第75話 小渕総理とヒルズボロウさん

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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明
第75話 小渕総理とヒルズボロウさん

ロミュラス・ヒルズボロウさんは武道修行でアメリカから日本へ来た。そして数年後、道場で吉川英治の『宮本武蔵』を読んでいた。その時、兄弟子が『竜馬がゆく』は面白いぞと薦めたという。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み終えると、『坂本龍馬全集』を編集した宮地佐一郎先生を訪ねた。ぞして龍馬研究を始めたそうである。
ヒルズボロウ氏の日本語を覚えるスピードが驚異的である。わずか数年で文庫本を読んでいた。そして、行動力である。龍馬を研究してみようと思い立つと、宮地佐一郎先生を訪問したりである。
そして、日本人女性と結婚のあと、アメリカへ戻ったヒルズボロウ氏は苦心して『Ryoma』を出版した。その時、筆者に電話してきて、小渕恵三総理大臣に差し上げたいと話した。それからが大変だった。総理大臣に直接手渡したいという希望をなんとか実現してやりたいと、筆者はあらゆる手段を考えた。その過程を書いていると頁数が足りないので省略する。
総理が現れた。記者団の写真撮影が終ると記者全員が部屋の外に出る。そのあとはプライベートな時間となった。
龍馬ファンの小渕総理は英語で書かれた分厚い『Ryoma』を手にとり、嬉しそうに見ておられた。
小渕総理が一年生議員の時、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の連載が「産経新聞」に始まった。
これを楽しみに読みつづけたという。               ひと
坂本龍馬のように生きたいと思い、そう行動したと小渕総理は言っておられた。他人の話はよく聞いて、よいところは吸収する。そして実行する。そうしていたら、いつの間にか総理大臣になってしまったと言って笑っておられた。
その頃、沖縄サミットを控えて、サミット会場の建物も建設中だった。小渕総理は龍馬という人物を世界の人々に知ってもらいたいと考えておられた。
そこで提案した。沖縄サミットで龍馬について小渕総理が英語でスピーチするという案だった。総理は早稲田の英文科出身である。準備は秘書室の方々と進めるということになった。それからがまた大変だった。ここも省略する。しかし実現しなかった。小渕総理が倒れたのだ。
目的達成いま一歩で倒れたのは龍馬と同じだった。
ヒルズボロウ氏は悲しみと困惑の声を電話で漏らしていた。沖縄サミット関催の時、アメリカから沖縄へ飛ぶと言って張りきっていた彼は悲痛だった。
そしてそれは小渕総理死すという報で極限へと向かった。
病状回復を願って千羽鶴を皆さんで折っていたが、その完成の日に訃報が届いた。その夜、王子の小渕総理私邸へ筆者は千羽鶴を届けた。
警備の警察官も千羽鶴の入ったバックを見て通行を許可してくれた。
「龍馬に惚れたのは何もお龍さんだけではない、この小渕もぞっこん惚れている」と官邸ホームページに書いた総理は龍馬と同じように無念の死を迎えた。
ヒルズボロウ氏の用意したサミット参加国首脳に配られるはずの『Ryoma』は永田町に積まれたままになった。