第81話下田・宝福寺を訪ねて

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2019年元旦 小美濃清明

幕末史研究会
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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明

8、各地を訪ねて

第81話下田・宝福寺を訪ねて

 坂本龍馬の脱藩を許してもらったのが下田の宝福寺である。
文久三年(一八六三)一月十六日、勝海舟は宝福寺に滞在していた山内容堂を訪ねて、坂本龍馬の脱藩を許してもうらうよう礼儀をつくして懇願する。
容堂は海舟が飲み干した大杯を見て、それを許したという。そのあと、海舟が願う赦免の証しとして白扇に瓢箪(ひょうたん)を描き、
歳酔 三百六十回
鯨海酔侯
と書いて渡した。龍馬が脱藩を許された瞬間である。
今、宝福寺にはその謁見の間が修理されて公開されている。そこには朱色の三段重ねの大杯が展示されている。
この宝福寺住職・竹岡幸徳氏が会長となり伊豆龍馬会が発足した。
下田のみならず伊豆半島全域での活性化をめざし、龍馬会を運営していくとのことである。
こうした姿勢に賛同する方々が集まり始めて活動に勢いがついてきた。
先頃、宝福寺に木造の坂本龍馬像ができあがり設置された。
伊豆のログハウスを作る名人・土屋宗一郎氏が、カナダから輸入した樹齢2100年の杉で作つたという。台座から三メートルはあるという大きなものである。
太い丸太を輸入して雨ざらしにして十年間放置したという。
八本が腐食して使いものにならなかったそうである。中に一本だけ全く腐食しなかった丸太
のった。この丸太で龍馬像を彫ったという。一木作(いちぼくつくり)の龍馬像は荒々しい一刀彫で作られている。円空仏のような印象である。
この龍馬優には魂がある。その魂ゆえに腐食しなかったのである。そして、土屋氏によって龍馬の魂が込められて誕生した。
土屋氏はこれを無償で宝福寺へ寄贈したという。
私は、一生懸命にやる人を応援したい。地域の為にやれることはないかと常に考えています。お金じゃないんですよ。
今、巷では龍馬、龍馬と騒がれています。下田田の人たちが壷懸命にその龍馬に乗っかって、何とか観光に繋げたいと頑張っているでしょう。
私はただそれを純粋に応援したいと思っただけです。観光客の方が、この木像を見上げて、少しでも笑顔になってくれればそれでいいんです。」
下田の宝福寺には坂本龍馬の木像がある。龍馬脱藩を許した容堂。愛弟子の自由を願った海舟。日本を洗たくすると云った龍馬。
この三人の思いが、現代の我々へも伝わるのである。
幕末に近代国家への飛躍を願い、それぞれに全力を尽くした三人の思いがこの木像に込められている。
日本が今一度、あの幕末の息吹をとり戻すことを願った坂本龍馬像である。