6.サンフランシスコにて-6

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

6.サンフランシスコにて-6

それからサンフランシスコの近傍に、メア・アイランドという所に、海軍港がある。その海軍港付属の官舎を咸臨丸一行の宿舎に貸してくれ、船は航海中なかなか損所が出来たからとて、ドックに入れて修復をしてくれる。逗留中はもちろん彼方で賄も何もそっくりしてくれる筈であるが、水夫をはじめ日本人が洋食に慣れない、矢張り日本の飯でなければ食えないというので、自分賄という訳にしたところが、アメリカの人はかねて日本人の魚類を好むということをよく知っているので、毎日々々魚を持って来てくれたり、あるいは日本人は風呂に入ることが好きだというので、毎日風呂を立ててくれるというような訳け。ところでメア・アイランドという所は町でないものですから、折節今日はサンフランシスコに来いと言って誘う。それから船に乗って行くと、ホテルに案内して饗応するというようなことが度々ある」』
さらに福沢諭吉を最も驚かせたのが、アメリカ社会の『女性尊重の風習』だった。
福沢が、驚きの筆致で『自伝』に記している。
それは、提督の木村摂津守に同行して行った先での出来事だった。
『あるときにメア・アイランドの近所にバレーフォーという所があって、そこにオランダの医者が居る。オランダ人如何(どう)しても日本人と縁が近いので、その医者が木村さんをどうしても招待したいから来てくれないかというので、その医者の家に行ったところが、田舎相応の流行家とみえて、なかなかの御馳走が出る中に、如何にも不審なことには内儀(おかみ)さんが出て来て座敷にすわり込んでしきりに客の取り持ちをすると、御亭主が周旋奔走している。これは可笑しい。まるで日本とアベコベなことをしている。御亭主が客の相手になって、お内儀さんが周旋奔走するの当然(あたりまえ)であるのに、さりとはどうも可笑しい。ソコで御馳走は何かというと、豚の子の丸焼きが出た。これにも胆を潰した如何(どう)だ。マアあきれ返ったな。まるで安達ヶ原に行ったような訳けだと、こう思うた』
福沢諭吉は、木村摂津守の従者として一緒に行動できたお蔭で、アメリカ社会の女性尊重の風習や豚の丸焼きを食するなどという、他の乗組員とは違った経験ができ、日本人からみれば非常に風変わりな風習・習慣に直に触れることができた。
また福沢は、木村から渡されたドルを使って、サンフランシスコの街中で買い物を楽しんだ。中浜万次郎と一緒に書店へ出かけ、万次郎が薦めてくれたウエブスターの辞書を二人で一冊ずつ購入した。