6.サンフランシスコにて-3

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

6.サンフランシスコにて-3

入港して三日目、旗章の不満を引きずっていた勝麟太郎が、また問題を引き起こした。
ことの発端は、日米双方から祝砲を打ち交わすことになり、まず、アメリカ側が陸から歓迎の祝砲を打ち、これに応じる形でサンフランシスコ停泊中の咸臨丸から応砲二十一発を打つことになった。
これは、アメリカから歓迎の祝砲を打つという連絡があったので、礼を重んじる木村提督がアメリカへの敬意と謝意を表するための応砲を、咸臨丸からも打つように命じたものだった。
ところが、サンフランシスコに着いたとたん、勝麟太郎が艦長の立場を口実にして突然威張りだし、木村提督の決定に猛烈に反対した。
「木村さん、やめておけ。応砲なんか出来っこない。なまじ遣り損うよりも、此方(こっち)からは打たぬ方がよい」
勝の、軍艦奉行木村摂津守への対抗意識が露骨に表出した。
この一件についても、福沢諭吉が間近で事の顛末を目撃している。
「勝麟太郎という人は木村提督に次いで指揮官であるが、至極海に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかったが、サンフランシスコに着港すると、指揮官の職分として万端指図する中に、祝砲のことが起こり、木村奉行に向かって応砲することに反対した。
勝の反対に対して、木村奉行の気持ちを察した砲術方の佐々倉桐太郎が、
『イヤ、打てない事はない。俺が打ってみせる』
と言い返した。
すると、勝が、冷やかした。
『馬鹿を言うな。貴様たち腰抜けに大砲を打てる筈がない。打てたら、俺の首をやる』
佐々倉はいよいよ承知しない。なにが何でも応砲してみせると頑張り、砲術方小頭の大熊実次郎や砲術方の群家瀧蔵たちに応砲を指図した。
『俺たちの腕の見せ所だ』
大熊や群家は、大砲の掃除、火薬の用意をし、慎重に砂時計で時を計り、物の見事に応砲を成功させて塩飽の水主としての意地を見せつけた。
サア、佐々倉が威張り出した。
『首尾よく打てたからおぬしの首は俺の物だ。しかし、航海中、俺は用も多いから、しばらくその首をお前に預けて置いてやる。江戸に戻ったら、その首必ず返してもらうからな』
と言って、大いに船中を笑わせた。