木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-4

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

3.木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-4

後年になっては、「先生」と呼ぶのを常とした。
いずれの呼び方であっても、福沢への尊敬の念が込められていた。
福沢も、木村を、時と場により「木村さま」と呼んだり「木村さん」と呼んだりした。
木村が福沢に、「摂津守様」とだけは絶対に呼んでくれるなと、強く念を押したことがあった。
そう言われて、福沢が怪訝な目を向けると、木村は屈託のない表情で、「先生の心と私の心はいつも同じ(等しい)でしょう」と、笑って応えたという。

屋根の上から福沢が、叫んだ。
「木村さん、大事に至らず、安堵しました」
木村家の屋根の上で、福沢諭吉は遠くを見る目つきになった。
目の先の夜空には、四十一年前に、荒れ狂う北太平洋の大波に翻弄されながら懸命に航行する咸臨丸の船室の中で、一緒に過ごした若かりし頃の木村喜毅の姿が浮かんでいた。
福沢諭吉は、咸臨丸以来、できる限り、木村の身近に居るように心がけた。
一緒にいるのが訳もなく嬉しかった。

昼下がりの寒風が、福沢邸の窓ガラスを叩いた。
屋敷の中で、二人は現実に戻された。
襖を開けて、福沢の妻錦(きん)が、新しい茶菓をささげて入ってきた。
木村は軽く頭を下げ、錦に親しげに声をかけた。
福沢は、サンフランシスコに上陸した木村が、臆することもなく、ごく自然な態度で周囲のアメリカ婦人に接した光景を思い起こした。
それは、従者としてサンフランシスコに上陸した福沢にとって、非常に心強く、誇らしく感じられる、木村の振る舞いであった。