かつては「足るを知る」死に方があった。-2

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「富家孝著・SB新書「死に方」格差社会より}

第8章 「死に方格差」を乗り切るには?

かつては「足るを知る」死に方があった。-2

話を戻して、75歳から私たちが直面するのが、終末治療をどうするかという大問題である。
私たちはなにをしようと老いて死ぬ。アンチエイジングの研究は日進月歩しているが、人間の寿命はどんなに見積もっても120歳までとする説が有力だ。生A叩は老化して最終的に死を迎えるようにできているので、これに逆行することは困難だからだろう。
そういう意味で、いま行われている高齢者への治療は基本的に無駄だらけだから、病気になったときのご自身の態度を早めに決めておくことである。私が高齢の方から相談を受けた場合、真っ先にアドバイスすることは、「医者まかせにするな」ということだ。
たとえば、ある相談者は、83歳で前立腺ガンが発見された。医者は当然のように、手術を勧めてきた。しかし、83歳という高齢を考えれば、手術はかえって寿命を縮めるケースが少なくない。また、第4章で述べたように、前立腺ガンというのは、ガンのなかでもそれほど悪さを発揮するものではない。
そこで、「手術をするという選択より、しないでどう長生きするか、それを考えられたほうがいいでしょう」とアドバイスした。私の父は、70歳で、ある晩突然痛みを訴え、そのままあっという間に亡くなった。動脈痛破裂だった。まさに「ピンピンコロリ」という死に方だった。それまでは元気で暮らしていて、あるとき突然、すっと逝ってしまった。誰にも迷惑をかけない死に方だった。
しかし、ガン、それも終末期のガンとなるとそうはいかない。家族は看病疲れするし、死を前にした痛みや苦しみが生じて緩和治療を受けなければならなくなる。
私の家は江戸時代から続く医家で、父も家を継いで医者になったが、代々にわたって「足るを知る」というような心構えがあった。つまり、「ある程度の年齢まで生きればもう十分」と考え、自分の死に対して恐れないという心構えである。くだけて言うと、その年齢を超えたら「いつお迎えが来てもいい」という考え方だ。父の時代は、これが70歳であり、それ以前の世代は60歳、つまり還暦だった。
謡といえば、いまではまだまだ若いと考えられるが、昔はこの辺が平均的な「死期」だった。それがいつのまにか、平均寿命は男が80.女
が86となり、「足るを知る」という風潮もなくなってしまった。
ただ、最近はガンについての知識が蒜に広まるにつれて、復活してきているようにも思う。なかには 「足るを知る」を80歳以上、85歳以上と考えている方もいるが、やはり75歳が適切だろう。平均寿命を目安にしても、75歳ぐらいからはいつ死んでもいいという気持ちを持てるようにしたいものだ。そうすれば、自ずと選択肢が見えてくる。