新選租銘々伝』郷里での啓之助-13

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-13

稲葉春義 満里子

三浦啓之助・佐久間格の正妻静枝-1

 明治時代の三田二丁目の常教寺の借地商のむめで、啓之助(恰)との結婚生活はみじかく、の佐久間家未亡人の人生がながく、略の後継のことでも苦労をしたようである。明治三十四年十月五日死亡。そのような事情から、これらの資料(近山-仮目録) は勝海舟がほとんど集め、海舟によって松代にのこされたとおもわれる。
この未亡人静枝によって、亡父、亡夫の法事が行われたことは、一前述どおり。後日われわれは平成十五年十一月二十八日、現地両寺をおとずれた。両寺は隣接、新宿区若葉二丁目九。説明版によると、西念寺-徳川家の長子〝信康″家の菩提をとむらって幕臣、服部半蔵が家康のめいにより開山。〝徳川信康〃の立派な供養塔があり、うしろに服部半蔵の墓もある。この供養塔、墓はともに新宿区指定史跡とある。旧幕臣の墓が多いとのことであった。
信寿院-西念寺の寮舎として創建され西念寺と隣接し寺内にもおおくの墓があった。これらの寺社で、佐久間家の法事回忌がおこなわれた関係はわからず、われわれの調べもこのあたりが限度とおもい、終わりにした。
ここで〝略妻の静枝〃 について、(87)亡父(象山)十七回法事についてのべる。明治十三年八月十六旦泉都にて亡父、佐久間象山十七回忌を名義人でおこない、のちに亡夫松山の墓参りをした、とある。この象山十七回忌には、勝海舟日記に明治十三年四月七日-北村元象山門人に佐久間象山墓碑へ五十円 同六月八日-象山墓碑銘相談 象山十七回忌相談などのきさいがあり、勝海舟が、師象山のためにいろいろとたずさわり、静枝に対しても良き相談相手となり、烙正妻としての面目をたもたせ、渡辺撰、元門人、岩村元県令などと、協力をおしまなかったことがわかる。また、この亡父の墓碑建立の
あと、静枝が四国松山へ、はじめて亡夫の墓参りをした。それについて、東京曙新聞につぎのような投書がある。