第86話 フェアヘブン

 小美濃清明講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

幕末史研究会
事務所:〒180-0006 武蔵野市中町2-21-16
FAX・O422-51-4727/電話・090-6115-8068(小美濃)
Eメール:spgh4349@adagio.ocn.ne.jp
プログアドレス:http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken
幕末史研究会は、東京都武蔵野市を中心に1994年から活動を続けている歴史研究グループです。

「坂本龍馬八十八話」

ニューヨークに住む友人にフェアヘブンに行ってみたいと言うと、連れていってあげるという。しかも車で。かなりの距離である。アメリカ人は驚くほど離れていても、いや近いところと言う。物差しが違うようである。
ジムは鉄道員だったが定年後、時間をもてあましており、毎日が日曜日であった。
助手席に座り地図を広げながら、ナビゲーター役となり、北上を開始する。
ニューヨーク、コネチカット、ロトドアイランド、マサチューセッツと四州を走り回ることになる。
運転しながらジムは何故にフェアヘブンへ行きたいのかと質問する。そこでジョン万次郎の一代記をアメリカ人にも分かりやすく説明する。こう書くといかにも筆者が英語の達人のように聞こえるが、実は下手である。
初めてアメリカを訪れたのは一九七一年であり、アメリカはベトナム戦争の真っ最中であった。もうなくなったパンナムが飛んでいた頃である。
迷彩服を着たアメリカ兵がパンナムでベトナムへ飛んでいく時代だった。それから数十年、アメリカへ旅行している。英語は下手だが、場数を踏んでおり、一人でどこへでも行く。ジョン万次郎の苦労にくらべれば、楽なものである。
フェアヘブンに着くと、ジムはB&Bという民宿を見つけると、筆者を下ろし、蛸輪返りでニューヨークに戻っていった。また迎えに来ると言って消えていった。初めての町で一人になる。ジョン万次郎の心境である。
B&Bはベッドと朝食という意味で普通の家がアルバイトに経営している。
早速、その家の自転車を借り、フェアヘブンの探訪に出かける。自転車でフェアヘブンの町の全休像を頭に入れ、翌日一日は早朝から走り回った。夜、レストランへ行くと天井から土佐清水市から贈られた大漁旗がたくさん下がっていた。
ジョン万次郎を救ったホイットフィールド船長の家、英語を教えてくれた女性教師の家、石造りの小学校を見て歩く。フェアヘブンにはホテルがなかった。小さな町であった。
ジムはそれを知っていて、B&Bを探してくれたのである。
その日の午後には対岸のニューベッドフォードの町へ行き、捕鯨博物館へ行った。鯨の全体骨格標本が展示されており、・大きさに圧倒される。万次郎が作った樽もこれと同じ形だろうかと、幕末に思いを馳せる。
次の日、ゆっくりとフェアヘブンの町を歩いてみる。木造だがしっかりとした家が並ぶ町並みは静かで落ち着いていた。
町で会う人も日本人には慣れていて、向こうから万次郎の話をしてくれた。ジムの車が迎えに来るのを待ちながら、海を見ていた。万次郎の望郷の念について考えてみた。やはり帰りたかったろうと思う。アメリカ社会に慣れたある日、突然にその思いは襲ってきたのではないだろうか。必死に生きている間は望郷の念など起きようがない。
鯨の尾だけの彫刻が緑の芝生の上に立っている。風もここちよく静かな午後だった。

ジムの迎えの車に乗ると、すぐさまニューヨークを目指して南下が始まった。
車の中で、フェアヘブンの町のことや、万次郎のことに、ジムから質問がでた。
そして、どうして万次郎に興味を持ったのかという質問に答えながら、坂本龍馬の話になる。
サムライに興味のあるジムは黙って聞いていた。
突然ジムは言った。この話面白い。鯨、ジョン万次郎、龍馬、ペリー来航。一大歴史ドラマだ。日米合作の映画を作ろう。ハリウッドへ売り込んだらいいぞ、と叫んでいた。