『新選租銘々伝』郷里での啓之助-9

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-9

池田満寿夫美術館~松代城~文武学校~帰宅

時間を気にして朝から歩きづめだったので、ここからは観光気分で宝物館の脇道の北の案内図をみて休息所を探すがないの で、お城の方へ行く途中に、池田満寿天美術館。名は多少なりと知ってはいたが松代出身とは知らず、しかし休みたく(美術館には失礼だが)入館。広い室に、内外の版画、油絵、陶彫などでびっくりだが、ガラス戸越しの庭園の広さのなか、点点とする彫刻群を休みながらながめる。立派な椅子もあり、入館者はわれわれふたりだけだ。次の予定などのチェックの打ち合わせ所となった。
今おもえば、アーティストの池田氏に大変失礼なこととの反省の思いが。そこへわれわれのところに受付の方がみえ、作品の説明(なにしろわれわれ以外の入館者はいない) から、われわれの明石からの話などで、「えっ明石から」、お茶などどちそうされ、お城の話では、今は、お城は改修中で参観できないとのこと、しかたないけれど時間もまだ、日も明るいから城まわりでも見にいくことに。この美術館から城まではちかく、なんとか疲れもとれたので行ってみたが、城は想像していたほどではなく、案内書にょると、かつての海津城は、現在は松代城に、しかしたびたびの火災や改修で昔のおもかげは
なく、旧本丸跡とまわりの石垣のみ残すとの説明があり、入口らしきところのたて看坂にそれらしき説明があった。見廻せば田んぼと畠しかみえず、田舎道があるのみで、せっかくだから、そとからのながめをと歩くことにしたが田舎のみちは遠い。このみちを幕末期の象山や息子烙二郎も歩いたかもしれない、しかしきつい道で後悔する。