木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-2

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

3.木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-2

 二人が座っている部屋の中に、わずかな寒気が感じられた。
木村が立ちあがり、庭に面する部屋の襖を閉めた。
そして、福沢の目を見て、申し訳なさそうな口調で言った。
「息子の浩吉も、先生にご恩をお返ししようと努力して陸軍中佐に昇りましたが、やはり今風の人間なのでしょう。先生の深いお気持ちに気づくことができなかったようです」
福沢諭吉の胸にも、この出来事は不快な記憶として残っていた。
とはいうものの、福沢の方から父親の木村芥舟に向かって持ち出せる話ではなかった。
福沢は、木村の方からこの件を口に出してくれたことを心の底からありがたいと思い、たまらなくうれしかった。
「もうこれで、木村さまとのわだかまりは何もなくなった」
木村芥舟も、福沢の心のわだかまりに気づいていた。
二人は、穏やかに笑い合った。
因みに、木村芥舟の長男浩吉が福沢諭吉の没後に取った行動として、次のような記録がある。
ここに、木村芥舟の二女清の孫の金原文四郎氏(1916~1989)が書き写した、大正十四年(1825)六月付けで作成された木村浩吉著『木村芥舟ノ履歴及経歴ノ大要』と題する文書のコピーがある。二百字詰原稿用紙にして二十一頁の手書きの資料である。
書き写された文書の奥書に、
『祖母鈴木清(芥舟二女)ヨリ拝借、直チニ書取リ、記録ス。(自昭和十一年八月二十三日夜、至昭和十一年八月二十四日昼) 孫金原文四郎』とある。
その文書の中に、次の一節がある。
『我国文化研究上ノ資料トシ殊ニ福沢先生一代ノ功業ニ関係アリトシテ慶応義塾図書館ヘ寄附セルモノ左ノ如シ。
・ 奉使利米堅紀行(咸臨丸航海日誌)
・ 庚申米利堅航海針路図(咸臨丸航海ヲ記ス)
・ 千八百六十年三月二十一日米国桑港市會議決咸臨丸歓迎文(軸物)
・ 布哇王自筆ノ紋章(彩色畫)
・ 接待用米国政府ノ仕払切手
・ 米国フエアモアクーパー號吾東海沿岸測量中ノ水彩畫』
木村浩吉は、後年に至り、亡き福沢諭吉への恩返しとして、亡父木村芥舟にまつわる貴重な文献・資料を慶応義塾図書館へ寄贈した。