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春 二題

 春 二題

                            芦野 宏

 花

 昔の人は桜の花をこよなく愛したらしい

 今の人達はどうだろう

 僕はなぜか桜の花を思うと

 酔っ払いと食べ散らかしたお花見のあとの

 紙屑を連想してしまう

 だから僕は すみれ や たんぽぽみたいな

 野に咲く小さな花の方が 春らしくて好きだ

 
 雨 雨
 
 雨は去年の想い出を

 そっと忍び足で運んでくる

 傘をさして雨の中を歩く

 雨のにおいがなつかしい

 雨 雨

 去年もこの道に山茶花の花びらが

 こぼれていたっけ

 雨 雨

 四月の雨

<お知らせ>
 DVD「歌い続けて50年 / 芦野宏・シャンソンと共に歩む」 待望のDVD化!!!
 歌い続けて50年・芦野宏・シャンソンと共に歩む
¥4,180-
好評発売中
芦野宏先生の50周年記念ディナーショー「歌い続けて50年」(帝国ホテル 2003年収録)と「芦野宏・シャンソンと共に歩む」(日本シャンソン館 設立記念)の2つの映像を1枚のDVDに凝縮いたしました。芦野先生の名唱の数々…日本シャンソン館設立への思い…観るたびに新しい発見がある1枚です。
■「歌い続けて50年」(70分)
 1.我が若かりし頃/2.聞かせてよ愛の言葉を/3.パリの屋根の下/4.パリ祭/5.待ちましょう …他
■「芦野宏・シャンソンと共に歩む」(38分)
 1.ラ・メール/2.枯葉/3.ア・パリ/4.ナポリは歌う/5.セ・ラ・ロマンス …他
 ♪ご注文は通信販売、お電話でも承ります♪

■お問い合わせは下記にお願いします。
 日本シャンソン館
〒377-0008 群馬県渋川市渋川1277-1
TEL:0279-24-8686 FAX:0279-24-1919
営業時間 9:30~17:00(水曜日休館)

E-Mail:bureau@chanson-museum.com
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


ありがとういつまでも巴里

 ありがとういつまでも巴里

                           芦野 宏

 あの日歩いた道を 今も忘れはしない

 夢を見ているような あの眼差しさえも

 コンコルドの広場で 歩き疲れた二人

 それでも抱き合って 踊ったワルツ

 セーヌの川岸で 走りゆく小舟に

 ふざけて手を振った 若かったあの日

 あれから世界中の旅を続けたけれど

 どこの街にきても 思い出すパリ

 

 ミモザの花咲くパリ マロ土エの散るパリ
                                           l
 冬の厳しささえも 懐かしいパリ

 いつも私達を優しく包んだパリ

 初めて私達が 出会った街だから

 恋が芽生えたのも 愛を育てたのも

 二人寄り添いながら 歩き続けた街

 あの日であった道を 今も歩いてゆく

 ありがとう いつまでも あたたかいパリ

 ありがとう いつまでも 思い出すパリ

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  ~お知らせ~

 日本シャンソン館は3月7日まで「臨時休館中」です。
 2021年3月8日(月)より営業を再開いたします
 営業時間 9:30~17:00(水曜日休館)
 オンラインショッピングリニューアルオープンいたしました!
詳細は左側、項目一覧の「シャンソンCDショッピング 」をクリックしてください。
2020.11.18 シャンソンコラム 更新しました
左側、項目一覧の「Chanson column -シャンソンコラム-」をクリックしてください。
★日本のシャンソン・ブーム(3) その余韻 1958(昭和33)年~

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 1.我が若かりし頃/2.聞かせてよ愛の言葉を/3.パリの屋根の下/4.パリ祭/5.待ちましょう …他
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 日本シャンソン館
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人魚の泪

 人魚の泪

  芦野 宏

 

 月の光をあびて 砂浜に散る真珠は

 人を恋した人魚の なげきの泪

 満月の入江の岩陰 聞こえる歌声

 波にはかなく 消えゆく

 

 若い一人の漁師は 砂浜に散る真珠を

 拾いあつめて いつも 大事にしてた

 春の日の優しい光にまどろむ漁師は

 可愛いい 人魚と出会った

 

 はじめて知った恋は あまりにもせつなくて

 どんな綺麗な花より 美しかった

 愛しても叶わぬ恋だと知りつつ漁師は

 大事な真珠を渡した

 月の光をあびて 砂浜に散る真珠は

 人を恋した人魚の なげきの泪

 満月の入江の岩陰 今でも聞こえる

 哀しい 恋の歌声

 


芦野宏・略年譜-7(最終回)

 

今回が最終回です。
 ご愛読有難うございました。

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-7

 一九九三年(平成う) デビュー四〇周年記念リサイタルを東京(6/∥、有楽町朝日ホール)はじめ、神戸、静岡などで開催。記念に前年録音のシングルCD(東芝EMI)発売。
 一九九四年(平成6) 「日本シャンソン館」設立発表パーティー(う/乃、帝国ホテル)。記念に『芦野宏のすべて』CD五枚組二二〇曲を東芝EMIから発売。
 一九九五年(平成7) 七月七日1日本シャンソン館」プレオープン・セレモニーを名士多数列席のもとに挙行。一四日、日本シャンソン館(財団法人羽鳥文化振興財団、電話0279・24・8686、群馬県う0う渋川市下郷12771)開館、館長就任。
一言八日、コンサート卵『核も戦争もない地球を願って』を友情出演者の協力で開催。第二部はイヴェット・ジローの辞退によりシャルル・トレネを中心にしたプログラムに組み替える。
 一九九大年(平成8) このところ日本シャンソン協会主催の『ランデヴー・ア・ソミド』、実行委員金主催の『シャンソンフォリー』、恒例パリ祭などの合同コンサート、ディナーショーなどに出演し、本拠の「日本シャンソン館」では、土日・祝祭日のコンサー
トやシャンソン教室(三月↓で指導に当たる。四月に勲四等旭日小綬章を受章。一二月、イヴェット・ジロー引退コンサート(日本シャンソン館)。
 一九九七年(平成9) 永六輔、石井好子を招いて「日本シャンソン館」パリ祭を催す。
 一九九八年(平成10) 第四回日仏親善パリ・コンサート『メルシー、ル・dd ステ』をゲストにリーヌ・ルノーを迎えて、五月一五日パリ日本文化会館で開催。九月、自叙伝『幸福を売る男』出版。一〇月二日デビュー翌周年記念リサイタルを有楽町朝日ホールで開催予定。

   ーーーーーーー

 長期間の連載のご愛読、まことに有難うございました。
 今回を持ちまして「幸福を売る男・芦野宏」を了とします。
 これからも「シャンソン」および「日本シャンソン館」を宜しくお願いします。
 私も全力で「シャンソン」の発展に尽す所存です。

  2021年2月吉日
   日本シャンソン館館長
 日本シャンソン協会代表理事
      羽鳥 功二

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  ~お知らせ~

 日本シャンソン館は3月7日まで「臨時休館中」です。
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 歌い続けて50年・芦野宏・シャンソンと共に歩む
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■「歌い続けて50年」(70分)
 1.我が若かりし頃/2.聞かせてよ愛の言葉を/3.パリの屋根の下/4.パリ祭/5.待ちましょう …他
■「芦野宏・シャンソンと共に歩む」(38分)
 1.ラ・メール/2.枯葉/3.ア・パリ/4.ナポリは歌う/5.セ・ラ・ロマンス …他
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■お問い合わせは下記にお願いします。
 日本シャンソン館
〒377-0008 群馬県渋川市渋川1277-1
TEL:0279-24-8686 FAX:0279-24-1919
営業時間 9:30~17:00(水曜日休館)

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芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-6

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-6

 一九八九年(平成元) 前年の日仏親善パリ・コンサートの報告コンサートを郵便貯金ホール(1/30)で開催、六月五日にニュージーランド、オークランドで親善コンサート(リージエント・ホテル)に出演、植木浩文化庁長官のメッセージを代読、両国の音楽文化交流を果たす。七月にフランス革命二百年記念パリ祭でゲストのリーヌ・ルノーらと日本縦断公演をともにする。
 -九九〇年(平成2) 訳詞コンサート・シリーズ始まる。〔(なかにし礼(6/22、FM東京ホール)〕、薩摩忠(12/1、有楽町朝日ホール)、女性作詞家(九一年10/9,10、日仏会館ホール)、永田文夫(九二年6/26、朝日ホール)、続・薩摩忠(九二年12/25、26、博品館劇場)この年九月一七日シラク市長より、日仏親善、パリ市への貢献が評価され、パリ市ヴュルメイユ勲章を授与。同一八日パリ、パラディ・ラタンの『サンタオム・ショー』にゲスト出演。秋に紫綬褒章受章。
 -九九一年(平成う) 二月ヴュルメイユ勲章・紫綬璽早のダブル受章パーティ⊥帝国ホテル)。五月に日本シャンソン協会(会長・石井好子)が設立され、副会長に就任。二月、訳詞コンサートの『女性作詞家の世界』が文化庁芸術祭協賛公演として表彰される。
 一九九二年(平成4)第三回の「パリ年92」・東京・パリ友好都市提携一〇周年記念・が開催され(7月・12月)、その芸術フェスティバル、リーヌ・ルノー主演のシャンソン&レヴュー『サ・セ・パリ』(東急文化村シアター・コクーン)にゲスト出演「パリのミュージック・ホール」を歌う(∥/1)。リーヌ・ルノー滞日中に彼女と三二年ぶりに「いつの日かパリに」「知りすぎたのね」をデュエット録音。


 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-5

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-5

 一九八二年(昭和57) 東京都知事の文化使節として、第一回日仏親善パリ・コンサートを開く(8/26、インターコンチネンタル)。以後、海外での親善コンサートに力を入れる。同年、社団法人あゆみの箱(会長・森繁久弥)より、理事として、またチャリティ活動に対して「二十周年表彰」を受ける。芸能人山形県人会会長就任。一九八三年(昭和粥)デビュー三〇周年リサイタル(4/19、郵便貯金ホール)を開き、記念にLP『芦野宏の世界・私のシャンソン史・』発売(クラウン・レコード、八八年CD)。夏に第二回日仏親善パリ・コンサート(8/26、ホテル・ムーリス)でゲストにイヴェット・ジローを迎える。
 一九八四年(昭和59) ハワイ・コンサート(8/25、ヒロハワイアン)開催、同年九月に東京都知事主催レセプションで歌い、来日したパリ市長シラク氏に友好の新曲「パリ・東京」(安井かずみ/加藤和彦)を贈呈。
 一九八六年(昭和61) クラウン・レコード(現・日本クラウン)離籍。
一九八七年(昭和62)四月、社団法人日本歌手協会理事就任(八八年三月まで)。
 一九八八年(昭和の)「ふりむけばパリ」と題し三五周年リサイタル(6/臼、郵便貯金ホール)を開く。
 秋に第三回日仏親善パリ・コンサート(11/㌍ ホテル・ムーリス)でゲストにリーヌ・ルノーを招いて開催。滞仏中シラク市長誕生パーティーに、日本人で唯一夫妻で招かれ、お祝いに歌をプレゼント。

 


芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-4

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-4

一九六四年(昭和39)全国での労音公演数、五九年のあと二度目のピーク。
一九六六年(昭和41)ミュージカル『トゥ・ボインツ』、六七年テレビドラマ『コメットさん』、六八年の映画『天使の誘惑』と、多分野で活躍。
一九六七年(昭和42〈石井音楽事務所(六九年石井ミュージックプロモーション)移籍)一九大入年(昭和聖 芸術祭参加『歌の明治百年史』デビュー一五周年記念リサイタル開催(∥/8、厚生年金ホール)。
一九七〇年(昭和45) 大阪万国博(日本万国博覧会)7/9、12『シャンソン・フェスティバル』に石井好子、岸洋子らとともにダリダと共演。八一年7/113~15『シャンソン・ド・ボートピア』(神戸)、八五年七月科学万博・つくば朗『パリ祭』、八八年8/3海底トンネル開業記念『青函博コンサート』などに出演。
一九七一年(昭和46) 連続リサイタル(6/14・18、ヤマハホール)、前年好評を得たファミリー劇場(人形劇)を間に据え、前半を新旧の曲、後半の第三部はトレネほか作家別、シャンソン・コミック、パリと名のつく歌など五通りの日替わりプログラムを組む。
l一九七四年(昭和49) コンサート、ディナーショーなどステージ活動のかたわら、絵の分野で二科展初入選を果たし、以後八回連続入選、八〇年には二科展第朗回記念賞受賞。
一九七六年(昭和51)秋、紺綬褒章受章。デビュー直後にフランス大使館で経験したディナーショーは、この分野のパイオニアとして全国のホテル、レストランなどに出演。ファッション(宝石)ショーも加わり今日に至る。各地「芦の会」ディナーショーも盛ん。
一九七七年(昭和52) 歌手生活二五周年リサイタル(6/25、郵便貯金ホール、現・メルパルクホール)は「シャンソンの歴史」を歌い上げ、札幌、京都でも開催。東芝EMI(七三年改称)より長年のレコード活動に対してゴールデンディスク賞を授与。
(石井ミュージックプロモーション解散)一九七八年(昭和53)約二〇年間在籍した東芝EMⅠを離れ、クラウン・レコード(九〇年改称、現・日本クラウン)に移籍、新曲、名曲を次々とシングル、アルバムに収録。荒木広島市長より「平和公園への植樹協力に対して」感謝状を授与される。

 


芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-3

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-3

一九五九年(昭和34)七月、大阪労音(フェスティバルホール、産経会館ほか)二〇目で三〇回公演ほか、各地で多数。東芝レコード(六〇年束芝音楽工業、現・束芝EMI)専属。
一九六〇年(昭和35)春から初夏にかけて三か月間、世界一周旅行。北米から南米に渡り、アルゼンチン・ブエノスアイレスのオデオン・レコード社でタンゴと民謡を録音。ラジオ、テレビ、ステージでもタンゴをはじめ世界のポピュラーを原語で歌う。さらにフランスヘ飛び、パリのパテ・マルコニ社で「ラ・メール」「枯葉」「サラダのうた」「ロマンテイカ」をレコーディング。国営テレビ『ディスコラマ』出演。
パリを起点にエジプト、オーストリア(ウィーン)、ドイツ(デュッセルド~フ)なども歴訪。日立の帰国 コンサート(9/1、5、東京宝塚劇場)
一九六一(昭和36)三度目のパリ(新婚旅行)、戦後レヴューの女王リーヌ・ルノーとのデュエットで「いつの日かパリに」「モナムール」を録音、仏旦パテ・マルコニ、束芝輸入撃両国で発売。
一九六二年(昭和37) テレビ番組の二ンヤンルとして定着した「ワイドショー」の先駆けNHK『くらしの窓』で総合司会と歌を四月二日の開始から担当有水金)、番組終了まで四年間務める。毎回、明るいシャンソン、ときに新しいシャンソンを歌い、全国の茶の間に親しまれ、従来の日本人のシャンソン観を啓蒙し、歌の楽しみを幅広い層に広めた。翌六三年秋、この番組からパリに派遣され、著名デザイナーのメゾンでのファッションショーに招待、フランス国営テレビの姉妹番組『マガジン・フェミナン』に出演。それに備えて、同年初めに録音した仏訳の日本民謡六曲と服部良一作曲の和製ポップス四曲がパテ・マルコニ社レコード・ライブラリーとして収蔵される。


野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-2

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-2

一九五四年(昭和29)ラジオ東京一月六日開始の『花椿アワー』に淡谷のり子、越路吹雪とともに(準)レギュラー出演。五六年四月二日開始のニッポン放送『シャンソン・アワー』にゲスト、次いでレギュラー、五七年一一月に文化放送へ移り六〇年一〇月二六日の終了まで出演。この五四年から人気歌手晴れの舞台・日劇レヴュー『夏のおどり』『シャンソン・ダムール』、五五年『街に花は咲く』『秋のおどり』、五六年『巴里の屋根の下』、五七年『巴里の何処かで』ほかの長期公演に出演。その間に五四年第一回独唱会(∥/1、第一生命ホール)、五五年独唱会(4/2、山菜ホール)、神戸(12/16)、姫路(12/17、18)のリサイタル、放送、コンサートなどで多忙を極める。同じ五四年にはレコード各社が「芦野宏争奪戦」を展開、結局ビクター、マーキュリー、コロムビアから五五年にSP盤が同時発売となる。(菊池音楽事務所所属)一九五五年(昭和帥) NHK『紅白歌合戦』、初出場。
以来、十年連続出場を果たし、シャンソン界の記録となる。
一九五六年(昭和31)新記録の五日間連続リサイタル(4/30-5/4、山葉ホール)開催。八月にミュージカル『思い出を売る男』『陽気な水兵』の主役(東京宝塚劇場)。翌五七年三月、大阪労音(朝日会館)九日間、四月に自主リサイタルを前回と同じ山菜ホールで連続一週間に延ばし、五八年初夏に東京労音ポピュラー特別例会(四回、日本青年館)とクリスマス(自主、山菜ホール)一週間連続リサイタル。

この五六年七月一四、一五日にはワンマンショー『巴里祭シャンソンの夕』を日比谷野外音楽堂と山葉ホールで開催。翌年以降も日比谷野外の巴里祭を続けるが、六四年から石井音楽事務所・大庭音楽事務所主催のパリ祭に毎回出演して今日に至る。同じ五六年の秋に初渡仏し、本場歌手のステージ鑑賞と、多くの出会い、交友、ラジオ出演(パリ・アンテール、ユーロップ・ニュメロアン)などの成果を収める。とくにシャンソン歌手の檜舞台オランピア劇場への出演は東洋人初の快挙といわれた。初パリ体験を五七年に『パリの空の下』として出版(講談社)。労音その他の音楽鑑賞〔主催〕団体によるリサイタルは五六年以降、地方都市へも広がり、全国からの要望に応えて各地でも次々と開催。長期にわたる主催者としては、日立コンサート、音楽文化協会(音協)、民主音楽協会(民音)なども加わる。


芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-1

 

幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-1

一九二四年(大正13) 六月一八日、父・芦野太蔵、母・梅の四男として東京牛込・薬王寺町に生まれる。
父は山形(村山市)出身。母は茨城(水戸市)生まれ。
一九三一年(昭和6) 四月、東京市牛込区立牛込小学校(現・牛込仲之小学校)入学。三三年四月、長延小学校転入。
一九三七年(昭和12) 四月、成城中学校入学。
一九四四年(昭和19) 四月、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)養蚕科入学。
一九四六年(昭和21) 四月、同校製糸科転入。四七年、同校中途退学。
一九四八年(昭和23) 四月、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)本科声楽科入学。中山悌一、柴田睦陸、田中伸枝に師事。
一九五二年(昭和27) 三月、東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。四月、国府台女子学院(千葉県市川市)中・高等部音楽講師。九月、千代田区立一橋中学校(東京都)音楽教師。ともに五三年三月、退職。
一九五三年(昭和28) 二月一日、NHKラジオ『虹のしらべ』でラテンとアルゼンチン・タンゴを歌いデビュー。四月五目、そのアンコール番組でタンゴ「ひとしずくの涙」を再演。これをきっかけに、開局直後の「民間放送ブーム」、勤労者音楽協議会(労音)のポピュラー例会開始もあって、ラジオ束京(現・TBSラジオ)『ポルテニア音楽』『原孝太郎アワー』『モナ・キューバン・タイム』、文化放送『歌の散歩道』などの番組や労音から出演依頼が殺到、ゲストまたはレギュラーとしてラテン、タンゴ、シャンソ
ンほか世界のポピュラー全般にレパートリーを広げる。九月一三日、NHK同番組シャンソン特集に出演し「ラ・メール」「詩人の魂」を歌い、大好評。以後ほぼ月一度のペースでシャンソン特集に出演、新曲を開拓・紹介してシャンソン歌手としての地歩を固める。


あとがき

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて
 

 明けましておめでとうございます。

 新春二弾目の掲載ながらすでに「あとがき」になりました。
 これからも「シャンソン」および「日本シャンソン館」を宜しくお願いします。
 
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 あとがき

私の音楽人生のなかで、初めて脚光を浴びたのはNHKからの第一声であった。まだラジオの時代だったが、民間放送、劇場、各種音楽鑑賞団体きの公演にも恵まれ、やがてテレビの時代になり、NHK『くらしの窓』では司会進行の役まで受け持ち、芸域を広げることができた。
私の拙い自分史が、このたびNHK出版で実現したことは感慨無量である。今、この四十五年間、歌手として先輩やファンの皆様、新聞雑誌、ラジオ・テレビ関係など多数の皆様によって支えられてきたことを思い、感謝の念を新たにしている。
記憶というものは時とともに薄れゆくものだが、私の古い資料を綿密に調べ上げ、注記、年譜きにより史実をよみがえらせてくれた後藤光夫氏(鹿島出版会前出版部長)には深く感謝している。
最後に何年畠から「今、書いておかないと後悔しますよ」と、辛抱強く督促してくれた藤村知弘氏、そして、このたびの出版に際してお世話いただいたNHK出版常務取締役の萩野靖乃総合出版部長、藤橋和浩編集長、そして編集スタッフの三好正人氏に厚くお礼を申し上げる次第である。
 一九九八年七月十四日 「日本シャンソン館」開館三周年を迎えて 芦野 宏

 


謹賀新年  第四回日仏親善パリ・コンサート-3

 

   明けましておめでとうございます。
   旧年中は皆さまのお世話になりました。
   本年もよろしくおねがい申し上げます。

 

 

  2021年元日

   日本シャンソン館館長
 日本シャンソン協会代表理事
      羽鳥 功二

 

 

 

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 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて
 
 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

 第四回日仏親善パリ・コンサート-3

  • 小渕恵三 に対する画像結果

 地元(群馬)出身の小渕恵三外務大臣(当時)から、リーヌ・ルノーに対し銀杯と感謝状が贈られ、サミットのため不在であった松浦全権大使の代理として掘江公使からお祝いのメッセージを流暢なフランス語でいただき、今回のコンサートはめでたく幕を下ろした。私自身も爽快な気分で皆様にお礼を申し上げることができた。
 私は今「パリ祭」の地方公演から帰る車中でこれを書いている。一九六〇年代から八〇年代にかけては、シャンソンが日本でいちばん盛んだったころであり、私はいつの間にか往復の車中で原稿を書くことに慣れてきた。もともと随筆を書くことが嫌いではなかったので、今では単独のエッセイと連載ものが大量に手元にあり、薄れた記憶をよみがえらせてくれた。
  私は小学校の学芸会で初めて「春の小川」を大勢の人前で歌ってから、半世紀を超えている。私は今日も多くの聴衆の前で歌い、これからも歌い続けるだろう。
 しかし今の私には「日本シャンソン館」といぅ、皆様の厚いご支援によって出来上がった大切な存在がある。これをどのようにして守り、発展させていくかを考えなければならない義務がある。
 幸い、次男の功二が副館長を務め、若い世代にそった新しい考え方で協力してくれていることは嬉しい。私はここ渋川の「日本シャンソン館」が国内はもとより世界への文化の発信地であると同時に、幸せの泉であり、皆さんの憩いの場所となってくれることを願っている。まさに、私が苦から愛唱している「幸福を売る男」の歌詞のように……。

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 日本シャンソン館
 年始の営業について~
  本年は1月8日(金)より通常どおり営業いたします。
 2021年も皆様のお越しをお待ちしております♪
 開館時間 9:30~17:00 水曜日休館
■<お知らせ>
 DVD「歌い続けて50年 / 芦野宏・シャンソンと共に歩む」 待望のDVD化!!!
 (帝国ホテル 2003年収録)と「芦野宏・シャンソンと共に歩む」(日本シャンソン館 設立記念)の2つの映像を1枚のDVDに凝縮いたしました。芦野先生の名唱の数々…日本シャンソン館設立への思い…観るたびに新しい発見がある1枚です。
■「歌い続けて50年」(70分)
 1.我が若かりし頃/2.聞かせてよ愛の言葉を/3.パリの屋根の下/4.パリ祭/5.待ちましょう …他
「芦野宏・シャンソンと共に歩む」(38分)
 1.ラ・メール/2.枯葉/3.ア・パリ/4.ナポリは歌う/5.セ・ラ・ロマンス …他
芦野宏ファーストLPがCDとして復刻されました!
1957年10月に発売されたアルバム「芦野宏シャンソン・リサイタル」は、日本でポピュラー歌手が発売した最初のLPとして話題になりました。本作はその翌年4月に発売された「芦野宏シャンソン・リサイタル第2集」の音源もまとめてCD化した全18曲。当時の第一線のジャズメンたちと繰り広げる魅惑的 なシャンソンが楽しめる1枚です。薩摩忠氏の曲目解説付き。

■お問い合わせは下記にお願いします。
 日本シャンソン館
〒377-0008 群馬県渋川市渋川1277-1
TEL:0279-24-8686 FAX:0279-24-1919
営業時間 9:30~17:00(水曜日休館)

E-Mail:bureau@chanson-museum.com
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第四回日仏親善パリ・コンサート-2

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて
 
 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

 第四回日仏親善パリ・コンサート-2

 終わってから、最上階のレセプションルームに大勢で集り、交流のひとときを過ごした。
出演した歌手たちを家庭に招いて接待したいという申し出もあったが、短い滞在期間なので果たせなかった。私が日本の真ん中から文化を発信・交信したいと考えていた、夢の第一歩を踏み出したと思っている。当日は長男の仁博が司会し、フランスの青年セリアン・ポープ君が通訳した。
 概要は、生前ルル・ガステが 「日本シャンソン館」開設にあたり、多大な協力をしてくださったことに対する感謝の気持ちをこめて、ご存命中にお招きできなかったことを悔やみ、芦野宏とその門下生たちが、この偉大な作曲家を偲ぶべく、彼の作品を中心としたコンサートを開く、という主旨を伝えた。コンサートの規模は小さかったけれど、じつに充実した、約一時間のショーであった。生徒たちも精いっぱい歌い、練習のときより上出来だったように思う。最後に、むかしリーヌとデュエットした「モナムール」を、ご愛矯に私と妻がデュエットした。これは、ルルが私たちの新婚旅行の際お祝いに選んでくれた曲だからである。ずぶの素人である妻が一生懸命歌ったことによって、私たちの感謝の気持ちもいっそうよく伝わったのかもしれない。会場からは大きな柏手が鳴りやまなかった。
 このコンサートが成功したと感じたのは、終演後、磯村館長が海外出張で不在だったため、代理で出席してくださった副館長から「たいへん内容の充実したコンサートでした。このようなコンサートなら、来年もまた企画してください」とおほめの言葉をいただいたからである。


第四回日仏親善パリ・コンサート-1

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて
 
 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

 第四回日仏親善パリ・コンサート-1

 財団法人羽鳥文化振興財団として平成七年七月に発足した「日本シャンソン館」は、日本の真ん中、渋川を文化の発信地としてその輪を広げていくことを理想としているが、私は多くの方々の多大な励ましのお心によって支えられ、勇気づけられている。
 館内に収蔵されている展示品のすべては、有志の方々から寄贈されたものであり、いくら金銭を積んでも買い求めることのできない貴重なものばかりである。イヴ・モンタンやエディット・ピアフの身に着けていた遺品、モーリス・シュヴァリエの自筆の手紙、数千枚にのぼるレコードや楽譜、ポスターなど、私はいったいどのようにしてお礼を申し上げればよいのだろう。
ここにあるあらゆるものは、善意と好意によって光り輝いている。
 今度は私が皆さんへなんらかのかたちでお返ししなければならない立場にあるのだ。そこで私は、その一つとして、四〇年間、多忙のあまり忘れていた「教えること」を思い立ったのである。つまり生徒に歌を教えることである。一か月に一度、館内のシャンソニエでシャンソン教室をもつことにした。四〇年来のお付き合いである作曲家の佐々木準氏に協力してもらって、県内のシャンソン愛好者を対象にした。一人三〇分だけの個人指導であるが、めきめき効果が表れ、県外や東京からも集まってきた。そのなかから私と佐々木氏の採点上位七名を選んで、本場でその成果を確かめようというねらいもあった。
 昨年はフランスにおける「日本年」、今年(平成十年)は日本における「フランス年」である。コンサートを開き、民間レベルでの交流を図りたい。ごく普通の家庭の主婦がフランスの
シャンソンを勉強し、パリで発表することは意義のあることと信じる私は、パリ日本文化会館の磯村館長のお許しを得て、五月十五日の夜、日仏友好の親善コンサートを開催した。結果は予想以上の成果を収めたと自負している。曲目を故ルル・ガステの作品に限ったこともよかったと思う。夫人のリーヌ・ルノーも、ご母堂を伴って会場に現れ、涙を流して感激してくれた。

 


「日本シャンソン館概要」-3

 幸福を売る男
     芦野 宏

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 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

「日本シャンソン館概要」-3

 後輩の仲マサコさん、堀内環さんとも相談して、この難局を乗り越えるべく、曲目も平和を願ったシャンソンをそろえることにした。この機会に新人紹介の意味も含めてシャンソン・コンクール入賞の男性二人(畠山文男、熊田良治)にも出ていただくことにした。反戦反核をテーマにした第一部では堀内さん、伸さん、イヴェット・ジローと親しい田中朗さん (弾き語り)、真木みのるさん、それに私とで歌い、第二部は私がシャルル・トレネの名曲などを祈るような気持ちで歌った。結果は大成功であった。新聞が「核も戦争もない、平和を願うコンサート」として取り上げ、舞台の上から客席に訴えた私のメッセージを大きく扱ってくれた。
イヴェット・ジローは次の年の十二月に約束を果たしてくださった。「日本シャンソン館」では、待ちかまえていたファンによってコンサート会場は熱気にあふれ、最後に彼女が歌った「さよなら」という曲では全員がハンカチで目を拭いていた。1私は八十歳になりました。今年のコンサートを最後にして日本の皆様の温かいお心は大切にフランスに持ち帰ります」。という言葉を残して……。
 それから一年たって、枯葉の季節には高英男さんが、クリスマスには深緑夏代さんが、また有名人としては俳優の渡辺文雄さん、東野英心さん、写真家の立木義浩さんも見えた。しだいに「日本シャンソン館」も活気を呈してきた。代議士の原田昇左右さんは、とつぜん予告もなく見舞ってくださったし、ふくろう博士の古川のぼるさんは、近所まで来たからといってたびたび立ち寄ってくださる。放送タレントの大沢悠里さんに出演していただいたときには八〇〇人の入場者を数え、館長の私としてはいささか舞い上がってしまった。
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 日本シャンソン館・ライブスケジュール
しばらく中止させていただきます。
再開が決定しましたらご案内いたします。
日本シャンソン館 館長・羽鳥功二

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「日本シャンソン館概要」-2 

 幸福を売る男
     芦野 宏

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 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

「日本シャンソン館概要」-2

 プレオープンに出席してくださった方々は、私の趣旨に賛同するシャンソンの愛好家ばかりである。仙台から新幹線を乗り継いで来られた亀井文蔵氏と清子夫人は、ホールにご愛用のグランドピアノを寄贈してくださったが、これはかつて私がピアノ伴奏をして、氏が得意のフランス語で「巴里の屋根の↑」を歌ったことのある思い出の品である。
 NHK会長(当時)の川口幹夫氏は、かつて私たちの時代に音楽ディレクターをされていた方だったから、深緑夏代さんの歌う「愛の讃歌」、石井好子さんの「二人の恋人」、私の「巴里の屋根の下」などを懐かしそうに聴いておられた。一階の多目的ホー~ではフランス風のビュッフェ・スタイルの宴席をもうけて、その日は和気あいあいのうちにお開きとなった。
 そして一週間後、七月十四日はパリ祭で、この日がほんとうの「日本シャンソン館」正式開館日となったのである。当日は全国各地「芦の会」の皆さんがそろって来館され、二階のシャンソンニエ(シャンソン小屋)では、「アートフラワー」の飯田倫子先生が自ら活けてくださった、美しい「ミュキフルール」の前で、木村光成氏作曲の「シャンソン讃歌」が木村仁さんの歌で発表された。群馬県内だけでなく東京や大阪からも応援に駆けつけてくれた十数人の歌手たちによって、次々とお馴染みのシャンソンが披露された。
 三年以上にわたる準備と心労はいちおう報われたかのようにみえたが、思わぬ難問題が待ちかまえていた。十一月に日本でコンサートを予定していたイヴェット・ジローからお断りの手紙が届いたからである。日本でフランスの核実験反対のデモが起きていることを知った彼女は、手紙にこう書いてあった。「私はフランスの心と日本の心をもっています。今年は約束を守れないことを許してください。ほんとうにごめんなさい」
 さて困ったのは、切符をすでに発売していたことである。「日本シャンソン館」の公演は人数も少ないから一人ずつ電話でお断りできたのだが、十一月九日、有楽町朝日ホールのほうはそうはいかない。急きょ、プロデュースの藤村知弘氏と相談して、『核も戦争もない地球を願って』と題したコンサートに変更し、核実験反対の意思表示を、歌を通して行うことにした。

 


「日本シャンソン館概要」-1

 幸福を売る男
     芦野 宏

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 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

「日本シャンソン館概要」-1「日本シャンソン館概要」
 フランス生まれのシャンソンは、戦前戦後を通じて日本人の心にしっかり根づき、すでに日本の音楽のひとつになっているといっても過言ではありません。シャンソンが日仏親善に果たした役割も多く、二十一世紀に向けてさらにその礎を深め、わが国でのシャンソンの普及と研修、そして憩いの場となる「文化の発信基地」の必要性を痛感し、日本の真ん中に位置する群馬県渋川市に『日本シャンソン館』 (館長・芦野宏)を設立する運びとなりました。 しかし、オープンの年はさんざんであった。阪神淡路大震災に始まり、サリン事件なども起こり、財政面も計画どおりにはいかなかった。そのうえフランスの核実験があって、いわれもなく「日本シャンソン館」への風当たりが強くなり、抗議や嫌がらせのファックス、電話などもあり、「シャンソン」はフランス政府の政治となんの関係もないと、いくら弁明してもわかつてもらえなかった。こんななかで七月七日にプレオープンが決行されたが、群馬児警と渋川警察の多大な協力を仰ぎ、特別にSPをつけて、私自身も衣服の下に防弾チョッキを着けさせられた。「決行すれば生命の保証はできない」という怪文書が此まわっていたし、当日HNHK会長はじめ各界の要人に、もしものことがあってはと思ったからである。
そんな人知れぬ緊張感のなか、プレオープンのセレモニーは大成功裏に終わった。当日の朝、服部ピエレット夫人が運んでくれたイヴ・モンタンの舞台衣装も無事到着し、セーヌ川の水はポリ憲に入ったままエー~フランスの飛行機に乗って届けられた。庭内の小さな噴水池にセーヌの水と、同時に運ばれた板東太郎(利根川)の清流も注がれ、日仏友好の池でミックスされた。その水は電動により循環され、噴水となって天に向かってほとばしった。愛と平和を象徴する白い鳩が鐘の音が高らかに響きわたるなかに舞い上がり、来館者はシャンパンで乾杯し、開館を祝ってくれた。

 

 


「日本シャンソン館」設立-1

 幸福を売る男
     芦野 宏

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「日本シャンソン館」設立-1

 平凡な家庭で、真け年の離れた末っ子として生まれた私は、甘やかされて育ってきたが、目上の人には素直に従うよう教育されていた。しかし、一つだけ違うことがある。目上の大反対を押し切って音楽の道を選び、自文の意思を貫き通したことである。
 幼いころから腺病質で、医者と薬の世話になりながら成長してきた私は、音楽の道に入る決心をしてからすべて変わった。自分の魂をこめて精進できるものに出合えたことは幸いであった。私は今日まで、自分を生かしてくれた1音楽」というもの、とくに四〇年以上も歌い続けてきた「シャンソン」というものに、感謝しなければならないと思うようになった。
 平成七年(一九九五)七月、私は群馬県渋川市に「日本

  • 日本シャンソン館 に対する画像結果

シャンソン館」を設を設立した。楽譜・資料を次の世代に残し、若い歌手たちに歌える場所を提供できればという夢を石井好子さん、植木浩さん(日本シャンソン協会理事)たちと話し合い、シャンソン資料館の設立に傾いていった。ちょうどそのころ、NHK前橋支局の荻野昌宏さんや、地元渋川青年会議所(JC)の梅沢明さん、田村久さん、小山哲弘さん、大森隆博さんらの熱心な町おこし運動の呼びかけに私も賛同し、渋川市

  • 日本シャンソン館 に対する画像結果

の登板秀市長の賛意もあって、私の第二のふるさと渋川の地に建設を決意した。用地は義父・羽鳥久雄が提供してくれることになり、大木紀元氏のマスタープランのもと、建設会社フジタの統括と、各専門企業の協力により、工事は一気に進められた。設立趣意書を紹介しておこう。
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音楽を教わること、教えること-5

 幸福を売る男
     芦野 宏

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5、パリ・コンサートをめぐつて
 
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 音楽を教わること、教えること-5

 芸大を卒業後、短い間だったが、私は千葉県市川市の国府台女子学院の音楽教師として教鞭をとった。この学校は歴代の音楽担当が芸大から派遣されており、N響の指揮者だった森正さんや、メゾソプラノの奥田智童子さんも、かつては音楽を教えておられたと聞く。この学校で私は音楽一般の授業を受け持つことになった。期末試験の成績をつけることはいちばん苦手だつたが、思いきって私は全生徒に甘い点をつけた。なによりも音楽というものを好きになってもらいたく、この授業時間を楽しみに、心待ちにしてもらいたいと願う気持ちからである。音楽の好きでない生徒たちの心も、こちらに向けさせたかったからである。

 雨上がりの日は校庭に出て、みんなでコーラスをした。あまり広い庭ではなかったが、隅のほうに木立があったので、生徒たちに思い思いの場所に立たせて教科書のなかから一曲を選び、単音で合唱をさせる。私の低音が三度高い和音をつけて一緒に歌うと、単調な歌が生まれ変わつたように生き生きとしてくる。もともと音楽は自然に発生した素晴らしいものである。みんなの力で現在のような立派なものが出来1がってきたのだ。この素晴らしい大の恵みをみんなで分かち合ってもらいたい。
音楽が芸術としてしだいに高い位置を占めるようになったのは、十八世紀ごろから、楽聖と呼ばれる天才が出現して、しだいに音を使った芸術の華が開いてきたからである。古典音楽もバッハの時代は即興が主だった。音楽の本質は即興である、と私は思っている。アメリカのジャズも、アドリブで光り輝き、そのときの即興で最高の光を放つことが多い。とても譜面や音符では表現できない、不思議な生きものが音楽だと思っている。
 芸大に入学したら、楽典の時間があって、難しそうな分厚い教科書を渡された。ところが読んでみると、みんな知っていることばかりだつた。実際に経験した人が書いたことだから、経験していない人にとっては非常に難しく感じるだろうが、わかりきったことを書き直しているだけのことである。音楽を学問として、音楽教育を主体として考える場合でも、私は難しいという第一印象を生徒に与えることはマイナスだろうと思う。音楽の授業なら、楽しい授業として、楽典も楽しみながら覚えることが私の理想である。それは少し甘い考えといわれようとも。える立場 しかし、教師の立場からとつぜんポピュラー音楽の世界に飛び込んでしまった私だから、決して大き顔をしてこのようなとを言える立場でないことは十分にわかっている。

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音楽を教わること、教えること-4

 幸福を売る男
     芦野 宏

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 音楽を教わること、教えること-4

 教えることと教わること、どちらが難しいことだろうか。中山先生は、私が週に一回お宅に伺ってレッスンを受けるとき、物足りないくらいなにも注意してくださらない。私はもっと悪いところ、良いところを指摘して、どんどん注意してもらいたくてウズウズしていた。もちろん質問に対しては答えてくださるのだが、いつも物足りなさを残して帰ったものである。
 五〇年ぶりかに、先生とお話しする機会があった。そのとき先生から言われた。「芦野君、ばくは君になにも注意しなかっただろ」。すかさず私は答えた。「とても物足りなく…思っていたのです」。先生は笑いながら、初めてあのころのことを話してくださった。
「君はそのままのほううがよいと思ったから、なにも注意しなかった。このままのほうが伸びると思ったのだ」。なるほど、こんな教え方もあるのだと初めてわかったような気がした。
今でも中山先生を歌手として、教育者としてこのうえなく敬愛している私は、今「日本シャンソン館」で生徒に教えるとき、その教育理念みたいなものが私の心の中に生き続けている。
 ソプラノの佐藤しのぶさんとはテレビ番組で共演したり、先生のお弟子さんの会でもよくお目にかかるが、彼女がもって生まれた音楽性を、そのままに伸ばされたのは中山空のおかげではないかと思っている。佐藤さんのようにスター性のある方は別としても、先生の門†生はそれぞれの個性を伸ばして生き生きと活躍されている姿を見るにつけ、先生の考え方が間違っていなかったことを確認する思いである。
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音楽を教わること、教えること-3

 幸福を売る男
     芦野 宏

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 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

 音楽を教わること、教えること-3

 戦争が終わって巷に音楽が戻ってきても、私たちは手放しで喜ぶわけにはいかなかった。よろこぶべきことは十分にわかっているのだが、今まで両手両足を縛られていたゲートルを自分自身でほどいていかなければならない。つまり、心の切り替えがうまくいかないということである。
 終戦後、初めて迎えた正月は雪深い山形市の郊外であった。東京は焼野原の状態だったから、私は生まれ変わったような気持ちで、きれいな新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んだ。町の映画館のアトラクションに出て歌い、初めて出演料をいただいたのも、この年であった
 。戦争というものによって中断されていた心の中の一匹の虫が、また頭を持ち上げ始めてきたことを実感しながら・・・。
私が本格的な音楽の指導を受けたのは、音楽学校受験のために中山悌一先生の教室に通ったころからである。

 「紅いサラファン」

     訳 津川 圭一
      ロシヤ民謡

 紅いサラファン縫うてみても
 楽しいあの日は帰りやせぬ
  たとえ若い娘じゃとて
 なんでその日が長かろう
 燃えるようなその頼も
 今にごらん 色あせる
 その時きっと思いあたる
 笑うたりしないで母さんの
 言っとく言葉をよくお聞き
 とはいえ サラファン縫うていると
 おまえといっしょに
 若がえる 若がえる

 上田市の公会堂で初めて聴いたこの歌。中山悌一先生の完璧な発声・発音・音程すべてに魅了され、心を奪われた。若き日の私の願いがかなって、中山先生の門下生となり、基礎の勉強に熱中した。歌曲を歌うことより、なにより発声であり、読譜力であり、リズム感であり、正確な音程であり、呼吸法であることを悟り、一生懸命努力した。
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音楽を教わること、教えること-2

 幸福を売る男
     芦野 宏

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 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

 音楽を教わること、教えること-2

 この市ヶ谷の高台に建った新しい家からは九段の靖国神社がよく見え、両国の花火も部屋から見ることができた。
 父は実業家らしく堅実で、都内に何軒かの貸家を建てていた。わが家の隣に建てられた渋い和洋折衷の家は、有名な希音家(きねや)六治(本名・山田抄太郎)さんに貸していた。だから、隣ではいつも三味線の音色が聞こえていた。大勢のお弟子さんが出入りしていて、歌舞伎の世界では有名な方も来られたという。
 山田抄太郎さんは奥様との間にお子さんがなかったので、当時小学生だった私をヒロちゃん、ヒロちゃんと呼んでかわいがってくださった。三味線は教えていただけなかったが、私はいつの間にか「松の緑」と「元禄花見踊り」の一節を自己流で弾くことを覚えて、占星の前で弾いてしまった。「ヒロちゃん、うちの弟子になってください」と冗談だろうが、抄太郎先生はたいへん喜んでくださった。
 華やかな和服姿の女性が出入りしていても、洋楽と違って官憲のほうからの注意はなかったらしい。それにひきかえ、永田町の現在の首相官邸の裏にあった小さな貸家を借りていたヴァイオリニストとピアニストのご夫婦は、気の毒なことに三か月で家を追われた。ご主人は日本人、奥様は外国人であったが、ドイツ人と名乗っておられた奥様のほうになんらかの嫌疑がかかったらしい。日本を離れるとき、奥様が小さなヴァイオリンを片手にご挨拶に見えたとき、
とても悲しそうな表情であった。「日本ではもう音楽を演奏できないから、ドイツに帰ります」と言われた。私は小学生だったが、とても悲しい思いで玄関から二人を見送った。記念に二人のステージ写真をいただいたが、戦災で失ってしまった。

 中学生のとき、第二次世界大戦が勃発し、ますます非常時態勢は加速して、山田抄太郎さんのお宅も、家に防音の壁を作ったりして、華やいだ姿のお弟子さんたちはだんだん少なくなっていった。やがてこの市ヶ谷の家も強制疎開という名目のもとに取り壊され、永田町の貸家も戦災にあって跡形もなくなった。あのころはまったく無我夢中でその日その日を牛き抜くことだけしか考えられなかったし、写真も残っていないから、記憶の糸をたどっていくより什方がない。

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エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢-1

 幸福を売る男
     芦野 宏

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 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢-1

 音楽を教わること、教えること-1

 音楽というものを初めて意識したのは、五、六歳のころだったと思う。母はむかし小学校の教員をしていたことがあり、ピアノを弾きながらよく歌ってくれたものだが、弾くほうはあまり上手ではなかった。私には姉が三人いたが、母は家庭教師という名目で、上野の音楽学校を出たばかりの牧野守次郎先生を招き、姉たちにバイエルから手ほどきをしてもらっていた。
 牧野先生は外交官のご子息で、たいへんあか抜けした青年であった。私は音楽好きの少年だったから、いつも姉たちのレッスンを部屋の外で聴きながら育った。父の意向で、男の子が柔弱な音楽など習うべからずと言われていたからである。父は講談や落語を聞くことはあっても、洋楽にはまったく興味を示さず、軍歌でさえ歌えないほどの音痴であった。三人の姉たちがその遺伝を受けている。
 さて、部屋の外で聞き耳を立てていた私は、先生が帰られたあとで、その曲をまねて弾いて姉たちに聴かせてやることがたびたびあった。「好きこそものの上手なれ」という諺があるが、姉たちはきっとピアノがあまり好きではなかったにちがいないと思っている。その証拠に、まもなく先生も家へ来なくなった。
 牛込区立牛込小学校に入ってからの音楽の時間は、つまらなかった。ただ歌うだけの授業は退屈である。ちょうど二年生の二学期から、音楽担当の牧野守次郎先生が課外授業でピアノを教えてくださることになり、ほかのクラスの女生徒である鷲尾ゆう子さんと私は、授業が終わつてからピアノのレッスンを受けた。小学校二年生でも、美しい女性のことはよく覚えている。
 ひときわ日立つ上品な少女であった。同級生でもクラスが違ったから請をすることはなく、今でも脳裏に焼きついていてときどき思い出す。しかし、それもほんの短い間のことで、三年生から私は転校することになっていた。市ヶ谷駅から近い高台に新築した家に引っ越して、そのすぐ隣にあった長延小学校で三年生を迎えたのである。
 今までの家と違い二階にそれぞれの勉強部屋があって、子供本位の間取りであった。クリーム色の壁に赤い屋根という超モダンな洋館なのに、一階の広間にはピアノが運ばれてこなかった。父の考えで、末っ子が音楽に熱中しないようにしたらしい。また、ちょうどそのころから日本も戦時色が濃くなりつつあり、洋楽をする家は白い目で見られるような風潮になっていた。


シラク市長誕生パーティー 4

 幸福を売る男
     芦野 宏

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5、パリ・コンサートをめぐつて
 
 シラク市長誕生パーティー 4

《参考と補充》
2 昭和三十一年(一九五六) 芦野 宏、オランピアに特別出演「ラ・メール」ほか歌う
 昭和四十二年(一九七七) 五輪真弓、オランピアのアダモ・ショーにゲスト出演
 平成二年(一九九〇) 石井好子、オランピアでリサイタル

5 昭和六十三年(一九八八) 芦野 宏、第三回日仏親善パリ・コンサート
 平成十年(一九九八) 芦野 宏、第四回日仏親善パリ・コンサート

8 明治三十三年(一九〇〇) 川上音二郎、パリ万博で「オッペケペ一節」録音(東芝EMI復刻)
 大正六年(一九一七) 三浦 環、アメリカ・コロムビアで「ある晴れた日に」ほか録音)
 大正十四年(一九二五) 藤原義江、アメリカ・ビクターで「荒城の月」ほか録音)
 昭和四十四年(一九六九) 森山良子、アメリカで「思い出のグリーン・グラス」ほか収録のLP
  録音
4関連 昭和二十九年(一九五四)
    昭和二十六年(一九六一)
リーヌ・ルノー、ディーン・マーチン(米)と二曲デュエット録音
リーヌ・ルノー、アシノ・ヒロン(日)と二曲デュエット録音
 芦野宏の言葉を借りると、「戟後十年あまりをへて世の中も落ち着き、ようやく心にゆとりができてきて、人々がシャンソンのようなムードを多分にもった歌を望むようになってきた。いいかえれば、シャンソンのなかには日本人の心にフィットする大衆性がある」 (アサヒ芸能新聞、昭和三十一年七月十四日)。
 彼はわが国が第二次世界大戦の敗戟から立ち直り高度成長に向かうころ、戟後の日本ポピュラー史で「初めて」 と「最多」 の記録を次々とうち立てた。
 この一〇項目のなかには既刊書の空自を埋め、または塗り替えるものがいくつかあるのではなかろうか。

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シラク市長誕生パーティー 3

 幸福を売る男

        芦野 宏

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 シラク市長誕生パーティー 3

シャンソン歌手、芦野宏さん のご逝去を 悼みます スケルツォ倶楽部 ...

薩摩忠が昭和五十八年の『芦野宏シャンソン三〇年史』に寄せた「芦野宏さんの(初めて)集」でピックアップした、日本人として「初めて」 の記録は次のとおり。

シャンソン歌手、芦野宏先生のお別れの会。先の日曜、銀座でフェル ...

 1 五日間の連続リサイタル (昭和三十一年)、一週間連続リサイタル (昭和三十二、三十三年)
 2 パリ、オランピア劇場出演 (昭和三十一年)
 3 ポピュラー歌手として初のLP盤レコード(昭和三十二年、ウエストミンスター)
 4 フランス人とのデュエットで海外録音 (昭和三十六年、パリ)
 

清水康子・シャンソン・歌手・ロックハート城・ホテル べラヴィータ ...

5 周年リサイタル (ディナーコンサート) のパリ開催 (昭和五十七、五十八年)

 「最多」 の記録はいずれ後世のだれかに破られるが、「初めてL のそれは不滅である。
 じっはこのほかにもまだ 「最初または最多」 の記録がいくつかある。

 6

日仏マナーのずれ」4 薮内宏 (イラスト 芦野宏)|日本シャンソン協会

 東京労音のポピュラー例会テストケースとして特別例会リサイタル (昭和三十三年)
 7 ポピュラー歌手としての海外録音(昭和三十五年 ブエノスアイレス、パリ)
 8 芸能人として初めて放送番組の司会者を務める (『くらしの窓』昭和三十七年)
 9 仏訳日本民謡をパリで発表、レコード会社に資料保存(昭和三十八年)
 10 NHK 『紅白歌合戦』 に一〇年連続出場、シャンソン歌手でただ一人 (昭和三十九年)


シラク市長誕生パーティー 2

 幸福を売る男

        芦野 宏

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 シラク市長誕生パーティー 2

シラク元仏大統領死去、86歳 EU推進、米と一線画す独自外交|全国 ...

 八時からの晩餐会はじつに素晴らしい、エスプリのきいた楽しいものであった。招待客のなかで外国人が私たち夫婦だけであったせいか、特別扱いでいちばん良い席を与えられたので、スライドを使った酒落た演出や、知恵をしぼった手作りのアトラクションがよく見えて、じつに楽しかった。食事のあと、大きなボール箱が運び込まれ、シラク氏の前に置かれて彼が大きなリボンをほどくと、その中から前かけをした彼と等身大の人形がとび出し、われわれ一同「フレール・ジャック、フール・ジャック、ドルメ・ヴー」を合唱した。
 みな大笑いで盛り上がったところで、私が紹介され、「いつの日かパリに」をフランス語で歌ったのである。今度はみなしんとして静かに聴いてくれた。映画やテレビでよく見かける人たちに交じって、シャンソン界の大御所シャルル・アズナヴールや、アンリ・サルヴァドール、リーヌ・ルノー、ミレイユ・マチエーらの顔も見えたが、みな大きな拍手を送ってくれた。な
により嬉しかったのは、帰国してまもなくシラク氏から届いたあのときの写真と、心のこもった感謝の言葉であった。

(注)
 二六七ページに「二年間の契約でカジノ・ド・パリに出演中のリーヌ・ルノー」とあるが、実際にはそのレヴュー『愉悦』は昭和三十四年十二月に幕が上がり(芦野夫妻が訪ねたのは三十六年六月)、三十九年四月まで四年半近く、一〇〇〇回というロングランの大記録をうち立てた。その後も何度か記録をつくり、戦後最高のレヴュー・スターと謳われる。彼女は戦前のレヴューの女王ミスタンゲットの助言でレヴューに取り組んだという。
 平成四年七月から十二月、東京・パリ友好都市提携一〇周年を記念して第三回『パリ年㌘が開催された。その文化交流の芸術フェスティバルのなかにシャンソン&レヴュー『サ・セ・パリ』があり、リーヌ・ルノーが東急文化村シアター・コクーンで華々しいステージを見せた。このパリ、パラディ・ラタンかカジノ・ド・パリのようなショーを再現した舞台には、石井好子(十月三十日)と芦野宏(十一月一日)が日替わりでゲスト出演した。パリで数々のレヴューを見ている薮内久氏いわく「往時の本場の
ステージに劣らない見事なものですよ」。
薩摩忠が昭和五十八年の『芦野宏シャンソン三〇年史』に寄せた「芦野宏さんの(初めて)集」でピックアップした、日本人として「初めて」 の記録は次のとおり。


シラク市長誕生パーティー 1

 幸福を売る男

        芦野 宏

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5、パリ・コンサートをめぐつて
 

 シラク市長誕生パーティー 1

「いつの日かパリに」
詞 芦野ふさえ
曲 ルイ・ガステ

 思い出のみやこ パリ
 あの石だたみに 残る
わがふるさと
思い出よ
  ひとりはなれて 寂しく
  うちくだかれた わが胸
  すべてを夢と忘れて パリ
  こよい胸にしむ 思い出の パリよ

この曲「いつの日かパリに」は、今でも私の大切なレパートリーとして歌っているが、私の第三回日仏親善パリ・コンサートの前日、とつぜん当時パリ市長であったジャック・シラク氏の誕生パーティーに招かれたとき、この曲を歌って参会者から拍手喝采を受けた。それは昭和六十三年(一九八八)十一月二十七日、日曜日のことであった。その前の日、シラク夫人から一通の手紙が私たち夫婦のもとに届けられた。封書の内容は、夫人同伴で午後七時にオテル・ド・ヴィル (パリ市役所)にご招待したい。これはシラク氏の誕生晩餐会であるが、内密にしてほしい、というものであった。
 私たち夫婦はいちおうタキシードにロングドレスという装いで指定された場所に向かうと、なんと市役所入口から警備のSPに取り
囲まれ、正式な招待状の提示を求められたのである。それを片手に持ち、荘重なオテル・ド・ヴィルの大理石の階段を静かに上ってい
く。柱の陰から無線機を持った男が出て、「今、一組の夫婦が向かっています」などと連絡をとっている。少し行くと廊下の曲がり
角にまたSPがいて、私たちはたくさんの監視のなかを通り抜けて、ずっと奥にある一つの部屋までたどり着くまでがたいへんだった。
 仲介役の服部紀一郎氏の話によれば、この夜の誕生パーティーはシラク市長にはまったく知られぬよう、シラク夫人や彼の親しい友
人たちが相談して仕組んだもので、この席で日本からの友人代表としてアシノに一曲歌ってもらう予定になっていたのだという。
 七時から始まったカクテルパーティーには、どこかで顔を見たことのあるフランスの芸能人や文化人たちが集まっていたが、皆ひそひそ声でお喋りをしながらアペリティフを楽しんでいた。そして七時三十分、シラク夫人が黒いカクテルドレスで現れると、「皆さん、連れてきますからお静かに……」と言って、あたふたと引き込んでいった。
 部屋の明かりが消され、真っ暗になったところで、廊下の向こうからシラク氏と夫人の声が聞こえだし、だんだん近づいてきた。部屋の戸口にシラク市長が立ったところで、バッと明かりがつき、私たち招待客はいっせいに大きな柏手を送って、「ハッピーバースデー」を歌ったのである。デニムのGパンにグレーのトレーナー、スニーカーをはいて現れたシラク氏は思いがけぬ来客にびっくり、しかしすぐにそれが夫人の仕掛けたワナだとわかるや彼女に感謝のキスを捧げ、客席を一巡すると、「では私もドレスアップしてきます」と言って引っ込んでいった。


パリ今昔-5

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて

 パリ今昔-5

 さて、リーヌ・ルノーに日本語を教えるときがきた。私たちはルル・ガステの運転する最新型高級車に乗ってヴェルサイユ方面に向かい、三〇分ほど美しい緑に囲まれた郊外の道をひた走った。邸宅に近づき大きな門のあたりは深緑に包まれた森のようであった。「冬になると、小リスや小鳥たちがみんなこの森へやってきて、雪が降るころには、白いトンネルができるのですよ」。ガステが作曲したリーヌのヒット曲「カナダの私の小屋」の一節に出てくるような、のどかで美しい彼らの山荘、思わずあの歌を口ずさみたくなるほど田園的な風景だった。邸内に車を乗り入れると広い芝生が広がり、目の前に遠くパリの全市が開けて、左手ずっと向こうに白くかすんでそびえるのがサクレ・クール寺院だと説明してくれた。
芝生の向こうにプールがあり、六月でまだ肌寒い季節なのに、リーヌはアルゼンチンから来た若い男性ダンサーと二人で水泳をしていた。私たちは石造りのモダンな館に案内され、ルル・ガステのギター伴奏で新曲の練習を始めていた。大きなタオルに身を包んですぐに現れたリーヌは、手早く髪を乾かしてバスローブをまとい、私たちの打ち合わせに加わった。レッスンは一時間ほど続いた。リーヌの勘のよさには舌を巻いた。日本語を、それらしく歌うからである。もちろん意味はわからないのであるが、子音の発音がはっきりと日本語らしく聞こえる。だから、ジローさんに初めて日本語を教えたときのような苦労はまったくなかった。じつはリーヌは外国でのレコード吹き込みを何度か経験していて、英語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語などでも歌える人だったのである。彼女が日本語でも歌いたいと、強く希望していたこともわかるような気がした。
 数日後、高名なアレンジャーでもあったジェリー・マンゴー(数年後に逝去)が指揮するジャズ・オーケストラの伴奏で、リーヌと私のデュエット盤ができあがり、フランスと日本で同時に発売されたことは、既述のとおりである。


パリ今昔-4

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて

 パリ今昔-4

 翌朝さっそく東京の東芝レコードへ報告のつもりで国際電報を打ち、返事を待っていたが、私たちのもとへ届いた電文は意外にも「著作権問題紛糾のため、日本側ではフランスの歌をレコードに入れることは認められぬ。日本製の歌にしてはフ・」という返事。そういえば、目下、日仏両国間でこの間題がもつれているということを聞いていたが、これほどとは思わなかった。
しかし、せっかくのリーヌの申し出に対して、これを中止するのはいかにも残念だったので、私たちはすぐにルル・ガステの事務所を訪ねて相談することにした。
 ガステはちょうど事務所にいて、英文で打たれた東京からの電文を読み、さっそくパテ・マルコニ本社と長い間電話で話していたが、振り向くと私たちのほうへ両手を差し出し、「私はあなた方お二人のハネムーンのために、この曲をプレゼントしましょう。たとえ日本とフランパスの間で著作権の問題がどうあろうとも、『モナムール』も『いつの日かパリに』も私の作曲したものだし、こちらで発売して、もし売れ行きがよければ、日本でも輸入してもらうことにしたら問題はないのですから」 話はトントン拍子に進んでいたが、リーヌが一節を日本語で歌いたいと言いだしたので、彼女に日本語の歌詞を歌わせることになった。リーヌに日本語を教える段になって思い出したのは、一九五六年にイヴェツト・ジローに初めて日本語を教えた経験だった。日本のレコード会
社で発売する予定になっていた「バラ色のサクラと白いリンゴの花」の訳詞である。ジローは今でこそ、すっかり日本語のニュアンスもわかっておられるが、あのときは教師役の私もだいぶ困ったものだ。シャンゼリゼのカフェテラスでもレッスンした。だが「サクラのハナとリンゴのハナと」のところが歌えないのである。フランス語ではHの音は発音しない。いくら教えても、ハナはアナになってしまう。思案のすえ、息を吐きながら咽喉をつめて1ア」といわせてみたら、「ハ」に近い音になった。ジローが日本語で吹き込んだ甘いシャンソンは、私にとってはほろ苦い思い出の歌である。

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シャンソンライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
しばらく中止させていただきます。
再開が決定しましたらご案内いたします。

※中止となりました
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館

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5、パリ・コンサートをめぐつて-6

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて-6

 パリ今昔-3

 六月のさわやかな夜、私たちが食事をしていた「シャンゼリゼ・クラブ」は、芸能人だけの会員制クラブで樹陰に隠れたこぢんまりとした建物であった。
 二年間の契約でカジノ・ド・パリに出演中のリーヌ・ルノーは、前年に見たあのときとほとんど違わない舞台を見せてくれたが、レヴューが終わったころ、楽屋まで来てほしいと言われていた。途中の花屋の店先で、あまりの美しさに立ちどまり、アイリスの酒落た組み合わせ方が心にくいほどで気に入ってしまい、妻と二人心をこめて、このささやかな花束を、リーヌへ贈ることにした。午後十一時過ぎに行ったが、もうリーヌは着替えをすませて待っていてくれた。私たち夫婦とガステ夫妻は一台の単に乗って、この初めて見るうす暗いサロンに入っていった。なにやら秘密クラブめいて興味津々だったが、少し離れたテーブルでは、当時人気の高かったシャンソン歌手で映画スターのジャン=タロード・パスカルが、タルタルステーキを一人で食べていた。ずっと奥のテーブルにカップルの男女がグラスを傾けていたが、ほの暗いキャンドルの明かりでだれだかわからなかったが、いずれ有乞Hなスター同上であるにちがいない。
 ここは世間の目を逃れるための、隠れ場所にぴったりだと思った。
 妻は夏の夜にふさわしく、平絽(ひらろ)の涼しげな白い和服で出かけ、リーヌも私たちがお土産に持参した和服用シルバーのちゃんちゃんこをはおっていた。和服デザイナー大塚末子さんの奇抜なデザインが新鮮であった。ほの暗いキャンドルの明かりのなかにも、われわれの存在はおそらく奇妙に見えたことであろう。これがアメリカやスペインなら、まわりの客が「ワンダフ
ル」とか「ムイビエン」とか言って声をかけてくるだろうに、ここはフランス、しかも静かなチエイルリー公園の中の会員制クラブである。だれもが他人の領域に入っては釆ない。ここでわれわれは、珍しい地中海風のオードヴルをつまみながら、レコーディングの話をし、事務的な詰めは後日までかかったが、とにかくわれわれの間では話がまとまったのである。


5、パリ・コンサートをめぐつて-5

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて-5

 パリ今昔-2

「星を夢みて」

    訳 薩摩 忠
    詞 J・ラリユ
    曲 H・メ イ

 風 あまく歌い 月 かすむ今宵
 夢 ささやく空の下 星の またたきよ
 吾が 胸にふかく 頬 寄せる君の
 夢 みる濡れた瞳よ 星を 夢にみる

 これは昭和三十年、日劇 『秋のおどり』 で歌い、ポピュラー歌手としては日本で初めて(昭和三十二年) ウエストミンスター・レコードで制作したLPレコードのなかに吹き込んだ、私の歌である。
 原曲はティノ・ロッシがコロムビア・レコードのSP盤で歌っている。シャンソンを歌いはじめてフランス語で歌った最初の曲だったと記憶している。まだ新人としても認められなかったころ、猪熊弦一郎画伯夫妻が私を当時のフランス大使であったレヴィご夫妻に紹介し、大使館のサロンで歌わせてくださった。
 いうなれば、私にとっては大切な思い出の一曲なのである。淡路島で過ごした夏の夜空があまりにも美しかったので、思わず口ずさんでしまった。
 ス・ソワール ドン・ル・スィエル・イマンス (今宵この広大な天の下で)
 ル・ヴォン シャンテ・サ・ロマンス (風がロマンを唄う)

 しっかりと勉強していたフランス語で、しかも、ささやくような小さな声で私は歌った。ルルとリーヌは目を閉じて、じつと聴いてくれた。私と妻は三〇年前のあの夜のことを思い出していた。それはリーヌ・ルノーの夫であるルル・ガステに初めて会った夜であった。

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◆営業を再開しております◆

※シャンソンライヴの開催は見合わせております

平素より日本シャンソン館をご愛顧賜りまして、誠にありがとうございます。

日本シャンソン館が休館となってから、早3ヶ月が過ぎようとしています。
その間に新型コロナウイルスの感染拡大のスピードも徐々に弱まり、少しずつではありますが、
普段通りの日常が戻りつつあることを嬉しく感じております。
群馬県制定のガイドラインの警戒度が「1」に引き下げられたことから、日本シャンソン館は、
7月6日(月)から営業を再開させていただく事となりました。

日本シャンソン館は、7月14日に25周年を迎えることとなりますが、まだ暫くの間、3密を避けなくてはいけない状況が続くため、
誠に残念ではございますが、多くのお客様が集まる「パリ祭」や記念のイベントは行うことができません。
また、通常のシャンソンライヴに関しましても、7月からの再開はできませんが、できる限りの感染予防対策を行った上で、
早い段階での再開を目指して準備を進めております。

夏本番に向けて、庭の草花たちも緑鮮やかに元気いっぱいです。
スタッフ一同、皆様のお越しを心よりお待ちしております。
また皆様と笑顔でお会いできる日を楽しみにしております。

日本シャンソン館 館長 羽鳥功二

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パリ今昔-1

  幸福を売る男

      芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて-3

 日仏親善パリ・コンサート-3

「シャンゼリゼはここ (ホテル・ムーリス)から歩いていける、すぐそこです。私の友人アシノさんと二人でシャンゼリゼを散歩するような気分で歌います。さあ、皆さんもご一緒に、どうぞ」。ディナーコンサートのフィナーレはデュエットで終わった。パリのディナーショーは終わるとたいてい十二時を過ぎてしまう。それでもお客さんはだれも腰を上げないので、なかな
かお開きにならず、いつまでもこの歌を繰り返した思い出がある。
 当日、内田大使からイヴェット・ジローヘ 「感謝状」が贈られ、ジローも大感激された。四半世紀以上にわたり三〇回近くも来日して全回を歌いまわり、日仏をつなぐ音楽使節としての業績はギネスブックものであり、いわば地元でのこの親善コンサートも後年(平成五年)、日本政府から勲四等宝冠章を授与される一助になったのではないかと思っている。

 パリ今昔-1

 第三回の日仏親善パリ・コンサートは昭和六十三年十一月二十八目に、前回と同じホテル・ムーリスで行われた。ゲストはリーヌ・ルノー。音楽事務所も経営する大庭照rさんが同行されて、童謡を歌っていただいた。大庭さんはそのころパリ祭公演を石井好十さんから引き継いで任されていたので、リーヌ・ルノーを招碑したいという気持ちがあった。それで私のコンサ
ートに客演して、私の長年の友人リーヌ・ルノーに直接会い、出演交渉をする目的もあったのである。
 コンサートの翌日、大庭さんとりーヌ・ルノーのマネージャーとの交渉が始まって、色よい内諾を得た様子であった。リーヌは国内・海外のステージのほか、テレビ、映画、演劇でも活躍し、そころもフランス国営放送のテレビドラマで主役を演じていて、多忙な日々を送って いた。
リーヌは大庭さんの熱心な要請によって、特別なギャランティで日本のパリ祭に加する約束をしてくれたのである。こうして翌平成元年、フランス革命2百年パリ祭の日本縦断公演では、レヴューの女王リーヌ・ルノーをメインゲストに迎えて、華やかなシャンソンの祭典
が催され、沈滞気味のシヤンソン界に起爆剤を放ったような活気を呼び戻した。
 リコンサート・ツアーは福岡、熊本に始まり、神戸から淡路島に渡り、名古屋名畠を経て東京に戻った。淡路島にカンヌを彷彿させる酒落た田舎風のホテルがあり、われわれはそこに泊まった。フランス人のシェフがおいしいフランス料理を作ってくれ、その夜は庭にテーブルを出して夜半過ぎまでルル・ガステ、リーヌ・ルノー夫妻と歓談した。ルルはリーヌより二十歳も年上で、そのころはもう八十歳を超えていたが、まだまだ元気だった。三○年ほど前、たちが新婚旅行でパリを訪れたとき、初めて出会った二組の夫婦がちょうどあのとき、チエイルリー公園にある、シヤンゼリゼ・クラブで遅い夕食をともにしたことを思い出していた。
 あれはし六月ノパリ、季節はほとんど変わらないのに日本の夏はずっとむし暑い。

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平素より日本シャンソン館をご愛顧賜りまして、誠にありがとうございます。

日本シャンソン館が休館となってから、早3ヶ月が過ぎようとしています。
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7月6日(月)から営業を再開させていただく事となりました。

日本シャンソン館は、7月14日に25周年を迎えることとなりますが、まだ暫くの間、3密を避けなくてはいけない状況が続くため、
誠に残念ではございますが、多くのお客様が集まる「パリ祭」や記念のイベントは行うことができません。
また、通常のシャンソンライヴに関しましても、7月からの再開はできませんが、できる限りの感染予防対策を行った上で、
早い段階での再開を目指して準備を進めております。

夏本番に向けて、庭の草花たちも緑鮮やかに元気いっぱいです。
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日本シャンソン館 館長 羽鳥功二

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5、パリ・コンサートをめぐつて-3

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて-3

 日仏親善パリ・コンサート-2

 ところで、翌昭和五十八年、再び八月の夏休みを利用して第二回の親善コンサートが実現した。今度はイヴェノト・ジローと私のジョイント・コンサートであり、由緒あるホテル・ムーリスの嘗会場で楽しく華やかなディナーコンサートになった。この日のプログラムは、私が古いパリ?ンヤンソンを歌うと、ジローは古い日本の歌を、という組み合わせで「浜辺の歌」や、服部良一作曲「胸の振子」などを上手な日本語とフランス語をまじえて歌った。二十数年も前に私にプレゼントしてくださった「パリは花束」というシャンソンは、私の日本語の歌に続いてジローがフランス語で歌い、日仏親善のコンサートにふさわしい雰囲気で盛り上がった。

「オー・シャンゼリゼ」
  詞 安井かずみ
  曲 M・ディガン、M・ウィルシュ

 街を歩く 心かるく
 だれかに会える この道で
 かわいい君に 声をかけて
 こんにちは ぼくと行きましょう
  オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
   いつも何か すてきなことが
  あなたを待つよ シャンゼリゼ

 何度目かの来日のときにジローから譜面をいただき、歌ってみてすっかり気に入っていたものだ。「アシノさんにぴったりの歌です」と言ってくださった手書きのメロディー譜は今でも大切に楽譜戸棚にしまってある。日本のディナーショーでも十二月以外は必ずといってもいいほど歌っている。この歌はいつもさわやかな気分をかもし出してくれる。この親善コンサートの最後にこの歌を二人で歌うのは、ジローの提案であった。歌う前に彼女はこの歌を紹介した。


5、パリ・コンサートをめぐつて-2

幸福を売る男

       芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて-2

 日仏親善パリ・コンサート-1

 昭和五十七年(一九八二)八月二十四日、パリはヴァカンスのさなかに、私はあえて自分のコンサートを開いた。子供たちが学校の夏休みを利用できるからである。初めに考えていたプライベートなミニ・コンサートは、しだいに本格的な国際親善コンサートに変わっていく。たまたまこの年は七月十四日に東京都とパリ市が友好都市提携の協定を結んだ記念すべき年だっ
たので、日仏友好の親善コンサートにしたらどうだろうという案が生まれ、私は東京都知事・鈴木俊一氏のメッセージを携えてパリ市長ジャック・シラク氏にお届けする役目を果たすことになった。
 もともと自分勝手に日取りを決めて、われわれの都合のよい夏休みを選んだのだから仕方のないことだが、パリはほとんどの人たちがヴァカンスに出かけて昏守になり、街は観光客ばかりになる季節である。招待したいフランス人は大半が不在であった。シラク市長も不在で、副市長が出席され、私が携えたメッセージは無事、市長に手渡されることになったのだが、日本の全権大使・内田宏ご夫妻は万障繰り合わせてご出席くださることになり、このときの友好コンサートを重みのあるものしてくださったことには、心から感謝している。
 フランス側からフルート奏者とピアニストの演奏があり、南仏からイヴェット・ジローご夫妻、パリからリーヌ・ルノー、松島みえさん(故人)からご紹介された歌手ミシェル・ベルガムも出席してくださり、パリのインターコンチネンタル・ホテルで行われたディナーコンサートは盛り上がった。日本から同行した「芦の会」の皆さんも大喜びで、こんな楽しいコンサートなら、ほかの会員たちも誘って、また来たいという要望が多かった。
 「芦の会」というのは、前にもふれたように、デビュー後まもなく発足した私の後援会で、長らく松屋百貨店創業家の実業家・古屋冨一郎氏(故人)が会長を務められた。古屋さんはベース奏者として、ご子息の浩吉氏(現・松尾専務)はマンドリンでもって私の伴奏というお付き合いもある。たちまち全国に支部が増えて、「日本平の会」という大組織をもつ松島壮・みぇ夫妻が主宰する静岡、プロローグに掲げた「歌から歌へ」など貴重な新曲をたくさん紹介してくれた堀内一彦氏の山梨、少し先輩で、なぜか性格も趣味嗜好も似ている吉貴吉男氏の広島ほか、各地の「芦の会」がディナーショーやコンサートを開いてくださる。今、会をとりまと
めているのは、田中宏和さんのあとを引き継いだ藤村知弘氏である。このパリ・コンサートの企何と実現は藤村さん、そして彼の友人で当時パリ在住だった服部紀一郎・ピ
レット夫妻のご尽力によるところが大きい。

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シャンソンライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

※中止となりました
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
※中止となりました
時間:16時15分開場 17時00分開演
会場:NHKホール
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館
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若き日のパリ

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて

 若き日のパリ

 昭和三十一年(一九杢ハ)、初めて訪れたパリで、私は思いもかけない幸運にめぐりあった.当時はまだテレビのない時代で、ラジオ番組で紹介されたことがきっかけで、憧れのオランピア劇場にも出演した。
昭和三十八年のフランス国営放送のテレビ『マガジン・フェミナン』出演以来、私は外国での仕事には恵まれなかった。
日本ではN琶↑レビの画期的な新番組『くらしの窓』の総合司会と歌を受け持ち、その前後にわたり『紅白歌合戦』に登場しながら、全国コンサート・ツアーやミュージカル(『思い出を売る男』昭和三十一年、『悪口メオ』三十二年、『トゥ・ボインツ』四十一書ど)、テレビドラマ(『コメットさん』軍一年など)や映画(『天使の誘惑』苧二悪ど)にまで出演して忙しい毎日を送っていた。
 『くらしの窓』がスタートした年、昭和三十七年に生まれて野1彰氏から「花の子守唄」を贈られ、やがて岩谷時子さんから「パパの子守唄」をプレゼントされて育った長男・仁博(きみひろ)も、いつの間にか成人し、次男・功二島学二年になっていた。自分が若いとき一人で苦楽を味わって過ごしたことのある、懐かしいパリを一度見せてやりたいと思うようになっていたのは、そのころである。二〇年前に付き合っていたパリの音楽仲間たちを招待して、小さなコンサートを開いてみたいと思い、フランスに手紙を出した。
 オランピアに初めて出たとき、オーケストラの編曲をしてくれたのはタロード・ヴァゾーリ氏である。その後パテ・マルコニ社で四曲のシャンソンを吹き込んだときも、やはり偶然かヴアゾーリ氏の編曲であった。まずフランスの音楽家名鑑を調べて住所を探したが見当たらなかつた。レコーディングのときバックをつけてくれた四人組の女声コーラスの人たちにも連絡がつかなかった。あのころの仕事仲間と一緒に歌いたいという私の夢は半分も満たされなかった。
それもそのはず、ずっとあとになってわかったことだが、ヴァゾーリ氏はムード・ミュージックの第一人者として世界を魅了し、たびたび来日公演もしている、お馴染みの「カラヴェリ・グランド

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シャンソンライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

※中止となりました
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
※中止となりました
時間:16時15分開場 17時00分開演
会場:NHKホール
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館
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オーケストラ」を主宰するカラヴェリ氏に変身していたからである。


石井音楽事務所時代とその前後-8

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-8

  シャンソンと絵

 ジョセフィン・ベーカーとの共演で、私は一部のステージで歌ったあと、いつも客席にまわつて彼女のステージを見て勉強していたが、そのイメージをスケッチ帳に描いた彼女の舞台を油絵にしたものが、二科展初入選を果たした「しらベB」であり、昭和四十九年度の美術界・マスコミで話題になった作品である。
 油絵は子供のころから親しんでいた。小学校の図画の先生が、当時としては珍しく上野の東京美術学校出身の山本四郎先生で、その影響を受けていたのかもしれない。後年、私は同じ野だが向かい側の芸大音楽学部を出てシャンソン歌手として世間に認められた。何度目かのフランスから帰って東北の地方公演に出たとき、とつぜん目の前に現れた恩師・山本先生が「君は絵の道に進むとばかり思っていたよ。上野の森で道に迷ったのかね」と言われたこともある。
 つねづね私は、音楽を感じさせる、動きのある絵を描きたいと考えていた。ベーカーがステージに出てくると、コンサートで一部を受け持っていたバンドの皆さんが、とたんに生き生きとしてくる。彼女の身体から発散するリズム感がそうさせるのか、われわれ日本人の伴奏をしていた時とはまるで違った動きを見せるから不思議だ。
 私の油絵は、その後毎年、夏休みを返上して二科展に出品し、テーマは音楽の世界だけを追求してきたが、昭和五十五年「ビギヤール広場の楽士達」 で 『二科展六五回記念賞』を受賞した。この賞をもらえたら、二科展に無審査で人選できるとかいわれたが、私はだんだん疲れがたまってきていた。絵を描くということは相当のエネルギlを使うし、コンサートで歌っているときでも、いつも油絵の構図のことや色のことが頭のどこかにあって、八月末の二科展締め切り日が近づくにつれて歌がおろそかになってくることがわかった。早く帰ってキャンバスのあの部分を埋めようと思い、歌より絵のほうか大切だと思うこともあった。

 翌年の二科展に出展した絵は「ピエロの唄」であったが、道化師ピエロの眼に涙があふれ、今にも泣きだしそうな作品になってしまった。自分の心情を思わず表現してしまったような気がする。批評家の先生や二科会の審査員の先生方にはほめていただいたが、私はあれ以来、二科展出品は控えている。絵は好きなので、気の張らない水彩や小品を描くことはあっても、50号や100合の大作に挑む気持ちは今はない。


石井音楽事務所時代とその前後-7

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-7

 石井好子の魅力-2

 いやに石井さんをほめちぎるように思われるかもしれないが、私が石井音楽事務所に所属している間に、受けた恩恵は数に限りがない。まずはパリ祭に招いた、イヴェット・ジローやフランスのビング・クロスピーともいうべきジャン・サブロンと同じステージに立てたこと、彼の伴奏者として来日した著名な作曲家(「ライライライ」「ジャヴァ」「コーヒー畑」など) でピアニストのエミール・ステルンの伴奏で歌わせてもらったことなどである。ステルン氏とはご一緒の地方公演も多く、彼からは音楽的なスピリットをたくさん頂戴した。また、世紀の歌姫ジョセフィン・ベーカーの前唄として全国各地を歌い歩いたときも、彼女からステージングの軽妙な身のこなしやウイットに富んだ話術を学ばせてもらった。
 昭和四十五年、万博が大阪で開かれたときは、ダリダ(エジプト生まれのイタリア系シャンソン警丁)の舞台の前座として岸洋子さんたちと共演することもできた。このような貴重なことを日本にいながら、しかも仕事をしながら勉強できるなんて、それこそ夢物語である。
石井さんは音楽事務所を閉めてしばらくしてから、「日本シャンソン協会」を設立した(平成三年)。シャンソンの普及と発展、若い人たちに仕事の場を与えること、それはとりもなおさず石井音楽事務所時代に岸洋子、加藤登紀子、田代美代子、大木康子らを世に出したかたちと似ている。ただ昔と違うことは、マネージメントをしないことだろう。これからも石井さんには、日本のシャンソン界を代表して大いに頑張ってもらいたいと思っている。私も副会長として、及ばずながら、「日本シャンソン館」をホムグラウンドにして石井会長をバックアップしていきたい。


石井好子の魅力-1

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-6

 石井好子の魅力-1

 さて、石井事務所に移ってから、前にもふれたように、私の仕事は順調であった。ここで二〇年近くもお世話になっている間に、石井好子という人物を裏から眺めることができた。彼女は所属タレントをかばう人である。歌手の立場を自分に置き換えてしまうから、タレントは居心地の悪いわけがない。
 ところが昭和四十三年(一九六八)ごろ、事務所の八島専務と担当マネージャーが一か月以上のソビエト公演を計画して私の出演を決めた。私は寝耳に水で、自分に相談もなく決められたことに立腹した。食事に馴染めそうもないソビエト各地を二か月近くも歌いまわることは、労音の連続リサイタル以上にきついことだと思ったのだ。ところが、八鳥氏はもうすでに先方でも名前を出しているし、出演料の約束もできていると迫ってくる。

 私は社長の石井さんにそのことを話すと、即座にタレント側の立場に立って八島専務を叱りつけた。事務所の方を押さ、享、私の味方をしてくれるわけである。その数か月後に、石井さんがパリへ出かけた帰り道、わざわざモスクワに立ち寄って私が仕事をキャンセルしたことを謝り、代役にジャズ歌手の旗照夫さんを要てくださったらしい。社長ともなれば、いろいろたいへんなことが多いものだと田心った。
のちに石井事務所が惜しまれつつも閉じられたあと、石井さんと二〇年も一緒に仕事をされて信頼の厚かった新山裕氏に私はマネージメントを委ねることになる。くだんの担当マネージャーとは彼のことだが、あのあとは万事うまく事が運んでいたし、その後も地道で堅実な仕事ぶりには感謝している。
石井さんにはまた、こんなエピソードもある。モスクワのホテルの入∥ドアのところで、手から血を流して因っている人がいたので、すぐさま同行の日本人ドクターに頼んで救急手当てをしてあげた。ところが、その人は偶然にも若き日のエンりコ・マシアスだったそうなのだ。
それを機に、石井事務所がマシアスの日本公演をしてあげることになり、彼はいまだに石井さんに頭が上がらないと聞いている。
 石井さんだって人間だから欠点もあるにちがいないのだが、少なくともタレント側に立って事務所や世間に立ち向かってくれる、頼もしい人である。だが、タレントに向かって叱りつけることもたびたびある。この私もその一人である。あとで思えば叱られて当然のことだったから、腹が立つどころかありがたいことであった。


石井音楽事務所時代とその前後-6

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-6

 「歌の明治百年史」リサイタル-4

 昭和芋八年(享八三)、三〇周年記念のりサイタルには、パリ在住の早乙女玲子さんから紹介され、私がしばらくフランス語を教わっていたパリ帰りの青年・藤田宜永さんの訳による「黒い瞳ナタリー」を歌い、予想外の反響を呼んだ。藤田さんはのちに作家として成功し、『鋼鉄の騎士』で第四八回日本推理作家協会賃を受賞している。
 早乙女玲子さんとの最初の出会いは、一枚の1Pレコードを通してだった。私がデビューした翌年、昭和二十九年ごろ、市ヶ谷の私の家を訪ねてくれた二人のお嬢さんが届けてくれたものは、当時絶対入手できなかったシャンソンの1P盤『ティノ・ロッシ名曲集』であった。私のラジオを聴いてファン第一号を名乗り出た方である。それから長いご無沙汰をしているうち、彼女がエールフランスに勤めていることを知った。パリで生活されてから長いこと会うこともなかったが、日仏友好のコンサートをしたとき久しぶりにお会いした。
 彼女からのプレゼントは、フリオ・イグレシアスの歌の入ったカセットテープであった。
 そのなかから私が選んだ「人生に乾杯」や「黒い瞳のナタリー」は、自分でも納得するほど私にピッタリの曲で、古くから私の個性を知っておられる五月女さんには感謝している。
 平成十年(一九九八)五月十五日、日仏親善のコンサートをパリ日本文化会館において行うことになったとき、彼女はまた私に数曲プレゼントしてくれた。そのなかの一曲は意外な曲で、中南米の革命家チェ・ゲバラの没後三〇年を記念して作られた曲であった。パリで大流行しているメロディーがとても新鮮であり、さっそく日本に持ち帰り尾中美千絵さんの訳詞で歌うことにした。また、軽快な曲は、新進のアン・あんどうさんに訳詞をお願いしている。

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止となりました
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
(裏面) ※中止となりました
時間:16時15分開場 17時00分開演
会場:NHKホール
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館


石井音楽事務所時代とその前後-5

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-5

 「歌の明治百年史」リサイタル-3

 作曲家の服部公一さんは、山形市の出身で、私と一緒に相談しながら作って発表した「ふるさとの漬物の唄」が、その意外性も含めて大ヒットしたため、次々と新しい歌に挑戦してきた。
「みんでんなすのうた」「みちのくの童話」「日本の泣き笑い」などである。いずれも労音や民音関係の連続リサイタルで発表し、全国を歌って歩いた。
一五周年リサイタルで発表した「紙芝居と私」は、紙芝居の元祖といわれていた加太こうじさん(故人)の下町のお住まいまで出かけていってお話を伺ったりしながら作った力作だった。
 年月は容赦なく流れて、今や昔の紙芝居を知っている人間は少なくなっている。
(注)
 昭和四十六年(一九七一)六月十四日~十八日の五日間、銀座のヤマハホールで連続リサイタルが催された。第一部で新しいシャンソンに加え、日本の無名の新人が作った新曲をギターの弾き語りで披露した。二部では昨年のリサイタル(ファミリー劇場)で好評だった人形(ひとみ座)との共演を織り込み、第三部は毎晩日替わりのバラエティに富んだプログラムを組んだ。初日がシャルル・トレネ、統い てジルベール・ペコー、エンリコ・マンアスとアデモ、シャンソン・コミック、シャンソン・ドパリ (パリと名のつく歌)という内容である。 シャンソンには、現実的シャンソン、幻想的シャンソンまたはシャンソン・コミック(滑稽・風刺シャンソン)、魅惑?ンヤンソン(感傷的シャンソン)、文学的シャンソンなどがあるとされる。それらの一つを得意とし、持ち味とする歌手もいれば、二、三ないしあらゆるものをこなす歌手(たとえば、イヴ・モンタン)もいる。また前者のなかには、なにを取り上げても一つの傾向、たとえば現実派風に歌う(聞こえる)歌手もいる。
 蛋宏は現実的なも詔ともかく、いろいろなジャンルを歌、冬聴かせるタイプのようだ。「コミック」の分野では先賢であり、本場のシャンソン小屋で学んだ雰囲気を現出するにふさわしいホールを選び、芸域の広さと個性も発揮させようと望息気込み冒ブだ。本人は「歌手生活も十七年たったし、この際自分の可能性を試したいと思う。今度のプログラムはその意味でかなりの目険だが、トレネやペコ1の歌も日本語で歌い、原語ではわからない〈シャンソンの味〉も知ってもらうつもり」と語る。

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4 石井音楽事務所時代とその前後-4

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-4

 新しい事務所で-4

 「上を向いて歩こう」がスキヤキソングとしてアメリカでヒットしたころから、シャンソンもしだいに個性を失ったかのごとく、アメリカのリズムをとり入れたものが流行したり、外国のメロディーをとり入れたりしました。しかしこれはフランスだけでなく、世界じゅうの歌がしだいに歩み寄って、ひとつのものに近づきつつある現象だったのかもしれません。
エンリコ・マシアスの「恋心」は日本でも大ヒットしたが、これなどは古くからある日本の歌謡曲の流れと非常によく似ていて、まるで日本の歌のようだという評判です。アダモは「雪ポ  が降る」など近代的感覚の曲を次々と作っていま「歌の明治百年史」15周年リサイタルスター(1968.1l.8)すが、シャンソンも日本の歌も、しだいに近づきつつあるということだと思います。一方、一九六七年レコード大賞の受賞曲「ブルー・シャトー」などは、まさに国籍不明、とても日本の歌とは思えないほどです。
この百年、シャンソンの流れのなかにシャンソンのもつ独特の個性が脈うっていて、それはどんなに世界の歌が近づきつつあっても、けっして失われることなく脈々として流れつづけるであろうことを、この第一部のプログラムのなかにくみ取っていただけたら幸いと思っております。
さて、第二部の「紙芝居と私」は、三年前「、言さとの漬物の唄」で好評をいただいた同郷の作曲家・服部至氏の作品で、失われゆく街角の芸術家「紙芝居屋さん」を歌います。
「丹下左膳」や「のらくろ1等兵」、むかし懐かしい「安寿と厨子王」「母を訪ねて三千里」など‥‥‥。でも皆さん、いまやご存じない人のほうが多いでしょうね。1ウ~トラマン」や「ゲゲゲの鬼太郎」ならご存じかもしれませんね。テレビの発達によって、職場を失ってしまった紙芝居屋さんは、必死の抵抗で自分の芸術を守ろうとします。
最新式ステレオスピーカーを使い、ワイドな画面に映して、昭和元禄の良き時代に、再びあの忘れられつつある紙芝居を復活させようとするのです。しかし、東京の空に今や警んぼの姿も見えず、お寺の屋根の1から見てくれたカラスの誓えも見喜せん。この紙芝居はたった一人で紙芝居の歌を歌います。懐かしい水あめの歌、切りこんぶの歌、夕焼けが三十六階のガラス窓に反射してキラキラ輝いています。なんだか田んぼの水に映ったふるさとの夕焼けみたいにきれいだなと思いながら……「紙芝居と私」はそんな歌です。最後の第部は、おなじみの「サラダのうた」や「パパと踊ろうよ」から「愛は燃、葺いる」までを並べて、共演のスリー・バブルス、ボーカル・ショップとともにアズナヴール、ペコー、マシアスの曲で終わります。

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石井音楽事務所時代とその前後-3

福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-3

 新しい事務所で-3

 「歌の明治百年史」 リサイタル
 私は昭和四十三年(一九六八)、歌手生活一五周年にあたり、「歌の明治百年史」というタイトルで記念リサイタルを開いた。構成演出は永田文夫さん、私のために名訳「セ・ラ・ロマンス」 「愛は燃えている」などの歌をレコード用に書いてくださった先生でもある。叫早津子さん一躍有名になったが、もともとはシャンソンとラテン音楽の研究家で、長い間『シャンソン』という月刊誌を続けられ、貴重な資料をたくさん提供してくださった方である。その永田さんに相談しながら、気負い込んで歌った「歌の明治百年史」は、今でも私の記憶に残る快挙だったと自負している。
日本シャンソン友の会(石井音楽事務所内)の会報に載せた当時のプログラム紹介の記事が保存してあったので、改めて読み返してみることにしよう。
(皆さま、こんばんわ。芦野宏です)
 シャンソンを歌いはじめて、ちょうど十五年になりますので、今回はシャンソンの歴史のようなものでプログラムを組んでみました。今年は明治百年にも当たりますので、明治維新から現代に至るシャンソンの流れを歌で聴いていただこうというわけなのです。
 「お江戸日本橋」や「アヴィニョンの橋の1で」は、いずれも明治以前のものだそうですが、明治の初め「宮さん宮さん、お馬の前に……」という歌が束京で歌われていたころ、パリでは「さくらんぼの実る頃」がはやっていたということです。また、東京の下町情緒を歌いあげた「紅屋の娘」という流行歌が街に流れているころ、「パリの屋根の下」や「パリ祭」の歌、こういうパリの下町を歌ったシャンソンが流行しました。
 昭和十九年から二十年にかけて、悲憤な「海行かば」をわれわれが歌っていたころ、パリでは海の歌「ラ・メール」が作曲され、終戦を迎えて、パリで初めてこの歌が流行しはじめたと24(;いいますから、ちょっとおもしろいですね。日本は敗戦国として、フランスは戦勝国として、ともに困窮と耐乏の生活を迎え、やがて「銀座カンカン娘」や「セ∴ン・ボン」のような明るい歌が歌えるようになっていくわけです。


4 石井音楽事務所時代とその前後-3

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-3

 新しい事務所で-2

 菊池事務所時代から数えると三回目になる北海道公演旅行は、このころであった。加藤登紀子さんが第二回のシャンソン・コンクールで優勝し、「赤い風船」という曲でレコード大賞新入賞を受けたあとだったと思う。私たち一行一〇人は稚内の公演が終わると、翌朝、野寒布(のしゃっぷ)岬のほうまで足を延ばしてみた。流水が凍結して、海の上を歩いて利尻島まで行けそうな気分は、まさに爽快そのものであり、寒いけれど空気がおいしい。やはり冬の北海道はいいなと思うようになった。
 加藤さんとは冬の北海道だけでなく、全国各地の労音でご一緒した思い出がある。新人歌手として私の前座を務めてくれたのだ。田舎の宿はほとんど木造の旅館で、隣の部屋の様子がなんとなく聞きとれたりする。お堂紀さんの部屋から夜中の一時を過ぎても、かすかなギターのつま弾きが洩れていて気になることがあったが、旅から帰ってから聞いたら、あのとき「ひとり寝の子守唄」を考えていたらしい。彼女はいつでも、どんなときでもなにかを考え、lなにかに挑戦している。
 今や加藤登紀子といえば、作詞活動から陶芸・書道と、なんでもこなす実力派歌手に成長されたが、とてもかわいい性格をもち続けている一面もある。私と雪の北海道を旅しているとき、「今とても偉い人に手紙を書いてるんだけど、こんなふうに書いていいものかしら」と私に相談してくれた。宛名を見ると森繁久弥さんであった。ちょっとしたことだが、かわいい後輩だと思うようになった。こんなところが、藤本敏夫さん (ご亭主)にも愛される、仲の良い夫婦円満の秘訣なのかなと思い、陰ながら柏手を送っている。ちなみに、あの手紙を見せてもらっさ演などでご一緒 加藤登紀子さん‥967頃)て約半年たってから「知床旅情」が加藤登紀子さんの歌によって爆発的な大ヒットとなった。

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(裏面) 時間:16時15分開場 17時00分開演
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主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
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※日本シャンソン館ではS席(10,000円)のみの取り扱いとなります。A席、B席をご希望の方はチラシに記載されてるお申込み先まで、ご連絡をお願いいたします。

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石井音楽事務所時代とその前後-2

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-2

 新しい事務所で

 石井音楽事務所には、昭和三十六年(一九六一)の設立当初からパリ祭の合同コンサートや私のリサイタルでお世話になっていた。所属したのが昭和四十二年、事務所主催のパリ祭が全国縦断を始めた年であり、それから約二〇年間、石井ミュージックプロモーション(昭和四十四年改称)が解散するまで、私は大船に乗った気持ちで安心して仕事を続けることができた。
 石井事務所の仕事は、今まで菊池事務所でやっていたものと違い、バラエティに富んでいて楽しかった。付き人も何人かいて、みないい人ばかりだった。東京プリンスホテル、マグノリアホールの外人向けディナーショーも楽しかったが、ホテルオークラや帝国ホテルのディナーショーなど、東京にいるときは一流ホテルのワンマンショーが多く、地方公演も私の前唄に必ず新人歌手をつけてくれた。加藤登紀子さんや田代美代子さん、あるいはその年のシャンソン・コンクールで優勝した女性歌手のときもあった。
 石井事務所に釆てからの生活は、私の音楽人生のなかでいちばん安定したもので、なんの心配もなかった。だから、事務所が閉鎖されたときはほんとうにつらかった。それだけに今また、あのころに戻って、昔のことをいとおしく思い出している。
  (注)
 昭和四十二年パリ祭(全国縦断開始年)オールスターの紹介。七月十四日、日比谷野外大音楽堂でのチラシによると、右側に芦野宏、石井好子、ビショップ節子、加藤登紀子、山崎肇、堀内美紀、パリからのゲスト二人、左側に岸洋子、中原芙紗緒、深緑夏代、田代美代子、山本四郎、小林暁芙、中沢ただし、司会・藤村有弘、演奏は寺島尚彦とリズムシャンソネット、エミール・ステルン・カルテット。

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石井音楽事務所時代とその前後-1

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-1

 音楽事務所あれこれ

 菊池音楽事務所時代の仕事は全国各地の労音の仕事が多く、一年じゅう全国を飛びまわるような忙しさだった。今なら、ロックなどの歌手たちがやっている全国縦断コンサートのようなものだろうか。いや、今日のように大きな会場も少なく、こまめにまわったところもあるから、回数でいえば、それ以上をこなしていたと思う。
 ひと月のハード・スケジュールの最たるものは、昭和三十四年(一九五九)七月の二〇日間、大阪で三〇回もの労音公演や、NHK『くらしの窓』が三年目に入っていた三十九年四月、東連日のリサイタルであろう。まったくよく仕事をし
たものであったと思う。田中宏和さんがいつも同行して裏方の手配をしてくれ、ときには演出も手がけられて、助けてくれたから続いたようなものであった。
 結婚して長男も生まれ、ジルベール・ペコーの「旅芸人のバラード」ではないが、そのような毎日からもう卒業してもいいのではないか、といつも考えていた。そんな矢先、石井好子さんが西銀座に音楽事務所を開き、タレントをかかえてマネージメントを始めたことを知り、私にはたいへんな魅力であった。芸大の先輩として、またクラシックからポピュラーに進まれた先輩として、もともとその人柄も仕事も尊敬していたから、ぜひともその仲間に入れてもらいたかったのである。石井さんの事務所は労音のような組織に頼るだけでなく、全般的な分野で仕事ができて、長い公演旅行も断ることができると思ったので、なんとかして移籍したいと望んでいた。
 プロダクションから離れるとき、芸能人との間でトラブルが生じることは避けられない宿命みたいなものではないだろうか。私の場合も、まったく円満というわけにはいかず、しかし私のほうには理由があった。私が信頼してマネージメントをお願いした菊池維城氏が数年前から現場を離れ、東芝音楽工業設立と同時に正社員として重要な地位に就かれ、菊池事務所の経営は安井直康氏に任せていたからである。安井氏は誠実な仕事ひとすじの人で、事務所のために仕事をたくさん取ってきた。それが私のハード・スケジュールとなり、私を苦しめ、積もり積もって私に不満をもたらしたのであった。
 菊池氏は私の心情を理解してくださり、やはり芦野さんのお考えどおり、石井先生にお願いするのがよいでしょう、私が現場を離れてレコード会社のほうに専念し、任せきりにしていたことが悪かったのだ、と穏やかに対応してくださった。しかし、安井氏の胸はなかなか納まらなかったにちがいない。私は石井さんにお願いして安井氏と私と三人で会うことにした。不穏な空気が流れ、私は居たたまれない雰囲気のなかで、石井さんにすべてを任せて解決した。

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5月ライブスケジュール
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3、ディナーショーとファッションショー 6

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

3、ディナーショーとファッションショー 6

 ファッションショー 2

日本で全国的にチェーンをもつ宝石商のグループが、三五〇人の客を動員するヨーロッパ宝石ツアーを企画した。昭和五十一年(一九↓六)九月のことである。私はパリの近代的な高層ホテル、コンコルドラファイエットの大ホールで、日本人客のためにシャンソンを歌った。客もスタッフも日本人ばかりだが、そこがパリというだけで、コンコ~ドホールに展示された高価な宝石は飛ぶように売れ、主催者・旅行者ともども大満足して是に帰った。石油ショック後ではあったが、日本経済の底力をかいま見る思いであった。
 ファッションショーの仕事も宝石ショーも、時代とともに移り変わり、現在ではディナーショーのほうが大衆化し隆盛を誇っている。私のディナーショーのことは前項でふれたが、相変わらず全国各地から問い合わせの多い仕事であり、お馴染みのように食事のあと、約四〇分ほどのワンマンショーを繰り広げる。コンサート形式のワンマンショーと違い、お客様から手の届く距離に舞台があり、歌手は客席のテープ~の近くで歌うこともできるから、警グルメのファンにはこれが最高の楽しみなのであろう。
 ディナーショーは、有名ホテルが主催するものと、各種団体が主催して行われる場合などがある。しかし、思い起こせば、私にとっての原点は、すでに記したデビュー後まもない昭和二十八年ごろ、あの古いフランス大使館のサロンで歌わせていただいた、夕食後のミニ・コンサートであったのだ。
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4月ライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
4月18日(土) 11時~/14時~ MIKAKO     ピアノ:大美賀彰代
4月19日(日) 11時~/14時~ 山添恵子     ピアノ:大美賀彰代
4月25日(土) 11時~/14時~ 小林美恵子    ピアノ:江口純子
4月26日(日) 11時~/14時~ 秋山美保      ピアノ:大美賀彰代
4月29日(水) 11時~/14時~ 山添恵子     ピアノ:大美賀彰代

5月ライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。
決まり次第、更新いたします

2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)

(裏面) 時間:16時15分開場 17時00分開演
会場:NHKホール
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館

★ チケット発売中 ★
※日本シャンソン館ではS席(10,000円)のみの取り扱いとなります。A席、B席をご希望の方はチラシに記載されてるお申込み先まで、ご連絡をお願いいたします。

2020年4月19日(日)
山添恵子
バースデイ・ライヴ
ピアノ:大美賀彰代
時間:第1回公演/11:00~、第2回公演14:00~
会場:日本シャンソン館2Fシャンソニエ「ヴェルメイユ」
料金:入館料 大人1,000円、小人(中学生以下)500円
   ライヴ料 500円

どなたでもお聴きいただけます。どうぞお出かけください♪
※中止となりました
2020年4月13日(月)
フェスティバル ドゥ シャンソン 2020
プリスリーズ

(裏面) ※中止となりました
時間:17時30分開場 18時00分開演
会場:東京国際フォーラム ホールC
料金:S席 8,000円/A席 6,000円
主催:一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:一般財団法人 日本シャンソン館

4月13日に東京国際フォーラム・ホールCで予定しておりました「フェスティバル・ドゥ・シャンソン 2020-プリスリーズ」ですが、3月19日の政府専門家会議からの提言、および政府からの発表を受け、誠に残念ではございますが中止とさせていただくことになりました。
コロナウイルスの感染拡大防止、およびお客様の健康と安全面を第一に考えた上での判断でありますことをご理解いただけましたら幸いです。
なお、現時点での振替公演の予定はございません。
楽しみにしていただいたお客様には大変申し訳ございませんが、ご理解のほど何卒よろしくお願いいたします。

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ディナーショーとファッションショー 4

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

3、ディナーショーとファッションショー 4

 ディナーショー事始め-3

 昭和苧二年(一九六七)早春のことであった。束京・港区芝の東京プリンスホテルの有名
なマグノリアホールで、その日、外国人向けのディナーショーに出演していた。これは外国人を乗せた観光バスが東京見物のあと、ホテ~で食事をして、私のショーを楽しむというデラックス・コースである。司会はまだ新人としてあまり名前の出ていなかった、若き日の小林克也氏であった。
 流暢な英語の司会と、それに外国人ばかりだから柏手の大きさが違って、私はほんとうにやり甲斐のある仕事だと思った。事務所を移籍したばかりのことであり、こうした仕事が多くなつて、石井音楽事務所に移ってよかったと思っていた。
 その夜、いい気分でショーが終わったあと、楽屋にボーイさんがメッセージを持ってきた。アメリカ人のお客さんがぜひお会いしたいそうで、お待ちになっておられます、ということであった。平服に着替、葺から客席に行くと、一人のアメリカ人男性が待っていた。
「私はオジー・カーティスと言います。私の兄はハリウッド・スターのトニー・カーティスです。ぜひお話ししたいことがあります」というので、ロビーでお話しすることにした。話は「今のショータイムに感動したので、ぜひあなたをアメリカに呼びたい」というのである。そんなこと、とつぜん言われても狐につままれたようで返答もできないし、いい加減な話に決まつているとも思ったので、即答はできないと申し1げて早々に引き上げた。ところが、明晩のショーにも必ず来るから、終わったらもう一度会いたいと言って帰っていかれた。
 半信半疑である。こんなことってあるものかと思い、信じないことにした。
私のショーは二日続きで、翌日も外国人笛体が入った。楽屋で司会の小林克也氏と、その話をした。そして私の英語の言い回しなどを教わったりした。というのは、司会者が英語で私を紹介したあと、私は全部フランス語でシャンソンを歌い、二曲ほどスペイン語の歌を入れる。
 曲の解説や思い出などは英語で説明したから、自信のないところを助けていただいたのだ。
 この話は結局、私の夢物語で終わった。石井さんが調べたところ、彼はたしかにトリニ・ロペスのマネージャーであり、トニー・カーティスの弟であって、お金持ちであり、とくに良くないことは見つからなかったが、五年間の契約というものに疑問をもった。私自身もそのことがいちばん気がかりだったので、お断りすることにし、私も決断したらさっぱりした。
 しかし今でも披から送られた十数枚の楽譜と、トニー・ベネット、ペリー・コモ、アンデイ・ウィリアムズなどの歌が入ったLPレコードが、あのときの夢を思い出させてくれる。


3、ディナーショーとファッションショー 3

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

3、ディナーショーとファッションショー 3

 ディナーショー事始め-2

 一九六〇年代には、クリスマス・ディナーショーという、お決まりのスケジュールができて、六七年の石井音楽事務所移籍前後から都内はじめ主要都市のホテルで行われるディナーンヨーも多かったが、これはほとんどワンマンショーのかたちであった。私は今でも毎年十二月はどこかのホテルで歌っている。クリスマスのときは、最後にみんなで「きよしこの夜」を歌うことにしているが、十二月以外のディナーショーでは「オー・シャンゼリゼ」を最後に歌うことが多い。この歌は皆さんから手拍子をいただけるので、盛り上がってくるから嬉しい。北海道は札幌・旭川・函館などほとんどの都市をまわっているが、旭川のホテルで行われたディナーショーのときは、私が入場する前から手拍子が起きて、そのリズムが「オー・シャンゼリゼ」のリズムと同じだったので、急きょ初めの曲を変更してそれを歌いながら出ていくことにした。
会場は始めから盛り上がり、余韻は終演後も長く尾を引いたものだ。
 私はよく、とつぜん曲目を変更してピアニストを困らせる。とくにディナーショーの場合、お客さんの顔を見てから急に別の曲にしてしまぅことがある。そのほうがずっと盛り上がることを期待するからである。リサイタルやコンサートではそうはいかないが、幸い、浜中外代冶(故人)、吉村英世〔寿絃〕、結城久、綾部肇(故人)、各ピアニストたちは、私のレパートリーを譜面なしですべて弾けたから、合図だけで曲目変更できるという重宝さがある。いま主に私の伴奏をしている小林ちから君の父親・久保文人さんも私の専属ピアニストだったが、四〇代半ばにしてアメリカ、バークリー音楽院に留学し、病を得て亡くなられた。一人息子のちから君が跡を継いで、親子二代でピアノ伴奏を受け持ってもらい、ありがたく思っている。
 アメリカ・ショービジネスへの誘い舞台のほか都内のホテルでのショーも多いころだった。ほとんどワンマンショーのかたちである。

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2020年 3月ライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
3月28日(土) 11時~/14時~ 秋山美保      ピアノ:大美賀彰代
3月29日(日) 11時~/14時~ 山添恵子      ピアノ:日野敦子

NEW
4月ライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
4月4日(土) 11時~/14時~ 林 美喜      ピアノ:日野香織
4月5日(日) 11時~/14時~ あみ         ピアノ:今野勝晴
4月11日(土) 11時~/14時~ 岩崎桃子      ピアノ:大美賀彰代
4月12日(日) 11時~/14時~ 桜井ハルコ    ピアノ:日野敦子
4月18日(土) 11時~/14時~ MIKAKO     ピアノ:大美賀彰代
4月19日(日) 11時~/14時~ 山添恵子     ピアノ:大美賀彰代
4月25日(土) 11時~/14時~ 小林美恵子    ピアノ:江口純子
4月26日(日) 11時~/14時~ 秋山美保      ピアノ:大美賀彰代
4月29日(水) 11時~/14時~ 山添恵子     ピアノ:大美賀彰代

発売日:2020年3月22日10:00~
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
(裏面) 時間:16時15分開場 17時00分開演
会場:NHKホール
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館

★ チケット発売日 3月22日(日)10:00~ ★
※事前のご予約は承れませんのでご了承ください。
※日本シャンソン館ではS席(10,000円)のみの取り扱いとなります。

2020年4月19日(日)
山添恵子
バースデイ・ライヴ
ピアノ:大美賀彰代
時間:第1回公演/11:00~、第2回公演14:00~
会場:日本シャンソン館2Fシャンソニエ「ヴェルメイユ」
料金:入館料 大人1,000円、小人(中学生以下)500円
ライヴ料 500円
どなたでもお聴きいただけます。どうぞお出かけください♪

2020年4月13日(月)
フェスティバル ドゥ シャンソン 2020
プリスリーズ
(裏面) 時間:17時30分開場 18時00分開演
会場:東京国際フォーラム ホールC
料金:S席 8,000円/A席 6,000円 好評発売中 !!
主催:一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:一般財団法人 日本シャンソン館

チケットは日本シャンソン館でもお求め頂けます。

<お問い合せ・お申込み>
 日本シャンソン館事務局
 TEL:0279-24-8686 FAX:0279-24-1919
 営業時間 9:30~17:00(水曜日休館)
*クレジットカードのご利用はできません。

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3、ディナーショーとファッションショー 2

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

3、ディナーショーとファッションショー 2

 ディナーショー事始め

 小さなコ-ヒーカップを片手に、ご婦人方は絨毯の上に座ったり、二階に続く螺旋階段に腰を下ろして、私のシャンソンを聴いてくれた。まるでロビーに花が咲いたように色とりどりのドレスの裾が広がり、私は歌いながら視線がどうしても彼女たちのほうへ向いてしまうのだった。マイクも用意されていなかったから、私は自分で弾くピアノの音をできるだけ小さくして調節し声を引き立たせた。むかしむかし、フランスの宮殿で夜ごとに繰り広げられていた、貴族たちがミュージシャンを呼んで催された伝統的なディナーショーも、こんな雰囲気だったのではないかと勝手に思いをめぐらせていた。
 それが、私に大きな自信を与えてくれたのである。場慣れをさせてもらったうえに、フランス人に通用するシャンソンを歌えたという喜びに酔った。そのころはシャンソン喫茶『銀巴里』などが主流だったから、いま思えば若さゆえの思い上がりにすぎないが、私にはほかの仲間と違ったことができるという、密かなプライドを植えつけてくれたものである。そのころそこで歌ったのは、まだ自分で弾けるレパートリーは限られていたから、シャルル・トレネの「詩人の魂」「ラ・メール」とか、ティノ・ロッシの古い曲で「星を夢みて」「小雨降る径」などであり、古い歌のほうをフランス人たちは喜んでくれた。

 こうした場を踏んだことが、のちのディナーショーへの第一歩であった。日本でディナーショーがポピュラーになったのは、それから一〇年以上もたってからである。私が大ホールでのワンマンショーやコンサートなどで忙しくしていたころ、ディナーショーというものが少しずつ流行しはじめ、ホテルでフランス料理を食べたあと、デザートに入ってからシャンソンが歌われる形式が定着してきた。だから、私が経験したフランス大使館でのショーは、今のディナーショーのはしりだったと思っている。

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2020年 3月ライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
3月15日(日) 11時~/14時~ 宮崎名緒子  ピアノ弾き語りライヴ
(日本シャンソンコンクール2018グランプリ受賞者)
3月20日(金) 14時~ のど自慢vol.26 ピアノ:大美賀彰代
3月21日(土) 11時~/14時~ 桜井ハルコ    ピアノ:日野香織
3月22日(日) 11時~/14時~ MIKAKO     ピアノ:大美賀彰代
3月28日(土) 11時~/14時~ 秋山美保      ピアノ:大美賀彰代
3月29日(日) 11時~/14時~ 山添恵子      ピアノ:日野敦子

2020年3月21日(土)
桜井ハルコ
バースデイ・ライヴ
ピアノ:日野香織
時間:第1回公演/11:00~、第2回公演14:00~
会場:日本シャンソン館2Fシャンソニエ「ヴェルメイユ」
料金:入館料 大人1,000円、小人(中学生以下)500円
    ライヴ料 500円
どなたでもお聴きいただけます。どうぞお出かけください♪
2020年3月20日(金・祝)
日本シャンソン館
のど自慢 vol.26
参加者募集中
ご案内:日本シャンソン館館長 羽鳥功二
ピアノ:大美賀彰代
司会:飯塚裕美
時間:14:00開演
参加費:一般4,000円/友の会会員価格3,000円
会場:日本シャンソン館2F シャンソニエ「ヴェルメイユ」
主催:日本シャンソン館
★どなたでもご参加いただけます。
★歌唱曲はシャンソンに限らせていただきます。
★楽譜をご持参ください(お一人一曲)。
★当日の午前中に譜面合わせを行います。
★最後まで思う存分歌って頂けます。

<お問い合せ・お申込み>
 日本シャンソン館事務局
 TEL:0279-24-8686 FAX:0279-24-1919
 営業時間 9:30~17:00(水曜日休館)
*クレジットカードのご利用はできません。

NEW
4月ライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
4月4日(土) 11時~/14時~ 林 美喜      ピアノ:日野香織
4月5日(日) 11時~/14時~ あみ         ピアノ:今野勝晴
4月11日(土) 11時~/14時~ 岩崎桃子      ピアノ:大美賀彰代
4月12日(日) 11時~/14時~ 桜井ハルコ    ピアノ:日野敦子
4月18日(土) 11時~/14時~ MIKAKO     ピアノ:大美賀彰代
4月19日(日) 11時~/14時~ 山添恵子     ピアノ:大美賀彰代
4月25日(土) 11時~/14時~ 小林美恵子    ピアノ:江口純子
4月26日(日) 11時~/14時~ 秋山美保      ピアノ:大美賀彰代
4月29日(水) 11時~/14時~ 山添恵子     ピアノ:大美賀彰代

発売日:2020年3月22日10:00~
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
(裏面) 時間:16時15分開場 17時00分開演
会場:NHKホール
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館

★ チケット発売日 3月22日(日)10:00~ ★
※事前のご予約は承れませんのでご了承ください。
※日本シャンソン館ではS席(10,000円)のみの取り扱いとなります。

2020年4月19日(日)
山添恵子
バースデイ・ライヴ
ピアノ:大美賀彰代
時間:第1回公演/11:00~、第2回公演14:00~
会場:日本シャンソン館2Fシャンソニエ「ヴェルメイユ」
料金:入館料 大人1,000円、小人(中学生以下)500円
ライヴ料 500円
どなたでもお聴きいただけます。どうぞお出かけください♪

2020年4月13日(月)
フェスティバル ドゥ シャンソン 2020
プリスリーズ
(裏面) 時間:17時30分開場 18時00分開演
会場:東京国際フォーラム ホールC
料金:S席 8,000円/A席 6,000円 好評発売中 !!
主催:一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:一般財団法人 日本シャンソン館

チケットは日本シャンソン館でもお求め頂けます。

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創作シャンソンとフランス版『くらしの窓』-4

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

2、お茶の間にシャンソンを

 創作シャンソンとフランス版『くらしの窓』-4

 『くらしの窓』は帰国してから少しずつ私の負担を軽くしていただき、北原三枝さん(故・石原裕次郎氏夫人)、丹阿弥谷津子(故・金子信雄氏夫人)にも司会の面で協力していただいた。
そして四年目に入ったとき時間が一〇分延長されて四〇分になったが、月曜日は私、火曜日から金曜日までは岸洋子、坂本博士、ペギ一葉山、ダーク・ダックスの皆さん、全員歌手の方々に司会を分担していただき、好評のうちに四年間で番組は終了した。
 この番組が始まって二年後の六四年に、NHKから引き抜かれたアナウンサーが民放で初の朝のワイド番組『木島則夫モーニング・ショー』の司会をされ、やがて他局では、まずはその左後にこれもNHK出身の『小川宏ショー』などが始まった。今でも民放各局は朝の時間帯でしのぎを削っている。『くらしの窓』は現在お茶の間にあふれている朝のワイドショーにヒントを与えた、いわば元祖だったと私は自負している。
 (注)
 「芦の会」がまとめた『芦野宏シャンソン三〇年史』にNHK広報番組担当の栗原紀子ディレクター(当時)が一文を寄せている。
 「……『くらしの窓』はちょっとお酒落な教養番組で『こんにちは奥さん』の先駆となった番組でした。……歌手や俳優も含めて芸能人が素顔で茶の間に話しかけ、自分のスタジオに招いたゲストにイン タビューする、今では珍しくないこの種の芸能人司会役も、実は、私の知る限り、芦野さんが日本で最 初の番組司会者です。
 芦野さんの飾らない司会ぶりは、美しいシャンソンと共に番組を見られた全国の、特に家庭の奥様方に爽やかなショックを与えたようです。……」

 昭和三十八年年三月「吉展ちゃん誘拐事件」が起きた。事件は長期化し、四十年に芦野宏は「かえし ておくれ今すぐに」(藤田敏雄詞、いずみたく曲)を放送とシングル盤で訴え続けた。

 芦野は四十四年にNET(現・テレビ朝日)『東京のこだま』のレギュラーとして再び歌と司会を担当。

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2020年 3月ライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
3月1日(日) 11時~/14時~ 岩崎桃子      ピアノ:大美賀彰代
3月7日(土) 11時~/14時~ 山添恵子      ピアノ:江口純子
3月8日(日) 11時~/14時~ あみ         ピアノ:今野勝晴
3月14日(土) 11時~/14時~ 小林美恵子    ピアノ:大美賀彰代
3月15日(日) 11時~/14時~ 宮崎名緒子  ピアノ弾き語りライヴ
(日本シャンソンコンクール2018グランプリ受賞者)
3月20日(金) 14時~ のど自慢vol.26 ピアノ:大美賀彰代
3月21日(土) 11時~/14時~ 桜井ハルコ    ピアノ:日野香織
3月22日(日) 11時~/14時~ MIKAKO     ピアノ:大美賀彰代
3月28日(土) 11時~/14時~ 秋山美保      ピアノ:大美賀彰代
3月29日(日) 11時~/14時~ 山添恵子      ピアノ:日野敦子

2020年3月21日(土)
桜井ハルコ
バースデイ・ライヴ
ピアノ:日野香織
時間:第1回公演/11:00~、第2回公演14:00~
会場:日本シャンソン館2Fシャンソニエ「ヴェルメイユ」
料金:入館料 大人1,000円、小人(中学生以下)500円
    ライヴ料 500円
どなたでもお聴きいただけます。どうぞお出かけください♪
2020年3月20日(金・祝)
日本シャンソン館
のど自慢 vol.26
参加者募集中
ご案内:日本シャンソン館館長 羽鳥功二
ピアノ:大美賀彰代
司会:飯塚裕美
時間:14:00開演
参加費:一般4,000円/友の会会員価格3,000円
会場:日本シャンソン館2F シャンソニエ「ヴェルメイユ」
主催:日本シャンソン館
★どなたでもご参加いただけます。
★歌唱曲はシャンソンに限らせていただきます。
★楽譜をご持参ください(お一人一曲)。
★当日の午前中に譜面合わせを行います。
★最後まで思う存分歌って頂けます。

<お問い合せ・お申込み>
 日本シャンソン館事務局
 TEL:0279-24-8686 FAX:0279-24-1919
 営業時間 9:30~17:00(水曜日休館)
*クレジットカードのご利用はできません。

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