今泉みねの話-6

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

2.今泉みねの話-6

 そして、これら三度の海外渡航体験をもとにして、ベストセラーとなった『西洋事情』を著した。
この書の出版によって、当時の日本において、福沢諭吉が一番よく西洋の事情に精通している人物という世間の評価を決定づけた。
『西洋事情』の啓蒙的効果は絶大で、明治新政府の役人がこの本によって啓発されたばかりか、当時の日本中の知識人がこの本によって大いに啓発された。
福沢は、このような華々しい人生の端緒を開いてくれた木村の恩を『終生忘るべからず』と記したのだ。
一方の木村摂津守は、太平洋横断航海中、そしてアメリカ滞在中に、福沢諭吉が尽くしてくれた諸々の行為を、後年、家の者に次のように語って、福沢への感謝の気持ちを表している。
「先生は船に酔うこともなく、船酔いの私の介抱をして、飲食や衣服のことなど身のまわりの世話を熱心にしてくださった。
桑港(サンフランシスコ)に上陸した後も、常に私の身のまわりについていてくれた。私が風邪をひいたときなどは、枕元につききりで看病してくださった。日本へ帰る日が迫ってきた時は、公用が多くなり、とても土産を買いに出られる状態ではなかった。私は土産物は買えないと諦めていたが、先生が気を利かして、相応の物をいろいろと購入しておいてくれた。
先生のお蔭で、帰国した後にも、私は面目を施すことができた」

みねの話を聞き終えた木村浩吉は、深く頷いた。
最後に、幼い頃から福沢諭吉の身近にいたみねが自分の考えを述べた。
「あなたのお父上は、徳川様への長年のご恩に報いて隠居され、また咸臨丸でアメリカにご一緒に渡りながら、その後ご病気のため自刃された鈴藤勇次郎様(注:咸臨丸運用方。画をよくし、帰国後『咸臨丸難航図』を描いて木村芥舟に贈った人であることで有名)のご不運、アメリカで命を落とした三人の水夫の方々などのことを偲んで、ご自分が新政府に出仕しようなどとは毛頭お考えにはならなかったのです。
福沢さんは、そういうお父上が何よりも大好きなのです。誇らしいのだと思います」