『新選租銘々伝』郷里での啓之助-12

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-12

稲葉春義 満里子

 たぶんこれらの蔵書は、象山が勝海舟に買うよう頼んだものと思われる。海舟がもつ長崎ルートや財力をみれぼ、当時このような本は海舟ぐらいしか手にできないと思われるからである。今日のわれわれには、「ナポレオンのワーテルローの戦い」は、いろいろな著書などで知られているが、幕末期に象山は読破していたとは(びっくり)。また、別のはなしになるが、親子(妻、海舟の妹、むすこ烙)の写真や啓之助の子供時代に種痘したはなしなど(新選組隊士の中で啓之助ぐらいだろう)がある。われわれが注目したのは、番号71男略二郎書長歌一軸 83 渡辺才太郎書簡一通格二郎宛(あだうちをすすめる手紙)餌~90亡父、略(啓之助) の法事に未亡人静枝が喪主として名があ
る。これらの資料の質問にご協力いただいたのが、真田宝物館学芸員北村典子氏で、まえに、平成十三年十月十一日、管理事務所の利根川氏から、田中誠三郎『真田一族と家臣団-』の烙二郎の墓について、FAXでコピー六枚をいただいたが、この時点では、史跡事典の執筆はおわっていたがFAXにより、前述した参考資料のもとを知ることができた。そして銘々伝を執筆することから、改めて略二郎などの資料の必要をかんじて、ふたたび宝物館に電話をいれた。
平成十四年九月二十一日、応対してくださったのが北村氏であった。烙二郎の松山での話から、松山市の象山関係の資料が必要であることをのべると、資料のもちだしはできないので宝物館に来ていただくようにとのことで、同年十月二日付で、「長野市教育委員会様宛松代藩文化施設資料特別利用許可申請書」をおくつてくださった。十月四日に平成十四年十月三十日AM9‥30~12‥00の予約をする。そして利用許可をえる。平成十四年十月二十九日~三十日 松代道中記の始まりである。松代真田宝物館訪問からの帰宅後、資料の整理にといただいた「六連銭」誌から、「近山輿士郎氏旧蔵資料」の次の個所の調査をお願するべく同年十二月三日電話をし、参観希同様の申請書をそえてFAXした。FAXで返事をいただく。(71)男格二郎署 長歌一軸について 返答 当館で紛失したらしく不明とのこと(83)渡辺才太郎書簡の内容について 返答 書簡を見ますと、どうも   すすむ「渡辺駿」 のことかと存じます。別紙のコピーを同封しました。(渡辺旗の手紙は35、、、り写真ネガ三枚分で同封されていた)同年十二月九日であった。この渡辺撰の (烙二郎宛あだうちをすすめる)手紙の内容を知るべく奮闘努力が翌年一月末までつづく。なんとかよみとり、その一部は銘々伝に。同年一月末に、FAXで再度北村氏に質問する。佐久間静枝名義の法事について。(86)亡父・烙一周忌法事配り物・香典帳 明治十一年一冊※ (87)亡父(象山)十七回法事執行控 明治十三年一冊 静枝(88)亡夫佐久間恰十七回忌法事控 明治十六年一冊 佐久間静枝 (89)清光院仁啓守心居士二十三回法事控 明治十九年一冊 佐久間静枝 ※一周忌法要は、長男継述名義である。
法事をおこなった場所については、「とくに場所の記載はありませんでした。ただ寺の名前に「西念寺」「信寿院」とあり、それと「はな屋」かかれていました。また当時の出席者はほとんどが東京の住所のようでした。不明な点がありましたら、ど連絡くださいませ」との返信FAXをいただいた。以上までがわれわれの調査限界だとおもい、北村氏にお礼の手紙で終わりとした。後日出版された『新選組銘々伝・第三巻』を謹呈させていただいた。