第71話 LA龍馬会

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幕末史研究会
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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明

 第71話 LA龍馬会

二〇〇六年、アメリカのロサンゼルスに龍馬会ができた。高知県人が南カリフォルニアに移民をして百年を迎えたのが二〇〇九年である。
龍馬の師・勝海舟は万延元年(一八六〇) アメリカのサンフランシスコへ成臨丸で訪れている。ペリー来航から六年後である。 つぶさに見たアメリカという国を海舟は龍馬に伝えている。龍馬はアメリカを訪ねてみたいと考えていたと思われる。そして、土佐の漁師の万次郎という少年がアメリカ東海岸のフェアヘブンで教育を受け日本へ帰国している。「漂巽紀略(ひょうそんきりやく)」(河田小龍著)に万次郎のアメリカ合衆国の紹介記事が載っている。
龍馬は海舟の弟子であり、航海術を習っている。太平洋を越えてみたいと思っていただろう。
そして、世界の海援隊をやりたいとも言.っていたという。そして、そうした夢がかなえられなかったことは誰でもが知っている。
龍馬の夢は同じ土佐の仲間、岩崎弥太郎が実現した。三菱の旗は世界に翻っている。
坂本龍馬と岩崎弥太郎は長崎で二人だけで酒を飲みながら語り合っていた。その夢が、三菱のマークとなって全米の道路を走っている。
そうした歴史を踏まえてロサンゼルスに龍馬会が発足した。会長の飯沼星光氏は高知県出身である。ご先祖は土佐藩士・飯沼権七直政であり、槍の名人だったという。高輪円真寺に墓がある。星光氏のご母堂は自由民権運動で活躍した横山又吉(真木)の親戚である。又吉は高知商業学校(現・高知商業高等学校)の創立者としても有名である。
飯沼信子夫人は静岡県出身、日系二世の飯沼星光氏と結婚後に渡米。国際的に活躍したり日米の架け橋となった日本人、野口英世のメリー夫人や、高峰譲吉、松平忠厚、彫塑家の川村吾蔵、薬学界の長井長義らの偉業を後世に残す作品を発表している文筆家である。  も
『アメリカ暮らし照る日量る日』(淡交社)『野口英世の妻』『高峰譲吉とその妻』(新人物往来社)『長井長義とテレーゼ』 (日本薬学会)などが出版されている。
この飯沼ご夫妻によってLA龍馬会は活発活動を始めている。龍馬の志をアメリカへ広げていく最前線にいるお二人である。
先日、来日された時、品川駅から近い高輪の日蓮宗・円真寺へ飯沼ど夫妻と共に墓参させていただいた。
その折、お話しいただいたことが興味深かった。
先祖の飯沼権七直政は土佐藩品川下屋敷詰だったという。しかし、品川下屋敷には住まず近くに一軒の住居を構えていたという。
品川下屋敷内に住居が少ないのは東海道分間延絵図からも分かる。蔵は九軒建っているが住居は五軒しか、描かれていない。
幕末期までこの下屋敷は住居として使われる建物が、少なかったようである。
品川下屋敷詰の藩士たちの中には、近くに住居を持っている者も多かったのかもしれない。