第58話 龍馬はおらず

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6、暗殺

第58話 龍馬はおらず
〈暗殺〉龍馬はおらず

慶応三年(一八六七)十一月十五日の坂本龍馬の昼間の行動を記録した記事がある。
〈(龍馬は)両三日来風気味で、他出もせざりしが、此日午後三時頃、隣家の酒屋に下宿して居る福岡(孝俤)を、訪問したが、不在のため、更に午後五時頃訪問したが、未だ帰らず、其時福岡(孝俤)の従者和田は、坂本に伺ひ先刻名刺を持つた使者が、坂本先生は御宅に来て居らぬかと、尋ねて来ましたと告げた。坂本は丁度其処に来て居た福岡(孝俤)の愛して居る、白拍子のおかよに、先生のお帰りは遅くなるべし。帰る迄、僕の宿之話においでと云ふて帰つた。午後三時頃中岡の訪問を受けたのである。〉
「雋傑坂本龍馬」(昭和二年十一月、坂本中岡両先生銅像建設会編纂発行)
〈慶応三年十一月十五日午後、坂本先生は隣家の酒屋に下宿せる福岡(孝俤)先生を二度訪問し、帰る際、自分の下宿へ行かぬかと誘はれ、行かんとせしを、福岡先生の従者和田に引止められ、同行せざりし為め、其夜の危難を免がれた、福岡子爵未亡人(本年七十七歳)より実話を拝聴〉
と解説されている。
この福岡孝俤婦人の証言と同じ、十一月十五日午後を証言した記録がある。
〈十月中此与頭佐々木唯三郎旅館へ呼寄候ニ付、私並、見廻組渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂準之助、土肥仲蔵、桜井大三郎六人罷越候処、唯三郎申聞候ニハ、土州藩坂本龍馬儀不審ノ筋レ之、先年於ニ伏見一捕縛ノ節、短筒ヲ放シ捕手ノ内、伏見奉行組同心二人打倒シ、其機ニ乗ジ逃去候処、当節河原町三条下ル町土州邸伺町家ニ旅宿罷在候ニ付、此度ハ不二取逃一様捕縛可レ致万一手ニ余リ候得ば、討取候様御指図有レ之ニ付、一同召連出張可レ致、尤龍馬儀旅宿二階ニ罷在同宿ノ者も有レ之候由ニ付、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂準之助ハ二階へ踏込、私並土肥仲蔵、桜井大三郎ハ台所辺見張居、助力いたし候者有レ之候ハバ、差図ニ応じ、可二相防旨ニテ、手筈相定メ、同日昼八ツ時比、一同龍馬旅宿へ立越候節、桂準之助儀ハ唯三郎ヨリ申付ヲ請、一ト足先へ立越偽言ヲ以在宅有無相探リ候処、留守中之趣ニ付、一同東山辺逍遥し、同夜五ツ時比再ビ罷越、佐々木唯三郎先へ立入、松代藩ト歟認有レ之偽名之手札差出、先生ニ面会相願度旨申入候処、執次ノ者二階え上リ候、跡より引続兼テノ手筈ノ通リ、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂準之助付入、佐々木唯三郎ハ二階上リ口罷在、私並、土肥仲蔵、桜井大三郎ハ其辺ニ見張候処、奥之間ニ罷在候家内者騒立候ニ付、取鎮メ、右二階上リ口へ立帰候処、吉太郎、安次郎、準之助下リ来リ、龍馬其外両人計合宿之者有レ之手ニ余リ候ニ付、龍馬ハ討留メ、外弐人之者切付疵為レ負候得共、生死ハ不二見留一旨申聞候ニ付、左候得ば致方無レ之ニ付、引取候様、唯三郎差図ニ付、立出銘々旅宿へ引取、其後之如末ハ一切不レ存、〉
この証言は箱館五稜郭の戦いの後、新政府軍に降伏した今井信郎が刑部省で口述したものである。

箱館降伏人 元京都見廻組
今井信郎 口上
午三拾歳
と書かれている「刑部省口書」である。

今井信郎は後に自分が二階に上って坂本龍馬を斬ったという偽りの証言を始める。しかし、実際に二階へは上っていないので、その証言は矛盾が多く信用できない。