一、平家と土方歳三-3

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は、平成十七年九月発行115号から抜粋しての掲載です。

未公開資料、平家文書が語る
土方歳三と榎本武揚の出会い

永吉治美

一、平家と土方歳三-3

高台寺党の残党に襲撃され負傷した近藤勇に代わって鳥羽伏見の戦いを指揮したのは土方歳三である。新選組の生き残りが富
士山、順動の二艦に乗り江戸へ帰っていることから、大坂城で榎本に新選組の乗船を掛け合ったのは土方で、それが、榎本との
初めての出会いであったろうと考えられていた。
しかし新たに、榎本と土方の出会いについて、榎本自身が語った談話があることが分かった。
前述したように、平家の忠次郎は、歳三の死後、彼と交流のあった人々を訪問した。
そして榎本武揚を訪ねた時、榎本自身から聞いたことを、昭和三年七月、死を前にして娘婿に語り残していたのである。それを
書き記したのがこの文のタイトルにある平家文書で、榎本の談話はその文書の中に残されていたのである。
このたび、この文書のコピーを平拙三氏から頂いたのでご紹介したいと思う。ただし読めなかった字は□とした。

榎本泉之守 幕府時代海軍奉行 幕府より海軍取調べノ為 オランダへ派遣セラル日本より海軍研究ノ為外国へ出長しタル由
ハ 稿始(始まりの意)ナリ 文久ノ頃 帰朝ヲ命ゼラレ 伏見ノ戦争二加ハりタリ 其時 始メテ 土方卜淀川ヲ舟ニテ下ル
時ニ コン意トナレリ 之ハ 父が榎本子卜面会ノ時 子の言ナリ 父ノ榎本公ヲ訪問セシハ 明治十二年 三月頃 九段下今

川小路二丁目ロニ至り 私ハ土方ノ親セキニ付 殿様二御染筆ヲ願ヒタク 出マシタ 取次ノ日ク 子ノうて 土方サンノ親セキニ未ダ会合ヒタル事ナイカラ此処でオマチ下サイ
殿様ガ 玄関二上レ 函館 松本良順こ会しタル事アルカ
奉使 染川 榎本武揚

この文書から、忠次郎が榎本を訪ねたのは明治十二年、三月頃と思われる。榎本は、訪ねてきた忠次郎を奥座敷へ招き入れ、依
頼に応えて染筆し贈った。それに書かれた漢詩は明治八年、榎本が千島樺太交換条約締結のため、特命全権公使として陸路シベ
リアを横断中に作ったものだという。またこの時、榎本は出入りの写真師を呼び、自らが書き贈った漢詩の前に忠次郎を座ら
せ、写真を撮らせると、そのガラス乾板を忠次郎に与えた。