力士血風録-3

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は平成二十年四月・二一五号からの掲載です。

力士血風録-3

伊東 成郎

 町中の人通りさえも絶えようとしていたそんなさなか、土地の顔役たちがいよいよ登場してきた。貫禄たっぷりの顔役らは、
八陣と鳶の双方を穏やかになだめ始めた。
また相撲会所からは年寄の大嶽門左衛門が出張り、周囲に八陣の無礼を詫びた。こうして収拾すらつかないような乱闘になり
かけた一件は、辛くも収まったのである。 だが、火事と喧嘩を撃とする江戸の町人たちに、霊岸橋の事件は大評判を呼んだ。
当事者の八陣はますます人気力士となり、さらに番付けは上がり、二段目に付け出されるという厚遇を与えられた。
相手力士たちの中には、八陣の威力に恐怖すら感じる者たちもいたらしい。本所の小梅にあった稽古場では、柏手になるもの
が出ず、ついには外にある石置場にやってきて、巨石を相手に稽古を続けていたという.
そんな八陣は、後年、きわめて数奇な運命をたどる。
ある年のこと、北国への航海中、八陣の乗った船が暴風に遭遇した。その後、船は漂流し、ついに八陣はフランスへとたどり着いたという。
さすがの屈強な体力も病には勝てない。
八陣はかの地で病没し、異国の露と消えていったという。
雑誌『相撲新報』が、明治三十年(一八九七)に伝えた、とある幕末の超個性派力士のエビ.ソードである。