多発する医療過誤事件の背景にあるもの-2

 富家孝講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。
「富家孝著・SB新書「死に方」格差社会より}

第7章 信頼できる医者の探し方、選び方
多発する医療過誤事件の背景にあるもの-2

たとえば、電車の運転士でも飛行機のパイロットでも、人の命を直接預かる人間の仕事上のミスが、とくに重く受け取られるのは当然のことである。だからこそ、一般の職業に比べて、医者は高い報酬や身分の安定が保障されている。しかし、最近は医者のモラルが著しく低下している。2015年に発覚した群馬大学の腹腰鏡手術で患者を死亡させていた事件は、未熟な医師が功名心だけで手術を行った典型だろう。
もちろん最善の策を尽くし、医者の側になんの落ち度がなくても、偶発的な医療事故が起こることは少なくない。ところが自分の側に非があればあるほど、医者や病院は隠蔽・改竄(ざん)に走るケースが跡を絶たない。
じっは、皮肉にも、この私自身も医療過誤に遭っている。それは私の長男のケースで、彼は2006年3月半ばごろ、左腕や両足に時おり痺れを感じるようになり、そのことを家内や私にたびたび訴えていた。当時彼は大学生で、アメフトの選手をしていたので、「疲れでも溜まっているのだろう」 と、当初、私はあまり気にしていなかった。
ところが2カ月後、夜中に全身に強い・痺れと痛みを訴え、妻は息子の足をさすりながら明け方を待つことになった。そうして
朝いちばんで、私の母校である慈恵医大に運び込んだ。多発性硬化症も考えられる」ということで、脳血管造影検査を受けた。
この脳血管造影検査がいけなかった。医者として診断を確定させるために検査をすると医者は言うが、血管の炎症が強いこの時期に、そこまでの検査は必要なかったと、著名な血管外科医も指摘している。やはりデータを得んがための検査であっただろう。 息子は、この検査中に脳梗塞の発作を起こし、以後、その後遺症から障害者となり、いまもその後遺症に悩む生活を余儀なくさせられている。