。ひと月程、旅館に滞在させていただきました。お陰で体力が戻り、生きる気力も蘇りました」
福沢が立ち上がり、部屋の襖をわずかに開け、廊下越しに庭を眺めながら答えた。
「木村さま。あの時が私たちの人生の折り返し点だったのです。そして、いよいよ、人生の終焉が近づいてきました」
葉が落ちた庭の大木の枝の隙間から、傾きゆく冬の陽が見えた。
夜の静寂が訪れていた。
木村芥舟も、ゆっくりと立ち上がった。
福沢が振り返り、木村の目をみつめて言った。
「木村さま、あなた様が、私の終生のいちばん大切な兄上でした」
木村も福沢の目をみつめ、深くうなずき返し、福沢の手を固く握った。
福沢も、つよく握り返した。
木村芥舟と福沢諭吉の最後の会話だった。