第62話 谷干城の証言

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幕末史研究会
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6、暗殺

第62話 谷干城の証言

谷干城(たにたてき)は天保八年(一八三七)二月十一日、土佐国高岡郡窪川村に生まれた。家は代々神道家、国学者の家系。この日、谷は京都におり、龍馬暗殺の報を受けてすぐに近江屋二階へ上っている。
谷は明治三十九年(一九○六)「坂本中岡暗殺事件」という講演の中で今井信郎の話に疑問を投げかけている。
今井は箱館で降伏し「刑部省口書」で自分は二階へ上っていないと証言していたが、明治三十三年(一九○○)五月の雑誌で自分が殺害したと語っており、二階へ上ったことになっている。それは矛盾の多い内容であった。
谷は自分が見た龍馬の疵と今井の証言の違いを細かく語っている。
〈坂本は非常な大傷で額の所を横に五寸程やられて居るから此一刀で倒れねばならんのであるが、後ろからやられて背中に袈裟に行っている。〉
谷は龍馬の額のところが五寸(15センチ)横に斬られていると証言している。これが致命傷になったと言っている。
〈そこで、坂本はどう云う事をしたかと云うと、どうも分らぬ。けれどもこれも想像が出来る。自分(龍馬)は刀を確かに取ったに違いない、刀を取ったがもう抜く間もないから鞘越しで受けた。それで後ろから袈裟にやられて、又重ねて斬って来たから、太刀折の所が六寸(18㎝)程、鞘越しに斬られている。身は三寸(9㎝)程刀が削れて鉛を切った様に削れている。それは受けたが、受け流した様な理屈になって、そしてその時横になぐられたのが額の傷であろうかと想像される。〉
谷干城は龍馬の鞘が六寸程切られていて、その刀が三寸程、削られていたのを目撃している。
これも重要な証言であり、龍馬の行動を解明する手掛かりとなる。
谷は幕末動乱を生き抜いた者として、今井が述べる暗殺は承服できなかった。
〈石川(中岡)が言ふには賊は二人であった。今井の言ふには四人であると斯う云ふてある。(中略)
然るに今の今井先生の全体其時の挙動と云ふものが如何にも面白い。どうも丁度芝居の讐討(かたきうち)でも見る様な景況で、どうしても事実とは考へられぬ。あとから作ったものと思はれる。〉
谷の語っていることは事実で今井の証言は後から作られたものなのである。
今井は坂本の顔を知らないので、〈早速気転を利かし、坂本さん暫くと言ふと、どつちが坂本か知らふが為に声を掛けた。さうすると入口に坐して居つた人がどなたですかと答へたので、それでこいつが坂本ぢゃなと斯う思ふて、矢庭抜いて斬付けた。〉という証言は谷を怒らせている。
〈殊に坂本は剣術は無逸の達人で、平生付けねらはれて居るのを承知のことなれば、少しも油断しない。それが顔と顔とを見合わせて話をしてそれから斬られる様な鈍い男ではない。是等が最も嘘の甚しい事柄で、決して斯う云ふ訳のものでない〉