6.サンフランシスコにて-4

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

6.サンフランシスコにて-4

兎も角、木村提督の命令どおり、応砲を打つことが出来た」
勝は、この場に至っても、士官や乗組員の伎倆が格段に上達していることに気がついていなかった。
ところが、船が陸に近づくや、勝が元気を取り戻し、急に指揮官としての態度を取りだしたものだから、砲術方責任者の佐々倉が勝に痛烈な反撃を食らわしたという一幕だった。
応砲をめぐって勝と佐々倉が対立し、挙げ句に勝が日本人士官全員の笑いものになったとき、ふらつく勝の身体を支えるため船室からその場に出ていた勝の若年の従者は、激しく度を失い、主人をその場に残して慌てて逃げ帰ろうとした。
その従者の背に向かって、士官の一人が大声を浴びせた。
「おーい、ひとりで勝手にどこへ行く。今日からお前は佐々倉の従者だぞ」
他の士官が、勝をからかった。
「異存あるまい、勝さんよ」
また、一同大笑いになった。

その従者は、咸臨丸の乗組員がサンフランシスコに上陸した数日後、アメリカ側が用意したメア・アイランドの日本人宿舎から無断で抜け出し、そのまま姿を消した。
誰もが、勝から離脱したのだと思った。
ある士官が、勝に質した。
「勝さん。あんた供(とも)はどうした」
勝が、不機嫌そうに吐き捨てた。
「俺には、はなから供などおらん」
士官たちは勝の物言いに呆れ、そのとき以来、勝の従者のことには誰も触れなくなった。
日本に帰国した後も、勝は勿論のこと、木村も士官たちも、生涯、勝麟太郎の従者が姿を消した件については、一切口にしなかった。