6.サンフランシスコにて-12

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

 

6.サンフランシスコにて-12

 

台風の恐ろしさを一番よく知っていたのは、身をもって経験した咸臨丸乗組員と、江戸湾で測量船フェアモア・クーパー号を失ったキャプテン・ブルック本人だったからである。
三月二十三日にサンフランシスコからメーア島に回航された咸臨丸は、ブルックの技術指導と海軍造船所司令官R・B・カニンガム及び修理担当のキャプテン・マクジュガルによる絶大な支援体制で修理、改造工事が進められた。
咸臨丸側からは、浜口興右衛門と鈴藤勇次郎の二人が修理を担当することになり、毎日、造船所に出勤して工事に取り組んだ。他の士官たちも工事に立ち会った。
メーア島での修理工事は四十日間の急ピッチなものであった。
その結果、咸臨丸はほとんど完璧に修理され、五月一日にはメーア島の造船所からサンフランシスコに回航され、復路の航海を待つばかりとなった。
提督の木村摂津守は、修理費用について日本側の全額負担を申し出たが、アメリカ側は、
「厳冬の海を越えてアメリカに来てくれた遠来の咸臨丸に対する大統領のお礼の気持ちとして、アメリカ側が全額を負担する」
という好意を示した。
木村はアメリカ大統領の配慮に深く感謝して、
「それでは、咸臨丸の工事に尽力してくれた人々に礼をしたい」
と申し出たが、これも丁重に謝絶された。
そこで木村は、修理を担当してくれたキャプテン・マクジュガルと相談して、サンフランシスコの消防士や船員の未亡人団体に、木村が日本から持参した二万五千ドルを寄付することで話を纏め、日本側の厚い感謝の気持ちとした。