2.今泉みねの話-9

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

2.今泉みねの話-9

人を連れて行くことはむずかしかったようでしたが、福沢さんが僕(ぼく)(下僕)でもいいから是非にと非常に熱心にお願いなさるので、父から紹介してとうとう一緒に行けることになりましたが、途中お船がこわれかかってずいぶんこわい思いをなさったそうでした。(中略)
大人は心配していても私はおみやのことばかり。その時のものは卵の様なかたがついた藤と紫のぼかし更紗(さらさ)で、それを長い間、着物できせられましたが、そうそう思い出すとふさのついた洋傘も頂きました。傘より外知らなかった時代でしたから、とても珍しく見てばかりいました。
女中達はしゃぼんをいただきましたが、匂いがよいのと異人のように色が白くなれると思うので、みんな白粉の上から一生懸命ぬりつけていた様子を思い出すと吹きださずにいられません。
御維新になってからは幾度仕官をすすめられても、ふっつりこの世から志をたち、詩や謡に一生を送って、徳川の旧臣として終りを全うしたのはあのおじ様らしいといつも思います。
夕方よく納戸からお出になって、庭に面した縁側に座が出来て、高砂や何かうたいをうたっておられるお姿がはっきり記憶に残っております。どこか非凡の力をもちながら、何をきかれても断言したことがなく、こうじゃないかと思うがと、何も知らないおじいさんのようになっていたおじの心をなつかしくも奥床しく思い出します」

木村摂津守喜毅は、明治維新後、歴史の表舞台から姿を消した。
福沢諭吉は、幕臣の生涯を貫いた木村喜毅の、ぶれのない生き様に共鳴した。
そして、木村が内に秘めていた一途な潔さに惚れ込んだ。
それは、福沢の父、豊前中津奥平藩の士族であった福沢百助が持っていた遺風と同質の、高いレベルの精神性を木村に感じたからであった。
こうして福沢は、木村芥舟を終生の恩人としてだけではなく、血が通い合った兄のように慕った。