6.サンフランシスコにて-2

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

6.サンフランシスコにて-2

木村摂津守は、この他乗船して力を貸してくれたアメリカの水夫たち十人にも、十分な謝礼、褒美を渡した。
こうした現金はすべて、木村が戦費として用意してきた金貨とドルの中から出された。
幕府から借用した五百両には一両も手をつけず、帰国後早々に、五百両をそっくりそのまま幕府に返納した。
後年、木村が回顧している。
「私は、アメリカ渡航のために用意した軍資金をすべて投げうって、士官には各々多額の金銭を与え、その奮闘を十二分に慰労したので、家に帰ったときの私の財布には一丁銀(いっちょうぎん)すらも残っていなかった。この渡航における私の苦労は、実に他人には分からないものがあった」

サンフランシスコに入港した際、咸臨丸のマストに旗章が掲揚された。
中央のメインマストに幕府軍艦旗である中黒長旗(わが国最初の日本国海軍軍艦旗といわれる)、後部のマストに国旗(日の丸)が、そして船首部分には木村摂津守の家紋(丸に松皮菱)が掲げられた。
ところが、こうした旗の掲揚に到るまでには、士官たちの頭を悩ます勝麟太郎の身勝手な言動があった。
旗の掲揚に先立ち、公用方の吉岡勇平が通訳の中浜万次郎を伴いブルック大尉の部屋を訪れ、軍艦が外国の港へ入るときに掲揚する旗章をどうすべきか、意見を求めた。
その際、吉岡勇平は、木村摂津守の身分を、①神奈川奉行と同格であること、②木村は日本の全海軍を指揮し、士官を選任できる地位にあること、③徳川将軍直々に任命されていること、をブルック大尉に説明した。
説明を聞いたブルック大尉は、即座に、
「軍艦奉行の木村摂津守が軍艦咸臨丸のアドミラル(提督)であり、旗章はこの軍艦に乗船している最上官であるアドミラルの旗を掲げるべきである」
と答えた。