おわりに

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幕末史研究会
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幕末史研究会は、東京都武蔵野市を中心に1994年から活動を続けている歴史研究グループです。

おわりに

 この本は数々のご縁によって出来上がることになった。
筆者が高知県観光特使を委嘱され、その集まりが高知市で行われた。この機会に友人四人が高知観光にやってきた。高知市内で開かれた会合の翌日、五人で桂浜の坂本龍馬像を見に行くとになった。
車で高知城下から桟橋(さんばしどおり)通りを走って、桂浜へと向かった。長浜へ近づいた時、筆者が近くの雪蹟寺(せっけいじ)の話をした。
昔、三十三番札所の雪蹟寺で一人の青年が行き倒れとなった。その青年は助けてくれた住職太玄和尚に語った。
「お坊さんになりとうどざいます。」
「お前は、そうなる人間だろう。」
「しかし、ご覧の通り、私はめくら同然。字も識らず、お経も読めません。こんな人間でもお坊さんになれましょうか。」
「普通の坊さんにはなれんが、覚悟次第で、本当の坊主になら、なれる。」

こうして19歳から眼病で苦しんだ青年は四国遍路を裸足行道(はだしまいり)で7回に及んだ末に出家することになる。そして、その青年は山本玄峰(やまもとげんぽう)という近代の名僧となった。
筆者は山本玄峰師の『無門関提唱』というご著書に書かれている有名な逸話を簡単に説明し、車の左手を指差して、雪渓寺はすぐそこです、と観光ガイドをした。
この四人の中に右文書院の社長・三武義彦氏がいた。氏からしばらくして手紙をいただいた。
この手紙がご縁となってこの本を執筆することになった。私信だが三武社長のご承諾をいただいて、その一節を載せることにする。
(いや~過日の高知は実に楽しかった。お誘い戴き本当に有難う。坂本龍馬記念館の森健志郎館長にお会いできたのも奇遇でした。加えて、なによりも小美濃さんから山本玄峰老師の話が聞けたことは大いに驚かされました。お話ししたとおり、師の四十九日忌日の法要の折(昭和36年7月)〝大接心〟と称する業に三島の龍澤寺で参禅していたことが思い起こされたからです。
数ある兄貴分である先輩の老師をさしおいて中川宗淵師がその龍澤寺の管長になっておられ、法要当日は妙心寺管長の朝比奈宗源師とも会えました。奇しくも近代の名僧と云われた三人の老師に近づきを得たことが、私の今日に少なからぬ影響を与えてくれているものです。)
三武氏とは古文書研究会でお会いして以来、二十年を超えるご厚情をいただいている。この旅行がご緑で一層、親しくさせていただいている。
四国遍路・八十八箇所巡りからのご緑で、〝龍馬八十八話〃 と題することにした。
33年という短い生涯だった坂本龍馬が、ご緑あって巡りあった人々との逸話、幕末の知られざる話、今も龍馬の遺風の中に生きる人たちの話。それらを龍馬八十八話としてまとめてみた。

八十八話をどこからでも、気軽に読んでいただければ幸いです。
著 者

村長からも一言

上記の高知行き5人組のメンバーは、坂本竜馬研究の第一人者である小美濃清明氏、本書の出版元社長の三武義彦氏、開運村顧問に名を連ねている元旅行会社社長の高須譜生(つぐお)氏、私(花見)と、故人になった友人F氏の古文書研究会仲間です。
その旅行以前に、私は高知を訪れ「魔の四万十川」という短編小説を釣り雑誌「つり人」に連載した経緯があり、それ以来、高知の人々の坂本龍馬熱がいかに高いかも承知していました。そこで私もこの機会に便乗して取材を重ね、著名な龍馬研究家の小美濃氏に相乗りして、「異聞 坂本龍馬」の長編小説を上記「右文書院」からちゃっかりと出版しています。
この高知への旅は、長い付き合いで有りながら意外に知らなかった友人の一面も知ることが出来た有意義な旅でした。
桂浜の坂本龍馬記念館には、小美濃氏寄贈の龍馬の愛刀・陸奥守吉行と同じ刀が飾られていて、小美濃氏がいかに龍馬に傾倒しているかもよく理解できました。そして、私はつくづくとよき友人に恵まれた喜びと友人知人への感謝の念で胸が熱くなるのを感じます。次回からのこのコーナーの連載にご期待ください。 花見 正樹