第87話 勝海舟の肖像画

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幕末史研究会
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「坂本龍馬八十八話」

第87話  勝海舟の肖像画

 アメリカのバージニア州レキシントンに威臨丸に乗船していたジョン・ブルック大尉の孫にあたるジョージ・ブルック二世がご健在であった。
成臨丸子孫の会でこのブルック氏を訪ねるという企画が持ち上がっていた。
東京でそうした話が進行していた時、筆者はアメリカを旅行していた。
サンフランシスコで友人の作家、ロミュラス・ヒルズボロウ氏を訪ねていた。彼の家に宿泊していた時、メアアイランドは近いかと質問した。
「近い、車で20分位だ」という答えだった。案内してやるとすぐに車に乗る用意が始まった。
高速を走りながら、成臨丸の話をする。日本人96名、アメリカ人が11名。107名の乗組員が万延元年(1860)1月、江戸湾を出港し、37日間で太平洋を横断、サンフランシスコに入港した。
この話をヒルズボロウ氏は知っていた。しかし、船体修理のため、海軍基地があったメアアイランドに成臨丸が来ていたことを知らなかった。もと海軍基地だったが、現在は開放されていて、誰でも入れるという。
元海軍基地を歩きながら、修理ドックらしい場所も写真に撮り帰国した。
するとその話を威臨丸子孫の会でして欲しいと連絡があった。
来年、威臨丸子孫の会はアメリカ訪問を計画しているということだった。
成田から直行便でワシントンDCへ飛び、バージニア州レキシントンを訪ねて、その後サンフランシスコを訪れるという。メアアイランド海軍基地を見学する予定だという。
成臨丸子孫の会へ行きメアアイランドの話をした。
その後、話は進み、来年のアメリカ訪問をすることになった。サンフランシスコの案内はヒルズボロウ氏に決まった。
2005年10月6日、成田から出発し、ワシントンDCへ向かった。そして、昼すぎブルック家の前にバスは停止した。
雨にもかかわらず、ジョージ・ブルック二世は門の近くで傘もささず、直立不動の姿勢で迎えてくれた。
広間に日本に関連する展示物が並べられていた。皿、刀、絵画、人形、その中に勝海舟の肖像画があった。
Capt.Katz Lintaro
Japanese Navy
Painted by Karn
for Br00ks
艦長 勝麟太郎
日本海軍
力ーンが描きブルックへ贈る
と裏面に描かれていた。

海舟が小野友五郎、赤松大三郎と三人でサンフランシスコで撮った写真が残っている。そこに写っている海舟と同じ着物の肖像画であった。おそらく同じ日にカーンによって描かれたものと思われる。